98 希望と絶望
翡翠色の瞳に紅の短髪。
眠たそうに半分だけ見えるライムグリーンの瞳に、白髪のマッシュルームカット。
背が高く正義感の強い彼と、小柄で知的な彼。
予想もしない人物の登場にライムは目を丸くし、一瞬だけ身体を硬直させた。
『シオン……ジュエル……どうしてここに』
彼らはアリーゼル・ライラによって引き起こされた学園の崩壊から逃れるために、ライムが避難させたはずだった。
魔獣に護らせて、安全を確保したつもりだったのに……。
なん、で……あぁ、う……。
意識が朦朧としてきた。
欲求は次第に大きくなる。
自分の中でじわじわと肥大し支配されていく感覚。
他のことなんてどうでもいい。
とにかく眠りたいの。食べたいの。抱きしめてほしいの。
『お願いお願いお願いお願いーー』
シオンとジュエルが目の前にいるというのに、頭を掻きむしり、眉間にシワを寄せて、力いっぱいにシーツを掴み、まるで自分が自分でなくなっていくようなーー。
異常事態に気付いたシオンは焦ったようにライムの側に行き、肩を引き寄せる。
「ライム!!おいっ、しっかりしろ!ライムの声が聞こえていたんだーーずっと、ずっと君は、助けてほしいって。だからーー」
『心中暴露』のスキルは人の心を読む。
ライムと離れてからも、シオンには途切れることなく継続して聞こえていた。
小さな声だ。
わずかに聞こえるその声は、ずっと叫んでいたーー。
『助けて』と。
自分では抱え込めなくなった絶望を、無意識に押し込み、見えないようにしていたライムの声だった。
「ここには王族と関係者しか入れないはずだが?」
ルドルフがじろじろと不審な目で2人を見ている。
が、シオンとジュエルは動じない。
「アレス先生に王室の入室許可をいただいています」
「……ふむ。アレスめ、抜かりなく準備しておるな。だとすると君たちはアレスの生徒か」
ジュエルが静かに一言を返すと、ルドルフは少し考えてから納得したように顎を押さえた。さらに、
「何故このタイミングでここに来たのかはおおよそ察しがつく。君はこの子の声を辿ってきたのだろう」
国王ルドルフの『王色全知』のスキルは、目の前の相手のスキルやアビリティを曝け出す。
ルドルフはライムをちらりと見ると、シオンたちに問いかける。
「……早速だが、君たちに問う。君たちは彼女のためにこれを使うか?」
ルドルフの手元にはライムが生成した白い魔術書。淡い光を放ち、ゆらゆらと実像が揺らいでいる。
「それはーー」
「これは、彼女の痛みや苦しみを全て閉じ込めるものだ。彼女は先程、『創生の魔術書』を読み、絶望と知識を享受している」
ライムはもう、自分では制御できない程に感情が膨れ上がっている。
助けるにはこの魔術書を使うしかない……が。
ルドルフは手のひらに浮かぶ魔術書をシオンへ差し出す。
(使うかどうかは……この子らに任せるしかない)
幾つもの遠い未来の中で、白き魔術書が破滅を呼ぶ場合もあった。
しかし、彼女が「創生の魔術書』を4冊も読んだという事実、この2人が訪れたという事実。
どちらも初めてのケースだ。
「…………」
シオンは筋肉質な両手で魔術書を受け取り、じっくりと眺め、こう尋ねた。
「この本は、ライムが生み出したもの……でしょうか?」
「そうだ」
「でしたら尚更、使いたくありません」
「ほう。……何故に?」
目を細め、シオンの回答を待つルドルフ。
魔術書を一目見てシオンは何か思うことがあるようだった。
「俺は自衛団になるために訓練している身ですが、以前にこれと似たような……いやもっと黒い魔術書を見たことがあるんです。その本からは、痛みや絶望や苦しみや逃避、いろんな負の感情が聞こえてきました」
今思えば、人以外から心の声が聞こえたのは初めてだった。
ーーあれはただの魔術書なんかじゃない。
『心中暴露』のスキルは人の声しか聞こえないはずなのに、その本からは悲鳴に似た声が絶え間なく聞こえた。
「『創生の魔術書』か……おそらく、『ラクリマの伝記』だろうな」
シオンの『心中暴露』のスキルをすでに把握しているルドルフは、表情を変えずに推測する。
シオンは断言するように、
「この本は、まだまっさらな状態です。けれど、ライムの抱えている負の感情全部を閉じ込めてしまっては、また新たな『創生の魔術書』になってしまうのではないでしょうか……?」
『創生の魔術書』は読んだものに膨大な魔力と知識、そして絶望を与えるという。
それを4冊分も読んだというのだから、ライムはどれほど辛い思いをしてきたのだろう。
ライムの姿に、なんとも言えない苦い気持ちが充満する。
「『創生の魔術書』は人々を絶望に苦しめると聞きます。俺たちは新たな『創生の魔術書』を作るなんてしたくありません。きっと、ライムだって……。それに気付けないくらいに疲れてたんだな」
歯を食いしばり、呻き、苦しむライムの小さな頭を優しく撫でる。
シオンはジュエルへ向きを変えると、
「ジュエル、悪いがここは譲れそうにない」
「わかってるよ。シオン。君を信じる」
「そうか」
ルドルフは一呼吸置いてから、言葉を続ける。
「では、彼女をこのままにしておくのか」
「…………」
現状を打破するための取っ掛かりがないと、やがて彼女は欲望に飲まれて戻れなくなってしまうだろう。
彼女を救うにはどうしたらーー。
「……僕に考えがあるよ」
長い沈黙の後、ジュエルは意を決したように発言した。
「だけど、僕たちも、ライムさんと同じように苦しむことになるーー」




