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99/135

99 友達だから




 まるで、濁流に飲まれたかのように膨大な量の感情が、精神が、思考が、渦になって押し寄せては激しく打ち付ける。


 シオンたちがいたはずなのに視界は真っ暗で、声さえも聞こえなくて……。


 私はどうなってしまったのだろう。

 ただこの痛みと苦痛だけは果てしなく続いていて、早くこの絶望から逃れたくて逃れたくて。


 そう思ううちに、また欲求という名の絶望がひしめき合って私の中で叫びを上げる。


 口の中で涎が溢れ、思考が停止し、さらには瞼を開けることができない。そして下腹部はさらに熱を帯びる。


『…………ッ』


 押しつぶされそうだった。

 かろうじて意識が保てているのは、果たさなければならない目的が身体の芯に残っているからだ。


『どうしてそこまで、他人のためにしようとする?』


 またあの男の人の声がした。

 深海から響く低い声は、頭の中に反響する。


『もう十分じゃないか。これほど苦しい思いをしてまで他人を助ける必要なんてあるのか?』


(…………!)


『早く、楽になりなよ』


 蜜のように甘い声が、今まで決して曲げることのなかったライムの決意を緩やかにする。


(もう楽になってもいいの……?)


『いいさ。たまには休んだっていいだろう?そんなに頑張ることなんてないのさ』


 嘘みたいに優しい言葉だ。

 甘えだとはわかっていても、すでに流れに身を任せてしまったライムには甘美な響きのように聞こえる。


 ライムは内心の確信をつく言葉に涙が出そうになる。

(私頑張ったよね、疲れたから休んでもいいんだよね)


 胸の奥から込み上げてくる今まで我慢してきたもの。


(…………そっか。ぐーたらしたっていいんだ。私、なんでこんなに頑張ってたんだろう。ねぇ。早く、ゆっくり……眠りたいよ)


 ゆっくりと目を閉じるように思考が停止していく。

 欲求に身を預けることがどんなに楽か。

 どんなに幸せか。


 幸せーー。


 これから眠ろうとする直前。

 ふと、足がふわりと軽くなったような気がした。


『…………?』


 わずかに意識が明瞭になる。

 目を開けることができる。


(やっと、眠れると思ったのにーー、……え?)


 そんな風に考えた自分に違和感を抱く。

 違和感と同時にサーッと背中に重たい罪悪感がのしかかる。

 血が廻り始め、私の体を掻き乱していく。


 ざわざわと身体が蠢く感じがする。

 焦燥感がぶわりと胸の中に広がった時、


『     』


 先程とは違う、男の人の声が聞こえた。

 何か喋っているようだがよく聞き取れない。


 そして少しずつだが、背中に感じる重量感が軽くなっていくような感覚に陥った。


『なぁに……?』


 次第にはっきりとしてくる意識に、戸惑いを隠せない。

 ここで眠るはずだった。


 なのにーー。


 覚醒していく。


 苦しいはずなのに、嬉しさで胸が締め付けられた時のような、心地よさを感じたのも事実だった。




====




「この白い魔術書には膨大な魔力が蓄えられているでしょ?」


「ああ、そうだな」


「これを使えば新たな魔法が構築できそうなんだ」


 シオンとジュエルは国王ルドルフの協力を得て、『オートマター』が作られていた巨大な魔法陣の下にいた。


 目的は明確だが、今から行うことはシオンとジュエルにもライムと同じように苦しみが襲うことを意味している。


 怖いと言えば嘘になる。


 けれど、ここで身を引くなんて微塵も考えていない。

 それはシオンも同じだろう。

 だからこそ、この方法を思いついた。


 たとえその先に苦しみが待っていたって、ライムさんから比べれば全然大したことなんてないはずだ。


 ジュエルは自分に言い聞かせるように言葉を選んで、こう告げた。


「ライムさんの痛みや苦しみを封印するはずだった魔術書を、僕達のものにする」


「…………詳しく聞かせてくれ」


 多少の驚きを見せたものの、シオンは耳を傾けたままジュエルの次の言葉を待つ。


 頷いたジュエルは白い魔術書に『鑑定魔法』を施して見せた後、


「どうやら、この魔術書はライムさんの魔力と固く結ばれているんだ。だから、上書きする」


「上書き……」


「うん。僕が『魔法白紙(マジックリセット)』してから、この魔術書に僕達の魔法のイメージを流し込むんだ。魔術書には膨大な魔力が蓄えられているから、イメージするだけで魔法が構築されるはず」


 ジュエルの『魔法白紙(マジックリセット)』はあらゆる魔法の効力を無効にする。

『魔法鑑定』しかり、商人として学ぶ時には非常に便利な魔法だ。


 まさかこんなところで役に立つなんて思わなかったけれど。


 自分の考えがシオンに伝わったかどうか、ちらりと見ると彼は一瞬だけ考える素振りをして「なるほど」と声を漏らした。

 そして、息を軽く吸ったかと思えば、


「ライムの痛みや苦しみを、俺たちで半分こするってわけだな!」


 とニカっと笑った。


「ーー!」


(こんな状況なのに……笑顔が出るなんて)

 シオンは、すごいと思う。

 それだけライムさんを大切に思っているんだ。


 それはジュエルも同じ気持ちだった。

 ほんの少しの恐怖心なんて今のシオンの笑顔で吹き飛んでしまうくらい。


 ジュエルはすっと顔を上げて、


「正確には3分の1ずつだよ」


 とシオンの意気込みに応えてみせた。




「それじゃあ、イメージして……。ライムの肩の荷物をそっと僕たちの肩に乗せるようにーー」


 少しずつイメージに伴った魔法が形成されていく。






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