昇天
大財閥藤村本家の奥まった一室で一人の老婦人が永遠の眠りに就こうとしていた。
密やかに出入りする使用人や医師団、看護婦たちの誰もが悲しみに沈んでいる。
「まあまあ、先生。そんなに悲しまないで。
私は生きすぎるほど生きて来ましたよ。そろそろ眠らせてくださいな」
上品に、美しく老いた皺深い顔に優しい微笑みを浮かべ老婦人は子供にするように中年の医師の頭を撫でる。
「大奥様・・・・、大恩を受けた大奥様に大した恩返しも出来ず・・・」
「私が望んだことですよ。管に繋がれて命を長らえるなんてまっぴら。
私に恩なんて感じる事は無いのよ。
あなたが優秀だったから今のあなたがあるの。
私がした事はほんの少しあなたの背中を押しただけよ」
大病院の院長をやっている彼は藤村の奨学金で大学を出て医者になっていた。
高校の半ばで父を亡くし、大学など諦めていたのに。
藤村グループの総帥を引退してからも藤村麗子は様々な福祉関係への援助や無利子の学資援助の他、痒い所に手の届くような生活援助等は金を出すだけの物では無いきめ細やかさが定評だった。
そんな援助を受けた者達が彼の病院にも多数居た。
「先生、私はもう十分に生きました。
天国に居るあの人に恥ずかしくない一生を送れたと思うわ。
だからもう、あの人の所に行きたいの。
立派に生きて来ましたよって、自慢したいわ」
彼女は穏やかに微笑んだ。
一生涯独身だった彼女には恋人が居たのかと、彼は驚いた。
恋人を失って、それゆえ独身を貫いて来たのかと。
世界的な大企業になっている藤村グループを一流にしたのは彼女の父親だが、それをさらに発展させ、福祉やスポーツ振興、学術的な研究の援助など多方面に向けての寄付や援助で多大な貢献をしてその名を高めたのは彼女だった。
「大奥様、アメリカから若奥様がいらっしゃいました」
目を赤くしたメイドが少し湿った声で来客を告げた。
彼女たち使用人にも愛され尊敬されている大奥様が亡くなってしまう事が悲しくて堪らないのだ。
「まあ、鈴が来てくれたの?良かった間に合って」
入って来たのはもう老女と言っても良い年齢なのに驚くほど若々しく美しい女性だった。
「鈴ちゃん、もうお義母さんは、こんどこそあちらに行く事になるわ。
だから鈴ちゃん、お母様に言付けがあったら言ってね」
おどけた様に言ってほほ笑む麗子。
鈴が誰の子供なのか、もう鈴も麗子も知っていた。
村上香が父親の死ぬ前の告白で知り、鈴にそれを伝えたのだ。
鈴はまだ存命中の父親にそれを問いただし、それが間違いない事を知った。
鈴の父親はケロリとして『そうだよ~、やっと気づいた?』などとふざけた事を言っていたが。
鈴と香としては、それぞれ別の母親の実子という事になっていたが、香としては母と言うより教祖様の御子にして神子姫様として恭しく傅かれるばかりで母への愛情は欠片も感じなかったし、鈴は生まれる時に死んだと言われていたので母が全く別の人だと言われても、ああそうなのかと思っただけだった。
それよりも、二人が本当の姉妹であった事の方が嬉しかったのだ。
そして、それを麗子に告げた時、麗子はそれはそれは嬉しそうに微笑み鈴を抱きしめてくれた。
次の日の夜明けを待たずに麗子は穏やかに息を引き取った。
その死は世界のトップニュースになり、数多くの人が涙と悲嘆にくれた。
藤村グループの現総裁、藤村保は藤村麗子の私的財産の全てを遺言により藤村基金としてこれまで通り様々な分野の援助などに使われる事、さらに亡き藤村麗子の後を継ぎこれからも藤村グループは世界福祉などの援助を惜しまない事を約束した。




