スカリッツの戦い(前)
「ナーホトの戦い」の翌日、1866年6月28日払暁のこと。
ヴィソコフ高地に陣取ったプロシア第5軍団の二個師団、第9と第10師団の兵士は下士官に叩き起こされ、昨日の激戦の疲れが残る体にむち打って、それぞれ配置に付きます。
このヴィソコフ高地はボヘミア辺境の重要ポイントです。北のトラテナウ方面から流れるアウパ川はこの高地で西へ大きくカーブを描き、川に沿って走る鉄道も特徴のある大きなカーブを描きながら西側五キロほどにあるスカリッツの町に至ります。
スカリッツ停車場はナーホトやヴィソコフ周辺の主要駅で、鉄道はそのまま上流と同じようにアウパ川に沿って西進、ヨセフシュタット(現・チェコ/ヨゼフォフ)からケーニヒグレーツ(同じくフラデツ・クラーロヴェー)に向かいます。
アウパ川の方はヨセフシュタットで同じクルコノシェ山脈を源流とするエルベ川と合流し、ボヘミアからザクセン、プロシアへと向かって流れて行きます。
このエルベ(チェコ領内ではラーベ)川流域はボヘミアの一大穀倉地帯で、オーストリア軍とザクセン軍はこのエルベ川に東から合流するイーザー川に沿って防衛線を展開していました。
プロシア第二軍は正にこのボヘミアの「横腹」を突いて入って来たのです。
北のトラテナウと同じく、このヴィソコフ高地もボヘミアへの主要な入り口で、ここを奪われるとボヘミアという「家」は玄関のドアを開けっ放しにされたような状態となるです。
案の定、27日の夕方、ナーホトの戦いがほぼシュタインメッツ勝利で決した頃にはナーホト北方エーペル(現チェコ/ウーピツェ)付近をプロシアの近衛軍団が行軍し、苦戦が伝えられた第1軍団を応援するため北のトラテナウ方面へ向かって行きました。シュタインメッツの同僚、ムーティウス大将指揮のプロシア第6軍団も先遣隊がナーホトに入って来ます。
軍事的な「常識」で考えるのなら、プロシア軍はまずシュタインメッツの傷ついた第5軍団を後からやってくる第6軍団で補強するか交代させるかして、このヴィソコフ高地をガッチリ固め、ナーホトや北の高原地帯に後続部隊(砲兵部隊や予備部隊、軍司令部自身やその直轄部隊など)を迎え入れて、このボヘミアに打ち込んだ「クサビ」を抜かれないようにしてから支配地域を広げにかかるという手順になるはずです。
ところがこの28日早朝、その「常識」が覆ろうとしていました。
シュタインメッツ将軍は昨日の勝利で敵の第6軍団を痛めつけ追い払ったものの、まだ前面のスカリッツ方面に敵は一個軍団かそれ以上の兵力を控えさせていると確信していました。
このスカリッツの先ヨセフシュタットには敵の総司令官ベネデック元帥が司令部を構えており、その周囲には昨日の第6軍団を入れて三個軍団がいるはずです。
ベネデックはきっとシュタインメッツ軍団を潰してナーホトに開いた「玄関のドア」を閉じ鍵をかけようとする、即ち大軍を持ってプロシア軍をシュレジエンに押し返そうとするだろう。シュタインメッツはそう考えました。当然、彼がベネデックの立場ならそうしたことでしょう。
シュタインメッツは当然のように司令部へ増援を要請します。後ろには第6、近衛の二個軍団が控えている。どうせなら精鋭で、過去その予備部隊を彼自身指揮したこともある近衛軍団がいい、せめて近衛の一個師団でもあれば……
しかしシュタインメッツの要請は断られてしまいました。
近衛軍団は昨日敗退した第1軍団の代わりに北のトラテナウへ向かわなくてはならない、近衛重騎兵旅団なら出せるので送ろう。歩兵は第6軍団がナーホトに向かっているが、本隊はまだまだ20キロは離れた山間部におり、到着は明日以降になるだろう。ナーホトに到着したばかりの第6軍団の先遣隊(六個大隊からなる第22旅団)を送るから、それで我慢しろ。第二軍の司令部はそう言って来ました。
シュタインメッツは部下を午前6時からヴィソコフ部落の両側に展開し待機させながら考えます。次をどうする?現状維持か、それとも進撃か。
午前7時。前方に散って偵察していた騎馬斥候たちから次々と報告が入ります。西のスカリッツには大軍がひしめいている。高地南側には敵の動きなし、と。
