最終話『花籠のお母さん』
夕方。
リリアーナは庭の花畑の前に立っていた。アイリスを抱いて。
今日は誰にも「五分だけ」と言わなかった。ダリアが隣にいるから。カミリアが帰ってきたから。マギーが護符を握って控えているから。カレンが台所で夕飯を温めているから。
一人ではないから、時間を気にしなくていい。
花畑を見る。
百合。ダリア。椿。マーガレット。そして——小さなアイリスの苗。
植えてから数日が経った。苗はまだ小さい。花は咲いていない。でも葉が一枚増えた。確実に育っている。
五つの花。四つの季節。
春が来れば、マーガレットが咲く。夏が来れば、アイリスが咲く。秋が来れば、ダリアが咲く。冬が来れば、椿が咲く。百合はいつでも咲いている。母はいつでも、ここにいる。
アイリスが腕の中で、花畑に手を伸ばした。淡い魔力が指先から漏れて、花に触れた。花弁がかすかに光った。虹色の、優しい光。
もう驚かない。これがアイリスの力だ。触れて、応えて、繋がる力。壊すための力ではない。
——万象の魔女。
世間の人はリリアーナをそう呼ぶ。万象の魔女。マーテル・オムニア。あらゆる魔法を統べる者。世界最強の魔導師。
大袈裟な名前だ。大袈裟すぎる。
この手は確かに、万象の魔法を使える。フェニックスを消せる。グリフォンを鎮められる。国を守ることも、大陸を揺るがすこともできるらしい。
でも——この手がしてきたことは、もっと小さなことだ。
ダリアの髪を撫でた。カミリアの膝枕をした。マギーの頭を撫でた。カレンにお茶を渡した。アイリスを抱き上げた。
全員の好物を覚えた。全員の花に水をやった。全員のベッドを覗きに行った。
自分のご飯を忘れた。
万象の魔法なんて一度も使わなかった。子育てに万象の魔法は必要なかった。必要だったのは、この手と、この腕と、この膝と、それから——忘れっぽいこの頭だけだった。
リリアーナは笑った。
万象の魔女。結構だ。
でも——私にとって、そんな名前は二の次だ。
私はただのお母さん。
ご飯を忘れて、娘に怒られて。研究に没頭しすぎて、鍵をかけられて。買い物に行けば護衛がついてきて。聖典を書かれて、膝を取り合いされて。赤ん坊が泣くたびに魔獣を片付けて。
大変。本当に大変。毎日が戦場みたいだ。ダリアの計画書がなければ生活が回らない。カミリアに「ママ、ご飯」と言われなければ食べない。マギーの護符がなければ夜中に起きっぱなしだ。カレンの作り置きがなければ、たぶん干からびている。
一人では何もできない。
一人では何もできない母だ。
でも——
この子たちの笑顔を見ると、全部どうでもよくなる。
ダリアが駐屯地から帰ってきて「ただいま」と言う。その声を聞くだけで、嬉しい。
カミリアが膝に倒れ込んできて「なでなで」と言う。その重さを感じるだけで、幸せだ。
マギーが「御母上様」と呼ぶ。最近は時々「お母さん」と呼ぶ。どちらも、胸が温かくなる。
カレンが「しょうがない」と言いながら台所に立つ。その背中を見るだけで、安心する。
アイリスが腕の中で笑う。召喚獣が出ようと出まいと、その笑顔だけで——世界が完結する。
「……ここにいるわよ」
花畑に向かって呟いた。花に。娘たちに。この家に。
「どこにも行かない。ずっと、ここにいるわ」
二十年前は一人だった。天井に向かって手を伸ばした夜があった。
今は違う。
手を伸ばせば、誰かが握ってくれる。手を差し出せば、誰かが受け取ってくれる。伸ばすだけじゃなくて、差し出してもらうことも覚えた。
アイリスが腕の中で、ふあっとあくびをした。
眠いらしい。光の玉が一つ、ぽうっと浮かんだ。
「還りなさい、小さな光」
囁いた。子守唄のように。光が消えた。
背後から声がした。
「お母様。夕飯ですよ」
「ママ、早くー。お腹空いたー」
「御母上様。カレン姉さまのシチューです」
「リリィ、冷める前に来てください」
四つの声。
リリアーナは振り返った。
玄関に、四人が立っていた。
ダリアが腕を組んでいる。カミリアが手を振っている。マギーがエプロンをつけている。カレンがお玉を持っている。
全員が、リリアーナを待っている。
花畑の花が、夕日に照らされて揺れている。五つの花。四つの季節。
リリアーナはアイリスを抱いて、歩き出した。花畑から。玄関に向かって。
「はーい。今行くわ」
一歩。二歩。三歩。
——この家は、花でいっぱいだ。
うるさくて、騒がしくて、カオスで。めんどくさい娘が三人と、泣いたら魔獣が出る赤ん坊が一人と、しょうがないが口癖の友人が一人。
でも——温かい。
世界で一番、温かい場所だ。
「ご飯にしましょうか」
玄関に着いた。四人が道をあける。リリアーナが中に入る。アイリスを抱いたまま。
「「「はーい」」」
三つの声が揃った。カレンだけは「はい」とは言わず、ため息をついた。でも口元は笑っていた。
アイリスが目を覚ました。にこっと笑った。
居間の隅に、光の玉がぽうっと一つ浮かんだ。
マギーが指先で消した。ぽふっ。
「……あ。私の分のお皿がない。また忘れちゃった」
四つのため息が、同時に聞こえた。
——花籠の館の夕暮れは、今日も騒がしい。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました!
『万象の魔女、子育て奮闘中!~娘は全員マザコン、4人目は召喚獣付き~』は、これにて完結となります。
最強の魔女でありながら、どこか放っておけない母親でもあるリリアーナ。
そんな彼女を大好きすぎる娘たちと、少しずつ家族になっていくアイリスたちの日々を最後まで見守って頂けた事をとても嬉しく思います。
この物語は派手な戦いよりも、
「帰る場所があること」
「誰かを大切に思うこと」
「家族になっていく時間」
を大事にして書きました。
リリアーナたちの騒がしくて、あたたかい日々が少しでも皆さまの癒やしになっていれば幸いです。
完結までお付き合い頂きありがとうございました。
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また別の物語でもお会いできましたら嬉しいです。
本当にありがとうございました(_ _)




