エピローグ
あれから月日は流れ、世界は転換点を迎えた。新たな神として君臨するリスケルは、とりあえず神界を創り変える事にした。草木が生い茂り、小川には冷えた清水がとうとうと流れ、色とりどりの花畑で蝶が舞う。空は青く白雲がたゆたい、地上と遜色の無い光景を生み出した。
それから住居も整えた。天魔人の数だけレンガ造りの家を用意。暖炉はなくとも煙突からはポワポワと煙を漂わせ、景観を牧歌的なものに寄せたのだ。
そんな長閑な村の中を1人の男が颯爽と歩く。ハーベルだ。彼はひときわ大きな館へまっすぐ向かい、訪いを入れた。
「リスケル様、失礼いたします」
扉を押し開けて中に入ると、そこに主人の姿は無かった。先客のソフィアが居るのみだ。
「むっ。リスケル様はいずこに?」
彼女は肩を落として首を横に振った。
「居ないよ。きっと地上へ遊びに行ったんじゃない?」
「そうか。せっかく精霊の分布を定める演算式を108パターン用意してきたのだが」
「ソフィもね、極悪人が泣いて改心する極限拷問48手を考案してきたんだけど、リスケちゃんが居ないんじゃあね」
2人は顔を見合わせ、手元の紙束を脇に抱えた。しかし、不在ごときで諦めないのが彼らである。
「よし。ならば我らで出来ることを遂行しよう。108パターンを256まで膨らませてみる」
「あっ、それならソフィも96手にしておこうかなぁ」
こうして猶予を与えた分だけ、リスケルの仕事も連動して積み上がっていく。しかし、地上へと息抜きに出掛けた彼には知る由もない。
場所は変わってオレルーワの聖地。神殿ではエミリアが居住まいを正し、到着を今か今かと待ち侘びる。やがて辺りに光の柱が降りると、彼女はまばゆい笑みを浮かべて迎えた。
「おっすエミリア。久しぶりだな、3ヶ月ぶりくらいか」
「リスケル様! あ、いえ、精霊神様。本日は畏れ多くもエミリアが……」
「やめろやめろ。いつも通りに接してくれ、こちとら休暇で来てんだ」
「そうですか。では……おかえりなさいませ、リスケル様!」
リスケルに向けて惜しみなく注がれる、混じり気の無い眼差し。その温もりを、彼は微笑みをもって受け止めた。
「そういやラスマーオは?」
「皆とグレイスノヴァに居ます。向かいますか?」
「そうしよっか」
リスケルが眼で合図すると、エミリアは彼の背中から腕を絡めて抱きついた。飛翔して向かう為である。一応エミリアも空を飛べるのだが、リスケルに比べてずっと遅い。
などと言う言葉を建前にして、ここぞとばかりに身体を密着させるのである。
「じゃあしっかり掴まって」
「はい、お願いします!」
実際、リスケルの移動速度は人智を超えるものだった。音の壁すら追い越してしまうスピードで駆け抜け、瞬く間に村へと到着してしまう。
「へぇ、だいぶ景観が変わったもんだな」
グレイスノヴァは日々拡大を続け、もはや村の規模に収まっていない。それにも関わらず整然と並ぶ家屋、計画的に敷かれた石の歩道は機能的。頻繁に行き交う馬車もスンナリとすれ違い、往来の邪魔になる事はない。
「ずいぶんと人が増えたよなぁ」
「そうですね。もしかしたら、世界で一番かもしれませんよ」
何よりも活気が胸を踊らせる。人族に獣魔人、夢魔にマーメイド、更には飼いならされた狼魔獣までもが揃い踏みだ。彼らは一切争うこと無く、馴染みある隣人として当たり前の様に接するのだ。時には商売相手として、あるいは酒場でともに語らう友として。
その光景の中を、リスケルはエミリアを伴って歩いていく。顔を左右に振っていたところ、ふと新しい店舗に眼を止めた。
「よぉエマ。とうとう自分の店を?」
「あっ、リスケル様にエミリアさん。いらっしゃい」
