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私は自分に説教を垂れてみた。だが何も変わりはしなかった。雨はやんで、濡れ鼠が一匹残った。
私はすくっと立ち上がり、南国の街並には目もくれず、走って近所のコンビニに向かって走っていった。オリオンビールを買いに。これからどうなることやら、それは知らんが今が大事。今は酒を飲んでぐっすり眠りたい。ただそれだけ。
ビールを飲んでいたら、急に元気が出てきた。街も空も、穏やかな景色に潤んでいる。緑、赤、白、オレンジ、様々な生命力の躍動が風に揺れて儚く、しかし力強く、命の鼓動を伝えている。
私は思い出したように唐突に手帳を開き、そこに書き溜めた。
やるべきこと
・ くだらないナルシシズムを捨てること。
・ 自分の全てに自分で責任を持つこと。
・ 他人の成功、幸福、笑いを愛することができるようになること。
・ 誰かの役に立つこと。
・ 良心を持つこと。
・ 住処と仕事を探すこと。←急ぎ
・ 虫を怖がらないこと(南国に来たんだからね)。
私は貧乏だし、仕事もない、おまけに三十歳。希望なんかなかった。だがこの時、私そこはかとない幸福に包まれていた。酒の力を借りたのもあるだろうが、それにしてもこれでどうにかして生きていけそうだという生命力のしぶとさが、彼の心に蘇ってきた。ああ、どのくらいぶりだろう。自分の人生に生きている実感がわいてきたのは。私はもう誰も恨まない、誰も妬まない、自分を他人と比べないのと同時に、他人も自分と比べない。だから人の幸福を心の底から喜べる。それが並大抵じゃないのは分かっている。精神的な成長がもっともっと必要なのは分かっている。でもいま、それに向かって一歩進みたい。そして誰かに寄りかからず、自分で責任を持つことも重要だ。自分の人生の全責任は自分にある。そうだ、ここからそれを始めようじゃないか。どんなご高説、お説教よりも、こういう追いつめられた環境がなによりそれを痛感させてくれるじゃないか。私は、新しい人生を、自分の足で歩み始める。
そう思ったときだった。突然の痛みが私の左胸を突き上げた。心臓の辺りである。息を吸う度に、また時間が経つ度にその圧迫されるような、胸が詰まるような痛みが増幅していく。心筋梗塞か。そういえば、ここ最近、健康診断の際に悪玉コレステロール過多で引っかかる事が常態化していた。煙草ももうやめたけど、3年間吸ってたからなあ。やっぱり心筋梗塞を引き起こす危険性は高いよなあ。酒も多かったし、食事も脂っこいものが多かった。こりゃ仕方ない。
私は飲んでいたオリオンビールの缶を手から落とし、仰向け倒れた。あまりの息苦しさに、息は喘いでいた。周りに助けてくれる人など、誰もいない。というかこの辺りは人もまばらで、私を発見してくれる人すらいないだろう。ああ、もうこれで終わりなんだな。大したことのない人生だったけど、でも色々なことがあったなあ。父さん、母さん、ごめんよ、許してよ。育ててくれてありがとう。拓平(弟の名)、こんな兄貴で済まなかった。
ああ、終わりも近づいてきたみたいだな。まさかこんなに早く死ぬとは思わなかった。でも、こういう清らかな気持ちで死ぬのが一番幸せかも。これからやりたいこともあったけど、きっと苦難も多いだろう。こんなに清々しい気持ちで死ねるのならいっそのこと…。
私は遂に道端に倒れ、動かなくなった。その瞬間から、私はこの世界の全てに別れを告げた。
*
筆者は、この後に書こうとしていた。この一連の逃避行が実は夢であり、目を覚ますとまた相変わらず冴えない日常が続いていたということを。しかしそれは彼にとって残酷極まりないものに思われ、何より彼が迎えうる死の中でこれが最も美しい死に様ではないか、それを奪ってしまうのは気の毒なのではないか、との懸念に駆られ、それは止した。そういうわけで、私はここで擱筆する。




