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12月1日(6) ブランコと異世界ではない街歩き

同時2話更新の2話目です。

 パブを出てトッテナムコート駅まで歩く。フィリップさんには予備のクレジットカードを渡し、地下鉄を乗車。ボンドストリート駅で下車し、地図アプリを頼りに歩く。隙間なく立っている煉瓦造りの店舗と集合住宅や歩道を縁取る鉄の塀からなる街並みはとても新鮮で、ロンドンに来たのだなという実感がわく。


 フィリップさんは別の視点で街並みを見ているようだ。


「確かにこれだけ乗り物が色々あれば馬も転移魔法もいらないな」

「フィリップさんの故郷には転移魔法があるのですね」

「ああ、残念ながら魔法陣も案内人もいないので故郷には戻れないが。通常はある程度以上の魔力があれば、見覚えのある土地には戻ることができる。だが遠すぎるとなじみの場所でさえ戻れないようだ」


 試したのか。


 十分ほど歩くと、目的のウォレスコレクションが見えてきた。

「ここも博物館なのか?」

「そうですね。元は貴族のタウンハウスだった邸宅に、別の貴族の収集品を展示しています」


「ずいぶんと豪華な内装だな」

「このように絵だらけの部屋で生活していたというわけではないようです。当時の状態に近いのは玄関ホールだけだそうですね。結婚式場にも使えるみたいですよ」


 高いけど。とても高いけど。


「豪華な家具だ。天井のつくりのも素晴らしい」

「そうですね、色々な形のシャンデリアがありますね」


「リリカ嬢の自宅もこのような感じなのか?」

「まさか。2LDKですよ。今回泊まっているホテルの部屋にキッチンがついている感じです。まあ、二人暮らしには十分ですよね」


「二人で暮らしているのか?」

「二人で暮らす予定でしたが……」

「そうだった。辛いことを思い出させて、すまない」

「いいえ、お気になさらず」


 なんだか私が地雷を踏ませてしまったみたいなので、話題を変えてみる。


「この絵、有名なんですよ」

 フラゴナールのブランコはこの博物館で一番有名な絵画かもしれない。


 フィリップさんの耳が赤くなる。なんだ、今更。大英博物館では一緒にギリシアとローマの彫刻見たのに。モアイ像にはそういうものが描かれていたのに。


「先ほどの彫刻はただただ美しかった。この絵は男の目線が卑猥だ」


 あ、本当だ。今まで気づかなかったけど、要するに一生懸命チラリを求めていると言うことか。足首が興奮の対象だった時代だと聞いたことがあるから、今ならそういう写真雑誌レベルのすごい絵だったのだろう。


 口直しに武具でも見に行こう。鎧や刀剣や拳銃が四部屋分ある。何、鎧の重さが二十七キロ以上? これを着て武器持って走り回るのか?


「騎士だから騎乗する」

 馬の鎧も重さが三十キロですけど。


「私の鎧よりも軽そうだ。このヘルムは便利そうだな。私のは穴を通してしか前が見えない」

 汗がすごそうだ。


「鎧の維持管理は見習いの大切な仕事だ」

 手を抜いたらお互い地獄を見そうですね。主に嗅覚で。


「錆も大敵だ」

 ごもっともです。


 閉館間際まで武具をやたらと実践的な解説とともに鑑賞し、建物を後にする。バスに乗ってコベントガーデンに向かう。夕方の五時半なのでもう暗く、クリスマスイルミネーションや大きな飾りが映える。


「星空が地上に降りてきたようだ」

 おっ、詩人じゃん。


 屋台で紙コップに入ったホットワインを二つ買い、一つをフィリップさんに渡す。私から食べ物を受け取るのに慣れてきたようだ。良い傾向だ。ホットワインはレモンとスパイスが効いていてほのかに甘く、体が温まる。


 コベントガーデンのクリスマスツリーはロンドン名物の一つで、例年だと高さ十六メートルほどの天然木だ。


「大きな木を飾るのか」

「もとはドイツの文化ですけどね。林檎やお菓子を木に吊るしていたのがだんだん豪華なガラス製のオーナメントになって行って、今の形になったようです。ライトも昔はローソクだったのが、火災の原因になるからと電飾が普及しました」


  コベントガーデンのサンタのソリもまた名所のようだ。


「ソリは誰が乗るのだ?」

「サンタクロースという赤い服を着た優しいお爺さんです。良い子はクリスマスにサンタからプレゼントをもらえるのですよ」

「あのソリに乗って冬の精霊のような翁が贈り物を運ぶのだな。良いことだ。貴族の子も平民の子も笑顔で冬を越してほしい」


「まあ実際には親が用意して、子供が寝た後にクリスマスツリーや枕元に奥のですけどね」

「リリカ嬢のところにも贈り物は来たのか?」

「来ましたよ。サンタクロースはあまり信じていなかったのですが、五歳の時のクリスマスに、どうしても欲しい人形があって、親に何度ねだっても却下されたのですが、クリスマスの朝、ツリーの下にほしかった人形があったんです。ああ、サンタクロースがいるのだなとあれからしばらく信じていました」

