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【テュテュリン】
「おふたりには本当にお世話になりました。どれだけ感謝しても足りません」
心からの言葉を並べるだんなさんの横で、車いすに座った奥さんがほほえんでいる。セレンツ山が噴火した日に兄さんとわたしとで助けたひと=ヨゼフィーネ・ルフトさんだ。
・・・・・・兄さん、怒ってるよね。
今はなにも言わないけれど、ふたりきりになったらきっと叱られる。でも、わたしは後悔してないよ。
「おまえたちもこっちに来てお礼を言いなさい」
お父さんに呼ばれて船を近くでながめていた子供たちが走って来た。あの時、駄々をこねていたのがお兄ちゃんのハーラノアくんで、泣きじゃくっていたのが弟のトーニノイくん。双子だからふたりとも4歳だ。
「お船はどうだった?」
たずねると目を輝かせたハーラノアくんが息をはずませる。
「おっきい!」
トーニノイくんはもっと大きな声で
「おっきい!!」
双子でもお兄ちゃんに負けたくないみたいだね。
正午の船で、ルフトさん一家はフォート・マリオッシュをでて行く。お天気はいいし、海は静かだし、船出には最高の日だ。
あれから2週間。重症を負ったヨゼフィーネさんのケガはまだ治ってはいない。それでも1日もはやく島から避難したいんだって。
最初の噴火があってすぐに避難したひとはそれほど多くはなかった。「要塞の島だし危険は覚悟の上なんじゃないか」と兄さんは言っていた。
けれども、小さな噴火を繰り返すセレンツ山を見て不安にならないはずはない。船がでる度にマリオッシュの人口は減っていった。
「バイバーイ!」
「おにいちゃん、おねえちゃん、ありがとう!」
身体中で手を振る子供たちを乗せた船が遠ざかって行く。
「おまえ、使ったろ?」
きた! こういうときは最初にあやまっといた方がいい。
悪いことしたわけでもないのにあやまるのはちょっとしゃくだけど、兄さんを怒らせたらめんどくさい。うんと反省してますって顔でしおらしい声を絞りだす。
「・・・・・・ごめんなさい」
兄さんは冷めたいふりしてるけど、本当は涙もろくて情に流されやすいひとなんだ。この手はかなり有効なはず。
「治癒を使ったんだな」
わたしはうなずいた。
「あの子たちが、お母さんと手をつないで歩くことができなくなるのはかわいそうだから」
「おまえは甘いんだよ。貴重な力を赤の他人に使ったりして」
声は、怒ってない。兄さんだって本当は、あの子たちに悲しい思いをさせたくなかったんじゃないかな。
わたしの能力=模造品は、特殊能力者本人から能力の説明を聞いて理解することで、その特殊能力を自分のものにできる。
でも、しょせんイミテーションだから一度しか使えない。そして、同じひとの同じヴァイオスをもう一度模造することはできない。
ヒーリングはとても貴重な能力だ。使いたいと思うことはしょっちゅうなのに、持っているひとはめったにいない。兄さんがだし惜しみしたい気持ちもわかる。
だから、兄さんには内緒でこっそりお母さんのけがを治しておいたんだ。腰の骨を折ったときに切れてしまった神経をつないでね。骨折まで治すことはできなかった。
わたしが模造したヒーリングにそこまでの力はなかったから。それでも神経さえ無事ならそのうち歩けるようになるはずだ。
ん? 頭の上になにかが。港には海鳥がたくさんいるから気にはなっていたんだよね。
「兄さん・・・・・・」
助けを求めると、兄さんはバックパックからタオルと水筒を取りだした。
兄さんが背負っているバックパックはいつもパンパンだ。ばんそうこうや胃薬、シミ取り剤や虫よけ・・・・・・ ありとあらゆるトラブル対策グッズが入っている。全部わたしのためだ。
きっちりした性格の兄さんは、ぬらしたタオルで鳥のフンが付いた髪を1本1本ていねいにふいてくれる。すっごくありがたいんだけれど、正直ちょっとめんどくさい。
「そこまで完璧にきれいにしてくれなくてもだいじょうぶ」と言ったところで、兄さんは途中でやめたりしないから、やらせておくしかない。どれだけ時間がかかっても・・・
一家を見送ったわたしたちはマリオッシュでいちばんの繁華街を歩いている。
つい2週間前まではにぎやかだった街中も、今はシャッターを下ろしたままの店が目立つ。行き交うひとも減っている。多くの島民が島からでて行ったのだから仕方ないけど。
軍人だけはみんな残っている。我がアビュースタ軍の守りの要であるマリオッシュを、簡単に放りだすことはできないんだって。
さっき船を見送ったひとたちの中にも軍人がたくさんいた。家族を安全なところへ送りだしたんだ。残る方もでて行く方もさびしそうだったな。
裏通りに入ってしばらく歩いたところで立ち止まる。
そこにあるのはまだ新しい一軒の家。兄さんがだんなさんから預かったカギでドアを開ける。今日からここがわたしたちの住処だ。
今朝まで住んでいた一家はついさっき島からでて行った。いつになったら戻って来れるかわからないし、もしかするとそんな日が来ることはないのかもしれない。
住むところを探していたわたしたちに、貸してもらえることになったのはラッキーだった。ドアは右開き、壁の色は白、キッチンの高さは120セタで兄さんも文句なし!
