第37話 ゴブリンさんは魔物使い
前回までのあらすじ!
空気読んでコボルトさん。
びゅうと強い風が吹いていた。
山岳地帯の崖の縁から遙か眼下を見下ろせば、地形をうねりながら縫って流れるセノリア川沿いに大穴が見えた。
「……」
「こりゃあ……」
建造物じゃあない。ぽっかりと大口を空けた、地下へと続く大穴なんだ。それもウォルウォの領地であるクク村をすっぽり呑み込むほどの広さだ。
その外周には底へと伸びる階段がつけられており、大穴の周辺には監守らしき見張りの魔族が数十歩間隔で大量に配置されている。上空にはハルピア族が哨戒していて、セノリア川の船着き場には監守らの駐屯所があった。
大穴の周囲に遮蔽物はない。見晴らしが良すぎる。
「何て造りだ」
「ええ。内部からの脱走に成功した例はありませんが、外部からの侵入に成功した例も未だかつてありません。正確には、侵入して戻ってこられた例がないということです」
無防備に近づけばあっという間にハルピア族に発見され、ありとあらゆるところから監守が現れるだろう。そうなりゃ逃げることはできても、二度と侵入には成功しそうにない。
「地下は? 監獄なら水路が通してあるはずだが」
上水と下水の両方があるはずだ。
「わかりません。ただ、侵入者は誰もがそれを考えるでしょうね」
「そして監守も当然そう考える、か」
「ええ。自由にルートを確保できない分、監守たちに分があります。地上より危険です」
地の利はあちら側だ。迷宮のように張り巡らされていたら、忍び込んだ者を袋小路に追い込むことは簡単だろう。
かといって正面突破ができるとも思えない。大穴の周囲の監守自体は七十体程度だが、穴から何体出てくるかまでは想像できない。
甘く見ていた。
てっきり俺は、魔都ルインの近郊に存在していると思っていたんだ。ならば建物に身を隠しながら近づき、忍び込むこともできるだろう、と。
見渡す限りの平原。魔物こそうろついているが、魔都ルインの影も形もない。いや、遠方にうっすらそれらしき場所が見えてはいるが、いくらなんでも離れすぎだ。
「参ったな……」
「あきらめますか?」
「冗談。ここまできて。長期戦で一晩に少しずつ監守を暗殺してでも――」
「無理ですね。監守が減ればルインから新たな監守が派遣されるでしょう」
「だよな」
夜ならば空の哨戒は防げる。ハルピア族は鳥目だ。夜間は飛べないし、飛んでても人畜無害だ。
つっても、空からどうこうできそうなのは炎竜だけだ。それも、騎竜として使えそうな前世火竜の体格に育つまでには、最低でも一年かかる。そんなに待ってたら、魔王軍の侵攻で人類は滅亡だ。そもそもあの放蕩竜は帰ってきやしねえ。
「仕方ねえ。深夜帯に俺一人で正面突破する。ナマクラでもいいから剣だけどこかで調達してえところだが……」
どっかに古戦場でもありゃいいんだが、当然、両種族の領域ともに、王都や魔都に近づくほどにそういった場所は少なくなる。
「正気ですか?」
「正気だよ。俺はいつも正気。朝から晩まで正気」
「でもいまのライリー様は焦りすぎで、狂気に冒されているように見えます」
ナチュラルに抉ってくるな、こいつ。
「だって他に方法ないでしょうよ。待ってたって状況は悪化するだけだろうし。偶然、何か事件みたいなことが起こればいんだが、そう都合良くはいかねえよ」
王都ザレスが陥落したら、人類は終わりだ。それまでに平和主義の魔王に止めてもらわなきゃな。
「……! いけるかも……」
「いや、レンは待ってろ。これだけは譲らん」
「そうじゃありません。方法を思いつきました。事件を起こしましょう」
「魔都ルインで派手に犯罪行為でもするの? 嫌だよ、俺。前科増えちゃうだろ」
そうすりゃさすがに援軍は断たれるし、うまくいけばルーグデンス監獄の監守も、魔都に向かわせられるかもしれない。監守どもが軍属だったら、だけど。
「違いますよ。そんなことしたらフェンリル様を敵に回してしまいます。魔物です。魔物の群れを使いましょう。ルーグデンス監獄に魔物の群れを解き放つんです」
おお?
