敗者になろうとする者
熊の国の制圧は、夏徳が予想していた以上に早かった。ほぼ無抵抗に等しい状態で陽の国の将兵は熊の国の領内に入ることができた。そして、夏徳の常識では王宮とは呼べないような粗末な王宮を占拠したのだった。
もっとも粗末な王宮ということでいえば、これはこの国だけに限った話ではない。この地域の周辺にある国々は、民の数が数千といった国とは呼べないような国ばかりなのだ。それらの王宮が豪勢であるはずがなかった。
初老の域に達しているように見える熊の国の君主、久遠は自らの身を縄で縛り、頭を垂れて夏徳たちの前に姿を現した。その姿を見て、彼なりに陽の国に対して恭順の意を最大限に表したのだろうと夏徳は思った。
だが、呂桜はそれを不快と捉えたようで、自らの身を縄で縛った久遠の姿を見るなり踵を返してしまう。
「夏徳、後は任せるぞ。私は敗者に対して寛大になるつもりだが、戦わずして敗者になろうとする者は好きになれん」
そんな言葉を残して踵を返した呂桜を横目で見ながら、夏徳はやれやれだなと思う。呂桜の言葉を分からないと言うつもりはないが、それは強者の理屈でしかないように思えた。
強大な陽の国に対して圧倒的な弱者である熊の国。そこの君主となれば、この行動も仕方ないことなのかもしれなかった。
久遠の行動は、何も自分の命を守るためだけのものではない。熊の国の君主として、自国の民を守る使命があるのだ。そこに自らの矜持が入り込む隙などないのだろう。
「丁統、後は任せる」
呂桜と同じような言葉を夏徳が口にすると、はあとばかりに副官の丁統が隣で頷いた。その顔には、面倒なことを押しつけてといったものが如実に浮かび上がっていた。
まあ、そんな顔をするなと夏徳は思う。こちらはこちらで考えなければいけないことがあるのだ。西方を制するにあたって、陽の国が擁している将兵は一万。
この食い扶持を考えなければならないのだ。あわよくば制圧する熊の国から徴収と考えていたのだが、残念ながらこの国は貧困に窮しているようだった。徴収できる食糧は皆無に近いように思えた。
国としての宿命云々といった話は置いておいて本音を言えば、陽の国は自国の宗教、文化を広めたいだけなのだ。だからといって、西部の山間にある熊の国のような貧乏国たちを併合して、どんな得が陽の国にあるのかと夏徳は思ってもいる。
この後に攻め入るだろう霧の国とやらにしても、同じことだと思う。どちらかと言えば制圧して併合する度に、陽の国の負担が増すのではといった類いのものだった。これは何かの罰なのかとさえ思えてくる。
やれやれだなと夏徳は改めて思った。いずれにせよ、これ以上の進軍をする前に、補給と補給路の確保を考えることが急務なようだった。
そんなことを考えていた夏徳に、丁統が思い出したように顔を向けた。
「そう言えば隣の霧の国には威侯将軍がいますね」
「威侯?」
そう言葉を返したものの、その名には夏徳にも心当たりがあった。確か三十年近く前だったか。
当然、夏徳も話でしか聞いたことはないのだが、この西部に位置する小国たちが連合を作ったことがあった。そして、当時、大国として知られていた蘇の国と、その小国連合が戦ったのだった。
その時、比類のなき武人として、諸国に名を知らしめたのが霧の国の将軍、威侯だった。
「五十人斬りとも、百人斬りとも言われている武人ですからね」
丁統が感心したように言う。その瞳は熱を帯びていて、強い者へ単純に憧れる少年の瞳であるかのようだった。軍師志望の身でありながら、その態度はいかがなものなのではと、夏徳としては言ってみたくなってくる。
「そうだな。きっと馬鹿でかくて、鬼のような顔をした武人だろうな。お前など、きっと瞬殺されるぞ。頭から喰われてしまうかもしれない。怖い、怖い」
「大丈夫ですよ。私の前に軍師殿、夏徳様が殺されます。戦いとはそういうものです」
丁統に正面から反論されて夏徳は面白くなさそうな表情を浮かべた。
「ふん。一万の軍勢を前にして個人の武勇などは何の役にも立たぬさ」
「まあ、それはそうでしょうが」
さすがに丁統もこれに反論をすることはなかった。
「まあ、それだけ有名な武人がいるのだ。捨て身の斬り込みだけは気をつけるとしよう。姫様にもしものことがあったら、首が飛ぶのは俺だけではすまないからな」
夏徳のそんな言葉に丁統は嫌そうな表情を夏徳に返したのだった。




