第24話 ムウオ ①
暗闇の中に、光苔が幻想的に淡く煌く。
オルフェルの戦域でも、鳥籠の格子が軋む音とは別に荒い息遣いも聞こえてくる。至るところから。
「ふーっ、ふーっ、ふーっ」
六メートル近い巨躯が肩で息を切らす。派手な色の羽毛に覆われた筋肉質なオウムから、白い湯気が噴き上がっていた。
苦笑混じりの笑みが、ヘブンリーブルの口元に刻まれる。
「オルフェルさん、こいつら僕らと互角、もしくはそれ以上です」
「ああ。オレの鑑定でもそのヤバさが表示されている。しかも能力吸収のスキルも持ちだ」
その言葉にヘブンリーブルは息を呑んだ。
オルフェルの前に立つオーカーは振り向くことなく尋ねた。
「発動手段、もしくは条件は?」
「鑑定スキルでそこまでは分からない。魂魄眼さえ……」
金色の双眸が下を向く。遺跡で魂魄眼を温存していれば——そんな後悔が胸をよぎる。しかし、その力を使っていなければ自分は死んでいたかもしれない。その事実がふっと脳裏に浮かび、たら・ればを口にするのが筋違いだと気づき、言葉をぐっと呑み込んだ。
オーカーは片耳をぴくりと後ろへ向けた。
「接触なのか、視認できない何かなのか分からないってことだね」
オルフェルは頷きながら短く肯定した。
自分の左側で杖を携える老練なエルフを一瞥した。仲間たちが誰一人として遺跡で前世の魔法を使わなかったことを思い返す。
「リードグレイ、ヴァント・ゼルグラードを今、撃てるか?」
「何故かワシらは前世の魔法を行使できんから、無理じゃな」
「そうか……」
彼らもまた自分と同じく、使わないのではなく使えないのではないか? ——その予感は的中した。前世の魔法を前提とした戦術は通用しない。冷や汗が背を伝った。
「じゃが、より強力な今世の魔法なら撃てるぞ」
予想外のリードグレイの言葉に、背中を伝っていた冷や汗すら忘れた。脳内が一瞬で次の最適行動の解へと高速回転した。
「時間はいるか?」
「十秒」
その言葉と同時に、両手で握る杖の頭に埋め込まれた宝玉が輝きだす。
「わかった」
オルフェルは即答した。
オーカーは振り向くことなく親指を立てる。
ヘブンリーブルは頷き、ノルウェンとスウェーデも応諾した。
——音速を超える戦いで十秒……。
オルフェルはその時間の長さに思い至ると、首元を締め付けられるような焦りを覚えた。無意識に奥歯を噛みしめていたようで、口内に甘い鉄の味を微かに感じた。自分が思う以上に余裕を失っているようだ。
肺の空気を一気に吐き出すと、緊張を強引にリセットした。
オルフェルは視界の端でリードグレイの様子を捉える。
——やはり、集中するため無防備になるようだな。
そのとき、後方から可愛く暴力的な声が聞こえてきた。
「オマエラ、ブッコロ。オマエラ、ブッコロ」
オルフェルたちが振り返ると、ムウオの体から噴き上がる白い湯気はすでに無くなっていた。
こちらを見据えながら、鳥らしからぬ五指で拳を握り込む。乾いた関節音を交互に鳴らすと、首の筋をほぐすように頭を左右に傾ける。
「オマエラ、ブッコロ。オマエラ、ブッコロ」
次はそう言いながら、地面に両手をつき身をかがめた。そして、腰を高く持ち上げると、引き絞られた弓のように脚の筋肉が極限まで凝縮された。
——次の瞬間。
一蹴り。大気を裂く衝撃波だけを後方へ置き去りにし、ムウオは無音のままオルフェルの眼前へ迫る。薙ぎ払うかのような巨大な脚を視界の端に捉えた。
だがその蹴りは彼を撃ち抜くことはなかった。
ムウオの動きが、まるで時を引き延ばされたように鈍る。
オルフェルの横で、ヘブンリーブルは短く息を漏らす。
「鈍域遅律界しか間に合いませんでした」
続けざまに魔法名を発した。
「重獄圧壊崩滅」
今度はムウオの体が、蹴り上げようとした姿勢のまま緩慢に地面へと押し付けられていく。
オルフェルは即座に懐に潜り込むと、地に着いた軸足へ掌で触れる。
