第56話 戦いはまだ途中
グレイスノヴァの迎賓館は、今や怪我人を収容する治療所となっていた。1階では軽症の市民や兵士が列を作り、2階は少ないながらも重傷者が寝かされている。その内の一室はネイルオス専用の個室とされ、セシルとギーガンも傍から離れようとしなかった。
「早く目覚めてくださいですの。生まれ変わったワタクシの力を、存分にご覧いただきたいですわ」
枕元で呟くセシルの瞳は穏やかだ。時おりネイルオスの頬を撫で、慈しむ想いを隠そうともしない。主の眠りが上質で、安らかとなるよう祈りつつ。
その一方でギーガンは昼食の肉だらけスープを堪能している。エマの意思が乗せられた為に色味は真っ赤であり、見た目通りの絶望的な辛味がある。ほんの少し前に、セシルはひと舐めしてツバを吐き、全てをギーガンに譲り渡した経緯がある。
「セッちゃん。表に出てみたら。食べる所が開いてる」
「結構ですわ。今は胸がいっぱいで、空腹など全然苦痛ではありませんの」
「そうだね。おっぱいがだいぶ膨らんだもんね」
「そういう意味ではありませんわ」
そうして穏やかに看護を続けていると、階下が騒がしくなった。そして駆け上がる足音がやかましく響き、扉が開いた途端、辺りは場違いな喧騒で満たされていった。
「おい、ネイルオスが倒れたって本当か!?」
現れたのはリスケルとその背に担がれたラスマーオ、それにエミリアが続いた。息を切らす一同に、エミリアは舌打ちをもって出迎えた。
「ちょっとお疲れのだけですわ。それよりも、やかましい口を閉じなさい」
「あぁ悪い……つうかセシル、お前その姿はどうしたんだよ!」
「だから、うっせぇと言ってるんですの!」
そこで、かいつまんだ説明が入り、リスケル達は一応の納得をする。精霊石が自然に放つ魔力を吸い上げたとは、にわかに信じられずに居るが。
「良いこと小僧リスケル。今後はワタクシ達を侮らない事ですわ。さもなくば、この世の地獄を見せてやりますの」
「でもセッちゃんは辛いものが食べられない。まだまだ子供のまま」
「うるさいですわ。ギーガンは黙ってゲテモノを食ってなさいのよ」
「こんなに美味しいのにな……」
そこでギーガンはズゾゾッと小気味良い音を出し、椀を空にすると、追加をおたまでタンマリと注ぎ込んだ。人によっては見ているだけで胃がムカつく光景だ。そしてセシルは、胸焼けから逃れたいかのように、リスケルの方へと顔を背けた。
「ともかく静粛に。ネイルオス様が起きてしまいますわ」
「分かったよ。それにしても大丈夫なのか? 聞いた話じゃ何日も眠ってるそうじゃないか」
「心配無用ですわ。むしろ、その背中に担いだ干物みたいな男の方が、よっぽど危ないのではなくて?」
「ラスマーオなら、まぁ平気だ。じきに回復する」
「随分とまぁやつれたものですのね。夢魔族にでも吸われまくったんですの?」
「ある意味、悪い夢みたいなモンだったろうよ」
ヘチマ人間と化したラスマーオに、セシルは顔を近づけた。そこで胡乱な瞳と視線が重なり、反射的に後退りした。しかし時既に遅く、ある種の狂乱じみた対話が幕を開けてしまう。
「おぉぉすっげぇ美人! 好みド真ん中の吊り目美人!」
途端にラスマーオの身体は膨れ上がり、持ち前の生気がみなぎる。リスケルの背から降りるなり筋肉を見せびらかすポーズを決める。完全復活の証明。だがそれは、見ようによっては暑苦しく、実際セシルは露骨に嫌な顔を晒した。
「何をやる気になってますの、セシルですわ」
「おぉ、やっぱセシルか。くぅぅ、こうして見るとマジでたまんねぇな。いやほんと良い身体してんぜ!」
「お待ちなさい、アンタはギーガンが好みだったのではなくて?」
「セッちゃん。こっちに振らないで」
「まぁギーガンも捨て難いけどさ、セシルの何つうか、ツンツンしたところ? 気が強い感じが良いんだよ。一晩中、腹の上に乗せてみたいぜ」
