第93話 王者の欺瞞㊦
前回までのあらすじ!
王様が遊びにきたよー!
刃がぶつかり合う轟音が響いた。
両腕が痺れて、肩が外れるかと思った。最初の一撃はそれほどの重さだったんだ。正直焦った。魔力で肉体を強化している俺が、わずかだが押されちまうんだから。
踏ん張った足が、踵から湖畔の地面に沈む。
「……ッ」
「ぬぐううううううおおおぉぉぉぉッ!」
二本の刃越し、至近距離でガイザスが吼える。
「我が名はガイザス! 人類王にして、いずれすべての種族を呑み喰らう統一王となる者也ッ!!」
「かッ! 連合軍の他の王たちが聞いたら、卒倒しそうな名乗りだなァ!」
弾けて距離を取る。というか、俺が距離を取った。
だが、ガイザスは意外なほど素早い反応で瞬時に距離を詰め、俺の頸部の高さで大曲剣を真横に薙ぎ払った。
「おおうらあああぁぁぁ!」
暴風を伴う幅広の反った刃を、俺は細いサクヤの剣で受けた──瞬間、全身が浮いて大きく後方へと吹っ飛ばされる。
なんっつう怪力だ……!
ブーツで地を掻いて着地する。
「……」
両腕が麻痺でもしたかのように、びりびりと痺れっぱなしだ。
ガイザスに魔力はねえ。微塵も感じられねえ。才能がねえんだ。
なのにこの剛力。オーガ族をも凌ぐ。シュトゥン並みだ。よくもまあ、王位にありながらここまで鍛え上げたものだ。
「ぬおおおらあああぁぁぁぁっ!!」
ガイザスが俺へと飛びかかる。
交叉する瞬間、袈裟懸けに払われた大曲剣を屈んで躱しながら俺は前に踏み込み、サクヤの剣の刃でガイザスの脇腹を払った。
「シッ!」
斬った──が。
「ずおりゃあああぁぁぁぁ!」
振り向き様にガイザスは大曲剣を薙ぎ払う。眉一つ動かさず。
「お構いなしかよ……!」
今度は受けない。吹っ飛ばされんなぁ、ごめんだ。それに、受けるまでもねえ。
俺は身を反らせて紙一重でやり過ごし、ガイザスの動きを奪うべく、軸足へと切っ先を放った。ずぐり、嫌な感覚がして刃が丸太のような太さの足に突き刺さる。
それでも。
脇腹と足から血液を噴出させながら、ガイザスは巨大な曲剣を振り上げていた。
「……おいおい……」
「ぬおらああああッ!!」
今度は飛び退く。空振った大曲剣の刃が、凄まじい勢いで大地を穿った。まるで爆発でもしたかのように湖畔の石が割れて砂利が弾け飛び、互いの全身を打ち据える。
距離を取り、同時に構える。
正直言って、俺は困惑していた。
俺はほとんど無傷だが、ガイザスはすでに浅からぬ傷を二箇所負っている。なのに、意にも介さず踏み込んできやがる。
命が惜しくねえのか?
