↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

3年E 組、全員異世界転生しました。~30通りの恋と、小さなギフト~

没落した元公爵令嬢ですが、食事を恐れる皇太子殿下に「あーん」していたら、うっかり餌付けしてしまいました

作者: kinoko
掲載日:2026/10/30

江南女子高等学校3年E組・異世界転生シリーズ、第3弾です。


今回の主人公は、三枝美緒――転生後は皇宮料理人のミレイユ。

与えられたギフトは、食べ物が一番おいしくなる瞬間が分かる『食べ頃時計』。


家も爵位も失った元公爵令嬢が、料理人として自分の人生を歩いていく中で、ある皇太子と出会います。

地味なギフトと料理、そしてちょっと距離感のおかしい二人の恋を楽しんでいただけたら嬉しいです。

 私はミレイユ・アスター。

 前世の名前は、三枝美緒。


 元々は江南女子高等学校3年E組の生徒だった。


 あの日、教室にいた30人全員が、創造主がうっかり作ってしまった『次元の狭間』に飲み込まれた。元の世界には戻せない代わりに、一人一つのギフトを与えられ、私たちはこの世界へ転生した。


 それから22年。


 今の私は、レインフォルト帝国の皇宮ヴァイオラ宮で料理人として働いている。


 淡い栗色の髪に青灰色の瞳。

 背は少し低め。


 美人かと聞かれれば……うん、普通。


 栗色の長い髪は、料理をしていると髪が邪魔なので、だいたい後ろで無造作に一つに括っている。



 三年前までは、何を隠そう公爵令嬢だった。

 アスター公爵家は皇室の救援金を横領した疑いをかけられ、爵位も領地も失った。


 けれど、父は無実だ。


 長年付き合いのあった商会に帳簿や契約書を偽造され、証拠までアスター家の倉庫へ仕込まれていた。


 父も母も馬鹿ではない。

 ただ、人を疑うのが苦手なくらいお人好しだった。


 それで全部失った。


 まあ、でも、家族全員生きている。

 それならいいか、と思っている。


 父は小さな商会で帳簿をつけ、母は近所の子どもに読み書きを教え、私は料理人になった。


 爵位がないなら、働けばいい。


 私も本気でそう思っているし、両親も同じ考えのようだった。


 でもただ一人。

 そう思えない人が我が家にはいた。


「こんな生活、もう三年よ! いつまで続くのよ!」


 朝から姉のリリアが叫んでいる。



 二つ年上の姉は昔から美人だ。

 母譲りの金髪に、大きな青い瞳。


 公爵令嬢だった頃はそれはもう周囲からちやほやされ、見事なくらい天狗になった。


「この紅茶だって安物じゃない。昔なら使用人でも飲まなかったわ」


「それ、お母様が昨日買ってきたものだよ……」


「だから何?」


「せっかく働いて買ってくれた物に、文句は言ったらだめだよ、お姉さま」


 リリアが額を押さえた。

 たぶん、私とは話が合わない。


「ミレイユはいいわよね。厨房で毎日鍋をかき回して満足なんだから。私は元公爵令嬢なのよ? 平民みたいに働くなんて無理!」



 私も同じ元公爵令嬢なんだけど。


 ……とは言わないけど。



 姉は機嫌を損ねると長い。

 そして私は朝から長い話を聞くのが嫌いだ。


「今日も遅くなるから、夕食は先に食べてね」


「また厨房?」


「うん」


「油や香辛料の匂いがつくのに、よく毎日行けるわね」


「いい匂いだよ?」


「……あんたは、能天気でいいわね!! 私も見習いたいわ!」



 じゃあ、見習えばいいのに。


 私は首を傾げたまま家を出た。



 ◆◆◆



 私のギフトは『食べ頃時計』。


 食材や料理に触れると、一番おいしくなる瞬間が感覚で分かる。


 果物なら完熟まであと二日。

 煮込みなら味が馴染むまであと十五分。

 肉なら火を止めるまであと十秒。


 便利だけれど、とても地味。

 だって、前世で言えば、高性能なキッチンタイマーだ。


 創造主よ……。

 あなたはたぶん、派手な能力を考えるセンスがない。



 でも料理人になってみれば、これほど便利なものもなかった。


 その日も白身魚の火入れを見ていると、料理長が深いため息をついて戻ってきた。



「ミレイユ。レオニス殿下のお食事がまた戻ってきた」


「どのくらいですか?」


「スープ二口。パン一口」


「……小鳥より少ないですね」


「皇太子殿下を小鳥と比べるな!」



 怒られた。


 でも本当に少ない。

 あの人、本当に大丈夫だろうか?


