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おまけ

 大部屋まで送ってもらった後も、なんだか実感が湧かなかった。

 ジークが私のことを好きだって言ってくれた。渡せるはずが無いと思っていた指輪を、ジークが受け取ってくれた。

 「お前が好きだ」って低く囁かれたことなんかを思い出すと、恥ずかしくてたまらなくなる。私は枕にぼふっと顔を埋めた。

「ねえ、さっきから何一人でにやにやしてるの?」

 隣のベッドから、弾んだ声が聞こえてきた。顔を半分だけ動かして、左目でミナを盗み見る。うつ伏せに寝転んでいるミナは、何故だか期待に満ちた目で私を見ていた。

「とうとう言ったの?」

「な、何が?」

 ミナの質問の意図が全く分からず、怪訝な思いで問い返す。ミナは軽く頬を膨らませた。

「何って、ジーク様に好きだって伝えたのかって聞いてるのよ」

「ふげっ!」

 びっくりして、潰れた蛙みたいな声が出た。

「な、な、ななな何言って」

 私、ミナにジークのことが好きだなんて話、したことあったっけ!?

 ……いや、無いはずだ。なのに、なんで、なんでミナは私の気持ちを知ってるの!?

「いやいやいや、気付かれて無いと思ってたの? バレバレだよ」

 ミナはにやにやとからかうような笑みを浮かべた。

「ついでにジーク様がナーシャのこと好きだって言うのもバレバレ。でも、ここまで長かったねえ」

 このまま二人とも素直にならなかったら、どうしようかって心配してたんだけど。ミナは邪気の無い笑顔でそんなことをのたまった。

 私はもはや言葉を失って、馬鹿みたいにあんぐりと口を開けて、ミナを見つめるしかなかった。




 翌日の朝、練習場に行こうと廊下を歩いていたら、向こうから誰かが小走りで走って来るのが見えた。彼女の動きに合わせて、蜂蜜色の髪が柔らかく揺れる。

「ナーシャさん!」

 ルカは私の前まで来て立ち止まると、ぺこりと頭を下げた。

「昨日はご迷惑をお掛けして、本当にすみませんでした」

「そ、そんなの謝らないで! 私が勝手に首をつっこんだんだから!」

 私はびっくりして、大きく頭を振った。

「それよりも、ルカは大丈夫だった? 怪我とか、もう平気なの?」

 顔を覗き込むようにして問い掛けると、ルカは笑って頷いた。

「僕はなんともありません」

 昨日はそれどころじゃなかったから気付かなかったけれど、この子、女の子にしては声が低いな。一人称も僕だし、顔を見なかったら男の子と間違えてしまうかもしれない。

 そんなことを思いながら、私はルカに笑顔を返した。昨日、ジークに好きだと言って貰えたおかげなのか、それとも、ルカ自身の嫌味の無い性格を知ったおかげなのか──昨日まで抱いていた、ルカに対する醜い嫉妬心のようなものは、もう湧き上がっては来なかった。

「本当? 昨日突き飛ばされた時、ぶつけた場所とか痛くない? 光魔法くらいなら私も掛けられるから、言ってね」 

 まあ、光魔法は怪我を治癒できる訳ではないから、ただの気休めのようなものなのだけれど。私の問い掛けに、ルカはぶんぶんと頭を振った。

「いえ、ナーシャさんに守って頂いたおかげで、怪我はせずにすみました。ありがとうございました。本当、男として情けないですよね、女性に守っていただくなんて」

 ルカは困ったような風で、小さく笑った。

「早く第一隊の隊長や副隊長のように、僕も強くなりたいです」

 そう言ったルカの顔を、私はぎょっとしてまじまじと見つめた。

 ぱっちり二重の綺麗な焦げ茶色の目や、それを縁取る長い睫。小さな鼻、桜色の唇。どう見ても美少女にしか見えない。

 だけど──ゆっくりと視線を下ろした私は、言葉を失った。

 可愛いルカの首元には、女性にはあるはずのない喉仏があったのだ。

 どうして今まで、気付かなかったのだろう!?


