悪魔のスープ
いつの間にか眠ってしまったようだ。いま何時だろう? 枕元の時計を見てアタシは度肝を抜かれた。朝の五時だった。
尼僧の朝は早い。起床は四時四〇分である。その時刻には起床係が各部屋を廻って、というか廊下で鐘を鳴らして皆を叩き起こしてくれる。
アタシも自分が当番でないときは、その鐘に起こしてもらうのが常だった。が、今日はその鐘がなかった。まさか聞き逃すほどに爆睡していたのだろうか……そんなはずは、ない。
ともかくアタシは急いで身支度をし、食堂へと向かった。最悪の目覚めだった。
食堂ではすでにシスターたちがテーブルに着いていた。
「遅れて、すみません」
アタシの言葉に誰も返事をしない。シカトですか? 仕方なくアタシも席に着いた。
すぐに異様な雰囲気に気づいた。シスターたちの誰も、目の前のスープに手をつけていない。皆、一様に黙って下を向いている。
そして、気づいた。シスター・パトリックの姿がない……。
「お目覚めですか」
「きゃっ」
不意に背後から声がしたので、アタシは思わずのけぞった。堪らずに振り返ると、そこにスープの皿を持ったシスター・パトリックが立っていた。
彼女の顔を見るなりアタシは理解した。やはり、彼女は憑られていたのだ。
「とりあえず、スープのお皿を置いてもらって、いいですか」
「食欲が旺盛ですね」
悪魔の出すスープなんて怖くて飲めない。アタシがそう頼んだのは、彼女(悪魔)の視線をテーブルのほうへ遣るためだ。アタシは、その隙に僧衣のなかで発信機のボタンを押した。頼むよグレインさん、マジで。
「あなた、誰。シスター・パトリックではないわね?」
アタシが彼女のほうを向いて聞くと、
「私は、あなたと浅からぬ縁がある者ですよ」と彼女は答えた。
「グラス・ディック・ジョーンズね?」
「おほほほほほ」
彼女は気持ちの悪い笑い方をした。シスター・パトリックのイメージが壊れるから、マジでやめてほしい。
「お会いできて光栄です、シスター・ロバート。その節はお世話になりました」
「トミーは、今日は一緒じゃないの?」
「あいつは、お払い箱になりました。やつの『指名』はトラブルのもとですからね」
彼女は続けた。
「今日は私が存分にお相手しますよ。私の契約は、トミーのそれみたく、ややこしくありません」
「……あなたは、人のからだを乗っ取るのね」
アタシは敵意をむき出しにして言った。
「乗っ取るなんて人聞きの悪い。誘惑と言ってください」
「誘惑もかなり悪いと思いますけど?」
するとジョーンズは余裕の表情で、
「誘惑が悪いんじゃない。誘惑に負けるのが悪いんです」と言った。
こいつ、マジでブン殴ってやろうか。でも、腕力では確実に負けそうだ。見た目は華奢なシスター・パトリックだが、中身は悪魔なのだ……。
アタシは話を引っ張った。グレイン氏が助けに来てくれるまで、少しでも時間を稼ぐ必要があった。
「どうやって誘惑するお心算?」
「そうですね……私が用意したスープを召し上がっていただければ、手っ取り早いと思います。ほかのシスターたちと同様に、すぐに夢の世界へ旅立てますよ」
テーブルに着いているシスターたちがグッタリしている理由は、それだったのか。そんな世界、行きたくもない。
「……もし断ったら?」
アタシは聞いた。声が少し震えてしまった。