七 学校の意志 1
抱きしめてるのか、抱きしめられているのかわからない。でもそうしてると、とても安心できた。
「蒼くん、蒼くん」
うわごとのように名前を繰り返し呼ぶと、そっと頭を撫でられた。それだけで泣けてしまった。
「丹が無事で良かった」
「それは、わたしの台詞だよ。どこに行ってたの?」
「ずっと学校にいた。気づいたら通用門にいて、青春の像も元に戻ってて夢かと思った。けど丹がいなかったから」
だから戻ってきたんだ、と耳元でささやかれて、わたしは正気に返る。うわ、抱きついちゃった!
「木津くん、ごめんね! わたしちょっと混乱してたみたいでっ」
身体を慌てて離したけど、手だけはまだ握られてて……。
「あの、木津くん、手を」
「呼び方が戻ってる」
「え?」
「さっきまでは名前で呼んでた」
そうだっけ。そうだったかも。意識するとすごく恥ずかしくなってくる。
「ごめんね、木津くんは名前で呼ばれるのが嫌なんだよね?」
なにしろ自己紹介で言ったくらいだ。わたしは聞いてなかったんだけど。
「いいから、蒼って呼んでよ。俺、丹に呼ばれるのはかまわないから」
ど、どういう顔をしたらいいのか、わからないよっ。とりあえずうなずいて、顔をかくしてしまおう。下を向いて、気づく。
足が戻ってる。耳に手をやると、これも普通だった。そういえば、ずぶ濡れだったはずの制服も乾いている。と言うよりも、最初から濡れていなかったみたいになってる。
「とりあえず、出ようか」
防火扉を引いて開く。短い階段をのぼって屋上に出た。空はもう太陽が昇っていて、やわらかな薄紅色をしていた。でも西の空にはまだ夜の名残がほんのり青く残っている。
深呼吸をする。朝日を、こんなにもすっきりした気持ちで見るのは初めてかもしれない。
「丹、そっちの手になにか持ってる?」
「え? ファイルのこと?」
自分でも呆れるけど、いまだに化学の実験レポートの入ったクリアファイルは失くさないでいた。でも言われて気づいた。わたし、なにか握ってる。
さっきの水のなかでつかんだんだ。今までの事が事なだけに、見るのが怖い。
「見せて」
蒼くんが、一本一本わたしのこわばった指をひらいていく。現れたのは、白っぽい丸い石だった。もしかして、これが排水溝に詰まっていたのかな。
「俺、自分が消えた後、もう一度学校に戻ったって言っただろ? 同じように入って、同じ道を通ったんだけど、なんにも起きなかったんだ。ただ違ったのは、白い犬が現れたことでさ」
あの尾も白い犬のことだ。
「しゃべるんだよ、その犬。見た目、ふつうなのに。それで、探し物してるから、見つけてほしいって」
そういえば花子さんも、探し物をしてるって言ってたような気がする。
「もしかして、それがこれだって言うの?」
「具体的には聞いてなかったんだけど、見たらなんかわかった気がするよ。とにかく、正門に行こう」
ペンキのはげた階段を見て、わたしは思わず止まってしまう。
「ねえ蒼くん。まさかこの非常階段で、〝情けに非ず〟なことが起きたりしないよね」
非情階段。笑えない。
「……大丈夫じゃないか、たぶん」
たぶん、がずいぶん頼りなく聞こえた。わたしは持っていた石を強く握った。なにかあったら、これを壁にたたきつけてやるからね。ちょっとは脅しになるかな。
二人分の重みを受けた階段は、靴音以外の音はたてなかった。なにも起きることなく、地面に到着した。