 ルカと分かれて、練習場に向かって歩いていると、後ろから頭にぽんっと手が載せられた。その手の載せ方で誰かすぐに分かって、私はぱっと振り返った。

「ジーク!」

 私のすぐ後ろに立っていたジークは、振り返った私を見下ろして、小さく笑った。

「なんだよ、ご機嫌だな」

 ジークに会えた喜びが顔に表れていたらしい。何だか急に恥ずかしくなって、私は慌ててすました態度を取り繕った。

「え、そ、そう?」

 昨日ジークに好きだと言ってもらえたことも、一夜明けた今となっては、なんだか夢だったんじゃないかとすら思えてくる。だけど、こっそり盗み見たジークの右手の小指には、私のあげた指輪がはまっていたから、昨日の出来事は夢じゃない。

 そう思った途端、妙な照れがこみ上げてきて、ジークの顔を見られなくなる。何度も抱きついてしまったこととか、キスしたこととか思い出すと、両手で顔を覆って奇声を発したくなる。勿論、王城の廊下でそんなことをするわけにはいかないので、私は必死に平静を装った。きょろきょろとせわしなく視線を動かす私を見下ろして、ふっと笑われる気配がする。

 まるで私の気持ちを見透かされているみたいで、余計に恥ずかしさがこみ上げてきた。

「あ、ね、ねえ、ジーク。ルカって男の子だったんだね」

 ジークにからかわれる前に別の話題をと考えた私は、唐突にそう口にした。

「は?」

 ジークが唖然としたような声を上げる。

「え……まさかお前、女だと思ってたのか?」

 心底びっくりした、といった顔で、ジークは私を見下ろした。私は恐る恐るジークを見上げて、一つ頷いた。

「だ、だって、まともに会話したこと無かったから、声とか聞いたこと無かったし……。顔がすっごく可愛いから、だからてっきり」

 言い訳するみたいにそう並べ立てたら、ジークは呆れたように苦笑いを浮かべた。

「お前、それルカに言うなよ。あいつが一番気にしてることなんだから」

「い、言わないよ!」

 さすがの私でも、ルカに「女の子だと思ってたよ」なんてことは伝えていない。

「でも、そっか……ルカ、男の子なんだね」

 ジークと異様に親しげに見えていたけれど、ただ単にルカは先輩として慕っていただけだったのだ。ジークの方も、後輩として可愛がっていただけなのだろう。

 親しげに話す二人には近寄らないようにしていたから、ルカが男の子だってことに、ずっと気付けなかった。

 私はずっと無意味な嫉妬をしていたわけだ。

「馬鹿みたい」

 思わずそう口にしたら、ジークは怪訝そうに私を見下ろした。

「何が?」

「ううん、無意味なやきもちだったなと思……」

 咄嗟に説明しかけた私は、はたと我に返り口を噤んだ。けれど、少し遅かった。私の言葉にびっくりしたように、ジークは目を丸くしていた。

 な、何言ってるんだろう、私。恥ずかしすぎる。

「え、いや、あの、その」

 焦った私の唇から、意味不明な言葉が漏れ出す。てんぱる私から、何故か目を逸らしたジークは、口元に手を当てた。

「……お前って、ホント、たち悪い」

「え?」

 たち悪いって、何!? 懇意にしている後輩に、やきもちなんか妬いて、性格悪いってこと!? ぎょっとする私をよそに、ジークは伸ばした手で私の頭をわしゃわしゃと撫で出した。

「ちょっ、何! 髪の毛ぼさぼさになる!」

 いつになく乱暴な撫で方の所為で、二つに結った私の髪がぐしゃぐしゃに乱される。私はその手を避けるようにして、ジークを見上げた。たちが悪いなんていうから怒っているのかと思いきや、私から逸らされたジークの目元は、ほんの僅かに赤いような気がする。まるで、照れているみたいだ。

 って、あれ? 何で照れてるの?

 そう思った瞬間、驚きで一時忘れ去っていた恥ずかしさが、勢い良くこみ上げてくる。

 よ、余計なこと、言うんじゃなかった……っ。

 気まずい思いのまま、私は仕事に向かうジークと分かれて、練習場へ向かった。




 その日も私は一日中、魔術の練習をしていた。もうジークの傍を離れたいとは思っていないのだから、急くような気持ちで、遅い時間まで練習をする必要など無い。そうは思ったものの、もはや習慣となってしまっていた所為で、どうにも早い時間に部屋へ戻る気になれなかったのだ。

