第91話 勇者さんと魔王さん
前回までのあらすじ!
決裂前提の和平交渉。
程なくして、その日がやってきた。
人類領域の連合軍は軍議の夜にした俺の忠告を聞かず、砂漠の新興国家であるリベルタリアの地へと踏み込んだんだ。
俺たちは迎撃した。
といっても、いくら選りすぐりとはいえ、十名足らずの戦力でまともにやりあって勝てる要素はない。何せやつらは砂漠の景色をヒトの頭で埋め尽くすような、数十万とも数百万とも見える数だったのだから。
だが、そんなことは最初から予想していた。
俺たちはオアシスの魔力嵐を利用した。
魔力嵐はラズルの教え子だった先代魔王レイガ・ジルイールの産物だ。
ラズルにはレイガほどの膨大な魔力はない。ラズルに魔力嵐と同じ規模の結界魔術を作り出すことはできない。もちろん、消し去ることもだ。
だがラズルには、レイガの作った魔力嵐の術式を書き換えることはできたんだ。何せレイガに術式を教えたのはラズル本人なのだから。
連合軍が魔力嵐を避けて左右からルーグリオン地方へと進軍を始めたとき、ラズルは同じく教え子であるルランゼとともに、魔力嵐の結界術式を書き換えた。
オアシスを守るように砂漠の中心部のみで渦巻いていたそれを、広く広く展開したんだ。砂漠の端から端まで、砂と石を巻き上げる暴風の壁に変化させたんだ。
連合軍の先頭がそいつに触れて吹っ飛んだ。全軍が乱れ、次の瞬間には暴風の壁から距離を取るように後退する。
足止めは成功した。
だが、一時的なものだ。そんなことはやつらとていずれは気づく。
ラズルやルランゼの書き換え術には限界がある。ふたりの魔力が尽きれば、魔力嵐は再び元の形状へと戻り、砂漠の中心部のみで渦巻くものに戻っちまうらしい。
数十、数百万の軍勢は撤退しなかった。つまりはもう気づいていたんだ。あの魔力嵐が自然現象などではなく、魔術で生成されたものであることに。
結界術士の魔力が尽きて、魔力嵐が元の形状に戻ってから、あらためて進軍を始めればいいと、ガイザスはそう考えたのだろう。
織り込み済みだ。
俺はイフリータとレンと犬、そして炎竜を連れて、壁状にした魔力嵐を歩いて抜けた。連合軍の矢面に立った。それまでオアシスを無視してルーグリオンを目指していた連合軍だったが、ここにきて初めて、俺たちへの攻撃を開始した。
矢が放物線を描いて降り注ぐ。
嬉しいね。ようやっと、俺たちを難敵であると判断してくれたらしい。
イフリータは嬉々として上空に炎を放ち、矢を灼き払う。俺もサクヤの剣を抜いて、無我夢中で降り注ぐ矢を払った。
レンと、犬と、炎竜を守るためだ。
犬に乗って炎竜を武器のように構えていたレンが、空を見上げる。無数の矢が降り注ぐ青空をだ。
そうしてレンは空を指さし、炎竜に命じた。
直後、掛け値なし、全力のドラゴンブレスが炎竜の口腔内から吐き出された。一条の熱線となったドラゴンブレスはイフリータが矢を撃墜するために放った火球をも空中で取り込み、放射状に変化しながら空を灼いた。
流れていた雲は散り散りに消し飛び、空は真っ赤に染まった。
その規模たるや、遠く離れた王都ザレスの空をも赤く染めあげ、数十秒にわたって続いた閃光は、大陸全土の人々を恐怖に震え上がらせた。
炎の精霊王であるあのイフリータでさえ、空を見上げて呆然とするような威力だったんだ。
空の色が戻るまでもなく、矢はすでに飛んでこなくなっていた。
見えるわけじゃあないが、連合軍内部の様子は手に取るようにわかった。戦意の喪失だ。正直な話、味方である俺だってこれには恐怖を感じた。
もしも大地に向けて放てば、都市どころか大陸の半分が焦土と化すような威力だった。竜とはそういう生き物だ。伝承の中では、神々にさえ食らいついた最強の生物なのだから。
やつらは思い知っただろう。リベルタリアが保有する火力を。
その気になれば、数十万、数百万の連合軍の大半を、わずか数秒で灼き払うことができるのだと。こちらには白兵戦を挑む必要性すらない。
実際にこの直後、連合軍の大半がリベルタリアの砂漠から去った。人類領域に戻ったんだ。
戦争はビジネスだ。割りに合わないと判断すれば、退く方が正しい。そいつが大人の判断であり、人民の上に立つ王のやり方だ。
こうして連合軍は、戦う前に解体された。
おそらく後日、各国の王はリベルタリアに使者を送ってくることだろう。この数百名しかいない砂漠の集団を、正式な国家として認める、という内容の書状を持って。
犠牲を出さずに済んだことは、互いにとって喜ばしいことだ。禍根を残さずに終われたことは、両国にとって明るい未来となる。
だが、連合軍内では、そうではない国もあった。
連合軍を集結させた中心核、厳王ガイザスの治めるザルトラム王国だ。
ガイザスは炎竜の炎に屈しなかった。やつは、おそらくもうルーグリオン地方に進軍することは不可能だと理解した上で、夜になっても砂漠に軍を展開させたままだったんだ。
ガイザスは俺への怒りだけで、踏みとどまっていた。人民のための王としてではなく、戦士としての矜持がそうさせるのだろう。
たかだが十万規模。その気になれば炎竜で灼き払える。もっとも、まだ幼体である炎竜は一晩程度の休息を挟まなければ、もうブレスを吐くことはできない。いや、全力ブレスのあとは回復にどれだけかかるのかは不明だ。
だが、明日には可能だとして、果たしてそれをしてしまっていいのか?