暴風を伴って襲いくる刃を、俺は回避に徹する。踏み込むたびにガイザスの足からは血液が流れて、剣を振るうたびに脇腹は赤く滲む。
放っときゃ、いずれ失血で動けなくなるだろう。
だが。
「ぐはははは! どうしたライリー! 王者の剣に怖じ気づいたかッ!!」
ぶぉん、と暴風を巻き起こし、大曲剣が薙ぎ払われる。俺はそれを屈んでやり過ごし、止まることなく回転を利用して下段を薙ぎ払ってきた刃を跳躍で躱した。
曲剣との戦い方は、ミリアスのおかげで嫌というほど身にしみている。怖いのは回転力だ。躱したと思っても動きは止まらず、全身を回転させて次がくる。回転が増すほどに威力も増していく。それに調子を合わせれば、今度は急激に止まったりもする。
そいつはミリアスのような細身よりも、ガイザスのような筋肉だるまな使い手であるほど有効な手段だ。受けて止めることができねえからな。
「おめえこそ、な~に焦ってんだァ?」
巨大な刃を、刃の上を滑らせるように受け流して逸らす。
「ぬっ!?」
直後、俺はガイザスの腹部を横一閃に斬り裂いた。
「ハァ!」
「──ッ!」
同時に飛び退いて距離を取る。
ガイザスは強い。人類の中では指折り数える程度には。それでも今の俺にとっちゃあ、大した相手じゃねえ。
現に、端で見ているカザーノフは青ざめたままだ。もう誰の目にもあきらか。ガイザスでは俺には勝てない。
ガイザス本人とて、それに気づかない腕じゃあないだろう。
「ガイザス、もうやめろ。ここで死ぬ気か」
やつの足下には、血液がぼたぼたと流れ落ちている。
俺は汗すら流しちゃいねえ。警戒すべきは剛力のみ。あとはどうとでもなる。
「王者は何者にも傅かぬ!」
「別に跪かせるつもりなんざねえよ。こっちは不可侵条約を結びてえだけだ」
だが、やつは再び剣を振るった。俺はそれを避けて、切っ先でやつを刻む。頬を、耳を、腕を、胸を、刻んでいく。
もはやガイザスは血だるまだ。それでも、剣を振るう手を止めることはない。一撃必殺。あたれば即死は免れねえが、喰らうことはないだろう。
大曲剣を受け流し、切っ先を返す。真っ赤な花が咲いた。
太い膝が揺れる。しかしガイザスは踏みとどまり、気合いの声とともに剣を振るった。
「ぬおおおおおおおおっ!!」
「なんでそこまでする!?」
そもそもの話、俺にはガイザスを殺すつもりはなかった。
こいつがこれまで重ねてきた魔族に対する非道は許されるべきものではないが、そこに裁きを下すのは俺じゃあない。
それこそルランゼであり、フェンリルであるべきだ。あるいは、ここにはいないルナか。けれど彼女らは戦いを俺に託し、見守ることを選んでくれた。
だから俺は、やつの処遇を考えた。
ここでガイザスを殺せば、おそらくザルトラム王国の国力は急激に弱まり、数年内には他国によって蹂躙されるだろう。
同盟? 無駄だな。
人間ってのは、そんなに甘い生き物じゃないんだ。ましてや、やつらにとっての戦争は、感情の通うことのないビジネスなのだから。知己であろうが腹を見せたら喰い破られる。
魔族のように統一王がいれば、そんな無様はさらさずに済んだだろうがな。
だが、現実はそうじゃねえ。それこそ例の二十カ国協議に出席していた王たちによってザルトラムの領地は分けられ、その際に民に出る被害は甚大なものとなるだろう。
いま思い返せば、フレイアが選択した方法こそが、最も民への被害を減らせるものだったのかもしれない。人魔ともに、将来的にはな。
「ガアアアアァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
「く……!」
獣のような咆哮。やつの一振りごとに、命の雫が散っていく。
深夜だから色までは見えねえが、もはや俺たちの足下は真っ赤に染まっちまっているだろう。それでもやつは俺に挑んでくる。人の気など知らずに。
いい加減腹が立ってきた。
「やめろッ、ガイザス! 剣を下ろせ!」
「王者に命令など片腹痛いわ! 我が前に跪け、ライリーッ!!」
叩きつけられた大曲剣を、サクヤの剣で受け止める。轟音が鳴り響くが、腕は痛まなかった。