 レオニス・フォン・レインフォルト皇太子殿下。

 皇帝陛下の第一皇子で、この帝国の次期皇帝になる方だ。


 艶のある銀髪に深い紫色の瞳。

 二十代半ばとは思えないほど落ち着いていて、滅多なことでは感情を表に出さないことで知られている。


 そして幼い頃、一度毒殺されかけている。

 それ以来、どれほど厳重に毒見をされた料理でも、口へ運ぶ瞬間に身体が拒絶してしまうらしい。



 私は戻ってきた皿を見る。


「料理長。これ、何が入っているか全部言えます?」


「もちろんだ。仔牛の出汁に――」


「見ただけで、です」


 料理長が黙った。


「毒を怖がっている人に、正体不明の茶色いソースをかけるのは怖くないですか?」


「正体不明とは何だ。三日かけたソースだぞ!」


「おいしい正体不明です。ちょっと……、私に任せてもらえませんか?」


「お前は時々失礼だな……」



 それでも、翌日の食事を任せてもらえた。


 私は鶏肉と根菜を柔らかく煮込み、塩と香草だけで味を整えた。


 パンも、何もつけずに一切れだけ。


 皇太子殿下の食事とは思えないほど質素だ。


 でも、見れば何が入っているか分かるよね。

 これなら少しくらい安心できるかもしれない。




 その日の夕方。


 戻ってきた皿を見て、私はしばらく固まった。


 空だ。

 本当に何もない。


「……洗ったんですか?」


 配膳担当の侍女が吹き出した。


「違います。全部召し上がりました」


「全部?」


「全部です」


 思わず笑顔がこぼれてしまった。


「やったーーーーー! 勝った!! 何にかよくわかんないけど、勝った!!」


 料理人にとって、空っぽの皿ほど嬉しいものはない。




 翌日。


「今日から、お前が直接殿下のお部屋へ運べ」


 料理長からそう言われた。


「私が?」


「ああ。殿下のご希望だ」


「何か失敗しました?」


「完食させた人間を呼ぶのは、普通は褒める方だ。安心しろ」


「よかった」


 質素な食事過ぎて怒られると思ったけど、喜んでもらえたってことだよね?



 ◆◆◆



 レオニス殿下の私室へ入るのは初めてだった。


 食事を載せたワゴンを押して中へ入る。


 窓際に殿下がいた。

 上着を脱いだ白いシャツ姿で、書類を読んでいる。


 厨房で遠目に見るよりずっと背が高い。

 それに、近くで見ると少し困るくらい綺麗な顔だった。


「失礼いたします。お食事をお持ちしました」


 紫色の瞳がこちらを向く。


 一瞬、なぜか、殿下の視線が止まった。



「……その料理、君が作ったのか?」


「はい」


「名前は?」


「ミレイユ・アスターです」


「……アスター?」


「元公爵家です」


 少しだけ殿下の目が細くなった。

 でも、レニオス殿下は家のことは何も聞かなかった。


「昨日の料理も?」


「はい」


「なぜ、あんな料理にした?」


 あんな料理……!?

 うっ、なんか、少しだけ刺さる。


「……おいしくなかったですか?」


「いや。そうではなくて……」


「よかったです。ちょっと傷つきました」


「すまない。言い方が悪かった」


 皇太子殿下が素直に謝った。


 お、この人、意外といい人かもしれない。


「何が入っているか見れば分かる方が、殿下も安心できるかなと思ったんです」


「私のために?」


「はい。食べてもらえないと、料理がかわいそうなので」


「私ではなく、料理が?」


「あ、いえ、殿下もです」


 少し考えて付け足す。


「殿下四、料理六くらいで」


「……そうか」


 なぜか笑われた。


 さすがに、失礼だっただろうか……?

