最終話
措置入院となった閉鎖病棟でも、虹夏の習性は変わらなかった。
最初はただ泥のように眠っていたが、意識がはっきりしてくると、虹夏はまた無意識に「手のかからない、周囲を観察する良い子」を演じ始めた。
病棟には、大声で叫ぶ人、幻覚と戦う人、虚ろな目で廊下を徘徊する人など、様々な患者がいた。
看護師たちが対応に追われる中、虹夏はそっと、泣いている同室の患者の隣に座り、ただ静かに背中をさすったり、話を聴いたりするようになった。
「虹夏さんがいてくれると、あの人も落ち着くみたい。本当に助かるわ」
看護師からかけられたその言葉が、凍りついていた虹夏の脳に、麻薬のような快感をもたらした。
ーああ、ここでも私は、人の役に立てる。
私はまだ、ゴミじゃないんだ。
主治医や担当の心理士は、彼女のこの行動を「驚異的な回復力」や「高い共感性」と評価した。
しかしそれは回復などではなく、自分の存在理由を死に物狂いで確保するための、剥き出しの生存本能だった。
数ヶ月後、症状の安定と「周囲への良好な適応」を理由に、虹夏は措置入院を解除され、退院することになった。
大学は辞め、家族もいない。しかし、虹夏には入院中に見つけた「新しい生き残り戦略」があった。
退院後、ケースワーカーの紹介で、精神障害を持つ人たちが集まる地域活動支援センターや、当事者会に顔を出すようになる。
そこで虹夏は、自分の過去を「資源」に変える方法を学ぶ。
不登校、家族の崩壊、自傷行為、自殺未遂、そして措置入院。
普通なら隠すべき汚点とされるキャリアが、その世界では「当事者としての貴重な経験」という価値に反転した。
「虹夏さんの話、すごく共感できる。あなたみたいな人に話を聴いてほしかった」
かつて定時制高校で「勝手な優等生」になったように、虹夏は当事者活動の世界で、瞬く間に「期待の若手ピアサポーター」として頭角を現していった。
大学で福祉をかじっていたこともあり、専門用語を交えた虹夏の語りは、支援者たちからも絶賛された。
虹夏は、新しい制服を手に入れたのだ。
それは「支援職を目指す優秀な学生」ではなく、「過酷な体験を乗り越えて、いま人を支えている素晴らしい当事者」という、さらに剥がれにくい強固な仮面だった。
20代半ばを迎える頃、虹夏はいくつかの支援団体から声をかけられ、講演に呼ばれたり、不登校や自傷行為に悩む若者たちの相談員として、実質的な「支援者」の立場に立っていた。
虹夏の相談室には、かつての自分と同じような、手首を傷つけた少女たちがやってくる。
虹夏は、かつて自分がスクールカウンセラーや精神科医にされて嫌だったことを、絶対にしない。
「辛かったね」「そのままでいいんだよ」「私がずっと味方だから」
虹夏の言葉は、傷ついた若者たちの心に深く染み渡り、虹夏は「聖女」のように慕われた。
――しかし、誰も知らない。
相談を終え、若者たちを笑顔で見送ったあと、夜中に一人暮らしの部屋に帰ってきた虹夏の姿を。
部屋の電気もつけず、ベッドに崩れ落ちた虹夏を襲うのは、昼間に浴びた他人の絶望の残滓と、それによって呼び覚まされる、自身のドス黒いフラッシュバックだ。
「誰も、私自身のことは救ってくれない」
どれだけ他人の役に立っても、虹夏の携帯電話に「虹夏、ご飯食べた?」と無条件の愛を注いでくれる親からの連絡が来ることは、一生ない。
虹夏が救っている若者たちは、虹夏の「機能」を求めているだけで、ボロボロの「生身の虹夏」を愛しているわけではない。
結局、誰かを救うことでしか自分を保てない。けれど、救えば救うほど、自分の空虚さが浮き彫りになっていく。
お守りのように引き出しに眠るカミソリを、虹夏はそっと取り出す。
他人の涙を拭いたその同じ手で、自分の白く冷たい手首に、新しい赤い線を刻みつけていく。
激しい痛みと、あふれる血を見て、虹夏はふっと安堵の息を漏らす。
ーこれでいい。
明日もまた、あの子たちのために笑わなきゃいけないんだから。
精神科医も、カウンセラーも、今の虹夏を見て「素晴らしい社会復帰だ。過去を乗り越えて自立した」と微笑むだろう。
虹夏に関わるすべての支援者は、虹夏が「解決」したと信じ込んでいる。
しかし、根本的な解決など、1ミリもしていない。
虹夏はただ、自傷行為のステージを「家庭」や「学校」から、「他者を支援する空間」へと移しただけなのだ。
役に立っていないと愛されない、必要とされない。
その永遠の虚しさを、他人の感謝という劇薬で麻痺させながら、虹夏は今日も傷ついた誰かの手を握りしめる。
自分自身が、血を流し続けていることには、もう気づかない振りをしながら。