「エナジードレイン」
派手な色の羽毛に覆われた筋肉質な体躯が、徐々に干からびていく。ゆっくりと確実に。
——なんて量の生命エネルギーなんだ。
細い管を強引に押し広げていくような、切るような痛みを伴いエネルギーの奔流が子供のような濃紺の体躯へと染み込んでいく。
「放つぞ!」
リードグレイが声を張り上げた。
宝玉から迸る光が幾重もの魔法陣を描く。前方には半径三十メートルの円環が現れ、その内側の空間は薄く歪んでいた。終着点が見えない巨大な通路のように。
オルフェルはエナジードレインを中断し、オーカーたちとともに、リードグレイの背後へと移った。
そして、周囲の音が消えた。
「虚圧衝壊奔域!」
瞬間、無音の指向性衝撃波が円環内を一直線に蹂躙した。
円の内側にいた敵は地面ごと押し潰され、粉砕された肉片が地表とともに吹き飛ぶ。しかしその外周は不自然なほど無傷だ。灰色の砂粒すら動かず、余波も感じられない。境界で世界が断ち切られたかのように。円環の中だけが地獄と化していた。
衝撃波が去ったあとには、円環の内側だけを鏡面の如く削られた地表だけが残る。土煙すら消し飛び、塵ひとつ見当たらない。
オーカーはオルフェルを、米俵でも抱えるように脇へ抱え上げると、仲間たちに向かって——。
「走れ!」
虚圧衝壊奔域で敵の群れにできた風穴に向けオーカーが駆けると、リードグレイとヘブンリーブルは彼女に続く。
「嘘でしょ! 置いて行く気」
ノルウェンは思わず両肘を開いて掌を返し、咄嗟に身を乗り出した。青色の大きな三角魔女帽が一瞬だけ揺れ、彼女はオルフェルたちの後を追った。音速の数十倍の速度で。
「ワシらの速度じゃ追いつけんぞ」
ドワーフのスウェーデは、諦念混じりの言葉を漏らすと、彼もまたノルウェンと同様に全力で駆け出した。
秒速三十四キロで駆ける脚力を持つオーカーだったが、虚圧衝壊奔域の有効射程は十キロ程度にしか及ばず、彼女の驀進は僅か一秒にも満たなかった。鳥籠頭の騎士しかいなかった眼前に、突如として人間の身長を凌駕するオウムの化け物、ムウオが三体——降ってきた。
勢いのままその横を通り抜けようとしたが、巨大な足が振り下ろされる。だがそのときにはもう、彼女は間合いを切っていた。まるで害虫を踏み潰すような一撃は、紙一重で空を薙ぐ。オーカーの驀進はいとも簡単に止められた。
オルフェルはオーカーの脇に抱えられながらも、ムウオの反応と攻撃速度を目の当たりにする。
——結果から、何が起きたかを推測するしかないのか。
オルフェルの脳裏を、勇者オルフェルと雄鹿の角を持つ悪魔との戦いがよぎる。
——あの時も、見えていたのは結果だけだった。
——似ている、あの時と。
リードグレイとヘブンリーブルが追いつき、数瞬遅れてノルウェンとスウェーデも姿を現した。
オルフェルは、オーカーの脇から身を抜き、地面へと降り立つとリードグレイに指示を飛ばす。
「さっきの魔法を!」
「あいわかった」
片手で携えていた杖を両手で握ると、杖の頭に埋め込まれた宝玉が再び輝きだす。
再び十秒間、耐え抜かなければならない。そのとき、オルフェルの耳に甲高い鳴き声が届く。
ピピピピっ。ピピピピっ。
眼前で肩を揺らす三体のムウオ、まるで笑っているようだ。
「ソノマホウ、キライ。ダンコキョヒ。コウギ、コウギ」
右端のムウオが魔法の構築を始めた老練なエルフに向かって指を差すと、左端のムウオも喋り始めた。
「タクサンキエテ、ビックリシタ。ドキドキシタ。コレガムネキュン?」
胸の前でハートマークを両手で作ると、真ん中のムウオは五指を握り込み、乾いた関節音を鳴らす。
「ボクノオトモダチ、コロシタ。ダカラ、オマエラ、ブッコロ。ブッコロ」
ヘブンリーブルの声が聞こえる。
「鈍域遅律界」
瞬き一つ。その刹那、オルフェルの視界には間近まで迫った三体のムウオ。
——またか!