 人気もまばらになった練習場で、私はポケットから指輪を取り出そうとして、それがもう私の手元に無いことに気付いた。

「あー……そうだ、あげたんだった」

 これからは、今までのように夜に魔力を注ぐことができなくなってしまう。昼間、廊下でジークに会ったときに、魔力を注いでおけば良かった。

 そんなことを思いながら、私は練習場の裏側へと出た。いつもの如く、あの細い近道を通って帰るためだ。

 おなかすいたな。今日の晩御飯は何だろう。

 そんなことに思いを馳せながら練習場を出た私は、すぐ傍の塀にもたれかかるように立っている人物の姿に気付いた瞬間、ぎょっとして目を見開いた。

「じ、ジーク?」

 私を認めたジークは、苦笑いのような表情で私を見下ろした。

「お前、まだこっちの道から帰ってるのか」

「な、なんでこんなところにいるの?」

 驚きのあまり、何故か責め立てるような口調になってしまった。だけどジークはもう慣れているのか、ふっと笑っただけだった。

「お前を迎えに来たんだよ」

「へっ!? な、なんで。いつからいたの」

 いつ出てくるかも分からないのに、こんなところで待っていたの? 驚く私に、ジークは落ち着いた声音で言った。

「来たばっかりだよ。さっきそこでミナに会って、ナーシャももうそろそろ帰って来るはずだって教えてくれたから、寄ってみたんだ」

 ミナってば、なんでそんな話してるの。唖然とする私に近寄って来たジークは、指先で私の頭を軽く小突いた。

「お前なあ、こっちの道は通るなって言っただろ?」

「で、でもっ、私がこっちから出てこないで、表から帰ってたら、ジーク待ちぼうけだよ?」

 開き直ってそう言った私に、ジークは動じた様子も無く苦笑する。

「その方が安心だよ」

 本気でそう思っているような口振りだったから、私は押し黙った。細くて人通りの無い道とはいえ、王城内だから安全だろう。そうは思うものの、心配して迎えに来てくれたのかと思うと嬉しくて、頬が緩んでいくのを止められない。

「ナーシャ。俺は怒ってるんだけど? お前、なんでにやけてるんだよ」

 呆れたように紡がれたジークの言葉に、にやけてなんかないし、と返して、私は部屋に向かって歩き出した。すぐに隣に並んできたジークは、呆れたような様子ではあったけれど、もう何も言わなかった。私は隣を歩くジークを、ちらりと盗み見る。視線に気付いたジークが、どうかしたのかと言いたげな目で私を見下ろしてくる。たったそれだけのことで、私は何故だか恥ずかしくなって、さっと目を逸らした。

 言葉も無く二人で歩いていたら、何故か昨夜のことなんかを、思い出してしまう。キスのことを思い出したが最後、もう顔を上げられなくなって、私は俯いた。

 俯きがちに歩いていたら、ジークの左手が目に入った。指輪の石がきらりと光ったのを見て、そういえば、魔力を注ぎ込んでいなかったな、と思い出す。

「ジーク、ちょっといい?」

 人気の無い細い道の途中で、突然に立ち止まった私を、ジークは不思議そうに振り返った。

「どうした?」

「えーっと、左手を貸して」

 ジークは怪訝そうだったけれど、黙って左手を差し出してくれた。私は小指にはめられた、指輪の石に手を触れる。古い魔術を唱えて、魔石に魔力を注ぎ込んだ。魔力を吸い込んだ魔石が、ぽわ、と淡い光を放つ。柔らかな光が、驚いたように魔石を凝視するジークの表情を照らし出して、なんだか幻想的だな、なんて思った。