第6軍団のムーティウス将軍は自分の部隊が大事なのか進撃もゆっくりで増援もわずか一個旅団。督促しても「本隊到着にはあと一日かかる」との返事。
フリードリヒ皇太子の第二軍司令部は昨日のトラテナウの敗北で北に穴が開くのを恐れ、虎の子の近衛軍団を北方へ使うつもりで、やって来たのは欲しい歩兵ではなく騎兵旅団。このままではベネデックが昨日の仕返しとばかり仕掛けて来るであろう攻勢によって第5軍団はヴィソコフ高地を追い落とされ、第6軍団や近衛軍団が敵の襲撃を受けてしまうかも知れない。
座しては敗北あるのみ。前進することで活路が開ける。
騎兵の偵察で自分の側面を突かれる心配のないことが分かったシュタインメッツは、午前8時、軍団の前衛となる第9師団の第7連隊に砲兵や騎兵を加えた先鋒隊の指揮官、フォークツ=レッツ大佐にスカリッツへ伸びる鉄道まで前進するよう命じます。
そして、ほんの一部でもいいから増援を、とのシュタインメッツ最後の要請が近衛軍団から最終的に拒否された午前10時。
恐怖という文字が辞書にない鬼将軍は、本部に待機していた副官たちと第9師団長のレーヴェンフェルド中将を呼び寄せると、自身の決心と命令を伝えました。副官たちは命令を受領すると第10師団のキルヒバッハ中将や先鋒隊のレッツ大佐らに命令を伝えるため、騎乗して走り出しました。
シュタインメッツの命令は単純明快でした。
我が第5軍団は準備出来次第、我々だけで攻撃を再開する。第9師団は右翼(北)から、第10師団は左翼(南)からスカリッツへ進撃せよ、と。
ちょうどその頃(午前10時30分)、オーストリア北軍司令官ベネデック元帥は作戦参謀を引き連れてスカリッツへやって来ました。
昨日の第6軍団の敗北で開きかけた穴を塞ぐため、ひとまず第6軍団に代わり第8軍団をヴィソコフ高地前面に展開させます。
ベネデックは昨日敗北を喫したラミンクを呼び寄せ、報告を聞きました。
ラミンクは雪辱を期して反撃したいと訴えます。まずは四分の三の兵力となってしまった自分の第6軍団を第8軍団(オーストリア大公レオポルト中将指揮)に加え、スカリッツの前面に展開、後方からスカリッツ目指して行軍中の第2軍団(フエスティス・デ・トルナ中将指揮)を待ってヴィソコフ高地のプロシア軍を撃破したいと。
この作戦自体は悪くありません。彼らがいるスカリッツは東側のヴィソコフより標高は低いものの同じ高原地帯で、その東側は斜面となってロズコシュの池と周辺の湿地を見下ろし、ヴィソコフからこちらに向かう街道や鉄道は丸見えになっています。スカリッツの郊外に展開するオーストリア軍の砲兵たちにとって、ここは理想的な射撃地帯なのです。
しかもスカリッツのすぐ北東側にはドゥブノの森があり、ここに散兵(集団でなくばらばらに散った形で配置する兵隊)を置けば森に沿って走る街道を進撃して来る敵に損害を与えることが出来ます。
このヴィソコフまで6キロ間の低地で敵を殲滅するという作戦に、ベネデックは賛同し、直ちに第8軍団長レオポルト大公(この大公はオーストリア海軍の総司令官を兼務していました)と北軍の作戦参謀クリスマニク少将にこのラミンク案を示し協議します。
ここでクリスマニク将軍が異議を唱えました。
オーストリア軍の頭脳である作戦参謀は二人の上司に理由を説明します。
ここで三個軍団(およそ7万)もの大軍を動かすことを考えると、準備に時間が掛かり過ぎ、その間に敵も態勢を整え、後方からの援軍を加えてしまい数的有利が消えてしまうであろうこと。
スカリッツを流れるアウパ川で使える橋は一つしかなく、川の両岸は切り立った崖なので渡河も難しい。ここを渡ってしまうと前方への補給が困難になり、万が一後退する時などに支障が生じるであろうこと。
この先の低地はヴィソコフに布陣する敵の砲兵からも丸見えで、敵を追ってヴィソコフ高地へ駆け上がるには大変な犠牲を覚悟しなくてはならないこと。
ベネデックは作戦参謀の訴えを聞くと、もっともだ、と考え直します。
