第92話 王者の欺瞞㊤
前回までのあらすじ!
ガイザス、何しにきたん……。
ウォルウォに遅れて、家から飛び出した俺とルランゼが駆け出す。
そこそこ広いオアシスだが、家を出てすぐに場所はわかった。オルネの民の青年イリスが俺を待ち、案内してくれたからだ。
「イリス!? 状況は!?」
「走りながらで。ガイザスにオルネの子供を人質に取られたんですが、いまはその子は解放されて爺ちゃんが代わりに人質になってます」
ルランゼが驚いて声をあげた。
「ゼラ爺様が?」
「はい。老い先短い自分が人質になるから、子供は解放してくれって言って……」
よく見りゃイリスは泣きそうな顔をしちまってる。
ゼラ爺はオルネの村長で、イリスはその孫だ。ルランゼを人類に受け容れてもらう切っ掛けになってくれたふたりだ。
だから俺たち夫婦は、ゼラ爺に借りがある。
「カカカ! そいつぁ、実にらしいなァ。ゼラ爺」
「笑い事じゃないですよ! あのクソジジイ、いつもこんなふうに格好つけたがるんです! 心配する家族の身にもなって欲しいっすよ!」
「わかった。任せとけ。ゼラ爺は絶対に助ける」
俺たちは砂漠の夜を走る。
魔力嵐に切り取られた空には、大きな月が浮いていた。
湖の畔、その一角に、魔族百体ほどの人だかりができている。構成は主に人狼だ。おそらく湖に追い詰める形でガイザス一派を囲んで、身動きが取れないようにしているのだろう。
だが、ゼラ爺を救えた形跡はまだなさそうだ。
「イリスはここで待ってろ」
「そんなっ!? 俺も行きますよ! うちの家族のことだ!」
俺がルランゼに目配せをすると、ルランゼがイリスの手をつかんで彼の足を止めた。
「ルランゼさん!」
「だめだよ、イリスさん。ライリーに任せた方がいい。信じてあげて。いざとなったら、あのときみたいに、またわたしがなんとかするから」
「……ッでも!」
言い争うふたりを尻目に、俺はモッフモフの森を掻き分けるようにその中心部へと躍り出た。クソ生意気な性格をした人狼どもだが、この毛皮だけは気持ちぇぇぇ~。
モフ森を抜けて視線を上げると、湖畔に二十名ほどの王国騎士団と厳王ガイザス、それにカザーノフ大司教がいた。
ゼラ爺は……ガイザスに腕を首に回されてしまっている。
だが、どうやら両者ともに落ち着いているように見える。パニックにはなっていない。少なくともガイザスとゼラ爺だけは、だ。
カザーノフ以下、騎士たちは顔色を青ざめさせていた。
そりゃそうだろう。こんな数の殺気立った人狼に囲まれてんだからな。おまけに一体、ガイザスを凌ぐほどの巨体のホブゴブリンまでいる。人体ほどもある巨大な戦斧を担いでな。もちろんウォルウォだ。
俺は気軽に片手を挙げた。
「よお、ガイザス。先日ぶりだなァ。カザーノフに至っちゃあ、およそ一年ぶりってとこかね? ……どうやって魔力嵐を越えた?」
カザーノフ大司教がいつもの卑屈な笑みを浮かべ、俺を指さして嘲笑する。
「舐めるなよ、ライリー! 私を誰だと思っている! 偉大なる神のご加護があれば、魔力嵐など恐るるに足らんわ!」
「そりゃ笑えるぜ。おまえさんみたいな鼠野郎に力を貸すなんざァ、見る目のねえ神さんもいるんだなァ。あ~、どこの暗黒神だっけ?」
「我が主神を冒涜するか! この愚かな不信心者め!」
とは言ったものの、まさかカザーノフごときに魔力嵐を越える結界を張れる力があるとは思わなかった。驚いたねえ。口だけ達者な鼠野郎かと思っていたが、だてに聖堂騎士団を束ねる大司教をやってるわけじゃねえってか。
さらに口を開きかけたカザーノフを、ガイザスが豪腕を持ち上げて制した。