民ではない騎士や兵士とはいえ、十万規模の人類を灼き払ってしまって、俺は後悔しないのか?
迷いがあった。
だからといって正面から白兵戦を挑めば、こちら側にも甚大な被害を出すことになる。それだけは絶対に避けなければならない。
夜。
俺は自宅のリビングで、揺れる魔術灯の明かりを見つめていた。
「くそ、ガイザスの野郎。どこまで俺の邪魔をしやがんだ」
テーブルで頭を抱えて吐き捨てる。
みな、疲れて寝静まっている。無理もねえ。この数日、ずっと張り詰めていたのだから。
特に炎竜の眠りは深い。いつもは遅くまで犬と遊び呆けているのだが、今日は夕飯に肉を一塊喰らうと、そのまま目を閉じて眠りについた。
全力のドラゴンブレスを撃たせたのは初めてだからな。相当消耗させてしまったことだろう。
ちなみに全力ブレスの号令は、レンに任せた。
犬の翻訳じゃあ不安だが、レンならば確実に炎竜に伝えることができる。そのレンも犬も、よほど緊張していたのだろう。オアシス内に戻ると、飯も食わずに休みについた。
「……ライリー。まだ起きてるの?」
ふと気づくと、ルランゼが温かいミルクの入ったカップを持って立っていた。それを俺の前にコトリと置く。
「ああ、あんがとよ。わざわざ温めてくれたのか」
「妻だからね。あなたの身体はわたしが整えるので~す。……へへ」
そう言って頬を染める。
自分で言って、自分で照れてやがらぁ。
「ねえ、座ってもいい?」
「寝なくていいのか?」
「うん。お父さん譲りかな。わたしの魔力量はラズルより遙かに多いからね。そんなに疲れてないんだ」
ルランゼが向かいではなく、俺の隣の椅子を引いた。
そのままストンと腰を下ろす。
「ガイザス王、退いてくれなかったね」
「ああ。さすがにこりゃあ想定外だったぜ。あの規模の絶望的火力差を見ても退かねえとはなァ。野郎、王都軍ごと自滅特攻でも決めるつもりかよ」
これだから脳筋は。損得勘定くらいしろってんだ。
ルランゼが沈んだ声で囁いた。
「ご自身はともかく、十万の軍にとってはたまったものじゃないよね。そういうの、嫌いだな。子供みたい。王座から逃げたわたしが言うのも変かもだけど」
俺はミルクを口に含む。
温かいが、熱くはない。足されたほのかな甘さは蜂蜜か。
いいね。考えるにゃあ、糖分が必要だ。
「……そうだな。まるでガキの我が儘だ。てめえの戦いに、てめえ以外の命をかけてるっつー自覚がねえんだ」
ふたりきりだ。
俺の家には俺とルランゼ以外、誰もいねえ。犬には巨大な犬小屋があるし、炎竜もそっちで眠っている。その他のやつらは、働き者の人狼どもが昼夜問わずに次々とおっ建ててる家屋に泊まっている。
人狼どもが過労死しないかとフェンリルに進言したところ、交代制でそれなりに休んではいるそうだ。犬ってのはほんと、死ぬまで誰かに尽くしちゃうもんなんだなあ。
「その点ライリーは優しいね。味方はもちろん、敵の犠牲まで最小限にしようとしてる。でもね、炎竜のドラゴンブレスが一日一回しか撃てないってことを知ってる人間が連合軍にいたら、どうなっていたことか」
「……ああ」
迷ったんだ。
空に向けて放つべきか、地に向けて放つべきかを。確実性を出すなら、地に向けて放つべきだったのは理解している。
で、迷った末に──俺が指示を下す前に、レンが炎竜に命じちまった。
空に向けて全力ブレスを、と。
そのとき俺は、情けねえことに、胸をなで下ろした。
「いい子だね。レンちゃん」
「ああ」
「ライリーのことをほんとによく理解してくれてる。もしかしたら、わたしよりも」
