第35話 ユニークは躊躇わない
前回までのあらすじ!
もうだめだ。
ああ、笑えねえ。笑えねえよ、この火娘は。
この世界には唯一無二って呼ばれるやつらがいる。
ユニークってのは、同一種族の存在しないやつのことだ。
俺は不死種のギリアグルス子爵もそうだったと思っている。この世界で何体か他に目撃されていた不死は、ギリアグルスの眷属に過ぎなかったと考えてるんだ。
現にここ数十年で不死種の目撃例はめっきりと減少した。それはギリアグルスの衰弱が始まってからのことだ。やつが眷属を減らし始めた時期とも符合する。だから信憑性は非常に高い。
全身を融解寸前の金属色に染めた女が、一歩、ご機嫌な笑顔で俺たちの方へと踏み出した。肉体のラインが綺麗に浮き出る挑発的なノースリーブを着ているが、不思議とそれらが燃えることはない。燃えたら見えるのに、燃えないんだもんなあ。
「ねえ、もういい? ライリー? 早くヤろうよぉ!?」
俺はコボルトとレンの身体を背中で押して、さらに後退を促した。
話を戻す。
精霊族ったって色々いる。光球のウィスプ、土塊のノーム、風精のシルフ、水乙女のウンディーネ、火蜥蜴のサラマンダー、小さき者のピグミー、闇のシェイド、怒りのフューリー、悲しみのバンシー、他にも様々だ。
そいつらは山ほど存在する人間族や魔族のようなものであると同時に、比較的危険度の低い現象生物でもある。
だが問題の火娘が名乗ったのは、イフリータだ。
それが本当なら、こいつは精霊王と呼ばれるこの世界にたった四体しか存在しない精霊族の王の一角ということになる。土の精霊王ベヒモス、風の精霊王ジン、水の精霊王クラーケン、そして、炎の精霊王イフリート。
本来ならばイフリートと呼ばれる男性型の火精であることが多いのだが、どうやら今代は女性型のイフリータらしい。代替わりなどがあるのか、性別に区別があるのかなど、謎の多いユニークではあるが、その危険度はオアシスを襲った竜に匹敵する。
そいつはいまや、ただのぽんこつ炎竜だが。
唯一無二のバケモノだ。竜と同じくして、底が見えなくて当然だったんだ。
「犬、レンを乗せてもっと下がってろ。急げ。……もっと! もっとだ!」
「くぅ~ん」
「で、ですがライリー様、あれは……」
どうやらレンもやつの正体には気づいたようだ。コボルトはすっかり尻尾を巻いて、股間のあたりを覆ってしまっている。
俺はさらにコボルトに叫ぶ。
「足りねえ! もっと下がれ! 行け!」
「ライリー様!」
レンが叫ぶ。
「わかってる。どのみち逃げられそうにねえ。俺がやられたらクク村に帰れ。イフリータの狙いはどうやら俺だけらしいから、見逃してくれんだろ。――いいよなァ?」
「いーよー? そっちのお嬢さんには興味ないしー? あたしは勇者さえ喰えればもう満足だからねェ! あと、あたしのことはリータでいいよ!」
犬とレンを庇いながらじゃあ、逃げ切る自信がない。
だがその選択肢ももうなくなった。
「どうっ? 覚悟決まったあ?」
「……しゃあねえだろ。俺が逃げたらおまえさん、犬とレンに手出すだろ?」
「かもねェ! でも、ちょ~っとノリ悪いなあ、ライリー。もっと楽しもうよぉ」
甘い声でリータが挑発する。
「あたしなんてもうワクワクして胸が張り裂けそうなのにさ! これじゃあ片思いみたいじゃん! アッハ!」
頑丈そうな魔物革のノースリーブ。編み上げ式の大きく開いた胸部を突き出して、リータが無邪気に炎色の歯を剥いた。
どうせ張り裂けるなら胸よりは服がいい。そしたら見えるのに。立派なものが。
「実際そうなんだよ。やりたかねえんだ」
「え? 何で?」
いや、そりゃこっちの台詞だ。何でそんなやりてえんだよ。狂戦士かよ。怖いよ。
俺は背中側の腰の鞘から聖なる包丁を抜いた。
「だって俺の武器、いまはこんなんしかないんだぜ? ちゃんとした剣がねえんだ。正々堂々ってわけにゃいかねえだろ。おまえ、自分が有利な立場で戦って満足できんの?」
俺は祈るような気持ちで、強者と正々堂々戦いたいと願っている彼女の心に訴えかけてみた。
少しだけ思案する素振りを見せたあと、リータがしゅんとした顔でつぶやく。
「あー……。……んー……たしかに……。全力同士じゃないと楽しめないよね」
「だっろー!! やめとこうぜ? また今度ウッキウキで相手してやるからさ?」
ルランゼを助けたあとに、正々堂々と二人がかりでボッコボコになァ!
