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間章:戦闘機無用論の黄昏とブリッツ空襲

 いくつかの戦闘機について、試作機が初飛行した時期を並べてみました。


          初飛行

グラディエーター  1934

ハリケーン     1935

スピットファイア  1936

デファイアント   1937


He51        1933

Bf109        1935

Bf110        1936


九六式艦上戦闘機   1935

零式艦上戦闘機    1939

二式複戦(屠龍)    1941

十三試陸戦(月光の原型) 1941


 試作マーリンエンジンの最初の2基がハリケーンとスピットファイアの1号機に積まれたのですが、ハリケーンの初飛行は1935年11月で、スピットファイアと半年ほどしか違いません。「戦闘機無用論」をくつがえした機体群は、1935年以降に出てきていますが、固定脚機や複葉機が最新鋭であった時代は、そのすぐ前まであったのです。九六式艦上戦闘機はまだ固定脚ですから、日本は開戦ぎりぎりで世界に追いついたと言ってもいいでしょう。


 前大戦で活躍した単発複座戦闘/多用途機の後継として、動力銃塔を備えた単発または双発の複座機が各国で作られました。イギリスはハート軽爆撃機(初飛行1928年、単発複座複葉)の戦闘機型デモンを作り(量産開始1933年)、順次後部座席に動力銃塔を備えました。各国が真似した(まあ、試した)のですが、「戦闘機無用論」とは逆の話で、すばしっこい新世代戦闘機に動力銃塔は分が悪く、次第に空から消えていきました。動力銃塔が主力製品であるボールトンポール社は社業発展の夢をかけてデファイアントを開発し、採用されましたが、ほんの少し時流に遅れてしまいました。日本の十三試陸戦は試作機についていた銃塔を廃止して二式陸上偵察機として採用されました。


※ハートの水上偵察機型オスプリは、スウェーデンへ輸出されてS9と附番され、「艦隊これくしょん」にも実装されました。


 ドイツのBf110双発戦闘機は開発経緯によくわからないところがあります。動力銃塔を備えた戦闘機を求めた空軍省の仕様提示(競作)に、動力銃塔抜きで余力を速度など他の性能に振った仕様違反のBf110を提示して、政治的なゴニョゴニョで空軍省もしぶしぶ開発継続を認めたように思われますが、ゴニョゴニョの記録は残りにくいのです。この機体には(競作仕様がすでにそうなのですが)「爆撃機部隊の長距離護衛」という新しいテーマが盛られていて、二式複戦(屠龍)や十三試陸戦もそれを念頭に置いた機体であり、二式複戦は動力銃塔を飛ばしてBf110に似た機体を目指したように思えますが、Bf110同様に新世代戦闘機には苦戦しました。


 バトルオブブリテンでBf110がイギリス戦闘機に喰われ、Bf109の護衛をつける命令が出たのは有名ですし、デファイアントが懸命の自衛に努めたことも知られています。そしてドイツ双発爆撃機も、今まで見てきたイギリス爆撃機隊と同様、戦闘機による大きな被害を受けました。


参照:84頁「ブリッツ空襲:1940年9月~1941年5月」


 上陸作戦の目が当面なくなった1940年9月後半以降に、ドイツ空軍が仕掛けた戦略爆撃作戦は、ソヴィエト侵攻でドイツ空軍が忙しくなる1941年5月まで続きました。Wikipediaには「The Blitz(ザ・ブリッツ)」として項目が立っています。1942年4~5月に5つのイギリス都市が爆撃された「Baedeker Blitz(ベデカー爆撃)」とは別ですからお間違えなきよう。イギリス同様、戦闘機の脅威が排除できないドイツは、夜間爆撃に傾いていきました。ドイツにはすでに電波誘導システムがあり、これを妨害しようとするイギリスと文字通りの暗闘になりました。この件に絞った英独の電波誘導戦項目「Battle of the Beams」は英語版Wikipediaにだけ立っています。


 ドイツ側の目標は、ロンドン市街、工業都市群、水上交通妨害を計った港湾爆撃と揺れ動き、いずれも不徹底でした。いずれも市街地と民家に大きな被害を出し、消火・救助・避難民の世話と言った地域行政上の負荷を大きくかけることになりました。それでイギリスも屈服しないのだからドイツだってそうだろう……というのははるか戦後の今だから言えることで、「もっと爆撃機部隊が充実すればドイツ国民の士気も折れるはずだ」という意見を否定することは困難でした。否定したら「戦略爆撃は無効、リソースを他所へ」と言っているようなもので、それはそれで支持者から反撃されたでしょうね。


 この古典的なテラー爆撃への信奉と並んで、イギリス空軍と政府の要人たちが期待をかけていたのは石油生産への打撃でした。英語版Wikipediaに「Oil campaign of World War II」という項目が立っていて、「Campaign strategy」という節に、大戦初期にたくさん並んだイギリス空軍爆撃目標リストの中で、石油施設がしばしば最上位に来たという解説があります。まあこの時期は、いずれにしても爆撃機部隊が非力で、言葉での議論が成果より先に立っていたわけで、もう少し先にならないと事態は動かないわけです。


 ドイツがソヴィエトに攻め込むと同時にイギリス本土への圧力は下がったのですが、爆撃機軍団には別の爆弾が落ちてきました。1941年8月のButt報告書です。英語版Wikipediaには「Butt Report」という項目があります。


 航空写真撮影は機材もそろわず技術も確立せず、かえって民間の航空写真企業が売り込みをかけてくるありさまで、ようやく1940年12月に爆撃目標の鮮明な爆撃後写真が手に入り、爆撃機部隊からの報告と大きく食い違っていることが明らかになる事例がありました。そしてButt報告書は徐々に集まってきたデータから、爆撃後の目標写真633枚を乗員たちの戦果報告と突き合わせ、「目標から5マイル以内に投弾できているのは1/3」といった厳しい現実を暴いたのです。


 ここから半年ほどイギリス空軍は大もめにもめ、1942年2月に爆撃機軍団司令官が辞めざるを得なくなって、"ボマー"ハリスが着任するのですが、次回はもう少しこの間の細事を拾ってゆくとしましょう。


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