予備動作すら見えなかった。
オルフェルは遅れて透過のスキルを使用した。
視界を覆う、迫る死。理性的な判断が抜け落ち、反射的に透過を使用してしまった。
——知覚が追いつかない。
短期間だが死戦をくぐってきたつもりだった。膨大な戦闘経験の記憶も継承した。それでも、死を目前にすれば、生存本能が理性を凌駕する。
——まだ未熟か。
「くそが」
オルフェルは、中央で駆ける姿のまま時が止まったかのように鈍化したムウオに肉薄する。
「エナジードレイン」
その姿が徐々に干からびていく。
既にオーカーは右端のムウオに両の掌を添えていた。手首を外転させ、逆八の字にする。
「八百万の震動」
風船が弾けるように、ムウオが破裂した。その後方にいたゴカリトたちも同様に、手前から順に破裂し、扇状に広がっていく。百メートル先まで、破裂は止まらなかった。灰色の地面には、扇状に黒い染みが滲んでいく。
ノルウェンは魔導の杖をかざし魔法名を唱える。
「アビス・ボグ」
左側のムウオの足元が液化し、重力を反転させたかのように巨躯を腰まで一気に呑み込む。徐々に灰色の地面へと沈んでいく。
「これはおまけよ。シャドウバインド」
地面から影のような帯が幾筋も伸び、オウムの魔物を拘束した。
その傍らでスウェーデもまた、強化魔法を発動し始めていた。
「身体強化、身体超強化。身体硬度強化、身体硬度超強化。反射強化、反射超強化。敏捷強化、敏捷超強化。体重重化、体重超重化」
自分自身に複数の強化をかけたスウェーデの体がひと回り大きくなる。
鈍域遅律界とアビス・ボグ、そしてシャドウバインド。三つの行動阻害の魔法で身動き一つ取れない左側のムウオに向かって、ドワーフとは思えない速度で駆け出す。
「超重撃斧斬!」
スウェーデの一撃はムウオの眼球めがけて振り落とされた。
高音の金属音とともに弾き返された。
——!?