もう当初ほどの力がねえんだ。鍔迫り合いになっても負けない。
「ぐぬう……ッ! 負けぬぞ! 王は民とともにある!」
「てめえがここで退けば、リベルタリアは十万の王国兵には手を出さねえ! 不可侵条約を結べばザルトラムの民にもだ! それに、いまのザルトラムの兵力で魔族を攻めてみろ! 自滅するぞ! もう戦う理由なんざ、どこにもねえだろうが!」
交叉する刃越し、額をぶつけてにらみ合う。
やつの頭部から流れた血が、俺の頬を伝った。
「ならん! 王の死は国家の死だ! 余が死すべきときは、国家も軍も民も、王ととも死ぬのだ! それが王者! すべてを背負う者と知れッ!!」
「てめえの国民を人質にでもしたつもりかッ!! そんな輩が王なんざ名乗ってんじゃねえぞ、ど阿呆が!!」
頭蓋同士を押しつけ合う音が響く。
「余が背負ったものはッ、貴様のごっこ遊びとは違うのだッ!!」
「ああそうだろうよッ!! ガキの遊びのが遙かにマシだぜッ!!」
「貴様ッ、王を愚弄するかァァ……ッ!!」
俺はサクヤの剣を手放し、腰から聖なる包丁を抜いてガイザスの右腕へと突き刺した。
「ぐぅ……!」
ガイザスの手から大曲剣が転がり落ちる。
右手でガイザスの左手を、左手でガイザスの右手をつかみ、額をさらに押しつける。腰から背筋、首の筋肉、魔力まですべてを使って。
ギリ、ギリ、頭蓋が軋み、激痛が走る。
「王じゃねえ……ッ!」
「なんだと──ッ!?」
「てめえなんぞ王じゃねえっつってんだッ!!」
「王とはすべての頂点に立つ偉大なる強者! 余にこそ相応しき称号だ!」
ようやっとわかった。こいつがどういう人物であるかが。
ただの世間知らずのガキだ。王宮で甘やかされて、そのままオトナになっちまった、ただ図体がでけえだけのガキだった。
そんなやつが、世界を知った。知ってしまった。
「この阿呆が……ッ」
俺はすべての筋力と魔力を込めて、やつの額を額で押していく。血管が破れそうなほどに浮き上がってもなお、歯を食いしばって力を込める。額から俺のものともガイザスのものとも知れぬ血が大量に滴った。
「ぬ、ぐぅぅぎ……ッ」
「王ってのはなァ、ガイザス! 国家や国民と一体化したもんじゃねえ! 王が頂点だって? 笑わせんなッ! 王は孤独だ! 国家国民に命を懸けて尽くし、その最底辺で力を振るえるやつのことを言うんだッ!! だから、王は偉大なんだよッ!!」
少なくとも、ルランゼはそうだった。不死者ギリアグルスとの一件は、その最たる例だ。
あいつはずっとそんな重責に堪えてきた。わかるか。重責だ。二百年間、重くて、重くて、耐えられねえくらい重いものを背負って進み続けてきた。
だから偉大なる王と呼ばれ、慕われたんだ。
間違っても、重責を国家や国民に背負わせるやつなんか、王じゃねえ。
「哀れだぜッ、ガイザス! おまえはその地位を得ただけの阿呆に過ぎねえ!」
「ぐ、ううぅぅ……世迷い言……を……ッ」
「おまえなんざッ、統一王どころかッ、一国の王にさえなりきれてねえガキだッ」
「ぐうぅ、黙れぇぇ……!」
「んなこたぁよォ、ほんとはてめえだってわかってたんじゃねえのか、ああ!?」
ガイザスの顔色が変わった。
いや、力を込める赤に、さらに羞恥の赤が足されたんだ。俺にはそれが手に取るようにわかった。
「……貴様などにッ、理解されるなどと……ッ!」
強い王であろうとした。不自然なほどに何度も王を名乗った。そいつが間違った方法であることを知りながら、強権を振りかざすしかなかった。
ガキに力はない。
理想と現実の狭間で、己と世界の狭間で、ガイザスはとっくの昔に擦り切れたんだ。俺やルランゼのように、途中でフェードアウトできなかった。虎視眈々とザルトラムを狙う他国から国を守るには、冷徹なまでに強くなるしかなかった。
いま、この瞬間もだ。俺に勝てるか勝てないかじゃないんだ。勝つしかなかった。
そいつがガイザスの焦りの正体だ。俺の目の前にいるやつは、己の未熟さすら認めることができないほどの臆病者だ。
「そりゃあ、欺瞞ってもんだぜ、ガイザス。だから今日、おまえの嘘はここへ置いていけ──!」
