第17話「連れ戻す銀龍」
公爵家の使者が学園に現れたのは、リーゼが手紙を出した五日後のことだった。
朝の授業が始まる前、校門に黒い馬車が二台停まった。ヴォルフリート公爵家の紋章――銀の龍が剣を咥えた意匠が、馬車の扉に刻まれている。
馬車から降りたのは、銀の鎧を纏った騎士が四人と、黒い長衣の男が一人。公爵家の筆頭執事だった。
学園中に緊張が走った。公爵家が学期中に馬車を送るなど、前代未聞だ。
「ルシアン様をお迎えに参りました。公爵閣下の命により、本日中にお連れ戻しいたします」
筆頭執事は学園の事務官にそう告げた。事務官が学園長に報告に走る。
噂は瞬く間に広がった。
「公爵家がルシアン様を連れ戻しに来た」
「番の件でしょ? 白龍との」
「当然よ。公爵家が黙っているわけないわ」
教室で噂を聞いたリーゼの手が、机の上で固く握られた。
来た。覚悟はしていた。あの手紙を送った時から、こうなることは。
「リーゼさん」
アレクシスが低い声で言った。
「落ち着いて。まだ何も決まっていない」
「アレクシス様、わたしのせいです。わたしが公爵家に手紙を」
「手紙?」
「番を否定しないと書きました。公爵閣下に」
アレクシスが息を呑んだ。カイルが振り返った。レオンハルトの黒い瞳がリーゼを捉えた。
「お前……公爵に喧嘩売ったのか」
カイルが信じられないという顔をした。
「喧嘩ではありません。正直に答えただけです」
「それを喧嘩っていうんだよ、白龍ちゃん……」
カイルが頭を抱えた。だが、その口元はかすかに笑っていた。
教室の扉が開いた。
ルシアンが入ってきた。いつも通りの無表情。だが龍気がわずかに揺れていた。
最後列に座ったルシアンに、カイルが小声で聞いた。
「聞いたか。親父さんの使者が来てる」
「ああ」
「どうすんだよ」
「どうもしない。俺は帰らない」
短い返答だった。だが、その声の奥に硬い決意があった。
× × ×
午前の授業が終わった昼休み、事態は動いた。
学園長室に呼び出されたのは、ルシアンだけではなかった。公爵家の筆頭執事、学園長、そして――もう一人。
学園長室の扉を開けたルシアンの足が、一瞬止まった。
窓際に、一人の青年が立っていた。
金色の髪。陽光のような、あるいは王冠のような輝き。切れ長の琥珀色の瞳は穏やかに微笑んでいるが、その奥に計り知れない深さがある。長身で、立ち姿には一分の隙もない。
纏っている制服は学園のものだが、胸元に金龍の紋章が刺繍されていた。王族専用の特別仕様。
クラウス・レグナート・アウレシア。金龍王家の第一王子にして、王立龍騎学園の最上級生。
普段は王族専用の特別棟で学んでおり、一般の生徒とはほとんど接点がない。学園に在籍していることすら知らない下級生もいるほどだ。
その王太子が、学園長室にいる。
「やあ、ルシアン。久しぶりだね」
穏やかな声だった。幼馴染に話しかけるような気安さ。実際、二人は幼少期から王宮で共に育った間柄だ。
「クラウス殿下。なぜここに」
「物々しい馬車が校門に来れば、気にもなるよ。それに、学園で起きていることは王家としても把握しておく必要がある。……番の話、聞いたよ」
クラウスの琥珀色の瞳が、微笑んだまま細められた。穏やかだが、温度のない笑み。
「銀龍公爵家の嫡男が、白龍の男爵令嬢を番に選んだ。なかなかの大事件だ」
「殿下には関係のない話です」
「関係なくはないよ。銀龍公爵家の婚姻は国政に関わる。王家が無関心でいられると思うかい?」
ルシアンは黙った。
学園長が咳払いをした。
「さて、本題に入ろう。ヴォルフリート公爵家より、ルシアンを学期中に連れ戻したいとの通達が来ている。筆頭執事殿、改めて公爵のお言葉を」
