国の矜持
そして普通に考えれば熊の国の次は、そこに隣接する霧の国の番だった。
やがて、それまで考える素振りをみせていた玄が口を開いた。
「一つは熊の国に援軍を出して、共闘して陽の国を撃退するというのがあるね」
この言葉に威候が首を左右に振った。
「焼石に水でしょうな。我々の援軍ごときで、陽の国に抗うのは無理でしょう。将兵の数に差がありすぎます」
玄はその反論を予想していたとばかりに、すぐさま頷いた。
「ならば、周辺諸国に協力を募って、共に熊の国へ援軍を出すのはどうだろうか?」
「諸国の足並みが揃わないでしょうな。聞いたこともないような大軍です。戦わずして恭順をしようとする国々が多く出てくるかと。そのような中で、協力や援軍の要請に応じてくれる国が多いとは思えませぬ」
険しかった玄の顔がさらに厳しいものとなる。
華仙はと言えば、どこかこの脅威に現実感がなかった。
国同士の争いと言えば、先の熊の国との戦いにあったような東の狩場がどうしたといったような争いだ。所詮は小競り合いでしかない。征服する、されるといった国の存亡とはかけ離れているものだった。
それが今回のことは、霧の国そのものがなくなってしまう脅威なのだ。そんなことがかつてあっただろうかと華仙は思っていた。
理に照らしてみても、一万もの将兵を相手にして霧の国がまともに戦えるはずがない。武器をとって戦える霧の国の者。それを総動員しても二千がいいところに思えた。その数ですら女性を頭数に入れての数字なのだ。
一万対二千。守る方が優位だとはいえ、戦にもならないだろう。
ならば陽の国に恭順をするのか。
それ以外に道はないように華仙には思えた。やがて玄がゆっくりと口を開いた。
「これで霧の国は滅んでしまうかもしれない。だが、何もせずに滅ぶのは嫌だな。これは僕の我儘だろうか」
その言葉に威侯は首を左右に振った。
「いえ、君主としては当然のご判断かと。陽の国のような大国と比べれば、国は小さいものの百年以上続く歴史があるこの霧の国。その最後が何もしないままでは、代々の君主に面目が立ちません。代々将軍家を継ぐ身の私としましても、このまま恭順をすることは承服できるものではありませぬ」
威侯の言葉に玄は小さく頷いた。
「だけども、僕は霧の国の民には傷ついてほしくはない」
「一人も死なず、一人も傷つけずにといったことは、確かに無理かもしれません。しかし、滅ぶにしても霧の国の矜持を守る、あるいは見せる策はあるはずかと」
「矜持か。威候、果たして、そのようなものに意味があるのだろうか。違うな。霧の国の民にとって、それは意味があることなのだろうか」
自身が言い始めた言を翻して、そのまま玄は考え込む素振りをみせた。
それは確かにそうなのだろうと華仙も思う。そんな矜持などというものは、きっと霧の国の民にとっては稲の実、一粒ほどの価値もない。
だけれどもと、一方で華仙は思うのだった。
例え大国に飲み込まれるように滅ぶにしても、何もしないままでは嫌だと。もしかすると、その思いが、威候の言う矜持というものなのかもしれなかった。
それに、この場では言い出せないのだが、華仙にはもう一つの大きな懸念があった。霧の国が滅んだ時、君主である玄の身はどうなるのだろうか。国が滅ぶ以上は、何もかもが今のままというわけにはいかないだろう。
それは例え恭順の意を示して、陽の国に自ら飲み込まれても同じなのかもしれなかった。君主である玄の安全は保障されるのだろうか。
ならばと華仙は改めて思うのだった。
自分が玄を守るのだ。
どのような状況になったとしても玄を守るために最善の策を模索して、最善の策を取り続けるのだ。それが今の自分の使命なのかもしれない。
華仙は意志の強さを感じさせる黒色の瞳を真っ直ぐに向けた。その視線の先には未だに厳しい顔つきを変えようとしない玄の姿がある。
そう。私が守るのだ。玄のことを。
華仙は改めて強く胸の内で呟くのだった。