フゥーハハハハハハハ!
「でもま、試してから考えよっと」
「あ?」
揺れた。炎が揺れたんだ。陽炎のように。いや、実際に周囲が陽炎に覆われた。彼女の一挙一動を見逃すまいとしていた視界が歪む。
次の瞬間――。
俺は包丁に魔力を通して振り返り、その輝く刃で彼女の拳を受け止めていた。
「ぎ――ッ!?」
速ええぇぇぇぇ!
足が地面から浮き上がって水平方向にぶっ飛ばされる。数十歩分の距離を飛ばされてから、俺は足で河原の石を掻いてどうにか止まった。
「何だァ、剣なんてなくたって結構やれんじゃ~んっ」
唇が耳たぶに触れそうなほどに近い距離で聞こえた声。ぞわっと首筋が粟立つ。
「待――」
「そういうの見ちゃうともう我慢できないんだぁっ!!」
今度は足だ。短くタイトなスカートから伸びた炎色の足が、俺の脇腹を薙ぎ払う。
とっさに滑り込ませた包丁の刃で直撃は防ぐも、またしても俺は河原を吹っ飛ばされ、かろうじて地面を掻いて体勢を立て直した。
ハッ、ハッ、ハッ……!
冷たい汗が全身から噴出したのはそれからだ。
包丁で受け損なってたら、たぶん生涯をともにすると固く誓った下半身は、もう旅立っていたはずだ。
「ちゃんと反応できてんだねェ! やっぱ勇者も唯一無二だっ! 一緒一緒ぉ~!」
一緒にすんなバケモノ娘!
「…………こ、光栄、だね……」
「さっすがぁ! 軽口叩くだけの余裕もあるっ。アッハ! やぁっぱいいねェ! 勇者って!」
「……いまのナシ――でぇぇ!?」
今度は正面から。意表を衝かれた。また虚を衝いてくるとばかり構えていたから。
鼻先まで炎色の拳が迫ってからかろうじて反応し、俺は全身を反らせる。鼻先が焦げた。見上げた空が、リータの胸でいっぱいになった。
「もう人間超えちゃってるよねェ?」
反射的に包丁で斬り上げると、リータは一瞬早く身体を横方向に回転させて回避し、炎色の軌跡を残しながら軽やかに距離を取った。
身を反り返らせていた俺は、痛む腰を無視して強引に上半身を持ち上げて体勢を戻した。
「こ、こんにゃろ。殺られたかと思っただろうが」
「あれで殺れないあたり、やっぱライリーって最高! あたしの目に狂いはなかったよっ!」
「く、の小娘……っ」
いや、無理だ。オアシスで竜に襲われたときと同じ感覚だ。あのときは聖剣さえ取ってこられれば何とかできると思ったが、その聖剣すらもうねえんだわ。
無理だ。無理無理。うん、無理だぁ~。手に余りまくるわ。
いまごろになって、ブッと鼻血が噴出した。さっき掠られたからな。くそ、これで一層不利になった。流れ出る血液のせいで、呼吸がうまくできない。
片鼻を指で押さえて、もう片方の鼻から溜まった血を排出する。
そして視線をリータに戻すと、どういうわけかリータは全身の炎色――炎の装束とでも呼ぶか、それを解いて胸を両手で押さえていた。
いや、一箇所だけ解いていない。顔だ。顔面だけ火だるまのままだ。
よく見りゃ赤面だな、あれ。さては俺のダンディズムに本当に惚れちまったか。
それまで非常に饒舌で好戦的だったリータが、不思議と黙っている。次の攻撃に移る挙動をまったく見せない。
怪訝に思った俺は、リータに一歩、すり足で近づいてみた。
リータが一歩、すり足で後退する。
なるほどなるほど。くっくっく。
「ははぁ~ん」
「う……えへ、えっへっへ……」
魔物革のノースリーブの中央。編み上げ式の紐が切れて垂れちまってるんだ。解けてる。包丁とはいえ、元は聖剣。炎の装束の魔力コーティングを斬り裂けていたようだ。つまり、リータが胸で交差している両手を放せば、ペロ~ンとなるってことだ。
刃先が紐に掠ったのは偶然だが、偶然でも何でも、この機会は見逃せない。
人類のォ! 代表ォ! 男のォ! 代表ォ! そしてェ、勇者としてェ~!