「人形に喜ぶ可愛らしい姿が目に浮かぶようだ」


 フィリップさんをサンタのソリに座らせてスマホで写真を撮ってみた。通りがかりのカップルに一緒の写真を撮りましょうかと声をかけられたので遠慮なくお願いする。お返しに二人の写真を撮ると礼がてら「お二人はお似合いですね」と言われたので「お二人もですね」と返答する。こんな時、カップルではないと反論することにあまり意味はない。フィリップさんもそのあたりは納得しているようだ。


 屋外も、アーケードの中も、クリスマス一色で実に華やかだ。巨大なオーナメントやベルの彩は鮮やかで、歩いているだけで楽しい気分になっているのはホットワインのせいだけではない。


「フィリップさんの故郷も冬のお祭りはありますか?」

「女神の祭りだな。冬至に大切な者と集まり、贈り物を交換する」

「やはり冬のお祭りがあるのですね。日本は本来クリスマスではなくて正月を祝います。クリスマスはイエス・キリストの生誕祭なので」


「イエス・キリストは、乙女から生まれた例の聖人だったな」

「そうですね。聖人というか、預言者というか、神の子というか」


 フィリップさんは先ほどのソリ写真カップルがいちゃついているところを指さした。

「乙女から生まれた神の子の誕生を祝う祭りで、なぜ我々は乙女の純潔を奪う前触れを見せられているのだ?」

「あ、フィリップさん、ソーセージ好きですよね? ホットドッグ食べませんか?」


 貴族のヒーローと平民のヒロインが市場の串焼き肉を食べるというのは異世界ラノベのテンプレだが、ロンドンのクリスマスマーケットで逆転移騎士とホットドッグを食べるというのはかなり近いのではないか。華やかな雰囲気の中、人が振り返るほどの男前と歩くのは無条件で気分がいい。まるで自分も一緒に美しくなったようだ。まあ、現実は厳しいが、薄暗いからよしとしよう。


 ホットドッグを食べ終えると(「パンに挟むというのは便利だな、肉汁が手につかない」)、フィリップさんが手を繋ごうと提案してきた。私は小柄だから、一度逸れると見つからなくなるのではと言う。逸れたことに気づいたときは人混みから頭一つ出ている赤毛を私が探せば良いのではと言ってみたが、納得してくれない。手くらい繋いでもう少し夢を見てもいいかなと思ったら、指を絡めてきた。いわゆる恋人繋ぎだ。試してみたものの、身長差があると恋人繋ぎは歩きにくいことがわかった。更に言うと、太い指を小さな手に絡められると指が疲れる。それでも大きな手に包み込まれるのは安心感があって、ヒロイン気分が更に増す。


 しばらく歩いているとお菓子やオーナメントを売る店の間に革紐にガラスや陶器や金属のビーズを通してブレスレットにする店があった。市場で手頃なアクセサリーを買って交換すればとさらに「異世界騎士と街歩き」の気分が増すだろう。せっかくだから記念に作ってもらおう。


「フィリップさん、フィリップはL二つですか、一つですか」

「一つだ」

「では、二つください。一つはP-H-I-L-I-P、一つはR-I-R-I-K-Aで、文字は銀のビーズ、両端に赤と翡翠色のビーズをお願いします」


 異世界小説らしく、フィリップさんの色にあわせてみる。


「間に黒いビーズを入れますか?文字のシルバービーズが映えますよ」

「お兄さん、商売上手ですね。お願いします」


 露店のブレスレットを異世界騎士とつけあうくらい、すこし早いクリスマスの夢を見ても許されるはずだ。恋人でもないのにお揃いのブレスレットとはやりすぎたような気もするが、フィリップさんは嫌そうではないのでよしとしよう。赤と翡翠色と銀色の組み合わせはよく見るとクリスマスっぽくもある。


 冷えてきたのでホットワインをもう一杯ずつ頼む。先ほどよりもシナモンの香りと甘味が強く、デザートっぽくていい。ついでにアップルパイも買おう。

 財布を出す時、商品を受け取る時、ブレスレットの赤と翡翠色のガラスビーズは手元を見るたびに目に入る。


  こんなに楽しい時間は、あの男に別れを告げた時以来だ。

 このまま一緒にパリに行って、一緒に日本に戻る方法はないのだろうか。

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