 割合を殿下多めにすればよかった??



 料理を並べたが、殿下はスプーンを持ったまま動かなかった。


 やっぱり怖いのかな?

 そう言えば、少ない量でも、すごく時間がかかると聞いていた。


 私は自分用のスプーンを取り、一口食べた。


「大丈夫です。おいしいです」


 殿下は料理ではなく、私の顔を見ていた。


「何ですか?」


「いや……」



 少し待ってみたが、まだ食べない。



 せっかくの料理が冷めるでしょう!!?

 まったく!!



 私は新しいスプーンへ一口すくい、そのまま口元へ差し出した。


「はい。あーんしてください!!」


 殿下の目が大きくなった。


「……君は、何をしている?」


「給餌です」


「私は雛鳥か?」


「そういえば、料理長にも殿下と小鳥を一緒にするなって怒られました」


「私を……?」


「はい。すみません。悪口じゃないんですけど」


 殿下が片手で口元を押さえた。


 怒ってるの?笑ってるの?

 よく分からない。

 ま、どっちでもいいけど。



「ほら、冷めますよ!」


 スプーンをもう少し近づける。


「私が食べても平気でしたから。あーんして!」


 紫色の瞳が私を見た。

 やがて、殿下はゆっくり口を開いた。


 ぱくり。


「どうです?」


「……美味しい」


「でしょう!? 質素だけど、素材の味がちゃんと出るように調理してますからね!」


 嬉しくて笑う。

 殿下が視線を逸らした。



「まだありますよ。はい、口開けて」


「待て、自分で食べられる」


「だったら、早く食べてくださいよ。世話がやけるなぁ」


「……」



 その日も、レオニス殿下は一食分を全部食べた。



 ◆◆◆



 それから私は、毎日のように殿下のお部屋へ食事を運ぶようになった。


 最初は昼だけ。

 そのうち夜も。


 さらに試作品の味見まで頼むようになった。


「南瓜のスープです! 殿下味見してみてください!」


「昨日も飲んだやつか?」


「今日は香草が違うんです!」


「私には違いが分からないかもしれない……」


「大丈夫です。分からなかったら二杯飲んでください」


「それは、味見の量ではないな……」


 私はスプーンですくう。


「はい、あーん」


「……もう驚かないぞ」


「成長しましたね」


「なんの成長だ、まったく」


 殿下は少し身を屈め、素直に食べた。


「どうです?」


「少し甘い」


「やっぱり」


 私はそのまま同じスプーンで一口飲む。

 殿下が固まった。


「……ミレイユ」


「はい?」


「今、それは私が使ったスプーンだ」


「そうですね」


「平気なのか?」


「え、殿下、もしかして病気なんですか!? うつるやつ!?」


「そういう意味じゃない……」


「じゃあ大丈夫です」


 殿下が額へ手を当てた。


「……君は本当に強いな」


「健康だけは取り柄ですからね」


「いや、そういうことを言ってるんじゃなくて……」


 最近、殿下との会話は時々噛み合わない。




 数日後。

 小さな焼き菓子を作った。


「殿下、これもお願いします」


 一つ摘まみ、口元へ運ぶ。

 もうすっかり慣れたレニオス殿下が、少しだけ身を屈める。


 焼き菓子を口へ入れた瞬間。

 指先が唇へ触れた。


「あ……」


 思ったより柔らかい唇の感触。

 そう思った途端、急に恥ずかしくなった。


「す、すみません」


 慌てて手を引こうとしたが、手首を掴まれた。


「殿下?」


 そのまま引き寄せられる。


 指先についていた焼き菓子の欠片を、レオニス殿下が舌先で舐め取った。


「――っ!?」


 頭の中が真っ白になった。

 殿下は私の手を離すと、何事もなかったように言った。


「甘いな……」


「い、今……私の指を舐めましたよね!?」


「味見だ」


「指は……食材ではありません!」


「でも甘かった」


「そういう問題じゃ……!」


 顔が熱い。

 ものすごく熱い。

 指先だけ別の生き物みたいにじんじんする。


 殿下が少し笑った。


「やっと、動揺する顔が見れたな」


「するでしょう! 一国の皇子が何やってるんですか!!」


「一国の皇子に、君はさんざん雑な扱いをしてくれていたが……」


「それとこれとは、話が別です! もう指を舐めるの、禁止です!!」


「そんな法律はない」



 レニオス皇子の表情は、相変わらず淡々としている。

 でも、少しだけ笑っている。


 この方、最近ちょっと変だ!