俺は意図的に不気味な笑みを浮かべながら、ワチャワチャと指先を動かしてまた一歩、彼女に詰め寄る。
「散々ヤってくれたねェ、リータちゃん?」
「やっぱ今日はやめとこうよ、ライリー。待ったげる。あんたが剣を手に入れて全力で殺り合えるようになってから、またあらためて。ほら、鼻血も出っぱなしだし、大丈夫かなって――」
「これはねェ、興奮しているからだよォ?」
もちろん嘘だ。嘘だが、リータの表情は引き攣った。
考える暇は与えねえ。あいつの脳みそがパニクってるいましかチャンスはねえ。
俺は構わず猛ダッシュを決めてやった。
「おらららららぁぁぁ~~~~~~~~~~ン!」
「う、うわっ」
リータが大慌てで後退しようとして、河原の石に踵を引っかける。
「あっ!?」
いまだ――!
俺は包丁を収めて、リータの胸を押さえている両手をつかみ、強引に引き剥がそうとした。もちろん無力化のために仕方なくだ。ペロ~ンしてしまえば、こいつはきっと動けなくなるはずだからな。うん、仕方ねえ。
「わ、わーっ! 待って! やめろコラ、おっさん! この――ッ」
リータが再び炎の装束を纏う。だが、俺の両手はすでに魔力でコーティングしている。全力ガードだ。炎なんざ通すかよ。
「くかかっ、無駄無駄無駄の無駄だだだだ……だ? だぁ~ッ熱! 何ッ、あっつ、あっっつぇ~~~~~~~~~~いっ!!」
ざっけんなッ!! 高熱すぎてほとんど防げんわッ!!
魔力を貫通して襲いくる恐ろしい高熱に、俺は思わずリータの両腕をつかんだまま彼女を持ち上げて、急流大河のセノリア川へと思いっきりぶん投げてしまっていた。
「あ」
「わああああっ、炎縫状態で水は……ッ!!」
ばしゃん、と派手な水飛沫を上げて、リータが炎色のまま川に落ちた。その直後、大河の中腹あたりが泡立ち、凄まじい水蒸気爆発を引き起こす。
「うおあっ!?」
大地が揺れて、空間が軋んだ。轟音が耳をつんざき、肉体が感覚を閉ざす。さらには爆風に煽られてレンがコボルトから河原に落ちるのが見えた。
あとに残るは雨のように降り注ぐ水だけだ。
「し、しまった。やりすぎちまったか」
敵とはいえ、見かけは少女。一瞬、殺してしまったかとヒヤリとしたが、どうやら体熱を一瞬ですべて失っただけのようだ。
リータはまだ胸を両手で庇ったまま川から頭部だけを出し、叫びながら急流に押し流されていった。
「ライリーのバカァ! どすけべ! ヘンタイ勇者!」
「おー。そうだぞ。もう二度と会わねえと思うけど元気でなぁ~」
俺は安堵をおぼえつつ、にこやかに手を振って彼女を見送る。
ところが火娘ときたら。
「アッハ! そんなこと言わずにさァ、また殺り合おうね~っ! 絶対、絶対だよぉっ!? 約束だから、逢いに行くからずっと待っててねぇ~~~~…………」
「……深海まで流されろ……金輪際ごめんだわ……」
ようやく肩肘から張りを抜いて、俺はため息をつく。そして安心させるため、コボルトとレンを振り返って、爽やかな決め顔で親指をビッと立てた。鼻血は止まってねえけどな。
コボルトの横でレンが、ぽつりとつぶやく。
「……さいてーだ……」
実は前線都市に続いて二度目なんだぜ、などと冗談めかして言えない雰囲気に、俺はしょんぼりと肩を落とすのだった。
おまわりさぁぁ~~~ん!! 早く! またあいつです!
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今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。