不快で強烈な痺れが彼の腕を襲う。
——眼球ならいけると思ったんじゃがな。
スウェーデの腕に伝わったのは、鉱山で頑丈な岩を鶴嘴で穿ったときの感触ではない。それすら遥かに凌駕する、得体の知れない高密度の鉱石を打ち据えたような感触だった。
弾き返され宙を舞う一体のドワーフ。
三つの行動阻害の魔法で身動きを封じられているオウムの魔物。鈍域遅律界の支配下にもかかわらず、ムウオの腹部が鳩尾から下腹部にかけて突然消失する。すべての動きが、時を止めたかのように鈍化するはずなのに。
消失したそこに、縦長の鳥籠が姿を現した。中には何もない。格子の向こうに、反対側の景色が覗くだけ。
突然、鳥籠の格子の隙間から音もなく黒い手が伸びてくる。
鳥籠から離れるほど、その手が急激に巨大化する。反応する間もなく、スウェーデの体を鷲掴みにした。
「ぬかった!」
黒い手が引き戻される。スウェーデの体が鳥籠に近づくにつれ、その姿は急激に縮小していく。そのまま格子の隙間をするりと抜け内側へと引きずり込まれた。
そして、消えた。
ムウオの生命エネルギーを吸収していたオルフェルはその光景を目の当たりにし、危険を察知した。
即座に間合いを切る。
——一瞬にして現れた⁉︎
エナジードレインで少し枯れていたオウムの魔物。その腹にある鳥籠から黒い手がオルフェルに向かって伸びる。透過にて黒い手をやり過ごそうと——また危険を感じた。
得体の知れない黒い手に触れないため、灰色の地面の中へと透過で潜る。そのまま地中を移動し距離をとった。
黒い手が引き戻される。
その掌が、生命エネルギーを奪われ僅かに萎んだ己の体に触れる。何かを掴み、それを引き剥がすような挙動をみせ、黒い手は鳥籠内へと戻っていく。
「アノ、ノウリョクホシイ」
鈍域遅律界の支配下では、言葉さえも鈍化される。そのはずが、普通に喋り出した。
ヘブンリーブルの目が見開く。
「僕の魔法が解除された⁉︎」
一瞬、彼は呆気にとられた。
その魔法を解除されたのは、前世の邪神キャラメリゼ戦以来のこと。虚を突かれる感覚も同じく。
黒い手から逃れたオルフェルが地中から姿を現すと、可愛らしい声が耳に届く。スウェーデを鳥籠内に引き摺り込んだ、あのムウオから。
「シンタイキョウカ、シンタイチョウキョウカ。シンタイコウドキョウカ、シンタイコウドチョウキョウカ」
言葉を一つ唱えるたびにムウオの体が段階的に大きくなっていく。
「嘘でしょ」
ノルウェンの驚きが静かに響く。
オルフェルの視線はスウェーデを呑み込んだオウムの魔物へ向いていた。だが、正面の僅かに萎んだムウオから意識を外したつもりもなければ、油断したつもりもない。魔力感知で挙動を捉えていた。
にもかかわらず、突然の激しい轟音と衝撃波に襲われ、オルフェルは踏鞴を踏んだ。
彼の視界の端に映ったのは、眼前へ突き出されたムウオの拳と、その手首を横合いから殴りつけるオーカーの姿だった。しかも魔物の拳は、わずか一メートルほど先まで迫っていた。
——攻撃されていた⁉︎
彼の驚きを置き去りに、オーカーと巨躯の魔物であるムウオとの激しい攻防が続く。生命エネルギーを奪われてなお、オーカーと互角に渡り合っている。
オルフェルは透過を発動させながら、そこから距離を取る。
「重獄圧壊崩滅」
ヘブンリーブルは左側のムウオに重力魔法をかけた。
それでもなお、ムウオの身体強化を唱え続ける。
「ハンシャキョウカ、ハンシャチョウキョウカ」
「やらせるわけないでしょ。レールガン」
ヘブンリーブルの背後に突如魔法陣が生成され、その中から電磁兵器を構えた片腕が姿を現した。彼は真っ直ぐに腕を伸ばし、身体強化を続けるムウオへ人差し指を向ける。
「ビンショウキョウカ、ビンショウチョウキョウカ」
重力に押し潰されながらも身体強化をやめないオウムの魔物。