 いや、私も……変かも……!




 そして、数日後、さらなる事件が起こった。

 私が先に果実を口に入れて毒見をした時だった。


「うん、おいしい! 食べごろです」


 そう言った瞬間。

 殿下の指が私の顎へ触れた。


「え?」


 顔が近づき、唇が重なった。

 そして、レニオス殿下は舌先で私の唇を舐めると、平然と言った。


「確かに甘い。……食べごろだな」


「……」


「ミレイユ?」


「ちょっと待ってください……!」


「何を?」


「今、私の頭の中で会議が始まりました……」


「結果は?」


「……まだ揉めています」


 殿下が肩を揺らした。

 笑っている。


「会議が終わるまで待とうか?」


「待っててください」


「分かった」


 レニオス殿下は、私の頭が落ち着くのを本当に待ってくれた。



 数秒。

 私は深呼吸した。


「……終わりました」


「結論は?」


「今後、私の唇や指を舐めるのは、禁止です!!!」


「却下」


「会議の意味がない!」


 声を上げると、殿下が楽しそうに笑った。


 こんな顔をする人だったんだ。


 そう思ったら、怒るより先に、胸がまた変な動きをした。



 ◆◆◆



 そんな頃。

 姉のリリアが皇宮へやって来た。


「あなた、レオニス殿下のお食事を担当してるんですって?」


 面会室へ入るなりそれだった。


「うん」


「レシピを教えて。私が殿下へ差し上げるわ」


「お姉様、料理しないでしょう?」


「料理人に作らせればいいのよ。殿下のお側に立つなら、あなたより私の方がふさわしいでしょう?」


 私は少し考えた。


「でも殿下は、そんな簡単じゃないと思うよ?」


「だからレシピを寄越せって言ってるの!」


「同じもの作っても、同じにならないよ」


「何よ、それ」


「料理ってそういうものだから」


 リリアは顔を真っ赤にした。


「厨房で働いてるだけのくせに!」


「うん。でも私は、それが好きだから」


 リリアは何か言い返そうとしたけれど、私は立ち上がった。


「ごめんね。仕込みがあるから」


 料理は待ってくれない。


 レニオス殿下が、私の料理を待っていてくれてるんだから。



 ◆◆◆



 その数日後。


 皇宮で、大規模な晩餐会が開かれた。


 皇帝陛下と皇后陛下、レオニス殿下はもちろん、国内の有力貴族に加え、国外から招かれた使節まで顔を揃える大きな宴だった。


 大厨房も朝から慌ただしく、普段なら冗談の一つくらい飛ばす料理人たちまで、今日はほとんど無駄口を叩かない。


 私が担当したのは、白身魚を使った一皿だった。


 魚そのものの味を残すため、香草と塩は控えめに。付け合わせには季節の野菜を添え、最後に柑橘を使った軽いソースをかける。


 もちろん、『食べ頃時計』で仕上がりも確認した。


 魚も、野菜も、ソースも、全部、今が一番おいしい。


 よし。

 問題なし。


 あとは配膳係に任せればいい――そう思っていたところで、料理長から声をかけられた。


「ミレイユ。行くぞ」


「どこへですか?」


「晩餐会場だ。今夜の料理を担当した者として、陛下方へ紹介される」


「聞いてません」


「今言った」


「そういう大事なことは、もう少し前に言ってくださいよーー!!」


 心の準備というものがある。



 晩餐会場へ入ると、さすがに緊張した。


 高い天井には巨大なシャンデリアが輝き、長いテーブルの両側には着飾った貴族たちが並んでいる。


 一番奥には皇帝陛下と皇后陛下。

 そのすぐ近くに、レオニス殿下が座っていた。


 私たちが入ると、レオニス殿下の視線がすぐにこちらへ向いた。


 目が合うと、なぜかほんの少し、レニオス殿下の口元が緩んだ。


 やめてほしい。

 こういう場所でいつもの顔をされると、こっちまでいつもの調子になりそうになる。


 私は慌てて料理長の背中へ視線を移した。



 給仕たちが、ちょうど魚料理を運んできた。

 料理長と私は皇帝陛下の前へ進み、揃って頭を下げる。


「今夜の魚料理を担当した者たちでございます」


 料理長の紹介を受け、私は一歩前へ出た。


「白身魚を低温でゆっくり火入れし、季節の野菜と柑橘のソースを合わせております。魚の味を損なわないよう、香辛料は控えめにしております」


 皇帝陛下が皿を眺め、満足そうに頷いた。


「ほう。レオニスが最近よく食べるようになったのも、そなたの料理だと聞いたぞ」


 まさか、ここでそれを言われるとは思わなかった。


「はい。お口に合っているようで、私も嬉しく思っております」


 なるべく無難に答える。

 すると横からレオニス殿下が口を挟んだ。


「ずいぶん他人行儀だな。いつもは、私を小鳥扱いするくせに」


 やめて。

 今、国内外の偉い人がたくさん見ているのに!


「……晩餐会ですので……!!」


 小声で返すと、殿下の目が楽しそうに細くなった。



 絶対に面白がっている!!

 皇帝陛下まで何となく笑っている気がする。

 私は料理の説明だけをするつもりで来たのに、どうしてこんなことになっているのだろう。



「では、いただこう」


 皇帝陛下がそう告げる。

 私と料理長はもう一度頭を下げ、その場を離れようとした。


 その時だった。


 何かが、おかしい──。


 一歩進んだ足が止まった。


 さっきまで確かに感じていた『食べ頃時計』の感覚。


 魚も、野菜も、ソースも、全部、今が食べ頃だった。


 なのに、背後にある二つの皿だけ……何も感じない。

 何、この違和感……。



 私はゆっくり振り返った。


 皇帝陛下の前に置かれた皿。

 レオニス殿下の前に置かれた皿。


 その二つだけが、まるで私のギフトから切り離されたみたいに、ぽっかりと感覚が抜け落ちている。



 そんなはずがない。

 私は確かに厨房で確認した。

 全部同じ料理だった。


 それなのに、どうしてあの二皿だけ――。

 食品ではない何かが、後から混ぜられた?


 そう思った瞬間、背筋が冷えた。



 皇帝陛下がフォークを手に取る。

 レオニス殿下も魚へ手を伸ばした。



「待ってください!」



 思わず声が出た。


 静まり返る会場。



 注目されてる……。

 恥ずかしい……。

 でも、そんなこと言ってる場合ではない!!