 ふ、っと光が収束して、辺りがまた真っ暗になる。私は何気無さを装って、ジークのその手に自分の指を絡み合わせた。

 一度、こんな風に手を繋いでみたかったのだ。今までは、いつも親子か兄弟みたいな繋ぎ方をしていたから。

 私から手を繋ぐことくらい、幼い頃ならなんてこと無かったのに、今は恥ずかしくて堪らない。私はジークの顔を見ないように、まっすぐ前を向いて言った。

「帰ろ」

 けれど、私のそんな気恥ずかしさにも、やっぱり気付かれていたらしい。ふっと笑う気配がした。

「……ありがとな」

 穏やかな声が、頭上から降って来る、まさかお礼を言われるとは思わなくて、私はびっくりして顔を上げた。

「え?」

「俺を守ってくれるんだろ、の《・》さん」

 からかうような声音とは対照的に、ジークの表情はひどく優しい。

 どうやら、指輪に魔力を込めたことに対して、お礼を言ってくれたみたいだ。

「ま、まあ、任せてよ」

 私は照れ隠しみたいに、口早に言った。

「私が一人前になって、転移魔法の使用許可を貰ったら、指輪の魔石にも術式を練り込むから。そうしたらジーク、私に何かあった時は、助けに来てね」

 ジークはびっくりした様子で瞳を瞬いた。その顔がなんだかいつもよりも幼く見えて、ちょっと可愛い、だなんて思ってしまった。

 勿論、そんなことをジークに言ったら怒るだろうから、決して口にはしないけど。

「お前が許可貰ったって、俺には使えないだろ」

「ううん。指輪の魔法は特別だから、使えるよ」

 こともなげにそう答えると、ジークはぎょっとしたようだった。護りの指輪は使用対象が限定される複雑な術式を用いているから、術者の使用できる魔法なら、その殆どが使用可能だ。てっきりジークは知っていると思っていたけれど、どうやら知らなかったらしい。

「なんだよ、それ。指輪が悪用されたらどうするんだよ」

 盗まれたりしたら、ってことを心配しているのだろうか。それに関しては、ジークもよく知っていると思うのだけれど。

「その指輪は貰った人にしか使えないから、大丈夫。だから、何かあったら宜しくね」

 私の作った指輪は、ジークを対象にしているものだから、仮に他の人が使おうと思ったところで、何の役にも立ちはしない。指輪は悪用される心配の無い、凄く便利なアイテムなのだ。

 ジークは呆れた様子で嘆息した。

「なあ、危険なことには首突っ込むなって言ったよな?」

「突っ込まないようにするけど、念のため?」

「ようにする、じゃなくて、突っ込むな」

 ジークはうんざりしたような顔で私を見下ろしている。だけど、その目はどこか優しい。私はふふっと笑って、ジークの左腕にしがみついた。

 好きだよ、って口にするのは恥ずかしい。だから、気持ちが伝わるように、ぎゅっと力を込めてくっつく。ジークは右手で私の頭を撫でてくれた。朝みたいな乱暴な撫で方じゃなくて、いつもと同じ、優しい撫で方。

 嬉しくて、頬がじわじわと緩んでいく。

「──なあ、ちょっとだけ付き合えよ」

 ジークは唐突に、そう言った。

「へ?」

 顔を上げて見上げたら、ジークはどこかいたずらっぽい目をして私を見下ろしていた。

「寄り道」

 寄り道って、どこに? そう思いながら、私はこくんと頷いた。




 練習場から続く細い道を抜けた後、私たちの寝泊りしている棟には立ち入らず、ジークは暗くなった道を足早に歩いていく。どこに向かっているのかと思いきや、やがて辿り着いたのは厩舎だった。

「えっ、寄り道って、ここ?」

 どこに行くのかと思って、ちょっと緊張していたのに。肩の力を抜いた私を一瞥して、ジークは苦笑いを浮かべた。

「馬鹿」

 ば、馬鹿!? 馬鹿って言った、今!?

「馬鹿じゃないし」

 頬を膨らます私を無視して、ジークは厩舎の中へと進んでいく。暗くてあんまりよく分からないけど、色んな馬がいる。興味津々で辺りを見回していたら、やがて、ジークは一匹の馬の前に立ち止まった。

 暗くて色は分からないけれど、もしかして、新人のときに馬上試合で乗っていた子かな。

「この子、新人試合の時に乗っていた子?」

 そう問い掛けたら、ジークは頷いた。

「俺の相棒。ヴァイスって言うんだ」

 ジークが顎に手を伸ばすと、ヴァイスはジークの手に擦り寄ってきた。

「わ、可愛い」

 いいなあ、撫でてみたい。そうは思ったけれど、馬は大きいしなんだかちょっと怖くて、私は思うだけに留めておいた。

 なんだか邪魔になりそうだったから、私はすっとジークの腕から離れる。ジークはヴァイスを連れて、厩舎を出た。

「ま、まさか、今からどこか行くの?」

 ヴァイスに乗せてもらって、どこかへ出掛けるつもりなのかな。ぎょっとして問い掛けた私に、ジークは小さく笑った。

「そう。まあ、すぐそこだよ」

「で、でも私、乗ったことないよ」

 小さい頃にお父さんに乗せてもらったことはあるけど、そんなの十年以上前の話だし、片手で数える程しかない。なんだか不安になって尻込みする私に、ジークは苦笑を浮かべて見せた。

