貝と私
ドンッ!
という衝撃にハッと意識が戻る。
その直後、いっそそのまま意識が戻らなければ良かったと思うほどの痛みに襲われ呻く。
ドドドッ!!
厚い壁越しに伝わる衝撃に体ごとグラグラと揺れる
荒波に揉まれるように振り回される体はズキンズキンと痛む。
ドゴッ!!
ひときわ大きな衝撃のあと辺りが今までとは違う動きをする。突き上げるような動きとグエッとくぐもった音が響く。
まるで誰かが具合が悪くて吐きそうな声?
真っ暗な中でそんなことを痛みで霞む思考の中で考えていたら…ジュッと何かが蒸発するような音が足よりも下の方で聞こえた。
その直後右の足がまるで熱湯にでもつけたかのように熱くなった。
「ーーッ!!」
痛みは声にはならなかった。
ここはどこ?
苦しい。
なんでこんなにくらいの?
ああ、それよりも
痛い。
いたい、いたい。
なんで?
なんでこんなに痛いの?
纏まらない思考がなぜを繰り返す。
どこもかしこも痛くてしかたがない。
唯一動かせるを左手を暗闇の中で伸ばす。
上に、焼けつくような痛みから逃げたくて、ここから逃げるための何かを掴もうと手を伸ばす。
けれどぬるつく掌は確かなものなど何も掴めず、私はあぁと細く息をはいた。
ズキン、ズキンと脈打つ痛みは押し潰されている下半身から、焼けるような熱さは右の脚から。
ここで終わるのかな。
痛みと息苦しさにぼんやりとそんなことを思う。
こんな真っ暗な暗い場所で私の人生終わるのかな。
私は生きてきて何をどれだけしただろう?
『人様に迷惑をかけないようにすりゃ、好きに生きていいさ』
しみじみとそう言ったのは誰だっけ?
『あいつは勝手にバカやって勝手に死んだんだ。全部あのバカのせいさ、だからよ、お前は恨むんじゃねぇ、なんもかんもおおきくなったら判るさ。』
しってるよ、本当は、私だってわかってたんだよ。ただ、
…ただ、自分が認められなかっただけなんだ。
あの人にとっての代替品にも、支えにも、縁にもなれなかった。
ただ、必要とされない、『要らないもの』でしかない自分を認められなかっただけ…
痛みと聞き苦しさに意識が朦朧としてくる。
真っ暗で伸ばした指先すら見えず、ぬるついた液体を掻くだけだけで、何にも繋がらない。
暗闇をがむしゃらにもがくことすら出来ない。
なにも、出来ない。
自分にも、誰にも。
…誰にも?
ふと、沈む意識に何かがひっかかる。
誰かが、そうだ、誰かが私を…
ズズ…ギチッ…
何か奇妙な音と共に急にあたりの闇が消え去り光に溢れる。あまりの眩しさに目をきつく閉じているのに、瞼ごしでも刺すような明るさに目が眩む。
誰かに左の二の腕を掴まれ狭く苦しいそこからずるりと半ばまで引きずり出される。
その激しい痛み。
もう自分の意思では動かせない身体はがくりと仰け反った状態で…
うっすらと開いた瞼の間から見上げた空には綺麗なピンク色がキラキラと煌めいて…
そこで私の意識はブツリと途絶えた。
シャラリ、パキリ、カシャン。
シャラリ…パキンッ
薄い何かが割れるような音が聞こえる。
落ちて、割れて、キシキシと鳴る。
カシャリ、カシャンと崩れる。
なんだろう?
私は眠りながらそう考える。
何処かで聞いたことがある気がするのに…
ああ、そうだ…この音は薄い貝殻がぶつかって立てる音に似ているんだ。
そう気づいて私は懐かしいなって思わず笑った。
私の住んでた街には海がなくて、図鑑でみた綺麗な二枚貝の貝殻がほしくて仕方がなかった。
だから…だろうか。
私の中では童謡で聞く熊が拾ってくれるイヤリングはピンク色のその貝殻になってる。
本当は白だって解ってるけど、私にとっての、大切な宝物の貝殻はその色でしかなかったから。
修学旅行でいった海のある街の雑貨屋で買った硝子瓶に入ったその貝は、揺らすとシャラリ、カシャカシャと、おとをたてて瓶の中で揺れるてた。
欲しくてほしくてしかたがなかったその貝に触れたくて、
シールの封をやぶり、コルクの蓋を外して取り出して触れたとき…
酷くがっかりしたのを覚えてる。
ざらりとしたその表面は貝でしかなく、ガラスごしでは艶やかに見えた表面もうっすらと曇っていて…
なんだこんなものか、って。
憧れは憧れのまま、そのままにしておけばよかったと、酷く残念に思った。
だけれども…
その貝殻の色はやっぱりとても綺麗で、触れることは無かったけれど時折、瓶を揺らしては、聞こえる小さな音に耳を澄ませていた。
パキリ、カシャン…
耳の側で音がなり、私はそっと目をあけた。
どうやら、夢の中で見た瓶に閉じ込められた貝殻によく似た色を纏う人…ノヴァイハの側で眠っていたらしい。
意識を失う前に感じていた痛みも苦しさも不快感も何もなく、ひどく澄んだ空気に囲まれている。そんな気がした。
カシャン…
ノヴァイハは私が目を覚ましたことに気づかないのかどこからともなく半透明の淡いピンク色の何かを取り出しては私の側に置いていた。
手のひら程の大きさのそれは辺りいちめんに散らばり、時折まるで空気に溶けるみたいにスウッと消えていく。
パキリ
またノヴァイハの手に乗せられたそれはやっぱり綺麗で
「きれい…ね」
思わずそう言えばノヴァイハはチョコミントみたいな縦に裂けた瞳を見開いてこっちを見た。
驚きに固まったノヴァイハの手にあるソレに手を伸ばしたけれど、触れる前にそれはカシャンと落ちた。
私の伸ばした指先はノヴァイハのすこし冷たい指にからめとられたから。
きれいな貝のような色の爪。
きれいな爪が揃った指先に包まれて、ぎゅっと胸が苦しくなる。
そう、こうして
手を繋いでほしかったのーーー
幼い声が聞こえた気がした。