「いつまで経っても、頭が上がらねえよ」
「わたしも。旅の話を聞いて、ほんとにそう思った。力も魔力もないのに、誰より頑張ってくれたんだもん。……でもそれは、たぶんわたしのためなんかじゃなくって、ライリーのためだったんだろうけど~!」
ちょっとむくれた顔で、ルランゼが俺を睨む。かわいい。うちの嫁かわいい。
だが。
「……ええ……。そ、そこでそういう話になんのかい……?」
「いまでもライリー様のことが大好きですって言ってた。いらなくなったらもらうって。それまでにスーパーボディを育てるらしいよ」
「!?」
レン~~~~~~~~~っ!! おまえ何言ってんだバカッ!!
ルランゼの頭が、俺の肩に乗せられる。その重さは、手に入れた幸せの重さだ。
いい匂いがする。果実のような匂いだ。
俺は頬を寄せてルランゼの髪に口を埋めた。愛しくて齧り付きたいくらいだ。
「でもね、ライリー。あなたのことを一番愛しているのは、絶対にわたしだから」
「お、おう」
「きっとわたしより先に逝くあなたを看取るのは、わたしと──」
ルランゼが下腹部を手で押さえた。
「──いまはまだいない、わたしたちの子供だからね」
胸にその言葉が染みこんだ。
何だろうなあ。じんわりときて、涙腺を優しく押さえるように刺激してくるんだ。
「ああ、頼む。オムツ換えとかも頼む」
誤魔化すようにふざけた。
「うん、いいよ。ルナにできてわたしにできないわけないもんね。大丈夫、ちゃんと看ててあげるから」
「!?」
ルナ~~~~~~~~~っ!! おまえも何言ってくれてんだバカッ!!
「だからね、ライリー。今夜はみんな疲れて寝てるから、あ~……う~……、そ、の……ひ、久しぶりに一緒に寝室にいってくれたら嬉しいなって……。ほ、ほら、最近、みんないたから……」
頬を染めたルランゼが、瞳を潤ませて俺を見上げる。
ほう。ほほう。ほうほう。
そういうお誘いでしたか。くく、くくく。
「いこう! いますぐいこう! やるぞー! すんげえやるぞー!」
「あは……は……。お手柔らかにね? 見回りのヒトたちに聞こえちゃうとダメだから、あまり声出せないから、ね?」
「前向きに善処したい所存だが、しばらくご無沙汰だったから難しい」
「変なとこ正直過ぎるっ」
俺はルランゼの肩を抱いたまま立ち上がり、彼女を寝室へとエスコート──している最中に、見張りを頼んでいたウォルウォが駆け込んできた。
ドアがぶっ飛びそうな勢いで開かれる。
「ライリー! 小僧! 起きとるかあ!?」
甘ぁ~い雰囲気を、酒臭え野太い声でぶっ壊された俺は、怒りで充血した目でウォルウォを射殺すように睨みつける。
「なぁ~~~~~~~~~~~~~~~~んだよぅぅぅ~~~~~? いまからよぉ~~~~、俺はルランゼとお楽しみ──」
「やかましい! あとにしろ!」
ウォルウォが武装している。巨大な戦斧を片手に持っているんだ。
俺は一瞬で正気に戻った。
「何があった!?」
「ザルトラム王国の王が手勢を率いて魔力嵐を抜けてきておる! オルネの民を人質に取られたらしい!」
「あ……?」
ガイザスの野郎、何をやってやがる!
オルネの民は、先日まで自国の民だったやつらじゃねえかよ!
「四の五の言わずにとにかく剣を持ってすぐにこい! 儂は先に向かっておる!」
ウォルウォが走り去っていく。
俺はルランゼと目を見合わせると、キスだけを交わしてサクヤの剣を手に取った。
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