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兄妹

 

 振り向けば薬草採りに来ていたであろう、例の女。


 まだいたのか、と神楽は少々失礼半分呆れ半分に思った。


 焔獄鬼に至っては、女がこの場にいたことを今初めて認識したようで、表情が「何だあいつは」と語っていた。


「あの! お助け下さってありがとうございました!」


 女は半ば弾かれるように立ち上がり、勢い良く頭を下げる。


 この女の存在を認識していなかった焔獄鬼はきょとんとした顔をしていたが、先程の雑魚妖怪はこの娘を喰おうとしていたらしい、と小声で神楽に説明されて、「あぁ……」と小さく納得した。


 とはいえ焔獄鬼は別にこの女を助けたつもりはないし、強いて「助けた」とするなら主の神楽の方なので、礼を言われても、という気持ちにしかならなかった。


「……用が済んだのなら早く家にお帰りなさい」


 こういう時の無難な受け答えが咄嗟に出来ない焔獄鬼に代わり、神楽が柔らかく女に言う。


 大抵の場合はこれで手打ちとなるのだが。


「あっ……待って下さい! 是非ともお礼をさせて下さい!」


 女は必死の形相で食い下がり、二人との距離を少々詰めつつそう叫んだ。


「……礼には及ばぬぞ。あれくらいの事、造作もない」


 今度は焔獄鬼がそう告げるが、女は引き下がろうとはしなかった。


「いいえ! 命の恩人をこのままお帰ししては、兄に叱られます……! どうか……せめて、私の家で暫しの休息を……お茶の一杯なりとも……っ!!」


 あまりに必死に訴えるので、焔獄鬼はとうとう困惑する。


 道中で人間を妖怪から救ったことはこれまで何度もあったが、ここまでお礼をと食い付かれるのは初めてだった。


 どうする、と目だけで神楽に問う。


 神楽は焔獄鬼の視線に気が付いていたが、彼と目を合わせようとはせず、女の顔をじっと見据えていた。


 先程は神楽に釘付けになっていた女の目が、今は打って変わって焔獄鬼だけを映している。


 必死で、懸命で、それでいて、ある種の獰猛ささえ微かに奥に潜ませた眼差し。


 ――覚えが、ある、眼差しだった。


 神楽は、口の中でだけで溜息を零して。


 悪戯に人間の心を刺激する容姿をしているのは焔獄鬼も同じであったことを、ここへ来て妙に実感した。





 女は、名を朱音と言った。


 町医者をしている兄と二人暮らしで、普段は兄の手伝いなどをして暮らしているのだという。


 自分の事や町の事、兄の事を話す間も、時折、後ろを歩く二人を振り返っては、焔獄鬼に熱を帯びた視線を送る。


「――(あるじ)よ、何故あの娘の申し出を受けたのだ? 早く妖刀を探さねばならんのだろう?」


 矢鱈と見られて困っているのか、少々不快にさえ思い始めたのか、焔獄鬼が居心地が悪そうに、朱音には聞こえぬ声量で神楽に問う。


「手掛かりがない以上、無闇に探し回るだけでは効率が悪い。それに、あの娘は余程お前に礼がしたいと見えたので、無下にするのも憚られた」


「いやしかし、我は別にあの娘を助けようとしたわけでもないし、結果そうなっただけ故、あそこまで礼を礼をと申されても……」


「人の世に於ける礼儀とか作法というやつだ。面倒だろうが、それで彼女の気が済むなら好きなようにさせてやれ。あのままでは狛同様、何処までもしつこく追って来そうだったしな」


「狛に追い回される方が楽だぞ、正直」


「きゅぃ?」


 あからさまに面倒そうな顔で言いつつ肩の狛を撫でてやれば、焔獄鬼の気持ちなど何処吹く風とばかりに、狛は嬉しそうに目を細める。


「その子、可愛いですね。栗鼠ですか?」


 不意に、朱音が振り返って問うて来る。

 成程、この娘には栗鼠に見えるか。


「……さあ。こう見えてれっきとした妖なので、何かは分からぬ」


 面倒な気持ちを何とか咄嗟に引っ込めて、焔獄鬼は答える。


「え、妖なんですか、その子? さっきの黒いのとは全然違うから分かりませんでした。良かったら、後で抱っこさせてもらってもいいですか?」


「こやつがお前に気を許すなら、な」


 もう一度撫でてやれば、嬉しそうに狛は鳴く。


 助八や寅蔵にはあまり懐かなかったが、朱音にはどうだろう。

 そもそもが妖だし、神楽と焔獄鬼以外の者には基本的に警戒するし、朱音の望みは叶わないかもしれない。


 そんなことを思っているうちに、朱音の自宅に着いた。


「兄さん、ただいま」


「――朱音。遅かったじゃないか。心配してたんだぞ」


 朱音が背中の籠を下ろしつつ家の中に声を掛ければ、奥から割烹着を着た青年が顔を出した。


 歳の頃は二十歳前後といったところか。


 妹同様、整った顔立ちをしている。


「ごめんね。森の中で妖怪に襲われちゃって……」


「え!? 本当か!? そりゃ大変だ! 怪我は!?」


「ああ、大丈夫。危ないところを、こちらの方々が助けて下さったの」


 そこで漸く兄が神楽達を見遣る。


 神楽達が一つお辞儀をすると、兄は玄関から下りて深く頭を下げた。


「それはそれは……何とお礼を申し上げれば良いか。申し遅れました、私はこの朱音の兄で、直正と言います。本当に、妹をお救い下さって、ありがとうございます」


「いいえ。大したことではございません」


「命の恩人を一言お礼だけ言ってお帰しするわけにもいかないでしょう? 是非うちでお礼をさせて欲しいって、お連れしたの」


「ああ、そうでしたか。妹が無理を言ってすみません。ですが確かに、助けて下さったお礼をさせて頂ければこちらとしても落ち着きます。どうぞ中にお入りください」


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