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記憶喪失者の偽善(仮)  作者: 法相
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一章−1

感想をください(直球)

 男が目を開けると、知らない天井が目に映った。

 一体ここはどこなのか、と考える間に自分の衣服を引っ張って身体中に巻かれた包帯に目をやる。

 傷はまだ痛むものの、それでも昨晩よりはだいぶましになっていると安堵する。だいぶ血が滲んでいるので新たに包帯を変える必要こそあるが、ここまでのことを一体誰がしてくれたのかと首を横にする。

 なにぶん昨日━━というよりもさらに前からなのだが━━の記憶は曖昧だった。

 激痛で休もうにも、ろくに寝付けず、かといって昨晩までのなりで店などに入り込めば病院に店員、あるいは警備員から病院に強制搬送されかねない。

 曖昧ながらも男は病院に行ってはいけない、と強く本能が訴えかけていたので、どうしても病院に行くのは避けたかった。

 そして視線を移し、カラーボックスの上に置いてあるアナログな時計の時刻から見ると時間は午後三時だった。こうやってゆっくり時間を安心して確認できるのもどれくらいぶりなのだろうか、とぼんやり考えながら疑問を胸に抱く。

(にしても、こんな不審者を世話してくれた人間って……)

 自分の体調を把握し終えて辺りを見回す。間取りの広さを考えるとロフトがある賃貸の1Kくらいだろうか、などと考えていると足音が聞こえてきた。

「あ、起きたか」

 女性の声が聞こえ、声の方に振り向く。

 ラフなダボついたティーシャツにショートパンツ、短い黒髪と整った顔立ち、強気な目つきからボーイッシュな女性だな、と男が思う間に女性は言葉を続ける。

「うん、大丈夫そうだな。あ、今朝飯作ってるんだけどみそ汁と白飯なら食うよな? 持ってくるよ」

「あ、ちょ……」

 男の返事を待たず女性は鼻歌交じりに踵を返す。

 あの娘は誰なのだろうか、と男は一瞬思考するがすぐに自分をここに連れてきてくれて治療をしてくれた娘なのであろうと推察できた。

 ありがたい、と思うのと同時に彼女は危うい存在では、と考える。

 パッと見たところ年齢はまだ二十歳前後、年頃の娘だ。それが自分のような身なりの男を家に入れるなど……と考えたところで再び彼女は戻って来た。

「お待たせ。一緒に食おうぜ」

「あ、ありがとう」

 ━━今は、言うのをやめておこう。

 爽やかな笑顔で二人分の食事を用意してくれた娘の厚意を無下にしてはいけない。

 感謝の気持ちを込めて小さなテーブルに対面しながら手を合わせて「いただきます」と同時につぶやいた。

 味噌汁と白米、そして納豆と……ポン酢が机に用意される。

 彼女はそこそこ大きい、というかどう見てもうどん用の器に白米を大盛りについでおり、それに納豆をかき混ぜたものをダイレクトに叩き込みポン酢をかける。

 普通、納豆かけご飯とはしょうゆをかけるものではないのか。と考えつつ真似してやってみる。彼に用意された器は普通の大きさで白米の量もだいぶ少ないので溢れそうになるので慌てて口に入れる。

 とはいえ、彼女が胃にあまり負担をかけないように気をつかってくれたのだと考えるとやはり嬉しいものがある。実際のところは知らないが、男はそう考えることにした。

 そしてポン酢をかけた納豆かけご飯は意外とさっぱりして美味しかった。

 しかし、ここで一つ自分のことに疑問を持った。

 そういえば自分は誰なのだろう?