ラミンク将軍の司令部に戻って来ると、先ほどの作戦は許可出来ない、第6軍団は直ちにスカリッツを離れ、西へ撤退、そこで編成を整えるように命じます。ラミンクは後ろ髪を引かれる思いで疲弊した部下を引き連れ、スカリッツを後にしました。
さらにベネデックはレオポルト大公に対し、第8軍団も方向転換し西へ下がるよう命じました。
北方では第10軍団が敵の近衛部隊と思われる精鋭に攻撃されている、との報告も届き始めました。ボヘミアを北方より南下する敵の大軍(プロシア第1軍とエルベ軍)とイーザー川の戦線で戦うボヘミア軍兼第1軍団司令官、クラム=グラース将軍からも苦戦の報告が届いています。
ここでぐずぐずしていたら、北方の重要な交通拠点、ギッチンが敵に押さえられてしまいます。
最南部から北上する第4軍団と、西からやって来る第2軍団を北のギッチンへ向かわせ、第6軍団を後退させて休養、第8軍団もギッチンへやろう。ベネデックはそう考えたのです。
これもそう悪い考えではありません。つまりは二兎を追う者の例えにならないようにする、という事です。
ナーホトという「勝手口」を閉めるのが難しければ潔くここスカリッツを引き払い、北方ギッチンの「玄関扉」をしっかり守り、自分たちが慣れ親しんだギッチンとケーニヒグレースの間に広がる平原で北の敵と決戦をしよう。このヴィソコフから進撃する敵はヨセフシュタットとケーニヒグレースの強固な要塞で防げばいい。
北の敵を撃破した後でナポレオン張りの「後方への機動」(方向転換)をし、ケーニヒグレースを囲む南の敵を外から包囲殲滅する。
すでにベネデックの頭の中は北の敵への対抗作戦が膨らんでいました。
しかし、ここでベネデックは大変な過ちを犯してしまいます。
命令を素早く実行するように、と言えばいいものを、
「第8軍団は本日午後二時までスカリッツに留まり、その間重要な戦闘が発生しなければギッチンへ向けて出発するように」
と言うなんとも曖昧な命令をレオポルト大公に与えてしまったのです。
これは「簡明の原則」や「主動の原則」などの戦いの原則を無視したひどい命令です。
この場所で戦わないと決めたのなら、一刻も早く方向転換し出立させるべきなのです。
何故なら軍隊の行軍とは町が一つ動くのと変わらない規模の大移動であり、ましてや攻撃から後退へと正反対の行動を取らせるには長時間を要するものです。
更に、敵が動くならそっちの相手をしろ、などという敵に主導権を与える様な命令は最低と言わざるをえません。そしてこの命令を受けたレオポルト大公以下第8軍団の将兵は、一体何のためにスカリッツで時間をつぶすのか分かりません。裏があるのかないのか、戦うのか退くのか、どうも掴みどころのない「簡明」とは言えない命令でした。
これにはレオポルト大公の参謀や幕僚が不安顔となり、お互い顔を見合せます。中の一人が総司令官に恐る恐る尋ねました。
「万が一、敵が2時前に攻撃して来たら我々はどうすればよろしいのでしょうか?」
ベネデックは冷たい視線を幕僚に向け言い放ちます。
「貴官が何か言う場面かね?」
それ以上、誰も疑問を投げかけることは出来ませんでした。
ところが、午前10時を過ぎると、プロシア軍の砲撃が始まりました。砲弾はスカリッツの東に展開する第8軍に降り注ぎます。オーストリア側砲兵も盛んに応射、戦場は硝煙に包まれました。そのまま砲撃は正午過ぎまで続き、やがてヴィソコフ高地からプロシア軍の先鋒が進撃して来るのが見えました。
事ここに至ってもベネデックは涼しい顔です。昨日あんな激戦を戦った敵が本格的な攻撃を仕掛けて来る訳がない。こちらが無傷の軍団と入れ替えたのは分かっているはず。敵の指揮官は猛者で知られる将軍、きっと虚勢を張っているに違いない。
さらに余裕綽々と見せたいのか呆れるほどのんびりとした調子で、部隊の心配で気が気でないレオポルド大公に言います。「自分はヨセフシュタットへ戻るが大公殿も同行し、ご一緒に昼食でもどうかね」と。
虚勢を張っているのはどっちだ?
大公は、憮然として首を横に振るのでした。
オーストリア大公・レオポルト