「誰も一人で乗れとは言ってないだろ」

「そ、それはそうだけど」

 手綱を引いたジークが城門を通ろうとしても、門番の人は何も言わなかった。「少し出る」と告げたジークに「いってらっしゃいませ」と言って敬礼を返してきただけだ。私はどうすればいいのか迷った挙句、軽く頭を下げて、門番の横を通り抜けた。

 まだそんなに遅い時間では無いといえ、夜にこそこそと馬を連れて城を抜け出したりしたら、何か言われるのかと思った。私がそう伝えたら、ジークは呆れたように笑った。

「別にこそこそはしてないだろ。それに、このくらいの時間に出ることは、別に珍しいことじゃない」

「え、そうなの!?」

 普段からこんな時間に、城を空けたりしているの? それって、一人で? 怪訝に思ったのが顔に出ていたようで、ジークに軽く頭を小突かれた。

「いたっ」

 全く痛くなんて無いくせに、やっぱりそう口にしてしまう。

「別に遊びに出てるわけじゃない。仕事だよ」

「私、何も言ってないんだけど」

「顔に出てる」

 王城を出て、暫く行った広い道で立ち止まったジークは、慣れた動作でヴァイスに跨った。それから、何の躊躇いも無く手を差し出してくる。

「ほら」

 ほ、ほらって言われても。その手を取るのにどれだけの勇気が要るか、ジークには分からないのだろうか。恐る恐る、躊躇いがちに伸ばした手を、じれったいと言わんばかりに引き寄せられる。強い力で引っ張られたと思ったら、私はヴァイスの背中の上に引っ張り上げられていた。

「ひょええっ」

 た、高い! 視界が高い! びびりまくった私は、これでもかという勢いで、ジークの背中にしがみついた。

 くっついた背中が、微かに揺れる。どうやら、ジークは笑っているらしい。

「そんなに怖がるなよ、走ったりしないって」

「ほ、本当?」

「ああ」

 ジークはそう言ってくれたものの、私は結局ずっと、ジークにしがみついたままだった。ジークの背中に頬をくっつけるようにして、森の景色を眺める。王都を出てすぐの小さな森を、ヴァイスはのんびりとした速度で進んでいく。

 静かな空間に、カポ、カポ、カポ、とどこか可愛らしくも聞こえる、蹄の音だけが響き渡る。ちょっとお尻が痛いけれど、一定間隔で訪れるその揺れが心地良い。

 散歩が目的だったのかな、なんて思った頃、ジークがふいに言った。

「着いたぞ」

 ジークはさっと先に下りて、下から手を差し伸べてくれた。けれど、ヴァイスのどこを掴めば良いのかも分からない状態で、一人馬上に残された私は、すっかりパニックに陥って、まるで降参のポーズのように、両手を上げていた。

 ジークはそんな私を見上げて、呆れたように笑うと、両手を伸ばして、私の脇の下を掴んで持ち上げた。まるで幼子のように、ひょい、と地面に下ろされる。

「子どもかよ」

 ジークはそう言って笑うけれど、その目はどこか優しい。口調に反して態度が優しいから、いつものように文句を言い難くなる。

「あ、ありがと」

 私は照れ隠しのようにそう言った。それから、ぐるりと辺りを見回す。どうやら、森の奥にある泉に来たらしい。

 泉の水面には色とりどりの花が咲いている。それは、知っていた。昼間に何度か来たことがある。

 だけど、夜に訪れたのは初めてで──。

 私は水面を彩る鮮やかな花々の美しさに、はっと息を呑んだ。

 花が、光っている。

 暗闇の中で、水面に咲く花が光を放っているのだ。

「綺麗……」

 思わずそう呟くと、振り返ったジークがふっと笑った。私が泉の景色を堪能している間に、ジークはヴァイスを傍の木に繋いでくれていたらしい。ヴァイスは嬉しそうに、泉の水を飲み始める。

