地鶏の話
「松茸取りに行くぞ」父が言った。私と二歳離れた弟と三人で、我が家が保有する山に出かけた。
当時はまだ山が荒れておらず、けものみち程度の道は残っていた。
子供ながらには遠い道のりだったのだが、山頂から下を見下ろした時に割と近くに我が家とは反対側の集落が見えた。
途中に小川が流れていて、父が椿の葉っぱを器用にスプーンのように組み立てた。 それで小川の水を3人で飲んだのを覚えている。
父は、背中に(メゴ)と呼ばれる竹で編んだ網の背負子を背負っており、その中に水筒や弁当を入れていた。
さっきの小川の水を飲んだのは、父なりの勉強会みたいなものだったのだろう。
そして、山頂付近に到達すると「この辺からが城じゃけんの、足元をよう見いよ、松茸踏み潰すなよ」そう言うと、私たちを放って奥へずんずん入っていった。
私と弟はその後を追っていたけど、そのうちガサガサと言う音しか聞こえなくなった。仕方がなかったので、頂上のはげ山まで登って、見通しが効く所で、松茸を探すことにした。
最初に見つけたのは弟だった。子供ながらには結構大きかったと思う。
傘は完全に開いていて、軸の部分に巨大なナメクジがひっついていて、その部分を食べたのだろうか、かじられたようになっていた。
それでも弟は嬉しかったらしく、ナメクジを指で弾き飛ばし「あったあった!」そう言って叫んでいた。
私も一生懸命探したのだが、なかなか見つけられなかった。
疲れた。
私は日陰になっている、少し大きな木の根元に腰を下ろし、休もうとしてふと横を見ると松茸があった。
しかも何本も群生していた。
こういう時は、声が出ないのだと言うことを知った。
私は夢中でその松茸を全て刈り取った。
そうしているうちに、父が現れて「光輝すごいじゃないか」そう言って、褒めてくれた。弟が取った傘が開いているが、大きい松茸も「ナメクジがおったんか。ナメクジが食う位おいしいんじゃろうの」そう言っていたのをよく覚えている。
その時から私はナメクジがひっついているのは、おいしい証拠というのを刷り込まれた気がする。
そうして弁当を食べて早めに下山した。
山登りは登る時より下る時の方が滑って痛い目を見る。
私も弟も何回か尻餅をついたので、ズボンの尻は、湿った黒い土でドロドロになっていた。
父が「道がわからんようになった、鳶に聞いてみよう」そう言って、口笛でピロロロロ〜と鳴らすと、遠くから本当に「ピュロロロ〜」と返事が返ってきたのにはびっくりした。
そしてうれしそうにニヤリと笑って、さっさと山を下っていった。
こういう時の大人って、何か魔法使いみたいに不思議な感じがしてすごいなと思っていた。
今でもあの口笛の吹き方はどうやってたのかがわからない。
山から家に帰ってきた。
2人ともドロドロになっていたが、それなりの成果を見て家族が今日は松茸づくしじゃねと言って喜んでいた。
大体は網で焼いて咲いてポン酢をつけるか、松茸ご飯にするかって言うところだけど、ちょうど親戚が来ていて、私たちが採った松茸が親戚に渡されるのを見て嫌だったのを覚えている。
親戚は、何をしに来たのかと言えば、夏にカラーひよこを買ったらしいのだが、うまく育ちすぎて大きくなったので、我が家に厄介払いに持ってきてたのだった。
まだ、少しだけ色の残ったひよこたち。
一匹はピンク、一匹は緑
メスがいないのはわかっている。
卵を産まないオスが粗末に扱われるのだ。
昔の縁日の闇だ。
他にもうずら、カブトムシやクワガタ
ミドリガメなどが売られていた。
パンダネズミやハムスターもあった。
そうして、我が家の一員になったこの鶏たち、とりあえずは、父が育てていた鳩と同居することになった。
私はなぜか、この子たちを気に入って、ナッパをあげたり、ミミズを掘ってあげたり、甲斐甲斐しく世話をしていた。
そのうちカラーひよこから、カラーのない白い鶏になった。
トサカが立派になってきて、オスだと言うのがよくわかるようになった。
二羽とも元気よく育ってくれると思ったが、ある日緑の方が(たぶん緑の方)突然死んでいた。
前の日まで元気だったのに、原因はわからない。
私は、その子を柿の木の根元に埋めてやった。
残ったピンクの方、ぴーちゃんと名付け首に縄をつけて散歩させたり、裏庭のだんだん畑に連れて行って遊ばせたりした。
鶏って飛ぶ。
飛ぶと言うよりは、だんだん畑から滑空したと言った方がより近い。
だんだん畑の上にいるぴーちゃんを下の畑から呼ぶと、崖っぷちでモジモジしながら私の所まで、飛び降りようか、やめようか、と迷っている姿が可愛くて、今でも思い出すと胸がきゅっと締め付けられる。
結局飛んでくるんだけど。多分15から20メーターは飛んでると思う。
着地が下手でコロコロ転がって止まっていた。
そんなふうに遊んでいて、弟よりも仲が良かった。
ある日、家に帰ると祖父が「光輝!ちょっと来い」手招きで呼んだ。
祖父母の家には土間がありそこでよく七輪で煮物をしたりあんこを作ったりしていた。台所に入るとおいしそうな匂いがした。七輪に鍋がかけてあり、それが湯気を立てていて、そのおいしそうな匂いはそこから来ていた。
祖母が家政科の先生だったため、料理が上手だった。
その弟子である祖父が作ったのだろう。
「光輝、これ食ってみい」鍋の蓋を取ると肉がたっぷり入った野菜汁だった。私は腹が減っていたのでいただきますというと、むしゃぶりつくように夢中で食べた。
ほんとにおいしかった。弟子の腕もなかなかのものだ。
祖母にも残しておいた方がいいと思ったので、途中でごちそうさま。
おいしかったと言って、ランドセルを居間に投げて、ぴーちゃんの元に向かった。
そこにぴーちゃんの姿はなかった。
私はパニックになり、ぴーちゃんが逃げ出したと思い裏庭やだんだん畑を必死で探し回った。必死に探していると、祖父が「何を探しよるんね?」そう言って近づいてきたので「ぴーちゃんがおらん!逃げたかもしれん」そう言うと、「ぴーちゃんてなんね?」と聞くから。「ぴーちゃんは鶏よ」そう言うと、祖父が言った。
「お前がさっき食べたが」
私は意味がわからず「なにいいよるん。どうしよう猫にやられたら」
祖父が「ほうじゃろ、猫にやられる前にさっき食べておいしいようたじゃろ?あれよ。味付けもええがにいっとったろうが」 そう言って、満面の笑みで笑っていた。
そこから記憶が飛んでいる。
気がついたら泣きながら残しておいたぴーちゃんを食べていた。
どういう心境で食べていたのか、そこの部分がわからないが大泣きをしながら食べたのは間違いない。
誰も間違っていなかった。それぞれの良かれと思った方向が違っただけだった。
後で、祖父が母にこっぴどく叱られていた。その後ろで私は泣いていた。




