仕舞い
分からないと言えば私を呪っているあの女もよく分からない存在だ。
着物をきているからにはそれなりに古い時代の存在なのかもしれないけれど、そうなるとますます私と何処で縁ができたのか分からなくなる。
私がそう言うと、一ノ宮さんは「あくまで推測ですが」と断ってから話し始める。
「恐らく他の誰かが拾ってきた物が擦り付けられるように延々と回り続けて、たまたま佐倉さんのところにまで来たのだと思います」
「え? じゃあその間に他の人も呪われてるんじゃあ」
「呪う対象に何らかの条件があるのだと思います。恐らくこの間佐倉さんに絡んでいた桐生くん経由ではないでしょうか。彼の近くに居る五十嵐さんはあの通りですから影響など受けないでしょうし。加えて桐生くんの佐倉さんへの苛立ちとあの女の呪いの矛先が同調してしまったのかもしれません」
あの金髪のせいか。
というか五十嵐さんの背負ってる魔王はあの見るからにヤバい女より強いのか。
何で普通に生活できてるのあの人。
「……来たようですね。思ったより早い」
「え?」
一ノ宮さんがそういうのと同時に、閉じられていた扉からかりかりと何かをひっかくような音がし始める。
それは次第に強くなっていき、ガリガリと硬いものを削り取るような音へと変わっていく。
「絶対に結界の中から出ないでください」
「……分かりました」
元より私にできることなんてない。
そう思い素直に返事をしたところで、扉が弾け飛ぶように勢いよく開け放たれた。
「――イブキ!」
女がノイズの混じった壊れたラジオみたいな声で私の名を呼ぶ。
「――掛けまくも畏き……」
一ノ宮さんが呪文のようなものを唱え始めるけれど、女は僅かに顔を歪めただけでそのまま中へと入ってくる。
それを見た一ノ宮さんは呪文を唱えるのをやめると、白い瓶を取り出しその中身を女へとぶちまけた。
「ぎゃあああああ!」
瞬間、女から白い煙のようなもやが吹き出し、顔を苦痛に歪め悲鳴をあげながらのたうち回り始めた。
その地獄の底から響いてくるようなひび割れた声に身がすくむ。その声を聞いただけでさらに呪われるのではと恐れが強くなる。
しかし一ノ宮さんは女の声に怯むことなくもう一本瓶を取り出し女へと近寄っていく。
だが瓶の蓋を開けるのとほぼ同時、黒い何かが翻り一ノ宮さんの体が宙を舞った。
「がっ!?」
「え!?」
吹き飛ばされた一ノ宮さんが壁に強か背を打ち付けて苦悶の声をあげる。
一方の私は目の前の光景に目を奪われ間抜けな声を出すことしかできなかった。
女の黒髪。ただでさえ長かったそれがさらに伸びて、蛇のようにうねりながら床や天井を打ち付けている。
何だこれは。
いくらお化けだからって物理法則も何もあったものじゃない。
そんな場違いなことを私が考えている間にも、女は私の方へと髪をうねらせながら近寄ってくる。
明らかに結界の中に私が居るのに気付いている。でも一ノ宮さんは動けそうにない。
これでも結界の外に出てはいけないのか。逃げた方がいいんじゃないのか。
そんなことを考えながらも私は結界から出ようとはしなかった。
それは一ノ宮さんを信じたから何て綺麗な理由ではなく、単に腰が抜けて動けなかったからだ。
それに結界から出たところであの蛇のように伸びる髪を避けて外に出るなんて不可能だ。
つんだ。
そう分かっても完全に恐怖にのまれた体は悲鳴すらあげさせてくれない。
そして何もできない私をあざ笑うように女が手を伸ばして来て――。
――退きなさい。
突然現れた誰かがその手を遮るように私の前に立ちはだかった。
「……え?」
着物を着た長い黒髪の女性。
一瞬女が分裂したのかと思ったけれど、私に背を向けているその人は女と違って着物が着崩れておらす、女とは違う鮮やかな赤い帯をしていた。
何より纏う空気が違った。
女が暗い影だとすれば女性は木漏れ日のような安らかな光。
その女性はゆっくりと私の方へと振り返ると、呆気にとられる私を安心させるように微笑んだ。
「……一ノ宮さん?」
その顔があまりに似ていたのでそう呟いてしまった。
しかし慌てて視線を巡らせれば、一ノ宮さんは火のついた蝋燭を片手に女の後ろに立っていた。
女が分裂したと思ったら一ノ宮さんが分裂していた。
どういうことなのか。というか一ノ宮さんはその蝋燭で何を!?