しかもタダで。ヨゼフィーネさんと子供たちを助けてくれたお礼にって。こんなステキな家、願ってもないごほうびだよ。
家に残っている物=家具とか電化製品は好きに使っていいと言ってくれた。ほんと大助かり。
想像もしなかったセレンツ山の噴火で遅れてしまったけれど、住むところも決まったしここでの生活にも慣れて来た。わたしたちは目的に向かって動きだすことにした。
兄さんは情報を集めてまわっている。わたしは、アルバイトをはじめることにした。
と言っても、やとわれてはいないんだよね。お店のひとがみんな避難して、閉まったままになっている店を勝手に再開しちゃおうって言うんだから。
いけないことなのはわかっているけど、どうしてもこのお店でなくちゃならないわけがある。
お店の名前は“ママン・マニ”。たくさんの島に支店を出しているチョコレートのお菓子で有名なお店だ。
ここで働いていたひとたちはあわてて避難したみたい。ショーケースに並んだチョコレートや、棚に飾られた焼き菓子はそのまま残されている。
でも、お菓子をつくる職人さんがいないから補充はない。全部売れたらお店はおしまい。それまでに来てくれるといいんだけど・・・・・・
実は、兄さんには猛反対された。
「人見知りのおまえに店なんかできるもんか。だいいち、俺は一緒にいてやれないんだぞ」
ってね。当然だよね。そう思わせてきたのはわたしなんだから。
「やろうとしなきゃずっとできないままだよ。それにわたしたちの目的のためには必要なことなんだから」
必死の説得にも兄さんは、首をたてに振ってくれなかった。納得しないというより心配で仕方ないって感じかな。
いつも兄さんが背負っているバックパックを持っていく、ということでなんとか許してもらった。
アルバイトをはじめて3日目の午後、そのひとはやって来た。思ったよりずっとはやい再会に、わたしの心臓は胸から飛びだしそうなくらいとびはねてるんだけど。
銀色のロングヘアはどうしたらそうなれるのか教えてほしいぐらいサラサラで、不思議な感じのする青緑の瞳は、世界中のどんな宝石よりもきれいだって断言できる。
キュートではかなげな天使みたいな男の子。見まちがいようがない。ルシオンくんだ! 5月が誕生日のはずだから11歳になってる。
ルシオンくんはわたしの知らない女の子に手を引かれて店に入って来た。
別にヤキモチを焼いたりはしないよ。だってその女の子はオムツがとれたばっかりって感じのおチビさんなんだもん。
くるっくるのくせっ毛はひよこみたいに黄色くて、薄いヴァイオレットの瞳をしてる。
先に店に入った女の子は後から入って来たルシオンくんを振り返った。
「ね?」
「ほんとだ。あいてる」
ルシオンくんは店内に並んだお菓子をながめてくちびるをなめた。“ママン・マニ”で待っていれば向こうから来てくれる。わたしの予想通りだったでしょ。
ユーシスが甘いもの好きなのは有名だったから。
ああ、ユーシス! ユーシス・ロイエリング!!
