第一章 9.金が無いのにまた災難
ソルさんと一緒にニノ郭の武家屋敷街を出て三ノ郭へと一旦戻った。あれこれと買い物するならこっちの方が便利なんだ。
マルシアさんから前借りの支度金として貰ったのが小銀貨二枚。日本円にすると二万円くらいだろうか。これで当座の食糧と毛布くらいは仕入れておきたい。あとは明日から毎日昼間は採集の仕事をしないとね。
古屋敷を出て元気を取り戻したソルさんが偉そうに宣う。
「思ったほど大したことはなさそうだったな。これなら一週間くらい軽く過ごせるだろう」
「うん、そうだねー」
帰り際に見えた三階の窓の影とか気になることもあったけど、今からあまりソルさんを怖がらせても、ね?
「まあ、幽霊の正体見たり枯れ尾花ってね。怖い怖いと思ってるとなんでも怪しく見えてくるものだし、過去の変死事件とかも、案外となんてことはない偶然だったのかもしれないしね」
「私は別に怖がってなどおらなかったぞ。ちょっと古くて埃塗れの屋敷に入るのが嫌だっただけだ」
「うんうん、あのハンカチマスクはとても似合ってたよ。なんだかソルさんが可愛く見えちゃったよ」
「ふ、……ふん。ターサン、あまり大人をからかうものではない」
「えっ? 確かにソルさんの方が年上みたいだけど、三つ四つくらいしか差がないんじゃないの? その程度なら誤差の内じゃね?」
「ターサンは人族だろう? 私はエルフ族だからな。人族の何倍も寿命が長く、外見もずっと若々しく見えるのだ」
「マジか! やっぱりエルフってこっちでも長寿なんだな。それで、ソルさんは幾つなの?」
「紳士は女性に年齢を訊ねるものではない、と教わらなかったのか? まあ、ターサンの年齢なら、私からすれば幼児と大差ないからな。特別に教えてやろう。私は百二十歳だ」
「おおーっ、百二十歳か! ぜんぜん見えねー!」
そんな会話を重ねながら市場のある南門寄りの目抜き通りに辿り着く。
港に近い東門側の大通りには交易品を並べる店が多く、冒険者ギルドのある西門寄りの大通りには、武具屋や雑貨品の店が多いらしい。
庶民が多く住まう南門付近の広場では食料品などの市場が開かれている。
「〈貴族〉だ! エルフが来たぞ!」
「目を合わせるなよ、魂が抜けちまうそうだぞ!」
「怖いなー、早く店を閉めて帰ろーかなー」
またかよ。どんだけエルフは怖がられてるんだか。
「なあ、ソルさん。フード付きのローブとか買って被ってた方が良くね? 毎回注目されて大騒ぎされるのも疲れるだろ?」
「うん? 私が視線を集めるのはいつものことだから気にしてなかったぞ」
いやいや、どんだけ自信家でメンタル太いんだよ。
「でも俺たち冒険者を始めたんだし、しばらくはこの街で暮らすつもりなんだから、街に溶け込む努力もしてみた方がいいんじゃね?」
「なるほど、それも一理あるな。しかし支度金は小銀貨二枚だろう? 余分な買い物をする余裕は無いのではないか?」
昨日、俺の靴をソルさんの手持ちの金で買ってきて貰ったが、結構高かったらしい。中古の革靴なんだけどな。
「この街では農産品は然程でも無いが、衣類や革製品、鍛冶製品などの、人手と技術が掛かってるものは結構高いのだ。一つ一つ職人の手による手作りだからな」
ああ、なるほどね。江戸時代の日本と同じだな。まだ家内制手工業で大量生産とか出来てないんだ。庶民は服も靴も大事に修繕しながら長く使って、いよいよサイズが合わなくなったら古着屋とかに売って、また丁度いいサイズの中古品を買って帰るんだろう。
「まあまあ、取りあえず食料品は一日分くらい買って、地元に溶け込めそうな服を探しに行こうよ。俺もタンクトップ一枚だと、夜とかちょっと寒いしね」
市場では調理せずとも食べられるパンや燻製肉、果物を買い込んだ。ソルさんの言った通り食料品は思いの外に安価で、ソルさんの持ってた小銅貨数枚で一日分の食料が買えた。
手押し車に売り物を並べた店主たちが、店ごと逃げ出しそうになるのをなんとか押し留めて買い物を済ます。
そんなに怖がんなよ。ぷるぷる、こいつ悪いエルフじゃないよ?
美味しそうな匂いのする串焼き肉を屋台で買って、食べながらぶらぶらと西門街を目指して歩く。服を買うならあっちが安いんだってさ。
「おっと!」
突然路地から飛び出して来た子供がぶつかって来た。そのまま倒れそうになってしがみついてきた子供を、思わず両手で抱きかかえる。
「危ないなー。飛び出すなクルマは急に止まれない、だぞ!」
「ゴメンゴメン、にーちゃん、悪かったな」
黄色い髪の汚い服を着た子供が、軽く謝罪するとまた走り去って行った。
「おい、ターサン。今の子供が其方の尻ポケットに手を入れていたぞ」
え!? 焦りながらスウェットパンツの唯一のポケットを弄ってみると、大事な二枚の小銀貨が無くなっていた。
「あいつ、スリだ! ソルさん、追いかけるぞ!」
「あの先の路地に入って行ったな」
ソルさんが指差す方へ慌てて走り出す。後からソルさんも付いて来る。
「はあ、はあ……、もー、ソルさんも暢気に見てないで、すぐに言ってくれよ!」
「なに、抱きつきながらポケットに手を伸ばす、流れるような見事な動きに見惚れておったのだ。まさかお金を盗んでいったとは思いもしなかったのだ」
「ん、もー!」
角を曲がって路地に飛び込み、その先の辻を越えたところで、黄色い髪のガキが一軒の仕舞屋に入って行く姿を見つけた。
「ここか! なんか商売やってたけど潰れましたみたいな家だな。よし、ソルさん、踏み込むぞ!」
この街では大通りに面した建物は石造りの三階建てで、大きな商店や宿屋になっているが、路地一本入ったところには、一階が小さな店や工房で、その上階に家族が住んでるようなレンガ造りの二階屋が多い。
ボンビーな俺らから金を盗んでいくなんて、ぜってーに許さねーからな!
俺たち二人は、ドアを蹴り開けて家の中へと入って行った。
次回は水曜日の夜に投稿します。