ヘブンリーブルの表情には、遺跡の時のように柔和な笑みはどこにもなかった。
「ばん!」
彼の銃口に見立てた人差し指が、上へ跳ね上がる。
それと同時に、電磁兵器を構えた腕は引き金を引いた。
金属弾が音速の数百倍の速度で飛翔する。地面へ押し付けられていくムウオの頭部へ向けて。
弾ける音と同時に肉塊が飛び散る。
もう、身体強化を続ける可愛らしい声は聞こえない。
一方、オーカーの戦いは徐々に彼女が優勢となっていた。虎のようなその両腕は氷結し、その周りを冷気が渦巻いていた。薙ぎ払うようなムウオの蹴りを跳躍して躱すと、そのまま派手な色の羽毛に覆われた脚に飛び乗った。次の瞬間、その脚を足場に太腿の付け根へ向かって一気に踏み込み、胴体へ肉薄する。ムウオが反応する間もなく、オーカーは脇腹に向かって獣王拳の技を繰り出す。
「白虎浸凍零」
オーカーは両拳を縦拳にして打ち抜いた。
轟音とともにムウオの体はくの字に曲がった。薙ぎ払った脚を宙に残したまま、その巨体を瞬時に冷気が包む。次の瞬間には、氷像のように凍りついていた。
彼女はそのまま上体へ回し蹴りを放つ。氷像と化した巨体は脆く砕け散り、その場には片足を上げた下半身だけ残った。
息をつく暇もなく、別個体のムウオが一体ずつ左右から距離を詰めてきた。
迎撃せんと、右側に向かってオーカーもまた距離を詰める。
ヘブンリーブルは左側のオウムの魔物へ、鈍域遅律界と重獄圧壊崩滅を重ねてかける。そのとき、頭上から鶏ライダーが彼の元へ二体降ってきた。
オルフェルとノルウェンの背後から、騎士ソードを携えたゴカリトが近づいてくる。
オルフェルは振り返りながらノルウェンに声をかける。
「二人で何とかするぞ」
「わかったわ」
ノルウェンはアビス・ボグを唱え、悠然と近づくゴカリトを腰まで一気に地中へ沈める。続けざまにシャドウバインドで両腕の動きを封じた。オルフェルは、身動きがとれない鳥籠頭の懐へ透過で潜り込むと、鎧の上から掌を押し当てる。エナジードレインで、ゴカリトの生命エネルギーを己の肉体へ取り込んでいく。
——十秒はまだか⁉︎
まだ、まだなのか。心の中で急く声だけが、やけに大きく響いた。
ヘブンリーブルは、新たに距離を詰めてきたムウオ三体と、その奥から悠然と接近してくるゴカリトへ向け、手当たり次第に鈍域遅律界と重獄圧壊崩滅を重ねていく。彼の眼には、敵の群れだけが別の時間軸に置き去りにされたかのように、ゆっくりと動きながら、その身が潰されていくさまが見える。
「光子熾滅刃」
ヘブンリーブルが魔法名を唱えると、彼の側に四本の光の剣が出現した。剣の形を象った光は、人間が持つ剣と同等の長さだが、柄を含めて全てが光の刃と化している。一万二千度の高温ゆえに、その剣の輪郭は蜃気楼のように揺らめく。
光子熾滅刃が自由意志を得たかのように動き出し、周囲のムウオの首を次々と撥ねていく。
宙に舞う魔物の首。
落ちきる前に、鶏ライダーたちの首も撥ねていく。
同様に、ゴカリトの鳥籠の中にいるオウムを、格子ごと斬ろうとする。
だが格子に光刃が触れると、焼けた鉄に水を垂らしたような激しい音が絶え間なく漏れた。その最中、加熱された大気が断続的に弾け、乾いた破裂音が響く。
「えっ、斬れない」
ヘブンリーブルはムウオの肉体を切断できたのだから、鳥籠頭の格子程度なら容易く斬れると無意識に思い込んでいた。しかし、呆けることなく思考を即座に切り替える。格子の隙間を縫い、光の剣をオウムに突き刺す。さらにもう一本の光の剣で、ゴカリトの騎士の体を切断しようとするが、明らかに刃の長さが足りない。その意思に応じるように、光の輪郭が最大一メートル七十二センチ——ヘブンリーブルの身長と同じ長さまで伸長した。そのまま騎士の巨体を横一文字に斬り抜けた。