「古来より厄払いといえば燃やすのが手っ取り早いですからね」
そう私の疑問に答えるようにいうと、一ノ宮さんは女性の登場に狼狽える女へと蝋燭を突き出した。
「ぎゃああああ!?」
女の悲鳴が響く。
女の体が炎に包まれる。
一ノ宮さんが女に付けた火は、冗談みたいな勢いで燃え上がりあっというまにその身を覆いつくした。
だがその炎は女の身を焼くだけで木造の床や天井に燃え移る気配はない。
ただ女を焼くためだけに存在するかのようにその身を包み込んでいる。
「熱い! 何故!? 何故……また……おまえたちが!? 何故おまえが生きて……いる!?」
女が一ノ宮さんに向けて何か叫んでいる。
その意味はよく分からないけれど、声は徐々に弱弱しくなっていき、蛇のようにのたうっていた髪も燃え尽きていく。
「――何故」
そして最後にそうかすれた声で言うと、女は倒れた。
女が倒れた瞬間、私は呪いから逃れられたのだろうか。
炎は消え、私を守ってくれていた女性も消え失せる。
それまでの光景が嘘だったかのように目の前の空間が現実へと書き換えられていく。
その場には私と一ノ宮さん。そして焼け焦げた人形と黒い着物を着た人形だけが存在していた。
・
・
・
「結局あの女って人形だったんですか?」
後日。
お祓いやら何やらをされた後に後始末はこちらでするからと帰らされた私は、大学で一ノ宮さんを見つけようやく事情をきけることとなった。
全て終わったと言われてもあんな何が何だか分からない状態では安心できやしない。
そもそも結局何故私は呪われたのか。
「その前にコレをお返ししておきますね」
そう言って一ノ宮さんが大きなバッグから取り出したのは、透明なケースの中に入った衣装人形だった。
事が終わった後に私を守るように立っていた黒い着物に赤い帯の人形。
間違いなく私が祖母から受け継いだ守り人形だった。
「大事にされていたんでしょうね。ひとりでに動いて持ち主を守るほど力を持った人形というのは珍しいですよ」
「珍しいですむんですか」
むしろ他にも存在するのか。
いや守ってもらったのはありがたいけれど、この守り人形も中々に謎だ。
「まずあの場に残された焼けた方の人形ですが、あの後調べたら焼け残った内側にびっしりと何かの文字が書き込まれていました」
「恐ッ!?」
もうその時点で怨念がこもってるのは大体分かる。
恨みがどうこうなってああなったのではなくて、最初から呪いの人形として作られたのだろうか。
「でしょうね。そして気になるのが辛うじて読める部分に佐倉さんの名前があったことです」
「……え?」
呪いの人形に私の名前が書かれていた。
つまりアレはピンポイントで私を呪うための人形だった?
誰が何のために?
「いえ。人形の朽ち具合からしてかなり古いもののようですから。佐倉さん自身を呪ったわけではなく、本来の呪った相手がたまたま佐倉さんと同じ名前だったのだと思いますよ」
「……つまり私はたまたま流れ弾をくらった?」
「そうなりますね」
なんじゃそりゃ。
そんな理不尽な理由で私は呪われたのか。
そもそも同じ名前の人間なんて私以外にもいくらでもいるだろうに。
「そこで手掛かりになるのがあの女が最後に残した『何故おまえたちが』という言葉と、その守り人形です」
「ああ。そんなこと言ってましたっけ」
意味が分からないので深く気にしていなかった。
しかし守り人形については気になる。何故この子は一ノ宮さんにそっくりなのだろうかとか。
「推測になりますが、あの呪い人形は以前にもその守り人形に呪いを阻まれたのではないでしょうか。だから呪いが完結しておらず再び呪いを実行しようと動き出した」
「え? じゃあ私の先祖の誰かが私と同じ名前でアレに呪われてたってことですか?」
「あくまで予想ですが。でもそれならあなたが狙われた理由がしっくりくるんですよね」
確かに。
同じ名前の人間が何人も居るとはいえ、本来の呪う相手が私の先祖だったのならそりゃ私を狙うだろう。
でも仮にそうでも「おまえたち」と複数形だったのは?
「それはまた推測になりますが、その人形を作ったかモデルになったのが私の先祖だったのではないでしょうか。自分で言うのもなんですが似すぎてますし」
「あー」
一ノ宮さんもやはりそこは気付いていたのか。
そして私の先祖は私と同じように一ノ宮さんの先祖と守り人形に助けられたと。
「それはまた奇妙な縁というか」
「佐倉さんには親しみを感じていましたがそういうことだったのかもしれませんね」
そういって微笑む一ノ宮さんは美人過ぎた。
何それ口説いてるの?
「そういうことなら先祖ともどもありがとうございました。この人形も大切にしときます」
「どういたしまして。私もその人形は他人のような気がしないのでそうしてくれると嬉しいです」
そうして突然始まった人形にまつわる奇妙な事件は終わった。
もっとも、一ノ宮さんとの付き合いはこの後も長いものになったのだけれど。
「それにしても失礼ですけど一ノ宮さんって女性だったんですね。みんなが性別不詳っていうから確信がもてなくて……」
「あ、すいません。私こんな格好してますが男ですよ」
「……え?」