「え、昨日のこととか自分のことを覚えてない?」

「全くとは言わないけど、ほとんど……記憶ないね。もともと朦朧としてたから」

 怜奈は嘘だろ、と思わずぼやく。

 確かに昨晩の時点では傷だらけではあったし、怪我を消毒させるために使い物にならなくなっていたシャツをハサミで切り裂き、シャワーを局部だけは見ないようにしながら浴びせてから消毒液をかけガーゼを当てて包帯で身体中を巻いて寝かせた。

 幸い衣服は寝間着を洗濯している間に使う大きめのジャージがあったのでそれでなんとかなった。仮に血がにじんでも黒いジャージだから問題ない。血が染みてもさして気にならないだろう。

 そのあと男はすぐに気を失って来客用の布団を引いて寝かせていたのだが……まさか起きたら記憶がなくなっているなどと。そんな漫画みたいな事態がありえるものなのかと頭を抱える。

 それに、昨日名乗っていた自分の名前すら思い出せないものなのか?

 疑問は尽きないものの、仕方なく、ではないが怜奈は状況を男に教えることにした。

「えっと、まずオレの名前からだな。オレは鳳怜奈。昨日あんたに助けてもらったんだ。そこは覚えてるか?」

「……誰かを蹴っ飛ばした記憶があるようなないような」

「その蹴飛ばしたヤツ含めて四人もあんた蹴散らしたんだよ。オレもスタンガンくらって動けなかったから詳しくは見えてないけど、起き上がったら四人とも完全に意識失ってたんだからすごい活躍したんだろうな。正直オレだってびっくりしてる」

 それから可能な限り詳しく怜奈は自分がどうしてそういう状況に陥ったのかを説明する。それを朗人は神妙な顔つきで聞いていた。

「そう、か……人助けしてたんだな、俺」

 正直信じられないな、という男のぼやきにすぐさま怜奈が「ほんとだよ」と挟む。

「オレがミイラ取りがミイラになった状況を、あんたは間違いなく救ってくれたんだよ。昨日の記憶がないんだったらもう一回あらためて言う。ありがとう」

 素直に礼儀正しく頭を下げる怜奈。

 これには少し朗人は困惑する。

 助けた実感も湧かない上、それが事実だとしても現状よくしてもらっている時点で朗人は相応以上にお礼をしてもらっていると考え慌てながら言葉を返す。

「い、いや俺こそこんな治療してもらった上にご飯まで……むしろお礼をするのは俺の方だよ」

「いーや! そんなことはない。助けてくれたんだから、当然の恩返しだよ」

 堂々と胸を張ってくれ、と怜奈は言う。朗人はやはり困惑した様子で「そうかな」返す。

「そうだよ。自信持って! それとあんたの名前だけど……八神朗人やがみ あきとって自分で言ってたよ」

「やがみ、あきと」

 いざ言われてみても実感できないのか、少し困った顔をしながら朗人は苦笑した。

 記憶がないのであれば仕方ない、どうしようもないことだ。

 思い出せないというのであれば、それは記憶を封じなければ自分を守れないからだと誰かから怜奈は聞いたことがある。

 名前まで忘れるとなるとさすがに闇を感じないわけではないが、少なくとも怜奈にとって彼は恩人であることには違いない。

 また彼女の性格も相まって細かいことは(本人にとってのだが)気にしない。

 誰にだって一つや二つ言いたくないこともあるし、わからないものはわからないのだからそうやって考えるしかない。

「でも、病院も行けないとか言ったからビックリしたよ」

「ん、まぁこの傷だしなぁ……病院も浮浪者同然の身なりじゃ受けたくないだろうと思ったんじゃないかなぁ。ほぼ激痛できつかったことしか覚えてないから推論だけど」

「普通はそれでも行くだろ……なに? どこかの組の人とか……ないね」

 真顔で言う朗人に対し怜奈は呆れたように笑いながら返す。

 どうも少しずれている、とでも言えばいいのか。朗人の表情や仕草はなんとなくだがいわゆる普通の人とは違うように感じる。

 まぁ、怜奈も自分を普通の女子とはずれている、とは思っているけども。

 とりあえず変わり者同士での縁ができた、そう考えて朗人の顔をまじまじと見る。

(多少傷跡はあるけど……)

