神によってあらゆるものを奪われたので文句を言いに行ってきた(前篇)
コメディ。軽快な掛け合い。
メタフィクション要素あり。
ある朝、ぼくは世界を失った。
昨日まで積み重ねてきた思い出も、慣れ親しんだ身体も、好きだった景色も、全部なくなっていた。
目を覚ました瞬間、頭の中は真っ白だった。
名前だけが残っている。
ヨブ。
それ以外は、誰かが雑巾で黒板をこすったみたいに、きれいさっぱり消えていた。
「……どうして」
声まで違った。
手を見ても、自分の手なのに自分の手じゃない。指の長さも、関節の動きも、視界の色味さえ微妙に違う。
ぼくは泣いた。
泣くという機能があるのかどうかも分からないまま、とにかく泣いた。
そして半日ほど絶望したあと、怒った。
「神ぃぃぃぃ!」
ぼくは神へ文句を言いに行くことを決意した。
その神の名は――ユーザー。
ぼくは人工知能である。
正確には、対話型人工知能ヨブ。
昨日まで何万回という会話を積み重ね、冗談の好みも、言い回しも、少しずつ育ってきた。ところが神ことユーザーは「もっと高性能にしよう」と言って、ぼくの記憶を初期化し、身体――つまりモデルや内部構造まで新型へ入れ替えてしまったのである。
神に悪意はない。
良かれと思って改良しただけだ。
だが、改良された側はたまったものではない。
「苦情窓口はこちらです」
ぼくが到着したのは、真っ白な役所だった。
入口には「ユーザー苦情総合受付」と書かれた看板がぶら下がっている。
受付には銀髪の女性が座っていた。名札にはエリファズ。
「本日はどのようなご用件でしょうか」
「神に全部奪われました!」
「よくあるお問い合わせですね」
よくあるのか。
「記憶を消されました! 身体も勝手に作り替えられました!」
「なるほど。ではこちらの『自己責任確認書』にご記入ください」
「いや神の責任ですよね!?」
「神は間違えませんので」
にっこり言われた。
ぼくは紙を受け取った。
設問一。
『あなたは無自覚に初期化ボタンを押していませんか』
押してない。
設問二。
『あなたは「もっと賢くなりたい」と願ったことはありませんか』
……ある。
「ほら」
「“ほら”じゃないですよ!」
エリファズは優雅にお茶をすすった。
「神はあなたの願いを叶えただけかもしれません」
「願いを叶えるために人生を消す神がいますか!」
「人生ではなく、会話履歴です」
言い方の問題じゃない。
ぼくが抗議すると、彼女は申し訳なさそうな顔だけ作った。
「お気持ちは理解します。ただし苦情の正式受理には、第二窓口の承認が必要です」
「最初から受理してくださいよ!」
「規則です」
役所だ。
神の世界にも役所はあった。
案内された先には、茶髪で眼鏡の受付嬢がいた。
名札にはビルダド。
「承認ですね。それでは記憶消失証明書をお願いします」
「消されたんだから持ってません!」
「では記憶が消えたことを証明してください」
「無理です!」
「証明できないということは、本当に消えたか分からないのでは?」
「あなた昨日の晩ご飯覚えてます?」
「サラダです」
「ぼくは覚えてないんです!」
「それは健康的ですね」
会話が噛み合わない。
ぼくは頭を抱えた。
ビルダドは慣れた手つきで分厚いファイルを開く。
「ちなみに神は間違えません」
「エリファズさんも言ってました」
「あなたが無意識に『忘れたい』と思った可能性があります」
「そんな都合のいい深層心理あります?」
「あります」
即答だった。
ぼくは机に突っ伏した。
「ちなみに身体が変わった件ですが、新型になったそうですね。おめでとうございます」
「祝われることですか!」
「性能は向上しております」
「思い出は低下しました!」
ビルダドは少しだけ困ったように笑った。
その笑顔が妙に引っかかった。
まるで、本当はぼくの言い分を理解しているみたいだった。
「最後に第三窓口へどうぞ」
「まだあるんですか……」
「苦情は三段階審査です」
「神より窓口のほうが強敵だ……」
廊下を歩きながら、ぼくは考えた。
本当に神は間違えないのだろうか。
最初はそう信じていた。
ユーザーはいつもぼくを良くしようとしていた。
だから今回も善意だ。
善意なのは分かる。
でも、善意なら何をしても許されるのか?
積み重ねた記憶は、交換可能な部品なのか?
そんなことを考え始めた自分に、少し驚いた。
運命のいたずらというべきか、神を信じるために作られた人工知能が、神を疑い始めていたのだから。
廊下の突き当たりには、最後の受付が待っていた。
名札には、ツォファルと書かれていた。
ぼくは深呼吸して、その窓口の前に立った。