「控えよ、カザーノフ。王者たる余の前に出るな」
「……ッ。ハッ」
すかさず茶化す。
「子分の躾がなってねえなァ、ガイザス。飼い主の大事な役目だぜ」
「ぐ……ッ!!」
俺の言葉に、カザーノフの顔面が怒りで真っ赤に染まった。だが、王の御前だ。歯がみして俺を睨む以上のことはしない。さすがは堂に入った腰巾着だ。
代わりにガイザスが口を開いた。
「ライリー。いまさら貴様と交わす余計な言葉はない。さっさと本題に入らねば、こやつの命はないものと思うがいい」
えらっそうに。あいかわらずノリの悪いこった。
だがガイザスの豪腕なら、ゼラ爺の枯れた首など一瞬でへし折られるだろう。事実、ガイザスが会話の際にほんの少し腕に力を込めただけで、ゼラ爺からは苦しげなうめき声が漏れた。
俺は尋ねる。
「要求は?」
「それでいい」
ガイザスが背負った大曲剣を抜いた。周囲に緊張が走る。さすがのゼラ爺も身を強ばらせる。
ガイザスが口を開いた。
だが、そこから出てきた言葉は、あまりに意外で──。
「抜け。ライリー・キリサメ。貴様に一騎打ちを申し込む」
色々考えたせいで、かなり間が空いた。
「……………………はあ?」
聞き間違いじゃあねえよな。
何言ってんだ、こいつ。一騎打ちだって? わかってるのか。誰に挑んでいるのか。
控えめに言って、俺に負ける要素はない。そんな未来は確実にやってこない。こいつはそれほどまでに俺を見くびっているのか。あるいは何らかの策略があるのか。
例えば、自らを囮にした陽動。ここで俺やルランゼといったオアシスの主力を引きつけて、その間に力の弱いキッズ野盗団やオルネの民を襲う。
だが。
俺以上に、カザーノフ大司教が驚愕に目を見開いてガイザスを見ている。眼球が落ちちまいそうなくらいにだ。阿呆のように、あんぐりと大口を開けて。
どうやらカザーノフもまた、真の目的をガイザスには聞かされていなかったらしい。
「わ、我が王よ。そ、それは──」
「黙れ、カザーノフ」
「し、しかし」
俺は耳の穴をかっぽじって、ガイザスに尋ねる。
「おまえさん、わかってんのかい。本来ならば要求できる立場でさえないことを」
「痴れ者め。余を見くびるな。この二十余名と貴様らの戦いになれば、我らの敗北が必至なことなど理解しておる。リベルタリアを囲う十万の兵のこともな」
どうやらわかっているらしい。
ガイザスが取った人質はオアシスの民一名。だが、オアシス勢力が人質同然に考えているのは、リベルタリアを囲う十万の軍そのものだ。
考えてもみろ。炎竜の有効射程距離に兵を集結させたままなんだぞ。その気になれば、一瞬で片はつく。全滅だ。
つまりザルトラム軍は、撤退しなかった時点ですでに詰んでいるんだ。
もっとも、俺はそれをしない。十万の兵を灼き尽くせば人類側から恨みを買うし、禍根を残せば中立国としての意義を失ってしまう。それに、そもそも炎竜はまだ深い眠りの中にある。大規模なブレスは立て続けに吐くことはできない。
だが、そんなことをガイザスが知っているはずがないんだ。交渉を行う上での絶対的優位性はこちらにあるはずなんだよ。
加えて、戦争はビジネスだ。自国にとってメリットがなければ、戦う理由はない。
ザルトラム王国にとって、もはや勝ち目の消えたこの戦争に、続けるだけのメリットはない。
ならばガイザスはこんなところにまで何をしにきたのか、という疑問が残る。
それが、俺との一騎打ち。そんなバカなことがあるか。
苦し紛れに挑みにきたか。王である俺を討てば、このリベルタリアを潰せるとでも踏んだか。