 やはり綺麗だな、と思った。

 男性とは思えないほど整った顔立ち、どちらかと言えば女性的に見える。髪も長い黒髪で艶やかさが手伝ってよけいにそう感じさせる。

 怜奈は怪我を消毒させるために身体つきを昨晩見たからこそわかるが、怪我をしていないで少し服装をボーイッシュなものにすれば初見ではまず女性と見間違えるだろう。

 いや、普通の服装でも下手をすれば見間違えるか……しかし身体つきはその女性的な見た目に反して細く、強く、しなやかに引き締まっていた。シャワーのさいには苦痛に声をもらしてこそいたが、並大抵の人間ではないことがわかる。

 対して怜奈の髪は、雑にしか扱っておらず髪質がいいとは言い難い。

 もう少し身だしなみに気を使いなさい、と姉貴分によく言われているが、朗人を見ると確かに考えたほうがいいかもしれないとは思った。

 まぁ実行するかは別の問題だが。

「あの、俺の顔がどうかしたかい?」

 不思議に思ったのか朗人が聞いてくる。怜奈は少しおどけながら答える。

「あ、いやなんでもないよ。ところであんたのこと、オレはなんて呼べばいい?」

「どうでもいいけど……まぁ強いて言うなら……下の名前でお願いしたいかな」

「んと、じゃあ朗人さん、で。オレのことも下の名前で呼んでくれ」

「では怜奈ちゃん、で」

「わぁお。ちゃん付けときたか……優姉以外でちゃん付けされる日が来るとは」

「そんなに驚くことかね?」

 不思議そうに朗人は言う。

 まだ二十にも満たないと思われる彼女は、確信こそないが自分より年下だということはわかる。記憶喪失者である朗人にそう思われても怜奈の方が納得しないかもしれないが、仕方ない。

「まぁねぇ。正直呼び捨てされるのがほとんどだし、なにぶん男勝りな性格っていうことには自覚あるし。しょっちゅう喧嘩とかしてんだ」

「だから顔にもすり傷見えるのか。こんな可愛い顔をしてるんだし、女の子なんだからもっと自分を大事にしなよ……なんでそこで驚く」

 朗人の反応にぽかんと口を開けたまま驚く怜奈。あわてて「ごめんごめん」と返す。

「いやな、可愛いとか男から初めて言われた」

「それこそ嘘だろ」

 軽く視線を怜奈の全体に移す。

 ティーシャツから伸びる腕には筋肉がついている。しっかりと引き締まっておりスタイルもよい。胸部はそこまでないように見えるが、それにしてもスタイルがいい。

 顔の方も元がよく、簡単なメイクでも十分に映えるだろう。

 身だしなみを整えれば下手なモデルなどよりも比較にならないくらいのボーイッシュな美人になると想像できた。それを本人が実行するかどうかはまた別の問題だが、少なくとも朗人は彼女を可愛らしい、と思っているからこその考えだが。

「素直に美人さんだよ。お世辞じゃない」

「ふ、ふーん……? ま、いいけどさ。とくにそういうの興味ないし」

「まぁ、だろうね」

 表情を見ればその程度はわかる。怜奈は驚きこそすれ照れるというそぶりもない。

「でもその言葉は素直に受け取るよ。ありがと」

「どういたしまして。それにしても……」

 部屋を見渡せば……

「仮面ナイト、ね」

 壁やカラーボックスには仮面ナイトと呼ばれる特撮作品の書籍やポスターが飾られていた。

 持ち主である怜奈は嬉しそうに笑いながら「すごいだろー!」と子供のようにはしゃいでいた。

 仮面ナイト。

 主人公は改造人間、いわゆるサイボーグであり望まずに改造されてしまったと言う設定だ。しかも改造されてしまった理由も恋人であった彼女に推薦されてしまったからという、愛情ゆえの皮肉な結果だった。

