第一話
「ふあぁぁぁっ‥‥あー、眠っ。」
大きく伸びをして欠伸を漏らすと、周りの大人が迷惑そうにこちらを見てきた。
今俺がいるのは、朝の通勤ラッシュ真っ只中の地下鉄だ。スーツに身を包んだサラリーマンと思しき大人たちが、ぎゅうぎゅうに詰め込まれている。
「いやぁほんと、暑苦しいですねぇ。」
隣で押しつぶされそうになっている小太りの中年に話しかけてみる。
「‥‥‥‥‥‥」
至極迷惑そうな顔で無視された。‥‥俺は無視されたことを無視しようと思う。
「おじさんも今から仕事?俺もなんだよねー、昨夜も遅くまで働いたのにさ、」
─ピリリリリリ
携帯電話が鳴る。
「あ?‥俺のか。」
連絡先も確認せずに通話を押す。こんな朝早くに俺に電話をかけてくる奴は一人しか知らない。
「あー、もしもし?」
『おはようございます先生!昨夜はお疲れ様でしたねぇー!で、早速依頼がきているんですがー、』
甲高い声が早口でまくし立てる。隣の小太り中年にも聞こえているのか、俺のことを睨みつけてくる。
「睨むならこいつを睨めよ。」
言いながら携帯電話をたたく。小太り中年は舌打ちをして俺から目を離した。
『先生ー?なんかいいました?』
「いや、別に。今電車ん中だからまた後でかけ直す。」
返事も聞かずに通話を切る。
「依頼、ねぇ‥‥」
─よくもまぁ毎朝も来るもんだな。
ふとそんなことを思ってしまう。‥‥普通の働き手なら、仕事の依頼が来たら喜ぶのが当然だろう。‥まぁ、それは俺も同じなのだが、素直に喜べない理由があった。
非日常的な俺の職業。
─殺し屋。
至って日常的な地下鉄に、そんな非日常が堂々と存在しているのを、ここにいる恐らく全員が予想だにしないだろう。
‥‥いや、そんなことはどうだっていいんだ。問題は、また依頼が入っているということだ。昨夜も人目に付かないよう、真夜中に“仕事”を行った。事後処理も含め昨夜はほとんど寝られていない。結局寝たのは一時間ほど。
「ふあぁぁぁ‥‥」
また欠伸が漏れる。
多分俺、ここにいるどの大人よりも沢山働いてる。そう自分を褒めることで眠気を感じないようにした。
─ピリリリリリ
「‥‥あ?なんだよ‥‥」
後でかけ直すと言ったはずだ。
「はいはい、もしもし?」
『せっ、先生~!はやくきてくださいよー!なんかややこしそうな人がきててぇ~』
「お前俺の秘書だろ。自分で何とかしろ。」
思わず、舌打ちを漏らす。
さっきから五月蝿いこいつは、俺の事務所の秘書だ。‥事務所といっても、社員は俺独りだけ。もっとも、殺し屋というものは大抵がそうなのだが。そういうわけで、俺には秘書など必要ない。‥‥のだが、どこからかやってきたこいつが執拗に付きまとってくるのだ。‥‥俺のことを“先生”などと訳の分からない名前で呼びながら。
今までは付いてきても脅して追い返していたが、それも長く続くと面倒になってくる。結局こちらが妥協して、秘書として雇うことにしたのだ。
‥‥‥が。さっきのように必要以上のペースで俺に電話をかけてくる。
ちなみに、女だ。齢は確か俺と同じで二十二だった。
「‥‥まさか、俺に惚れてるとかねぇよな。」
‥‥いや、もし仮に惚れられていたとしても、全く嬉しくない。あんな、煩くてどんくさい女は御免だ。
「‥‥‥っと、」
しょうもないことを考えている内に、電車が駅について止まる。俺の降りる駅だ。
「では、お先にぃー」
俺のことを終始見つめていた小太り中年に笑顔で手を振る。
「あ。」
手に持っていた携帯電話は、まだ通話画面のままだった。甲高い声が喚いているのが微かに聞こえたが、面倒くさいので切る。
それから再度小太り中年に目を向けると、新たに乗り込んできたサラリーマンに押しつぶされていた。俺もそうなるのは御免なので、サラリーマン達を掻き分けながら電車を降りる。
「あーっつ‥‥」
朝から大人に密着されるのは、本当に気分がよくない。
というわけで、目に付いたカフェにでも入って喉を潤して行くことにする。
‥‥秘書が言っていた、面倒な客が帰る頃合いまで、そこで時間を潰そう。
ポケットの中で絶えず振動する携帯電話を見て、そう思った。




