※改稿中※マイン軍(序)
※現在(2023年5月)改稿中のため、前後がつながりません。申し訳ありません。
暫くお待ちください。
※前項と重複または矛盾する部分がありましたので、カットします。正式な後編は近日中にここに記載させて頂きます(2023年4月20日)
28日払暁、ランゲンザルツァでフリース旅団が敗れたことを知ったファルケンシュタイン将軍は、直ちにマントイフェルにゴータ方面への急速移動を命じ、北から移動中の第13師団と、西、アイゼナハに集まりつつあったベーエルの師団に急ぎランゲンザルツァへの攻撃を命令しました。
こうして戦いの一日後には、ハノーファー軍はプロシア・マイン軍4万余りにすっかり包囲されてしまいました。
万事休す。アレンツシルト指揮官はハノーファー王ゲオルク5世に降伏を進言します。全滅が必至の状態で国王は断腸の思い、プロシアに和議を申し入れました。
こうして6月29日、ハノーファー軍は全面降伏しました。失意のゲオルク5世と王族は亡命が許され、オーストリアへ去って行き、ここにハノーファー王国の戦いは終わりました。
ハノーファー堕つ!
この知らせはドイツ連邦に衝撃を与え、北ドイツに残った戦うことなく籠城し息を潜めていた反プロシアの領邦(プロシアも無視していた貴族領)が次々に降伏して行きました。
勢い上がるのはファルケンシュタイン将軍です。彼がプロシア西方軍を「マイン軍」と呼び始めたのはこの頃で、その目は軍の名前の方向、バイエルン方向を向いていたのでした。