 恋人はなにも知らされていなかったが、事実を知った時に「殺してくれて構わない。私が推薦したせいで……」と号泣しながら、謝罪する。

 しかし主人公は恋人を恨むことなく、共に逃げて追手である改造人間と戦っていくというものだった。最後はヒロインが主人公をかばい死んでしまうというエンドであった。

 1クール程度の短い作品ではあったが、一部のコアなファンから絶大な人気を誇り今ではシリーズ化して子供たちのヒーロー作品となっている。初代は大人向け、という前提の元に作られたので子供に人気が出たのは制作会社も予想外だったと、と怜奈は説明する。

 仮面ナイトを語る彼女の表情は実に楽しそうで、純粋だった。

「ちなみにオレは二代目が一番好きなんだ! 快活で人当たりもよくて、でもすごく努力家で。戦うたびに進化していく。初代も初代でダークなイメージが好きなんだけど、やっぱりヒーローとしての憧れは二代目の仮面ナイトブレードだな!」

「本当に好きなんだねぇ、仮面ナイト」

「おう!」

 いい笑顔だった。

 ともあれ、と朗人は腰をあげる。

「お? どったの?」

「いや、なに。俺はおいとまするよ」

「え?」

 キョトンとする怜奈に朗人は「あのね」と苦笑しながら口を開く。

「一人暮らしの女の子の家に長居するわけにはいかないだろ? 助けてもらったことはありがたいけど」

「でもそのジャージオレのだし、着てた服も血だらけすぎて破いちゃってるじゃん。それパクってくの?」

「うぎ!? そ、それを言われると……でも」

 常識的に考えれば長居するべきではない。しかしこのジャージを返して素っ裸で出ていくわけにもいかない。

 どうするべきか、とパニックになる間に怜奈は笑っていた。

「気にすんなって。しばらくの間ウチに居候すればいいよ」

「え?」

「こうやって起きてオレになにもしないっていうので、あんたが良い人なのはわかるよ。だったらしばらくいればいい」

「いや、でも……」

「気後れするってんなら家政婦っぽいことしてくれよ。オレ飯作れるには作れるけどどうも雑だし。朗人さんの料理がまずかったらまずかったで別の方法を考えるし」

「そりゃありがたいけど、でも……」

 確かに、ありといえばありな話だ。住所不明記憶喪失者にここまでしてくれる気遣いには感無量だ。

 だがそれでも、と迷っている朗人に怜奈はやれやれと溜息を吐きながら口を開いた。

「いいか、朗人さん。さすがに服切る前に持ち物の確認くらいはしたよ? 財布はあったけど中身は四万円と二百円。それ以外にカードらしき物や身分証明になりそうなものは入ってなかったよ。これでどうやってすごすの? 働くにも身分証明できなきゃ話にならないぞ?」

 完全に朗人は目を丸くして沈黙する。それを見て怜奈はイタズラが成功した子供のようににんまりと無邪気な笑顔を見せた。

 完全に一本取られた、と朗人は苦笑いを浮かべるしかない。

 年下でこそあるが、朗人が思っていたよりも怜奈はしたたかな、しっかりとした娘のようだった。おまけに抜け目がない。

 あきらめたように溜息を吐きながら、このしたたかで物好きな少女に一礼する。

「……しばらくお世話になります」

「おう! ま、少なくとも今日はゆっくりして明日から行動しようか! 朗人さんの包帯も血がだいぶ滲んでるだろうし、包帯を変えてから仮面ナイトブレードの鑑賞会しようぜ!」

 元気いっぱいの怜奈の声に、朗人は再度苦笑した。

 まだ身体に痛みが走りまともに動けそうになったため、怜奈に手伝ってもらいシャワーを浴びさせてもらい、いまだ傷口に染みる痛みに悶える。

 そしてシャワーから上がり、新たに包帯を巻いてもらってからジャージを着て仮面ナイトブレードの鑑賞会と相成った。

「さぁレッツパーリナィ!」

「元気だねぇ」


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