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忘魔  作者: かぼちゃ祭り
1/5

プロローグ「傷跡」

「神崎先生!」

山の斜面に若い研究員の声が響いた。


「そろそろ撤収します!」

返事はない。

神崎竜司は、岩壁の前にしゃがみ込んだまま動かなかった。

視線の先には、岩肌に刻まれた一本の線。

誰が見ても、ただの傷だ。

そう思うだろう。

だが竜司には違って見えていた。


「……綺麗すぎる。」

誰に聞かせるでもなく呟く。

手袋をした指先で、その線をなぞる。

ざらついた岩肌とは対照的に、その部分だけが異様なほど滑らかだった。


石が割れた跡ではない。

削った跡でもない。

まるで、一瞬だけ切り裂かれたような断面。


「先生?」

研究員が隣へしゃがみ込む。


「その傷、そんなに気になります?」

「傷じゃない。」

「え?」

「少なくとも、俺にはそう見えない。」

研究員は苦笑した。


「また始まりましたね。」

「始まった覚えはない。」

「でも、この遺跡って一万年前ですよね?」

「ああ。」

「石器時代ですよね?」

「ああ。」

「だったら、こんな加工なんて——」

「できない。」


竜司は静かに言った。

「だから調べてる。」


研究員は肩をすくめる。

「学会で言ったら、また笑われますよ。」

「笑われるのは慣れてる。」


竜司はそう言って立ち上がる。

何十年も同じだった。

説明のつかないものを見つける。

仮説を立てる。

証拠がないと言われる。

それでも調べる。

その繰り返しだった。

ふと、夕日が木々の隙間から差し込んだ。

岩肌が橙色に染まる。

その一瞬だけ。

一本の線は、傷ではなく。

何かを切り離した跡のように見えた。


竜司は目を細める。

「……。」


「先生?」

しばらく見つめたあと、小さく息を吐いた。

「いや。」

「気のせいだ。」

そう言って笑う。

だが、その表情はどこか納得していなかった。


「先生、本当に帰りますよ!」

「ああ、今行く。」

竜司はリュックを肩に掛ける。

そして最後にもう一度だけ、その岩壁を振り返った。


誰が。

何のために。

この跡を残したのか。

その答えは、まだ誰も知らない。


山には再び、静けさだけが残った。

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