ガイザスの背中が徐々に反っていき、限界まで曲がって──そしてついに、やつが後方へとふらついた瞬間、俺は右手に込めていた全魔力を拳とともに固め、左足で深く踏み込んでいた。
「いい加減ッ、王になりやがれッ、ガイザァァーーーーーーースッ!!」
身を起こそうとしたガイザスの鼻面へと、容赦なく叩き込んだ。拳は鼻骨を砕いてめり込み、ガイザスは後頭部から叩きつけられるように湖畔の地面に倒れ込む。
やつは何度か痙攣したあと、白目を剥いて気絶した。
終わりだ。
そう思い、息を吐いて力を抜いた瞬間、怯えたような声が響く。
「う、う、動くな、ライリー!」
視線を向ける。
その先では、騎士によって拘束されたゼラ爺の首に、カザーノフが震えながらナイフを押し当てていた。
「こ、交渉を、申し込む」
そういや、いたっけ。
めんどくせえ。
「さっさと言え。聞くだけ聞いてやる」
「こ、国際犯罪を犯した重罪人であるガイザスの身柄は、お、おまえたちリベルタリアに預けてやる! だ、だから、私には、て、手を出すな! わ、私は、ガイザスをここまで連行してやっただけだからな!?」
「く、くく、くくく……まったく」
笑っちまった。
切り捨てやがった。長年仕えてきたガイザスを、こんなにもあっさりと。
「ほんと、どうしようもねえなァ……」
「そうだ! そいつはどうしようもない重罪人だ! 虚言で人々を煽り、魔族に戦争をけしかけた! その結果、人魔ともにどれほどの被害が出たことか!」
大司教様の見え見えの虚言に、俺は落胆のため息をついた。
カザーノフ大司教には、ガイザスにはあった戦士の矜持さえない。正真正銘の屑。どうしようもないほど小物だ。
家柄というか世襲でその座についたのだから、まあそんなものだろう。
俺はカザーノフを指さす。
「……どうでもいいが、すぐにゼラ爺を放したほうがいいぜ。痛い目を見たくなきゃな」
「な、なにを……わ、私を脅す気か!? ガイザスが重罪人となったいま、ザルトラムの代表はこの私なのだぞ!?」
「いんや、こりゃあ脅しじゃねえよ。忠告だ。いいか、カザーノフ? ゼラ爺を放せ」
やつを睨み、俺は強い口調で言った。
「──いま、すぐに、だ」
「ま、まだ貴様からの、あ、いや、リベルタリア王である貴殿からの返事を伺っては──」
そこまで言った瞬間、カザーノフの背後に立っていた二十名の王国騎士の最後尾から悲鳴があがった。
湖に潜行しながら近づいていたシュトゥンが、騎士の足をつかんで振り回し、他の騎士を一気に薙ぎ倒したのだ。騎士たちは何が起きたかわかっておらず、パニックに陥っている。
魔王軍の頂点に立つ六千将の奇襲だ。騎士二十名程度ではどうにもならない。
「あ、は……へ? ひ、ひぃ……!」
カザーノフが結界を張った。薄明かりのカーテンのようなものが、鬼に倒されていく騎士を見捨てたカザーノフと、その人質であるゼラ爺だけを覆う。
だが、次の瞬間には、薄明かりのカーテンはひび割れて夜に散っていた。
「ひっ!? な、なんで、わ、私の結界魔術が……!?」
囲む群衆の中で右手を前に突き出していた老人ラズルが、手を下げて首を左右に倒し、骨を鳴らす。
「それが人間族の結界魔術か。稚拙だな」
カザーノフがそちらに視線を取られた直後、今度は集った群衆を縫うように不自然な暴風が巻き起こり、ゼラ爺をかっ攫ってウォルウォの元へと走った。
「なん──っ!?」
フェンリルだ。一瞬の隙をついて大狼化したフェンリルが、カザーノフからゼラ爺を奪い返し、ウォルウォへと押しつけたのだ。
その後は自身の出番は終わりだとばかりに美しい女の姿に戻り、やつを振り返って妖艶に笑った。
「民に手を下すは外道の所業ぞ。あきらめて地を這え、虫けら」
「ひ、ひぃ……。あば、ゆるひへくらさ──ひンッ」
人質を奪われたと気づいた瞬間にはもう、カザーノフは鬼の拳にぶん殴られ、鼻血をまき散らしながら錐揉み状態となって夜空を高く舞っていた。
楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。
今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。