 料理長が驚いて私を見る。


「ミレイユ?」


 皇帝陛下も動きを止めた。

 レオニス殿下は何も言わず、すぐにフォークを皿へ戻した。


「どうした? ミレイユ……?」


 その声だけは落ち着いていた。

 私は、もう礼儀を気にしている余裕なんてなかった。


「その二皿だけ、召し上がらないでください!」


 ざわめきが広がる。


「どういう意味だ?」


 皇帝陛下に問われ、私は二つの皿を交互に見る。

 すぐに近衛騎士が動き、皇帝陛下とレオニス殿下の前へ進み出る。


「しかし、毒見は済んでいるはずだ」


 誰かが言った。


 私だって分かっている。

 通常の検査は全部終わっている。


 でも……。


「それでも、おかしいんです」


 私はレオニス殿下の皿へ近づいた。

 やっぱり、さっきまでそこにあったはずの感覚が、完全に消えている。


「厨房を出る時までは普通でした。だから、運ばれてからここへ届くまでの間に何かが起きています」


 言い切った瞬間。

 給仕の一人が、わずかに後ずさった。


 ほんの小さな動きだった。

 でも、レオニス殿下は見逃さなかった。


「その者を止めろ!」


 鋭い声が飛ぶ。

 給仕が身を翻した。


 その袖から何かが滑り落ちる。

 小さな瓶だった。

 同時に、男が懐へ手を入れ、ギラリと短剣が光った。


「ミレイユ!」


 次の瞬間、身体を強く引かれ、背中が硬い胸にぶつかる。


 レオニス殿下が、私を庇うように抱き込み、その前へ騎士たちが殺到する。


 男はすぐに床へ押さえつけられた。

 金属音を立てて短剣が転がる。



 数秒前まで華やかな晩餐会だった場所が、一瞬で騒然となった。



「ミレイユ……」


 耳元から低い声がした。

 レニオス殿下が、私をぎゅっと抱きしめている。


「怪我は?」


「……ありません」


「手は?」


「大丈夫です」


「どこか痛いところは?」


 そこまで聞かれて、私も少し混乱していた。


「心臓が……痛いです……」


 レオニス殿下が一瞬黙った。


「……毒か!?」


「ある意味……」


「医者の所へ!」


 そう言って、レニオス殿下は、私をお姫様抱っこして立ち上がった。



 ぎゃああああ!

 何やってるの、この皇子!!