カウンターと小さな厨房があるだけの、比較的こじんまりとした建物だ。それでもエマにしてみれば悲願の出店だ。週末のみの営業であっても幸福の絶頂を味わっている。
ここは何の店だろう。リスケルが看板を見上げたのだが、その前を知人が通過した。そしてカウンターに10ディナ硬貨を置くと、慣れた口調でオーダーを告げた。
「エッちゃん。1杯ちょうだい、インフェルノで」
「はい、まいどあり!」
エマは酷く小振りな器の品を出した。受け取ったギーガンは指先で摘み上げると、グイッと一気に呷り、その場で器を返す。そして振り返る時にリスケルと目が合い、会釈をしてから立ち去った。
「今のは酒か? 酒場なのか?」
「いえいえ、スープ屋ですよ。辛さを選べるようにしたら大当たりしまして。今じゃ、結構な人気店なんですから」
「へぇ、そうなんだ。オレにも1杯くれよ。エミリアは?」
「あっ、私は結構です」
「辛さはどうします? 三段階あって中辛、激辛、インフェルノから選んでください」
「えっと……オススメで」
「はぁいインフェルノですね」
「すまん、やっぱ激辛にしてくれ」
代金と入れ違いにして出された品はふたつ。どちらも陶器の取っ手付きコップで、片方は血のような赤、もう片方は綿毛にも似た純白の液体で満たされている。
「えっと、一人前を頼んだんだが」
「はい、それがオススメの至福セットになります。白い方からお楽しみください」
「お、おうよ」
少し強張った動きでリスケルは口をつけてみた。だが意外にも、白いスープは辛くない。むしろ想定外の甘みがあった。
「なんだこれ。お茶か?」
「そうですそうです。紅茶とヤギ乳、それに砂糖やら色んなものを混ぜました。これがねぇ、スープによく合うんですよ」
「ほんとかよ……」
半信半疑で赤いスープに口をつけると、エマの言葉は真実だった。痛みでしかなかった辛さがまろやかになり、濃厚なコクと塩気を楽しむゆとりが生まれた。
「確かに美味しいな。流行るのも分かる気がする」
「えへへ。飲食世界の王者を目指して頑張ってますから!」
想定よりも和やかな食事が終わった頃、騒がしい男が現れた。リスケルは顔を向けるなり、安堵の笑みを浮かべて迎えた。
「ようラスマーオ。元気か?」
「もちろんよ。お前こそどうだ、出世頭さん」
「茶化すなって。神様役も大変なんだぞ」
ラスマーオは挨拶もそこそこにして、エマに一品注文をいれた。頼んだのはインフェルノ。辛味が苦手な彼とは思えないオーダーである。
聞けば、なんでも彼は想い人をギーガンに決めたらしい。その移り気な気持ちを「やっぱ乳がでかくねぇとな!」などと笑い飛ばす辺り、実らぬ恋だと確信させる。
「はいどうぞ、インフェルノです」
「おっ、ありがとさん」
「おいラスマーオ。そんなもん飲んで大丈夫なのか?」
「違う違う。これはギーガンへの差し入れだ。あの子は辛いものが大好きだから、プレゼントしようと……」
そこでラスマーオは食器を片手に動きを止めた。しげしげと眺める事しばし。それから、世紀の発明でも閃いたかのように、真に迫る声で言った。
「もしかしてさ、これを口に塗ったら、オレの唇ごと味わってくれるんじゃないか」
発想が気持ち悪い。リスケルは流石に苦言を呈しようとしたのだが、相手の行動力が先手を取った。口の周り、特に唇を入念にスープを塗りたくってしまう。
もちろん悪手でしかない。ラスマーオは皮膚を無遠慮に焼かれ、途端にのたうちまわった。
「いってぇぇ! エミリア、回復魔法を頼む!」
「どうしましょうリスケル様?」
「うん、まぁ、いい薬だと思って我慢してもらうか」
「それが良いですね」
ささやかな陰謀が砕かれるのを横目に、リスケル達は他所へと移った。やって来たのは村の端だ。そこは以前まで空き地だったのだが、新たな施設が建とうとしていた。骨組みだけでも大きさが分かるそれは劇場だという。