そのとき、ヘブンリーブルの魔力感知が、オルフェルへ高速で近づくムウオの反応を捉えた。
瞬時に二本の光の剣を投擲する。二条の光は弧を描くことなく、術者本人の目にも止まらぬ速度で一直線に飛翔した。
一本は、オルフェルがエナジードレインを仕掛けているゴカリトの体に突き刺さる。
もう一本は、高速移動中のムウオの太腿に突き刺さる。光刃に足運びを狂わされ、踏み出すはずの一歩が崩れた。ムウオは自身の速度を殺しきれず、オルフェルの目の前まで勢いよく転げる。遅れて太腿を焼き貫かれる痛みが襲い、可愛らしい声には似つかわしくない絶叫をあげる。
光の剣は太腿を貫き、剣先が反対側から突き出ている。
その刃を引き抜こうと、上体を起こしながら手を伸ばす。だが光刃を握った瞬間、その掌が焼き切れた。
「アビス・ボグ」
ノルウェンの声。ムウオの両腕と両脚が地中に引き摺り込まれ、太腿を貫通している光の剣もろとも沈んでいく。
彼女はさらに魔法を畳みかけた。
「シャドウバインド」
地面から影のような帯が幾筋も伸び、体を拘束した。
光の剣は魔物の太腿を貫通したまま、胴体へ向かって進む。肉体を焼き切りながら。ムウオはノルウェンの魔法を簡単に引きちぎり、なおも進む刃を強引に握った。噴き上がる絶叫。
「コキュートス」
ムウオは絞り出すような声で、S級冒険者から奪った魔法名を唱えた。
光の剣を握る掌から、周囲の肉体が瞬く間に凍りついていく——だが、それも数瞬。
たちまち氷は溶け始めた。
ムウオの掌を切断し、光の刃は一気に斬り進む。喉の奥を押し潰されたかのような濁った音が、魔物の口から漏れ出る。それとともに、起き上がっていた上体が崩れ、地面に手をつく。
「コキュートス」
再び唱え、さらに——。
「ヒール」
凍りついた部位には再生は起こらなかった。氷結していない掌の切断面から、逆再生するように失われた手が再生していく。
オルフェルは空間から虹降りの剣を取り出すと、
「透過」
一気にムウオとの間合いを詰め、光子熾滅刃が肉体に刻んだ背中の裂け目へ、虹降りの剣を振り下ろす。
剣先が深々と肉体へ食い込んだ。
ムウオの短い叫び声。
光の剣が突如として消える。それと同時に、虹降りの剣から肉に食い込む手応えが消えた。
オルフェルの双眸には、格子越しの灰色の地面が映る。ムウオの背中、その中央部に鳥籠が出現していた。幸いにも、両足は格子の桟を踏んでいた。
「ヒカリ、キュウシュウシタ」
ムウオが地中に埋まっていた片脚を、周囲の地面を剥がしながら強引に引き抜く。
——逃げる!
オルフェルの脳が全身に離脱の信号を送るが、同時にまだ透過は継続しているという信号も送られ——相反する二つの信号が思考を掻き乱す。
オルフェルは、鳥籠の上方に残る背中の傷口へ噛み付いた。
傷の裂け目を押し広げ、そのまま内側の肉を食いちぎる。
ムウオは声にならない叫びをあげ、膝から崩れ落ちた。
オルフェルは瞬時に跳躍し、一気に間合いを切る。
口内の肉を咀嚼して飲み込むと、ぽつりと感想を漏らす。
「肉はちょっと硬いな。臭みはあるが、火を通せば美味しく食えそうだ」
「オマエ、マジブッコロ! ブッコロ!」
ムウオは自身に回復魔法のヒールをかけながら、地中に埋まっていたもう片方の脚も強引に引き抜く。振り向いたその貌は、鳥でありながら憤怒に染まっていた。
そのとき——。
オルフェルの脳内に、機械的な女性の声が響く。
目の前に文字が次々と浮かび上がっていく。
《固有スキル「吸収付与」を獲得》
《スキル「気配感知」を獲得》
《スキル「生命感知」を獲得》
《スキル「飛翔」を獲得》
《スキル「反響定位」を獲得》
《魔法「威力」上昇》
《魔力操作「技量」上昇》
突然のスキル獲得と能力上昇に、オルフェルは虚空を見つめたまま数瞬だけ固まってしまう。
——スキル獲得?