「ねえジーク、もしかして、これを見せるために?」

 そのために連れてきてくれたの? ジークを見上げて問い掛けたら、ジークは優しく笑って頷いてくれた。

「いつかお前に見せてやりたいって思ってたんだ。丁度この時期が、一番綺麗に光る時期だから」

「凄い……」

 光を放つ花だなんて、初めて見た。私は泉に駆け寄ってしゃがむと、きらきらと輝く花々を覗き込んだ。オレンジの花、グリーンの花、ピンクの花、ブルーの花。様々な色合いの花々が、まるで魔法を掛けられたみたいに、きらきらと輝いている。

「ねえ見てジーク、この花、見たこと無いくらい綺麗な色してる!」

 ぱっと振り返ったら、ジークはすぐ後ろで、優しい目をして私を見下ろしていた。私は何だか、途端に恥ずかしくなって、ぱっと立ち上がった。

 泉の前で、二人で向かい合って立ちすくむ。ジークは何も言わない。静かな空間の中で、私は気まずさをごまかすように、指先で前髪を撫でた。

「あ、あのね……」

 沈黙に耐えられなくなって、口を開いたその瞬間、そっと抱き寄せられた。ふわり、と、まるで羽のように、柔らかく包み込まれる。

 強く抱き締められるのもドキドキするけれど、こんな風にふわりと優しく抱き締められるのも、なんだかとても緊張する。

 ジークは私を抱き締めた状態で、囁くように言った。

「──なあ、ナーシャ。お前に騎士の誓いを捧げたい。受け取ってくれるか」

 ジークの低くて優しい声が、触れ合った身体に響いて少し恥ずかしい。

 騎士の誓いって、何?

 まさか、ミナが言ってた、騎士が結婚相手に贈るっていう誓いのことだろうか。突然のことにびっくりして、私は一瞬言葉を失った。

「で、でも、あの、それって結婚相手にしか出来ないんだよね? そんなに簡単に捧げちゃっていいの?」

 思わずそう問い掛けたら、ジークは苦笑したようだった。

「簡単じゃないよ。俺の十年越しの想いが詰まってる」

 その言葉に、とくんと胸が高鳴る。

「大体、俺より先にプロポーズ《・・・・・》したお前が言うなよ」

「え?」

 呆れたような言葉にびっくりして顔を上げたら、ふっと笑われた。

「護りの指輪を渡すのは、プロポーズだろ? 知らないとは言わせないけど」

 囁くような言葉がくすぐったくて、私は身を捩る。

 でも、ああ、そうだ。

 なんてことだ。

 私はいきなりプロポーズをしてしまったのか。

 真っ赤になっているだろう私を見下ろして、ジークは苦笑いを浮かべた。

「……嘘だよ。お前にそんなつもりが無いことくらい分かってる」

 小さい子に向けるみたいな、優しくて甘い声だった。私の考えなんて分かりきっていると言わんばかりの言葉に、私は些かむっとして言い返した。

「そんなつもり、無くは無いよ!」

「無くは無いって、なんだよ」

「た、確かに、あのときはプロポーズしたつもりは無かったけど、でも、これからもずっと一緒にいたいと思ったから、指輪あげたんだし!」

 これからも離れるつもりは無い。その想いを込めてぎゅっと抱きついたら、ジークは小さく笑った。

 それから、私から身体を離し、おもむろにその場に片膝をついた。私の左手を取って、両手でそうっと包み込む。ジークに下から見上げられたことなんてないから、なんだか凄く、変な感じだ。

「私、ジーク=ノーディスは、この身朽ちるまであなたを愛し、守り抜くことを誓います。この誓いを受け入れて下さるのなら──、どうか麗しいあなたの手に、口付けする許可をお与え下さい」

 な、なにこれ。な、なんて返事したらいいんだろう。てっきり、叙任式みたいに私も剣を持たされるのかと思っていた。なんだか、思っていたのと全然違うみたいだ。紫紺の瞳に窺うように見上げられて、私は途端に落ち着かなくなる。

 どう答えたらいいんだろう。そう思いながらジークを見下ろすけど、ジークは私の返答を待っているように見える。

「ど、どうぞ、宜しくお願いします……?」

 思い切ってそう口にしたら、ジークは一瞬おかしそうに唇を歪めて、それから左手の甲にそっとキスを落とした。

「有り難き幸せ。──我が姫よ、これより私はあなたの騎士として、決してあなたのお傍を離れぬことを誓います」

 顔を上げたジークは、私を見上げてふっと笑った。心臓がどきどきとうるさいほどに高鳴っている。こんなの、聞いてない。下手したら叙任式より大げさな気がする。本当にこんなこと、していいの?

