91.呪い
これは違う。
幻覚だと分かっているのに、頭の中に流れ込んでくる映像たち。
ジェシカ様があいつと仲良く歩いている。腕を組み頬を染めてあいつを見上げるジェシカ様を見て、俺は締め付けられる胸を掴んで目を背けた。
華やかな結婚式。
いつも以上に美しいジェシカ様の瞳に映るのはあいつだ。そして、彼女に触れるのもあいつ。誓いのキスをする時、辛すぎて見ていられなかった。
今日。彼女は……どうやってあいつに抱かれるのだろう。
胸が苦しい。
幸せなジェシカ様を見れば諦めがつくかと思いきや、時折見せる憂のある表情。俺だったらあんな表情させないのに。
ジェシカ様がご懐妊のようだ。分かっていたはずなの頭を鈍器で殴られたような衝撃だった。このまま何もかも忘れて消えてしまいたい。この恋心をどこかに置いて行けたらどんなに楽か。
少しでも……ジェシカ様の役に立ちたい。それだけなら許されるだろう。
ジェシカ様がつわりで辛いようだ。
なんだよ。
泣いているじゃないか……泣かせるなよ、ふざけるな。もっと妻を思いやれよ。
このまま、ジェシカ様を連れ去って、お腹の子と3人で暮らしてもいいくらい俺は彼女を愛しているし幸せにする覚悟はあるのに。
あいつは何をやっている?殴ってやりたい。
やっと俺を思い出してくれた。
手が届かないと思っていた彼女が、近くにいる。
自分のものにしたい。その欲は大きくなるばかりだった。そして、やっと……やっと彼女と想いが通じ合った。
それなのに。
『ほら、もしかしたら哀れみから、王太子が可哀想だと彼の元へ戻るかもしれないわ。優しいし偽善者だから、責任を感じてね。あなたみたいなもうすぐ死ぬ男なんかより、よっぽどいいんじゃないかしら』
頭の中で俺を唆す声。俺の手を離して、あいつの元へ行こうとするジェシカ様を必死に止める。
『元の旦那の方がやりやすいわよ。お互い知った仲だしね』
2人が絡み合う映像が流れてきて、俺は頭を抱えた。やめろ、こんなの見たくない。
『そう、もっと見せてよ、ズタズタになるところを』
剣を手渡され、俺の背後から肩口に話しかけてくる魔女。
『ふふ。ほら憎いでしょう?捨てられたんだから。殺しちゃいなさい、これで』
あぁ、憎い。どうして奴を選ぶんだ。俺じゃ駄目なのか……
剣に映る自分を見た。酷い顔だった。
腕にある黒い渦はどんどん広がっていき、既に顔まで来ていた。まるで自分が真っ暗な空間に溶け込むように、消えてしまうようだった。
だが、不思議な事にあんなに煩わしかった自分の髪だけははっきりと写っていた。
ジェシカ様が好きだと言っていたその髪は暗闇の中でも淡く光っていた。
いや。俺の方がジェシカ様を幸せにできるはずだし、ジェシカ様が愛しているのは自分だ。そこを間違ってはいけない。
……飲み込まれる前に正気を取り戻せて良かった。
こんなにも呪いのせいで影の影響を受けるとは思わなかった。それに呪いも思った通り、これ幸いとばかりに俺を飲み込もうとしている。
だが、そのおかげか……。
背後にいる魔女の気配をはっきりと感じていた。
このまま、ジェシカ様にだけ頼るなんてそんな不甲斐ない事はしたくなかった。自分の事はなるべく自分で解決したい。だから影の影響を強く受けるだろうと分かっていても付いてきた。勿論、ジェシカ様の側にいたいというのも事実だか。
男のプライドっていうやつだな。
俺は自分を食い尽くそうと現れてきた魔女の呪いをじわじわと集めていく。呪いが身体を飲み尽くそうと回るのを利用して、ゆっくり、ゆっくり……。
『ねぇ、早く殺しちゃいなさいよ』
「そう焦らないでくれ、心の準備ってものが必要だろう?それに、タイミングも大事だ』
『ふふ、そうね、そうよね』
魔女の呪いがどんどん強くなって身体に纏わりつくが、俺はこの時を待っていたんだ。木の根が絡み合うような自分の魔力と呪いを、一つひとつほどいて切り離していく。
もう少し、もう少し……。
『……ねぇ、あなたの髪、ちょっと目立ちすぎじゃないかしら。眩しいわ、剣を下ろして頂戴』
「いや、それは必要ない」
『必要あるわ!いいわ、それならその髪、切り落とし……な、何するつもり……』
俺は集めた呪いを一気に圧縮するように閉じ込めよとした。だが、呪いはそれに対抗するように暴れる。
『このっ、そうはさせないわっ』
呪いが身体から抜けると同時に、身体は軽くなり魔力が使いやすくなる。身体にある渦巻いた影も引いていく。
俺は手の中に呪いを留めようとするが、必死に抜け出そうともがき暴れるそれを制御するのは、なかなか難しかった。
結界で閉じ込めようとするも、影の中で自分を結界で守るのにも力を使いつつであるため、随分な集中力を使った。
このまま、この呪いを消滅させれればいいものの、やり方が分からない。
ガタガタと床が揺れ始め、足場が不安定になった。
ジェシカ様は?
集中力を切らさないように周囲を見渡せば、亀裂の入った床に足元を掬われバランスを崩している。
「ジェシカ様っ!」
「……大丈夫。ちょっとふらついただけ。それより、それが呪いなのでしょう?」
「ええ、そうですが……」
「それを私に」
「……はい?」
ジェシカ様が手を差し出す。
あまりにも自然で力強い眼差しに、俺は呪いの制御をそのままに彼女を見返した。