2か月ぶりの再会だもん。なつかしさで胸がいっぱいだよ。
ユーシスは、ソアレス9で通っていた学校のクラスメイトだ。そして、シャルロットの想い人だった。
同級生のユーシスが、実はわたしたちより6歳も年下の子供だって知ったときには本当に驚いた。
シャルロットもユーシス=ルシオンくんだとわかったときには、ショックを受けていたし悩んでもいた。
今となっては、シャルロットが自分の気持ちにどう決着を付けたのかはわからない。
でも、ユーシスがルシオンくんであっても、好きという気持ちは変わらなかったことだけは確かだ。
あの頃は楽しかったなあ。ちょっとしたことで盛り上がって、ちょっとしたことで笑い合って・・・・・・
あの時間が永遠に続かないことはわかっていたけれど、あんな風に唐突に断ち切られてしまうなんて。
いくら悲しんでも、後悔してもあのときには戻れない。わたしたちは前に進むしかないんだ。それでも今だけは、、再会を喜んだって、いいよね。
「いらっしゃいませ」
わたしは素知らぬふりで店員の役割を演じる。できることなら向こうから気付いてほしいな。
ママン・マニの制服=パフスリーブのワンピースに白いエプロンを着こんでいるからすぐにはわからないかも。かわいらしいカップルは目の色を変えてお菓子を選んでる。
「だめだよ、アインシャ。それはひとつにして」
両手にいっぱいのクッキーを抱えた女の子は“アインシャ”という名前らしい。
「お金そんなにない」
ルシオンくんはお財布の中をのぞいてる。
わたし、いいこと思いついちゃった。よーし。
「お客様、今日はサービスデーです。全部半額になりますよ」
「ほんと?」とルシオンくん。
わたしは大きくうなずく。
「ほんとだよ」
さあ、気付くかな。内心ドキドキしていると、
「テュテュリン・・・さん?」
ルシオンくんの目が丸くなる。
「久しぶり。元気みたいだね」
「どうして・・・・・・」
ルシオンくんの戸惑いぶりに不安になってくる。そんなに驚くとは予想してなかったから。
「引っ越してきたんだよ。今はここでバイトしてるんだ。わたしがここにいたら迷惑だった?」
「そんなことない」
「じゃあ、うれしい?」
「うれしい!」
ほしかった返事をもらえてわたしもうれしくなる。
「そうでしょ。おかげでまた”ママン・マニ“が食べられるんだもんね」
「だあれ?」
小さなアインシャちゃんがルシオンくんの服のすそを引っ張った。仲間はずれにされてほっぺをふくらませてる。
「わたしはテュテュリン・ディックル。ルシオンくんとはお友達なんだよ」
腰を落として右手を差しだす。
「よろしくね。アインシャちゃん」
おチビさんはわたしをまっすぐに見つめたまま手を取ろうとはしない。なんとなく居心地が悪くて身じろぎする。
「アインシャがルシオンのおよめさんになるの」
いきなりなんなの!? 挑むような目に圧倒されそう。
――――この子は手強い! 女の直感ってやつ。小さくったって自分の好きなひとに悪い虫がつかないよう警戒してる。ってことはなに。わたしは害虫ってこと?
確かに。その通り。
アインシャちゃんはお菓子を選んでいる間ずっと、ルシオンくんのそばにくっついていた。
そして時々、わたしの様子をうかがうような視線を送ってきた。いろいろと見透かされているようで気まずいんですけど。
トレーに山盛りのお菓子を持ってきたルシオンくんはご機嫌だ。わたしは不慣れな手つきでレジを通していく。バイトなんてはじめてだから仕方ないよね。
ルシオンくんは金額を打ち込む度にレジに表示される数字をにらんでいる。最後の1個が入って、合計金額を半分にして、
「152シリンになります」
ルシオンくんの肩の力が抜けた。どうやらおこづかいは足りたみたいだね。
お菓子でふくらんだ袋を大事そうにかかえて店をでようとしたルイオンくんが、ふと振り返った。
「あの。リッガルトさんは?」
気になるんだ。
「わたしたちはいつでも一緒だよ」
「そう。」
ルシオンくんは兄さんが苦手みたい。兄さんがこわがらせるようなことをしたからなんだけど。
「今度遊びに来てよ。家を借りてふたりで住んでるんだ」
「いいの?」
「もちろん。お菓子パーティをしようよ」
「ん!」
よし。食いついた。
アインシャちゃんがルシオンくんに身体をすり寄せる。はいはい。わかってますよ。
「アインシャちゃんもおいで。お菓子をたくさん用意しておくね」
ルシオンくんが店に来たことは、その夜兄さんに報告した。
「わたしの言った通りでしょ。“ママン・マニ”で待っていれば向こうから来てくれるって」
「そうだな」
「今度、家に来るように誘っておいた」
「そうか」
兄さんはいつもの不機嫌そうな顔のまま気のない返事。
「わたしえらいでしょ?」
「ああ」
「じゃあ、はい」
兄さんの前に頭を差しだす。
「しょうがないなあ」
言葉とは裏腹のうれしそうな声。大きな手で頭をなでてくれる。
17にもなって頭ナデナデはないって思うかもしれないけど、これは兄さんのためなんだ。わたしはまだまだ手のかかる妹でいなくちゃいけない。