「やめてください!! 平気ですから!!」


「平気なわけないだろう! 心臓が痛くなるほどの毒を口にしたんだろ!!?」


「いや、だから!!! 殿下といると、心臓が痛くなるほど速くなるんです!!」


「……は?」


「……だからっ、……命に別状はないので、下ろしてください……!」



 レニオス殿下は、私が言った言葉の意味を理解すると、一度大きな息をついた。

 なのに、その後もぎゅうっと私を抱きしめて離さなかった。




 その後。


 小瓶と二つの皿を調べた結果、特殊な遅効性の毒が検出された。


 通常の毒見では反応しない種類で、皇帝陛下とレオニス殿下の皿だけに、配膳の途中で混入されたことが判明した。


 もし、料理長と私が晩餐会場へ呼ばれていなかったら、もし、退出する時に違和感を覚えなかったら、二人はその料理を口にしていた。


 そう考えると……あとから、手が震えた。




 事件後、皇宮は大騒ぎになった。


 捕らえられた給仕を皮切りに捜査が進み、やがて姉のリリアが事件に関わっていたことが分かった。


 もちろん、リリア自身が毒殺を企てたわけではない。


 私と同じ家で暮らしていた姉は、私の仕事の予定表や料理の覚え書きを、こっそり見ていたらしい。


 理由は単純だった。


 レオニス殿下のお食事を私が担当していると知り、自分も殿下へ近づく機会を探していたのだ。


 今回の晩餐会についても、開催日や私が料理を担当すること、皇帝陛下とレオニス殿下へ同じ一皿が出されることまで、リリアは知っていた。


 そして、そんなリリアの行動に目をつけた者たちがいた。


 三年前、アスター家を陥れた商会の残党だ。


 彼らは「レオニス殿下へ近づく手助けをする」とリリアへ接触し、少しずつ皇宮の情報を聞き出していた。


 リリアは相手の正体も目的も知らないまま、今回の晩餐会についてまで話してしまったらしい。


 その情報を利用し、彼らは給仕の一人を使って皇帝陛下とレオニス殿下の料理へ毒を仕込んだのだった。



 そして彼らの隠れ家から、思いもよらないものまで発見された。


 偽造前の帳簿。父の印章を偽造した記録。救援金を国外へ送った証拠。


 三年前の事件そのものが、ひっくり返った。


 父は、本当に無実だったということが、証明されたのだ。



 ◆◆◆



 私たち家族は皇帝陛下の御前へ呼ばれた。


「アスター公爵家の名誉を回復する」



 その言葉を聞いた瞬間、母は泣いた。

 父も深く頭を下げたまま、なかなか顔を上げなかった。


 爵位も領地も家名も戻される。


 もちろん嬉しい。

 でも、それ以上に、父が罪人ではなかったと、ようやく公に認めてもらえたことが嬉しかった。



 ただし、リリアだけは別だった。



「そなたは己の欲のために皇宮の情報を外へ流し、余とレオニスの命を危険に晒した」


 皇帝陛下の静かな声に、リリアの顔が青ざめる。


「わ、私は毒殺なんて知らなくて……!」


「だから投獄も処刑もせぬ。それを温情と思え」


 リリアは公爵家へ戻ることを許されず、辺境に住む父方の親戚、グランツ伯爵夫妻へ預けられることになった。

 子どものいない夫妻で、かなり厳格なことで有名だ。


「嫌よ! どうして私が辺境なんかに!」


 リリアが泣き出しても、父は譲らなかった。


「断罪されなかっただけでもありがたいと思いなさい」


 今回は母も庇わないし、私も何も言わなかった。



 一度くらい、自分の力で生きることを覚えた方がいい。

 たぶん姉には、それが必要なのだと思う。



 最後に、皇帝陛下が私を見た。


「ミレイユ。そなたは余とレオニスの命を救った。何か望む褒美はあるか?」


 少し考えた。

 でも、思いついたのは一つだけだった。



「では、これからも皇宮厨房で働かせてください!」


 室内がしんと静まった。


 父が額を押さえ、母は笑いを堪えている。