「魔物? レンが説得するのか?」
その発想はまったくなかった。さすがは魔物使い候補だ。
「いえ、できません。話せますが、こうしろああしろと私が命令したところで、彼らは自身より弱者には決して従ったりはしませんから」
ぴーんときた。
「あ。ぶっ飛ばすのは俺か」
「そうです。ライリー様が魔物を調伏して、私が命じるのです。彼らは弱肉強食、逃がさなければ必ず従えることができます。ライリー様、あなたが群れのボスになるんです」
「なるほど。だが、都合良く魔物の群れがあるかね」
レンが自信満々にうなずいた。
「この山岳地帯、ルーグデンス山脈の奥地には、サーベルタイガーの巨大な群れがあります。数十年に一度は山を下りてきてルインから家畜を攫ったり、餌となる魔物や動物が少ない乾期には、運が悪いと魔族も襲われることがあるそうです。ルーグデンス監獄の監守も、過去何人かはお腹のあたりを喰い破られた姿で発見されていたことがあります」
「お、おお……」
グロいよぅ。
にしてもだ。
サーベルタイガーっつったら、おっそろしい速さで距離を詰めてきて、凄まじい長さの牙で一瞬にして首筋を噛み切る、相当危険な四足の魔物だ。
たった一人の人間を餌とするために、たった一体のサーベルタイガーが人類の三十から六十規模の小隊を壊滅させ、やはりたった一人だけをその場で貪り食らい、多くの屍を残したまま姿を消したという逸話もある。
意外なことに、やつらに特殊能力はない。魔力がないから火も噴かなければ、翼がないから空を飛ぶことだってできないんだ。
ただ。
ただ、走る速さは人狼族ですら追いつけない。
それどころか、地上に生きるありとあらゆる動物、魔物、魔族、人間族の中で、最も速く走れる脚を持っている。おまけに長い牙は、死して数十年が経過してなお、剣ですら断ち斬れないほどに頑丈だ。鍛冶屋や武器屋に持ち込めば、馬三頭分ほどの値段で買い取ってくれる。
滅多なことでは遭遇しないが、遭遇したら死を覚悟する魔物だ。やつらを狩るのは、空を駆け炎を噴くキマイラやマンティコアを狩ることよりも、よほど危険だとされている。
「あ~、群れってどれくらいの規模?」
「魔王軍が手を出したがらないくらいですから、おそらく五十体以上はいるかと」
「お、おお」
考えたくない……。
「もっとも、魔王軍に彼らが掃討できないというわけではないでしょう。ただこうして基本的には棲み分けができていますし、天変地異レベルの長い長い乾期でもこない限りは平原に下りてくることもありませんから、ルランゼ様はヘタに手を出して被害を大きくすることを恐れたのだと思います」
ルランゼェ……。
おまえがサーベルタイガーの害獣駆除をちゃんとしてこなかったせいで、俺、今日明日にでも死んじゃうかもだぁ……。
せめて俺に曾祖母サクヤくらいの剣技が備わっていりゃあなあ。曾祖母は手記こそ残してくれたが、その絶技に関しては一切記述していなかった。何でも異世界から召喚された際に自然に備わったチートとか何とかいう能力のおかげで、先代魔王ジルイールの魔術をも凌駕するほどの剣技を扱えたのだそうだ。
神様、ほんとにあんたがいるなら、俺にもくれよ。その便利な能力。あ、でも俺すでにもう、どすけべ能力ついちゃってるか。
俺はがっくりとうな垂れて、頭を抱えた。
「やりますか? 群れのボスを調伏できれば、あとは私が彼らと話します」
「あの、そもそもそれって、深夜のルーグデンス監獄に俺一人で特攻をぶちかますのと、どっちが危険かな?」
「………………」
止まっちゃったよ。ねえ、どっちが危険なの。レンさぁ~ん。
「監獄内の様子を見たことがありませんので、そこは何とも言えません。父ならば何か知っていたかもしれませんが、聞きに戻る時間はないでしょう」
「だよねぇ」
「ですが、討ち取るべきは群れのボス一体のみと考えれば、かなり有効な手段にはなり得ます。監守は全員が頭で考えますが、魔物の思考は単純明快、ボスがすべてです」
頭を抱えていた俺は、大きなため息をついて顔を上げた。
「しゃあねえ! 覚悟を決めて、いっちょやるかッ!!」
これもルランゼとイチャつくためだ!
ルランゼめぇぇぇ! 散々苦労ばっかさせやがって! おまえほんと、助け出したらもう、ただのイチャイチャだけで終われると思うなよ!
俺はそっと、ローブ下に隠したギリアグルスさん家のメイド服を掌で撫でるのだった。
ルランゼ「……!? いまゾワッとした。風邪かな?」
楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。
今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。