——なぜ?
——食べたから?
その思考を邪魔するように、可愛らしく暴力的な声が近づく。「ブッコロ」を連呼しながら。
ノルウェンは再び、シャドウバインドやアビス・ボグで歩を封じる。だが、最初から彼女の魔法など存在しなかったかのように、一歩、また一歩と、ムウオが近づいてくる。
「十秒はまだか⁉︎」
オルフェルは憤怒のムウオを見据えたまま、魔力感知でリードグレイの様子を探る。
——⁉︎
「ふざけるなよ」
オルフェルの口から、重苦しい声が絞り出された。
リードグレイの眼前には、明らかに異様なムウオが立ち塞がっていた。
金髪のポンパドール風の髪型。
昔ながらの日本の硬派な不良を思わせる、青色の詰襟学生服。金属のボタンが鈍く輝く学ランの前は開け放たれ、内側の白い丸首Tシャツはズボンの外へ出ている。
ズボンは、昭和時代のヤンキーを彷彿させる青色のボンタン。鳥足は剥き出しだった。
得体の知れないムウオは、左手の人差し指と親指だけで、オーカーの首を万力のように挟み込んでいた。反対の手には、火のついた煙草を指先で軽く挟んでいる。そして傍らには、いつ倒されたのかさえ分からないヘブンリーブルが地に伏している。
指先の煙草を嘴へ運ぶ。先端の紙がちりちりと音を立てて焼け、静かに紫煙を吐き出す。
「ネオラル北聖堂高校ノ、葛西アップルパイッテ者ダケドヨ、ソノ魔法ハ使ウナ。コレ以上コノ奥ニ行クト予定ガ狂ウラシイカラヨ」
葛西アップルパイは、低い声でリードグレイの虚圧衝壊奔域の使用を禁じた。
リードグレイは肯定も否定もせず、ただただ黙した。
「ソレト、オマエ。ソイツヲ殺スナ」
葛西アップルパイは火のついた煙草を指に挟んだまま、右手を鬱陶しげに払った。
だが憤怒のムウオは、その命令を撥ねつけた。
「ウルセエ! オレノニク、クッタ。ユルシマジキ」
「テメエノ感情ナンテ、ドウデモイインダヨ。殺スゾ」
葛西アップルパイは高慢に顎を上げ、ムウオを睨みつける。
「ウルセエ! オマエ、ブッコロ!」
葛西は煙草を深く吸うと、先端の火種が呼吸するように明滅した。
「オマエ、腐ッテ死ネ」
言い終えるが早いか、葛西はすでに視線を外し、リードグレイを見据えていた。
「ナンダ、コレ?」
オルフェルの目の前で、憤怒のムウオがみるみる腐っていく。腐り落ちた腕が地面に叩きつけられ、ぐしゃりと潰れて腐肉を撒き散らす。両脚も崩れ落ち、支えを失った全身が原型を失い、腐泥となって灰色の地面へ広がっていく。
葛西アップルパイは、左手の人差し指と親指で掴んでいたオーカーを投げ捨てると、リードグレイに再び問うた。
「デ、ドウスルンダ?」
オルフェルたちの周囲にいた鳥籠頭の騎士も、ムウオも、鶏ライダーも——全てがその場で動きを止めていた。