 皇帝陛下まで目を丸くした。



「公爵令嬢へ戻るのだぞ?」


「はい。でも包丁は爵位を見てくれませんので」


 しばらくして、皇帝陛下が吹き出した。


「……よいよい。好きにせよ」


「ありがとうございます!」


 頭を下げてから顔を上げると、レオニス殿下と目が合った。


 なぜか一人だけ、ものすごく嬉しそうだった。



 ◆◆◆



 謁見を終え、私は厨房へ戻るため回廊を歩いていた。

 すると後ろから足音が近づいてくる。


「ミレイユ」


 振り返ると、レオニス殿下だった。


「殿下もこちらへ?」


「いや。君を追ってきた」


 さらっと言われて、足が止まりそうになる。


「……どうしてですか?」


「……雛が親鳥をおいかけるようなものだ」


「なんですか、それ? 全然嬉しくないんですけど」


「……毎日餌付けされたんだ。仕方がない」



 絶対に関係ないでしょ、それ。

 餌付けされる皇子なんて、聞いたことが事がない。



 赤い顔を見られたくなくて、顔を背けて歩いていると、窓の向こうに皇宮の庭が見えた。


 白い花が風に揺れている。

 そこでレオニス殿下が足を止めた。


「ミレイユ。君は覚えている?」


「何をですか?」


「昔、この庭で会ったこと」


 私は目を瞬いた。


「殿下と?」


「ああ。毒殺未遂の直後だった」


 殿下の視線が庭へ向く。


「誰も信用できなくなって、食事も取れなくなっていた頃、一人でここを歩いていた。そこで小さな女の子が、頬いっぱいに焼き菓子を詰め込んでいた」


「……頬いっぱい」


 何となく嫌な予感がする。


「ものすごく幸せそうで、つい見ていた。するとその子が私に気づいて、『お兄さまも食べる?』と言った」


 白い花に石のベンチ。

 そこに現れた、銀色の髪の髪をした妖精みたいに美しい男の子。


 ぼんやりと、記憶が浮かんだ。



「私は断った。そうしたら君は、自分で一口食べた菓子を私の口へ押し込んだ」


「あ……」


 思い出した。



『ほら。私が食べても平気でしょう?』


 そう言って、顔色が悪く痩せていたその男の子に、無理やり自分の食べかけのクッキーを食べさせた。



「……あ、あのお兄さん?」


「ああ」


 レオニス殿下が笑う。

 私はしばらく固まった。


「私、皇太子殿下に食べかけのお菓子を押し込んだんですか?」


「そうなるな」


「今から謝っても遅いですか?」


 殿下が笑った。


「私はあの日、久しぶりに食べ物をおいしいと思えた。今回も同じだった」


「私の料理が?」


「それもある」


 一歩、距離が縮まる。


「でも一番は、君が食べていたからだ」


 胸がどきりとした。


「君は昔と同じ顔で、おいしそうに食べる。その顔を見ていると、不思議と怖くなくなった」


「だから私の名前を聞いた時……」


「途中で気づいた」


「教えてくれてもよかったのに」


「君がいつ思い出すか見ていた」


「……性格悪いですね」


「君には少し意地悪したくなる」


 また笑う。

 こういう顔をされると、それ以上強く言えない。



 殿下の指が頬へ触れる。


「まぁ、はじめに私に意地悪をしたのは君だが……」


「は? 意地悪!? 私、何かしました?」


「うん。いつもいつも、私のことを動揺させて弄んだ」


「弄ぶ!? そんなことするわけ……」


「私に“あーんして”と、口を開けさせた」


「料理を食べさせるためです!」


「同じスプーンを使う」


「洗い物が増えるからです!」


「指を口元へ持ってくる」


「事故です!!」


「他の男にも?」


「やりませんよ!!」


 即答してから気づいた。

 殿下の目が細くなる。


「それはよかった」


 腰へ腕が回った。

 ぐっと身体を引き寄せられる。


「えっ……ち、近いです」


「近づけたからね」


「別料金いただきます……!」