「アカイヤロ。こっちに来てたのか」
「やぁやぁ久しぶりだねぇ」
アカイヤロは黒いローブで頭から全身を覆い隠している。陽の当たる時間は彼にとって苦痛なのだが、明るくなければ建物の概形が見えない。なのでこうして、日除け対策を施した上で進捗の確認をしているのだ。
「そういえば聞いたかい? フィーネ女王が懐妊したんだってね」
「知ってる。まだ3ヶ月目なのに、フアングが名前を考えるあまり何日も徹夜したとか」
「彼は気が早いからなぁ。この前も、まだ生まれても居ない子のために家庭教師を連れてきてさ。説得するのに骨が折れたそうだよ」
「光景が目に浮かぶようだな」
それからアカイヤロが、ヒルダを起こしてこようかと提案したのを、リスケルは断った。次に来た時会うとだけ言い残し、また他所へと足を向けた。
彼らが向かったのは森の方、かつては伐採所と呼ばれた場所だ。整備された道は喧騒から離れており、実に静かなものだったが、誰かの金切り声によって台無しとなった。
「だぁぁこの天魔野郎! いい加減しつこいですのよ!」
「待ちなさいセシル。話はまだ終わっていません」
「小僧神リスケル、あとは任せましたわ。あの小うるさいヤツの相手をよろしくですの!」
セシルは呆気にとられるリスケルなど気にも掛けない。晴れ渡る空へと飛び立ち、やがて白雲の彼方へと消えた。
「まったく。せっかく効率化の話をしようと思ったのに……」
紙束を抱え込む人影がそう呟いた。見れば異様な枚数で、思わず身構えてしまう程に大量であった。
「ルクディアナ。あんまセシルを虐めてやるな」
「あらこんにちわ。虐めるだなんて人聞きの悪い。私はただ、うやむやな仕事を明確に決めたいだけですから」
「だからってその量はおかしい。もはや論理の暴力だろ」
「神を辞めて、いち魔人となってみると、また視点が変わって面白いのですよ。つい夢中になってしまうくらいに」
「そうかい。こちとら、お前が雑に創った世界を必死になって改修してるんだが?」
「それはそれは。しかしながら、新しき神は優秀なる御仁。きっと様々な問題を解決へと導いてくれるでしょう」
「この野郎……。次にバトンタッチする時は覚悟しておけよ」
「えぇ、覚えておきます。千年か、2千年後の話ですが。それまでは『ルキミナ』として自由を謳歌させていただきます」
そううそぶくと、ルクディアナ改めルキミナは空を見上げ、飛翔した。逃げたセシルを追いかけたのである。これにはリスケルも同情心を覚えたのだが、身を挺してまで介入する気も起きず、散策を続行する事にした。
そうして辿り着いたのは旧伐採所。今では開拓が進み、広大な農地へと様変わりしていた。畝は整然として美しく、生い茂る葉も青々として、力強さを感じさせる。収穫にはまだ遠いが、成功を収めるだろう事を予感させる光景だった。
そんな畑に1人の男が腰を屈めていた。金色の美しい髪は後ろ縛りに。細造りの身体は華奢だが、コンガリと焼けた肌が逞しく映る。身を包む麻の服は泥で汚れているが、それを気に留めないのは無心で励むためだ。
「おぉいネイルオス!」
リスケルの呼びかけに、男は立ち上がり、そして振り向いた。首にかけた手拭いで額に浮かぶ汗を拭き取る。周囲の光景に溶け込んだ仕草の後、彼は声を張り上げて返事をした。
「ワシはイーサンだ。陽気で気さくなイーサンだ」
そう言って笑う顔から歯を覗かせた。それは空にたゆたう白雲よりも、純白に輝いていた。
―― 聖剣なら折れました 完 ――
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それでは、また。




