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「どういうつもりだ、ザシャ」
ラウタが規則正しい寝息を立てている。
ライナーはの睡眠を妨げないようにそっと立ち上がり、ザシャに聞こえるか聞こえないかの小さな声で彼を問いただした。
声の音量は小さくても、その声にはしっかりと怒りが感じられる。
ライナーの怒りに反応するかのように、夕日が部屋に差し込んで、部屋中がゆっくりと朱色に染まり始める。
「この地が、ラウタ嬢をここにしばりつけようとしている」
そうザシャが答えると、ライナーはザシャの胸倉をつかみ上げ、壁に押し当てた。ガタンという大きな物音がして、廊下で控えていたモーリッツが部屋を覗いた。その様子を見たモーリッツは慌てて主人を止めに入る。
ライナーはおとなしく手を離したものの、逆光によって黒く塗りつぶされた顔から、視線だけが鋭くザシャをにらみ続けていた。
「ラウタは俺の娘だ。あの子に及ぶ危険ならなんだって払って見せる」
今にも噛みつかん勢いでライナーはザシャにそう吐き捨てた。
ザシャはその言葉を聞くなり、フンと、鼻で笑った。
「これはラウタ嬢が決めることだ。この土地の神でも、君でもない」
ザシャはゆっくりとライナーに近寄り、今までのラウタが見てきた表情からは想像できないほどの獣じみた笑みをライナーに向けた。
「ただ、腰抜けどもによって滅びゆく国に戻るぐらいなら、この土地で暮らした方がましだとは思うがね」
その言葉を聞いたライナーは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐにすっと目を細めてザシャを見下すように笑みを浮かべる。
「お前も腰抜けどもの一味だろう? 自分の命惜しさに死んだふりなんぞして」
「命惜しさ? 僕はただ確実に相手の首をとれる時を狙っただけさ。完膚なきまでに叩きのめせる勝利こそ、この世で最も美しい」
赤く染まる部屋で、二人の影だけがやけにくっきりと黒く染まって見える。ライナーの影にかくれたザシャの瞳は怪しく光り、そして、その勝利の時を想像してだろう、うっとりと甘美な夢に浸るザシャは恐ろしいほど美しい微笑みを浮かべる。
その表情を見たライナーはふん、と鼻を鳴らし、相変わらず悪趣味だな、と目を細めた。
ライナーはどけ、とザシャの肩をたたく。ザシャは何も抵抗なく道をあける。
「お前も、この土地の神とやらも、ラウタが何者かわかっていないようだから教えてやる」
そういいながら扉まで歩みを進める。そして、扉の前で立ち止まり、ザシャのほうにふり返ってつづけた。
「ラウタはグリーン領の次期当主だ。そして俺と、俺の愛する妻の子だ」
にやりと笑いながらそういうと、ライナーは部屋から出て行った。モーリッツが後を追って部屋から出ていくと、赤く染まった部屋にはザシャとラウタだけが残された。
すると、窓も開いていないのに不自然にザシャを包むように風が吹く。ザシャは窓の方を向くと、そっと窓を開けた。
部屋の窓から風が吹き込み、小さなつむじ風を発生させる。その風の中から出てきたのは、ラウタが探していた、あのフードの青年だった。
その青年が姿を現した瞬間、バタンと窓が閉まる。
ザシャと青年、二人が窓の方を向くと、そこには眠っていたはずのラウタが出口をふさぐように立っていた。
ラウタはにやりと微笑んでいった。
「やっと捕まえた」
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