第17話 友達以上 恋人未満、って誰が決めた
十一月の放課後、校門の外の銀杏が、誰かのくしゃみを待っているみたいに黄色かった。芽依はマフラーの端を指でねじりながら、凜太郎の歩幅に合わせて歩く。文化祭が終わってから、二人はよく一緒に帰る。誰に頼まれたわけでもないのに、帰り道が重なる。
駅前の喫茶店のガラス戸を押すと、コーヒーと甘い焼き菓子の匂いが、制服の隙間にすっと入り込んだ。凜太郎はいつも通り、窓際の二人席を選ぶ。椅子を引く音を小さくして、芽依のほうの席を先に引いた。
「ありがとう」
芽依は座りながら言って、目線を落とす。落とした視線の先で、凜太郎の手がメニューを整えている。角が揃うと、なんだか自分の呼吸まで整う気がする。
注文が来るまでの間、凜太郎はペンケースから赤ペンを取り出し、芽依のノートの端に付箋を一枚貼った。貼る場所を、きちんと定規で測ったみたいに迷わない。
「今日、ここ」
「え、もう弱点分かってるの?」
「前回、ここで止まった」
芽依は「見られてた」と言いかけて、代わりにページをめくった。テストの範囲表が挟まっている。自分で挟んだのに、挟んだことを忘れていた。
「……私、ほんと、白いところ多い」
「空いてるなら、埋められる」
さらっと言われると、胸の奥が熱くなる。芽依は思わずストローの包み紙を指で裂いてしまい、細い紙が机の上に飛んだ。
「ごめん。散らかした」
言い訳を飲み込んで先に言うと、凜太郎は紙切れを指先でつまみ、灰皿の横の小さな紙袋に入れた。
「今のは、俺が片づける分」
芽依は「じゃあ次は私」と言いかけて、また喉の奥で言葉が止まった。次。次は、片づけじゃなくて――。
コーヒーが届いた。芽依のカップには、砂糖が二本添えられている。自分で頼むときは、いつも一本しか出さないのに。
「二本?」
芽依が聞くと、凜太郎はカップの縁を指で軽くなぞった。
「今日は、眠そうだった」
「見破られてる……」
芽依が笑うと、凜太郎も、ほんの少しだけ口元をゆるめた。笑いの形が短くて、見逃しそうになる。見逃したくなくて、芽依はまた視線を落とした。はにかんでいるのを、ばれたくない。
そのとき、店のベルが鳴って、菜稀と拳悟が入ってきた。菜稀は芽依を見つけるなり、まっすぐこちらへ歩いてくる。拳悟は背中を丸め、あとからゆっくりついてくる。
「おー、ここにいた。二人、最近いつも一緒じゃん」
「たまたま」
芽依が反射で返すと、菜稀は机に両手をついて顔を近づけた。
「それ、友達以上 恋人未満ってやつ?」
言い方が、部誌の帯みたいに短くて、妙に刺さる。
芽依は「違う」と言い切れなかった。喉の奥で、紙が詰まったみたいになる。視線が落ちる。落ちた先で、凜太郎の指が赤ペンを一本転がして止めている。
拳悟が、空いている椅子を引きながら笑った。
「ラベル貼るの好きだよな、菜稀。机の引き出しも全部『芽依の』って書いてそう」
「書いてないし。……でも芽依、弁当箱、よく迷子になるからな」
「迷子って言わないで」
芽依が抗議すると、菜稀は「ほら、こういうの」と指を鳴らした。
「二人の距離、近いのに、言葉だけ置いてけぼり」
凜太郎が、菜稀の指先を見たまま、短く言った。
「急がない」
それだけで会話が終わりそうだったのに、凜太郎は続けて、ほんの少しだけ息を吐いた。
「……急がせるの、嫌だから」
芽依は顔が熱くなって、カップを両手で包んだ。熱い。けれど、この熱さがなかったら、今の言葉が胸のどこに落ちたか分からなくなる気がする。
菜稀は一瞬、黙った。からかう顔をやめて、まばたきを一回した。すぐにいつもの勢いに戻って、拳悟の肩を叩く。
「よし、判定は保留! 拳悟、あんたは課題やった?」
「やったよ、たぶん。……たぶん」
「たぶん禁止」
菜稀が言い切ると、拳悟は「はいはい」と笑って、ノートを開いた。開いたページが白い。芽依は思わず目を見張る。
「拳悟、白い」
「白いのは、可能性だよ」
「そういうこと言ってるから、いつも『あとで』になるんだよ」
菜稀が突っ込むと、拳悟はしゅんとしたふりをして、消しゴムを握りつぶすように握った。
四人になって、机の上が賑やかになる。けれど芽依は、凜太郎の言葉だけが、耳の奥で残っていた。
(急がない。急がせるの、嫌)
優しいのに、少しだけ寂しい音がする。凜太郎の笑いが、短い理由が分かった気がして、胸がきゅっと縮む。
勉強が一段落したころ、芽依はレシートを見て立ち上がった。
「今日は、私も払う。文化祭のとき、凜太郎ばっかりだったし」
凜太郎が言いかけた「いい」を、芽依は目で止めた。言い訳を先に潰すみたいに。
「……私の番」
凜太郎は一拍置いて、頷いた。頷き方が、いつもより少しだけゆっくりだった。
店を出ると、空気が冷たくて、息が白くなる。菜稀は先に走って、駅の改札の前で振り返った。
「じゃ、私たち先! 芽依、明日もちゃんと来いよ!」
「明日って、何」
「補習みたいな顔しない!」
菜稀は笑いながら手を振り、拳悟も「明日、俺も白紙埋めるから」と適当な宣言を残して消えた。
二人きりになると、周りの音が少し遠くなる。改札の前の広告が、今日も同じ顔で光っているのに、芽依だけが落ち着かない。
凜太郎が、切符売り場の前で立ち止まった。
「明日、時間ある?」
短い質問。けれど芽依の胸は跳ねる。返事をする前に、“明日言う”が喉まで上がってくる。
芽依は、マフラーの端を指でねじるのをやめた。ねじる代わりに、両手を下ろして握りしめる。逃げる動きじゃなくて、立つための動きにしたい。
「ある」
「……じゃあ、校舎裏。ベンチ」
凜太郎は言って、すぐに目線を逸らした。逸らしたのに、耳が少し赤い。芽依はその赤さを見て、笑いそうになって、笑うのを飲み込んだ。
「うん。行く」
芽依は頷いた。頷きながら、胸の中で言葉を並べる。明日じゃなくて、明日“言う”んじゃなくて、明日“言うために行く”。
凜太郎が改札を通る。芽依も続く。二人の間に、切符の磁気音が一回鳴っただけなのに、何かが決まった気がした。
ホームに立つと、電車のライトが近づいてくる。芽依は凜太郎の横顔を見て、視線を落とさなかった。
(友達以上 恋人未満、って)
誰が決めたのか、知らない。でも、明日、自分で決めたい。
電車が止まり、ドアが開く。
芽依は乗り込む前に、凜太郎の袖を小さくつまんだ。
「……明日、逃げない」
それだけ言って、手を離した。
凜太郎は驚いたように瞬きをして、それから短く頷いた。笑いが短いままでも、さっきより少しだけ温かかった。