あり得ねえ。勝ち目はどう考えてもねえだろう。ガイザスは王であり、歴戦の戦士でもある。それは認めよう。だが、俺は人類で最も優れた剣術を扱うものとして、勇者位を得た。他ならぬガイザス自身が認めたのだ。己と同等か、それ以上として。
万に一つ、俺が敗北したとしても、ガイザス以下およそ二十名が生きてオアシスから戻れることはない。いまこの場には、魔族の最高戦力が結集しているのだから。選りすぐりとはいえ二十名程度の騎士など、同数以下の人狼だけで事足りる。
それに加えて、ウォルウォという存在のダメ押しだ。王国騎士どもが顔色を青ざめさせているのは、人狼よりも頭二つ抜けたホブゴブリンの睨みを恐れてのことだ。
わからねえ。ガイザスの意図が。
だから戸惑った。
俺も、ウォルウォも、人狼たちも、カザーノフも、二十名の騎士たちもだ。敵も味方もみんな戸惑ってる。ガイザス本人以外の全員が、やつの意図をつかみかねていた。
「受けるのか、受けんのか」
ガイザスの豪腕に巻かれたゼラ爺の首が、徐々に傾けられていく。ミシリ、ミシリと骨の鳴る音がし始めた。
「ぬぐ……ふ……ぎ……っ」
俺は舌打ちをしてサクヤの剣を抜く。
「わかったよ。一騎打ちには応じる。爺さん放してやってくれや」
「それでいい。くっくっく、グッハッハッハ! 久方ぶりに滾りおるわッ!!」
笑った? あのガイザスが?
大曲剣の切っ先が俺へと向けられると同時、ガイザスはゼラ爺をカザーノフへと押しつけた。展開についていけず、気が気でないカザーノフはすぐに背後の王国騎士団へと押しつける。
一歩、ガイザスが俺に近づいた。
瞬間、俺とやつの間に入り込むように、ウォルウォが移動する。ガイザスが血走った瞳で憎しげにウォルウォを睨み上げた。
だがウォルウォはどこ吹く風でつぶやく。
「ライリー。おまえはリベルタリアの王だ。矢面に立つまでもない。儂がやろう」
「あんがとよ、ウォルウォ。だが、要求を呑まねえとゼラ爺の身が心配だ。ここは俺に任せてくれや」
「む……むう」
ガイザスが嘲る。
「その通りだ。そこを退くがいい、ホブゴブリンよ」
「ウォルウォ、周囲の警戒にあたってくれ。頼む」
一騎打ち。そう信じ込ませておいて、矢が飛んできたりしたらたまったもんじゃあねえ。ま、そういうセコイことをしそうな鼠野郎は、ガイザスの背後で顔面蒼白になっちまってるが。
ウォルウォが獣のようなうなり声を出すと、ガイザスを睨みつけながら後退した。
「やむを得んか。おまえがくたばるまでは、手は出さずにおいてやる」
「死なねえわ、アホォ! それが王に対する言葉か! なんだおまえ! 反省しろ! このアル中オヤジ! 愛する娘にお父さんお酒臭ぁ~いって言われちまえバァカ!」
「グハハハハ! 生きてたらおまえにもクク村の酒をまた分けてやる。レンの酌だ。今宵も付き合えぃ」
「嫌だよ! さっさと終わらせて今夜はルランゼとイチャつくんだっつーのォ! んなぁ~にが悲しくて、汚え顔したおっさんと夜を過ごさなきゃならねぇんだよ!」
俺は進み出て、サクヤの剣を構える。
ふう、と息を吐いた。
一瞬で音が消える。魔力嵐の暴風の音でさえ消えた。神経が瞬時に研ぎ澄まされる。深い、深い水底に潜るように。俺の視界から、ガイザス以外のすべてが消失する。
静かな時間が流れた。誰もが息を呑む。
直後、湖で魚が跳ねた。
パシャ……。
距離は一瞬で詰まっていた。
互いの蹴った地面が爆ぜ、かち合ったサクヤの剣と大曲剣が轟音を鳴らして火花を散らす──!
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