「ハン。そんな乗り心地の最悪なもの、誰が跨ってやるもんですか。汚らわしい」
「そんな事ねぇって、夢見心地を味あわせてやるぜ?」
このしつこさ。セシルは全力で拒絶の意思を見せたのだが、その程度では退かないのがラスマーオだ。なまじっか強いだけに大変厄介である。
押し問答は何をしても終わらず、どんなに言葉で斬りつけても効果無し。拒絶も嘲笑もすべてが無駄。堪りかねて放った氷魔法も何のその、彼の熱意は燃え上がる一方だ。
そうして徒労を積み重ねるうち、セシルはとうとう限界を迎えてしまった。
「そこまで言うなら試してやりますわ、四つん這いになりなさい!」
彼女はそもそもケンカっ早い性質である。一度火がつくと中々おさまらない。
「へへっお手柔らかに頼むぜ」
「この駄馬が! いっぱしの口をきくんじゃないですの!」
「アッヒィン! もっと叩いてぇ!」
ラスマーオの背にまたがったセシルが、そのまま尻を引っ叩く。野太い叫び、平手打ちの音、それに混じって時々聞こえるギーガンのすすり音。
セシルは溜飲の下がる想いから、この状況を割と楽しんだ。ラスマーオも何故か気持ちよくて、高らかに叫んでしまう。悲鳴をあげるたびに、何となく、生きる悦びのようなものが感じられるのだ。
だが2人とも少しはしゃぎ過ぎた。ここが邪神の眠る場所である事を失念していたのだ。
「おっ。ネイルオス、起きたのか」
「げぇっ。それはマズイですのよ!」
最初はセシルだけが顔を青くしたのだが、やがてリスケルやエミリアにも伝染していく。
ネイルオスは見た目の恐ろしさと違い、普段は温和な気質なのだが、寝起きは悪いほうだ。今ばかりは、外見通りの凶悪な怒気を全身にはらんでいた。
「ワシの眠りを妨げるのは誰か……」
怒っている。とにかく、本気で怒っている。セシルは慌ててラスマーオから降りると、リスケル達に向かって強く吠えた。
「アンタら、良いです事。怒りを鎮める為に歌を歌いますわよ」
「う、うたぁ……?」
「良いからワタクシに続いて! せっかく建てた村が壊滅しますわよ」
そこでセシルは喉を鳴らし、まずまずキレイな歌声を披露した。
「嗚呼、空が広い日差しがさんさん。苗木はスクスク小川はサラサラ」
セシルがリスケル達を睨む。続けということだ。勝手が分からない一同は、とりあえず消極的に歌った。声は不揃いだしメロディやリズムも怪しい。呟いたという方が正しいかもしれない。
「たっぷりお芋、キャベツにパセリ。今日も実りは豊かだなぁ」
そこまで歌い終わると、ネイルオスはようやく頬を綻ばせた。感じ入ったようにウンウンと頷きながらも、見当違いなセリフを吐いた。
「そうか、豊作か。スイカはどうだ? イチゴはどうだ?」
「そりゃもう畑一面に育ってますの。大ぶりで身も詰まってて絶品ですわよ」
「そうか、そうか。起きたら収穫するとしよう……」
そう言って微笑むと、再び横になり、眠りについた。
「セシル、何だよ今のは」
「ネイルオス様は農耕に強く憧れてますの。機嫌の悪いときは、今のように宥めたものですわ」
「苦労すんだな、参謀っつうのも」
リスケルは安堵の息を漏らすと、それはため息と重なる。そこでふと扉の方へと振り返ってみると、フィーネとフアングの姿があった。一部始終を見られていたのだ。どちらも呆れ顔であるのは、説明不要というものである。
「妙に騒がしいと思えば、何をなさってるんです?」
「ったくよぉ、暇なら仕事を手伝えっての。やることは腐るほどあるんだぞ? 」
「悪いな。全部行きがかり上のことだ。何を手伝えばいい?」
フィーネは、拳を口元に添えると小さく咳払いした。けじめをつけろ、と言外に告げるかのように。
「これより作戦会議を始めましょう。グラナイストに侵攻するのです」
その言葉の響きに悲壮感はない。むしろ、草むしりでも誘うかのような軽やかさがあった。




