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フランクフルト陥落

 

 バイエルン軍はキッシンゲンで大敗し、次いでよりフランクフルトに近いハンメルベルクを攻撃されると、包囲合撃されるのを怖れ、南へ敗走に移りました。


 ファルケンシュタインはさらに南下してシュヴァインフルトからヴュルツブルク方面へ逃走したバイエルン軍を追おうとしましたが、ここで参謀本部からストップが掛かりました。

 モルトケはマイン軍が深追いし過ぎると、弱兵とは言え未だ5万程度の兵力がある連邦第8軍団が後方からやって来て、バイエルン軍と挟み打ちにされる事と、マイン軍が補給端末(物資が届けられる最も遠い地点)を遥かに超えた先に進み過ぎて、弾薬や食料が不足することを恐れたのでした。


 結局、ファルケンシュタインもバイエルン軍は諦め、マイン川流域の残敵を掃討しつつフランクフルトの第8軍団の攻撃に向かう事にするのでした。


 一方の第8軍団では、指揮官アレクサンダーがマイン軍対策に追われていました。

 彼はフランクフルト東方に軍を展開し、マイン軍に備えます。

 特に重要なマイン川に掛かる橋があるアシャフェンブルグ(フランクフルト南東25キロ)には自分の国ヘッセン大公国軍を置いて、守備隊に敵が現れても応援が駆け付けるまでは守備に徹するよう命令します。これは敵の攻撃の軸がどこに置かれるのかアレクサンダーも迷っていて、最も攻撃が強いところに本体を送り込むことを考えていたと思います。


 マイン軍ではバイヤー師団が北側、ゲーベン中将の第13師団が南側に分かれてフランクフルトを目指していました。この分進でフランクフルトの第8軍団を包囲合撃しようと言う形です。

 7月13日、第13師団がアシャフェンブルグに近付くと、なんと守備隊が攻撃を仕掛けて来ました。そこは街の東方にある山間部で、第8軍団ヘッセン側の指揮官がこの狭い山道に並んだ敵なら破れると独断で攻撃を掛けたものでした。

 しかし、プロシア軍はものともせず、ゲーベン将軍の指揮も冴えてヘッセン軍を撃退します。攻撃を知ったアレクサンダーは鉄道で応援部隊をアシャフェンブルグに送り込みますが、ゲッペン将軍の先遣部隊は既に川に迫っていて、部隊は続々と街に入って来ました。

 14日中にはアシャフェンブルグは陥落、重要な橋はプロシア軍に確保され、これでフランクフルトの南東側はガラ空きとなってしまいました。


 アレクサンダーの判断は素早く、だらしないルートヴィヒ2世を連れてフランクフルトを放棄、14日には既にフランクフルトには軍が居なくなりました。第8軍団は鉄道を使い南側を迂回して、バイエルン軍が籠るヴュルツブルク要塞都市へと落ち延びたのでした。


 7月16日、プロシア軍はフランクフルトに入城し、ファルケンシュタインは北部と西部諸候の完全占領を宣言します。彼は得意の絶頂だったことでしょう。しかし……


 翌17日。これまでの戦いでその傲慢な態度やしばしばモルトケからの指示を無視したファルケンシュタインは、このフランクフルト占領による西方攻略一段落を受け、司令官をマントイフェルに譲り、ボヘミア占領地総督という地味な任務に就くよう命令されてしまいました。どう考えてもデンマーク戦以来再びの左遷です。


 まあ、どうしても参謀本部嫌いを正せなかった彼は、新しい時代の戦い方、即ち参謀本部が命ずる作戦に従う、という方式に追従出来なかった最後の世代なのかも知れません。しかし、この西方の戦いでの彼は鉄道利用など新時代にも順応して「中々頑張った」方なのではないでしょうか?

 ファルケンシュタインはその後、地方の知事などを歴任し、普仏戦争当時は普墺戦争で自分が占領した北ドイツの沿岸防衛に力を尽くし、1885年に亡くなりました。


 さて、ファルケンシュタインから指揮を譲り受けたマントイフェルは南方作戦の仕上げにかかります。

北部の平定やボヘミア方面での戦いが有利に進む状況から、マイン軍は指揮官交代での5日間の休息中に充分な補給と部隊の拡充を受け、今や7万近くの兵員を抱える事になりました。


 マントイフェル新司令官はフランクフルトの守備に旅団規模の部隊(5、6千人)を残すと、7月21日、一気に南下を始めました。相手はバイエルン軍と残兵の集まりとなってしまったあの第8軍団。


 しかし既にドイツ連邦の諸侯軍は、オーストリア大敗後、意気揚々と勝ち誇ったプロシア軍の敵ではありませんでした。南部の戦いは既に掃討戦(いわば消化試合)の段階でした。


 7月28日、バイエルン王国の第四の都市で入り口ともいえるヴュルツブルクが陥落します。もはやここまで。

 双方の軍は中央から休戦が命じられ、ここでプロシア対西・南部諸侯の戦いはプロシアの完勝で終わったのです。


挿絵(By みてみん)

エッチンゲンの戦い

(7月25日マイン軍の最終戦でプロシア第36連隊の攻撃です)

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