黒い長衣の筆頭執事が一歩前に出た。
「ヴォルフリート公爵閣下より。嫡男ルシアンを本日中に領地に帰還させよ。クランツ侯爵家との婚約式の準備のため。これは公爵家の家事であり、学園に口を挟む余地はない」
「学期中の生徒の引き渡しは、学園の規定では」
「公爵閣下は、学園の規定より公爵家の権限が優先されると申しております」
学園長の白い眉がぴくりと動いた。温厚な老人の目に、かすかに鋭さが宿った。
「学園の規定を曲げよと。公爵家が」
「閣下はそのつもりです」
張り詰めた空気。学園長と筆頭執事の間で、静かな力のせめぎ合いが起きていた。
その空気を、あっさりと破ったのはクラウスだった。
「まあまあ。そう険悪にならなくても」
クラウスが窓際から歩み出て、学園長と筆頭執事の間に立った。
「学園長。学期中の引き渡しは前例がないのは確かだけれど、公爵家の要請を無碍にするのも角が立つ。ルシアン、君の意思は?」
「帰らない。以上だ」
「明確だね」
クラウスが微笑んだ。
「では、こうしよう。ルシアンの帰還は冬の休暇まで保留。その代わり、番の件については学園と公爵家と王家の三者で協議する場を設ける。それで双方、矛を収めてもらえないかな」
提案は合理的だった。だがルシアンは気づいていた。クラウスがこの場に現れた理由は、仲裁だけではない。
王太子が番の件に介入するということは、王家がこの問題に公式に関わるということだ。それが何を意味するか。
公爵家の問題が、国の問題になる。
「殿下。余計な口出しは」
「余計かどうかは、僕が決めるよ、ルシアン」
穏やかな声に、一瞬だけ王者の鋭さが覗いた。
「僕はね、面白いと思っているんだ。白龍の男爵令嬢が銀龍の番。龍の血が最も薄い家から、学園最強の龍騎士の番が出た。これは……なかなかの物語だ」
クラウスの琥珀色の瞳が、窓の外を見た。遠くに演習場が見える。
「その白龍の令嬢、リーゼロッテ・フォン・ヴァイスと言ったかな。少し興味が出てきた」
ルシアンの龍気が揺れた。本能的な警戒。番の近くに、別の強い龍が近づこうとしている。
「殿下」
「そう怖い顔をしないで。別に取ったりしないよ」
クラウスが笑った。
「ただ、見てみたいだけだ。銀龍が選んだ番とは、どんな龍なのか」
× × ×
結果として、ルシアンの連れ戻しは保留になった。
冬の休暇までの猶予。だが、それは猶予に見せかけた罠でもあった。王太子が介入したことで、この問題は公爵家の家事ではなく、王家が関わる政治問題に格上げされた。
ルシアンが教室に戻ると、待ち構えていたカイルが顔を覗き込んだ。
「で、どうなった」
「冬の休暇まで保留だ。クラウス殿下が仲裁に入った」
「殿下が? うわ、面倒くさいのが動いたな」
「ああ。あの男が関わると、全てが複雑になる」
アレクシスが静かに言った。
「クラウス殿下は善意で動く人じゃない。必ず王家にとっての利益を計算している。番の件に介入したのは、銀龍公爵家の力を削ぐためか、あるいは――」
「あるいは、あの白龍の龍力に何か感じたか」
レオンハルトが低い声で続けた。
四龍が顔を見合わせた。
「リーゼさんに、殿下のことを伝えておいた方がいい」
アレクシスが言った。
「クラウス殿下は穏やかに見えて、最も読めない人だ。彼女が不用意に近づかないように」
ルシアンは何も言わず、教室の前方を見た。
一番前の隅っこの席で、リーゼが参考書を開いていた。窓からの光が亜麻色の髪を照らしている。何も知らない顔で、いつも通り真剣にページをめくっている。
王太子が、あの娘に興味を持った。
胸の奥で、銀龍が低く唸った。