 赤くなった顔を見られないようにぷいと逸らしたら、ジークは立ち上がって、私の頬に掠めるようなキスを落とした。

「じ、ジーク!」

 びっくりして睨みつけたら、小さく笑われる。

「お前が誓いの儀式を知らないなんて、意外だった」

「え?」

「夢見がちなお前が好きだと思って覚えたのに、まさかお前の方が知らないなんて」

 もしかして、私のためにわざわざ覚えてきてくれたの? 驚きに固まる私を、ジークは穏やかな目で見下ろしている。

「あの……、本当にこんな感じなの? その、叙任式みたいに、剣とか使わないの?」

「お前に剣なんか持たせられるかよ。首、切り落とされそう」

 ジークはそう言って笑う。確かに剣を持つのは不安だけど、それにしたって、失礼な言い草だ。切り落とすわけないじゃん、と返してから、私は抱いた疑問を口にした。

「えっと、さっきのは、普通はなんて返事するものなの?」

 許可をお与え下さい、なんて言われても、なんて答えればいいのかさっぱり分からない。

「"許可します。今後一生をかけて私を愛し、護りなさい"……だな」

 ジークは囁くような声でそう言った。

「そ、そんなお姫様みたいに、えらそうな返事なんだね」

 そんな文言なら、知っていてもなかなかスムーズに口に出すことは出来なさそうだ。そう思いながら呟いたら、ジークは微かに笑った。

「まあ、姫と騎士の誓いの儀式だからな」

 そっか。そう言えば本来は、騎士が一生お仕えすると決めたお姫様に捧げるものだったって、ミナが言っていたような気がする。かつて、騎士は自ら仕える相手を選んでいたみたいだから──現代の騎士は、陛下に任命された相手を護る存在だけれど。

「なんだかもったいないことしちゃった。ジーク、もう一回やってよ。そうしたら今度はちゃんとお返事するから」

 ジークの袖を引きながらそう強請ったら、ジークはびっくりしたみたいに私を見下ろした。

「馬鹿言うなよ。こんなこっ恥ずかしいこと何度もするか」

 ジークは呆れたように言って、私の頭を軽く小突いた。

「えー、もう一回だけ。ね、お願い」

 顔の前で手を合わせたら、ジークは苦笑を浮べた。

「勘弁しろって」

「えー、お願い、ね、一回だけ!」

「また、今度な」

 あしらうような口調で流される。今度なんて言っているけど、そんなこと言ってもうやってくれないかもしれない。

「えー、本当に? ちゃんともう一回やってくれる?」

 袖を引きつつ小首を傾げたら、ジークは小さく息を吐いて、苦笑交じりに言った。

「分かった、分かったから引っ張るな。結婚するときが来たら、もう一回だけやってやるよ」

 そう言葉にしてしまった以上、ジークは約束を守ってくれるだろう。

 苦笑しながらも、なんやかんや言って結局は、私のわがままを受け入れてくれる。思えば、ジークは昔からいつもそうだった。嫌だとか面倒くさいだとか、そんな理由で拒否されたことは、一度だって無かったのだ。

 そう気付いたら、私はなんだか胸がいっぱいになって、勢い良くジークに飛びついた。

「わっ」

 驚いたような声を上げながらも、ジークはしっかり私を受け止めてくれる。

「危ないだろ。野生動物みたいにいきなり飛びついてくるなよ」

 呆れたようなジークの言葉は、いつもだったら失礼な、ってむっとしてしまうような内容のものだったけれど、不思議と、全然怒りなんて湧いて来なかった。

 なんだか嬉しくて、胸がいっぱいで──そんな些細なことくらいじゃ、この幸せな気分を打ち消すことなんて出来やしなかったのだ。

「ジーク、好き! ……大好き!」

 しがみつくようにしてそう言ったら、ジークはふいを突かれたように目を丸くして、それからふっと目を細めた。

 透き通るような紫紺の瞳は、十年前と変わらずに、優しい色を乗せて私を見下ろしてくれていた。




(完)

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