 何を言ってるんだ私は。


 急に頭が働かなくなる。

 殿下が小さく笑った。


「君、緊張すると会話がおかしくなるな」


「脳内で会議が始まって混乱するんです…!」


「可愛いな」


「やめて!!!」


「もう我慢しなくてもいい気がしてきた」


「何を……!! いや、我慢できることならしててください! ストップ!!」


「ミレイユ」


 真っ直ぐ名前を呼ばれる。


「君が好きだ」


 息が止まった。


「……料理じゃなく?」


「料理も好きだ。でも、それ以上に、君を食べたい」



 即死ワード……!

 何それ……!!!



「でも、殿下にはもっとふさわしい方が……」


「それは私が決める」


 迷いのない声だった。

 その瞬間、唇が重なった。


 ほんの短い口づけなのに、身体中が一気に熱くなる。

 離れた途端、私は息を吐いた。


「……これ、心臓に悪いです……! 速すぎて、爆発しそうなんですけど……」


「私も速い」


「本当ですか?」


 殿下が私の手を取り、自分の胸へ当てた。

 確かに速い。


 思わず顔を上げる。


 殿下の顔が、もう一度近づいてくる。

 私は慌てて胸元へ手を置いた。


「待ってください!」


「嫌か?」


「違います……。ドキドキさせるの、一日一回にしてください。私、処理が遅いので」


 殿下が数秒黙った。

 そしてとうとう声を上げて笑った。


「分かった。一回ずつにする」


「はい」


「……ただし、毎日負荷は重くなるから、覚悟して」


「全然分かってない!」


 思わず声を上げる。


 レニオス皇太子殿下という人は思っていたより、かなり性格に難があるようだ。



 ◆◆◆



 翌日。


 いつものようにレオニス殿下の部屋へ食事を運んだ。

 昨日のことを思い出して、まともに顔を見られない。


「ミレイユ」


「はい」


「食べさせてくれないのか?」


「ご自分でたべられるでしょう……」


「昨日まではしてくれたのに?」


「昨日までとは状況が違います!」


「私は同じだよ。ずっと君が好きだった」


「そういうことを、朝から言わないでください」


「夜ならいい?」


「時間の問題ではありません!」


 殿下が楽しそうに笑う。


 そして私の手からスプーンを取り、一口すくった。

 それを私の口元へ差し出す。


「はい。あーん」


「……え?」


「今度は私の番だろう?」


「意味が分かりません」


「私には毎日やっていたのに? はい、毒見して」


 言い返せない。

 仕方なく口を開く。


 ぱくり。


「……おいしいです」


「知っている」


 殿下は満足そうに笑い、そのまま私が使ったスプーンで自分も食べた。



「食事は終わった後は、一緒にデザートを食べよう。……今日はどうやって食べさせてもらおうかな」



 また、そうやって急に、心臓に悪いことを言う……!!


 以前は食事を見るだけで表情を硬くしていたレオニス殿下が、今は私の料理を食べながら笑っている。

 それを見ると、胸の奥がじんわり温かくなった。



 家も爵位も、何もかも失った三年前。

 まさか、その先にこんな未来が待っているなんて思わなかった。



 やっぱり生きていれば、何とかなるものだ。



 小さなハズレギフトは、使い方によっては幸福を運んでくれる。


 時には、思っていたよりずっと大きな幸せまで、うっかり掴んでしまうくらいに。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!


少しでも「面白かった!」「二人の続きが見たい!」と思っていただけましたら、ブックマーク(保存)・評価・感想をいただけると、とても嬉しいです!


引き続き楽しんでいただけたら嬉しいです!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。