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89.代償

 

 狂ったように笑うイリス王妃。


 「ミーシャ!?」


 ラニア様が異変に気付き甲高い悲鳴をあげた。ラニア様の掌に黒い模様ができていた。まるで、影が体を蝕んでいくようだ。それに額を抑えて頭を我慢するような仕草をとる。

 

 「……う……ミーシャ?聞こえる?しっかり!!目を開けて、こっちを向いて!!」

 「どう?ラニア。自分の娘が化け物になって死んでいくのを見て、どう思った?」

 「……」


 ミーシャ様は虚な目で一点を見つめて、ぶつぶつ呟いている。ラニア様が泣きながら何度も何度も娘の名を呼ぶ。

 

 「ラニア。なぜ何も言わないの?なんか言いなさいよ、自分の所業でこうなったのよ」

 「……分かっています」

 「ほら、私を罵倒しなさい。あんたの本性を見せなさい……泣き叫びながら唾を飛ばしながら悲しんで、怒って、狂った姿を見せなさいよ!!」

 「……」


 ラニア様はそれでもイリス様を見ずに顔をしかめて苦しそうにしながらも、ミーシャ様を見つめる。


 「……イリス様」


 やっとイリス王妃を見た時には、ラニア様はとても凛とした顔をしていた。


 「全ては私の責任です。娘を守れなかったのも、あなたに辛い思いをさせてしまったのも……全ては私のせい」

 「そうよ、あんたのせいよ!!」


 そこには、かつて賢明で美しいと言われた王妃はいなかった。


 「ですから。これだけは許してください……せめて、せめて、最後は母として娘だけ思わせてください」

 「なっ、何なのよ……そんな事が聞きたいわけじゃない……」


 ラニア様はミーシャ様を胸に抱いた。


 「ミーシャ、私が悪かったわ。ごめんなさい……可愛い子……大丈夫、お母さんが……付いているわ」


 黒い模様はラニア様の全身に回っていく。ミーシャ様の背中を撫でる。それは小さな赤子をあやすような優しい手つきだった。一時、暗い影の影響が弱まった気がした。

 ラニア様は変わらずミーシャ様を撫でる。母と子が対話でもしているように影が渦巻く。もしかして、このままミーシャ様が治るのではないかと思った。


 だが……ラニア様の動きが鈍くなった。既にラニア様の身体は限界だったのだろう。そして、ラニア様の手が動かなくなり、次には……がくっとミーシャ様の肩に項垂れる形で動かなくなった。


 「ラニアっ!!」


 陛下が駆け寄ろうとして止めるリオン。


 「駄目です、危険です!!」

 「だが、2人が……」

 「ミーシャ様に触れば……恐らく、命と魔力を吸い取られます。彼女は恐らく呪いの使いすぎて体と魂が蝕まれていた。禁術の魔法の代償でしょう」

 「な、ラニアは……」

 「恐らくですが……」

 

 リオンが悲痛な顔で黙る。


 「そんな……そんな事が、ラニア……ラニア……」

 「陛下!!君たち、陛下を部屋から出すんだっ、皆んなも早く出てくれっ!」


 ラニア様が動かなくなった事に気付いたかのように、ミーシャの影がラニア様を中心に暴れるように広がっていった。黒い渦が1人の騎士の足元に影が届き、引き込まれるように騎士が床へ崩れた。


 「おい、しっかりしろっ!!」


 オーラントか騎士を引っ張り影から離す。顔が真っ青だった。


 「オーラントっ、頼む!!」

 「リオン、どうするつもりだ?」

 「俺が止める」

 「できるのかっ!?」

 「できる出来ないじゃない。やらないと、皆んな死ぬ。皆んなだ!ここにいる人だけじゃない。城も町も全ての人が」

 「でも、お前がっ」

 

 その間にも黒い影がどんどん広がっていく。イリス王妃はこうなる事が分かっていたのだろう。彼女は今、拘束されて何も言わず静かにラニア様とミーシャ様を見つめていた。そこには、何の感情も見えなかった。

 お兄様が騎士へ城の者を非難させるよう指示を出している。ここから安全な場所まで非難するのにどれぐらい時間がかかるのか。そもそも、非難した所でこの黒い影を何とかしなければ意味がない。

 

 「私が、止めるわ」

 「……ジェシカ様?」


 多分、私がやるしかない。私ならこれを止めることができる気がしたのだ。

 リオンの手を握って向き合う。


 「ミーシャ様の呪いを3つ受けたはずなのに、私は死んでいない。なぜだか考えていたの。私には極端に魔力が少ない事も意味があるんじゃないかって」

 「どういうことですか?」

 「私は呪いを受けても死には繋がらなかった。それは、呪いを自分で昇華できる能力があるんじゃないかって思ったの」

 「昇華する能力?それは聞いた事ない」

 「おい、2人とも早くしろ!!とりあえず、部屋から出て時間を稼ぐんだ!!……お、おい、何してんだっ!!」

 「殿下っ!?」


 エイドリアン様がイリス王妃に向かって剣を抜いた。


 「エイドリアン様っ!!だめよ!!」

 「お前のせいでっ!!」

 

 振りかざすエイドリアン様を止めようと私は手を伸ばす。間に合わないのは分かっていた。

 イリス王がエイドリアン様を見た。驚きも悲しみも憎しみも何もない目で。


 「くそっ」


 エイドリアン様の手が止まった。間一髪、エイドリアン様の剣を弾いて転ばせるお兄様。そして、エイドリアン様を掴んで出口へと引っ張った。リオンがイリス王妃を立たせて騎士へ引き渡す。黒い影は部屋をぐるぐると渦巻く。

 リオンが扉を閉めて手をかざし部屋ごと結界を張った。


 「エイドリアン様」

 「……あんな奴、生きている意味があるか?なのに、殺せなかった……」


 イリス様の話を聞いていたのだろう。座り込んで顔をあげないエイドリアン様は、とても小さく見えた。

 私はなんて声をかけていいのか分からなかった。でも影は刻一刻と広がっている。無言のまま時間を無駄にはできないと思い騎士を呼ぶ。


 「エイドリアン様を安全な所へ」


 ただ、これだけは言いたかった。


 「まだ……話す事はあるはずよ」


 エイドリアン様は騎士に連れられ廊下を行く。


 「私達もひとまず後退しましょう。私の結界がいつまで持つか分かりませんから」

 

 小さく頷く。


 下へ降りるにつれ騒がしくなった。

 城の者が慌ただしく駆けていく。私はそれを見ながらもう一度リオンに言った。


 「リオン」

 「駄目です」

 「でも、何かしないと。広がり続ける前に」

 「それは分かっています……魔術師を集めます」

 「そんな時間ないわ。それに、城にはどれだけの人達がいると思う?全員逃げ切れるかしら?」

 「だからって、貴方が確証のない事をしなくてもいい」

 「リオンだって確証はないでしょう?」

 「それは……」

 

 城の中で大きな音がして地面が揺らめいた。ミーシャ様が結界を壊したのだろう。

 人々が騒ぎながら外庭へ逃げていく。


 「お二人とも何をしているのですか!?早くっ出てくださいっ!!」

 

 騎士や使用人が隣を駆けていく。私はリオンを端に引っ張った。城の外を見れば、人々が空を見上げて何かを指さしていた。


 「リオン!」

 「……させたくない」

 「私を信じて」

 「信じていないわけじゃない。ただ、俺がさせたくないだけだ」


 いつもの口調ではないリオン。悔しそうに唇を噛んでそっぽを向く。それは駄々を捏ねる子供のようだった。

 私はリオンの両頬を掴んで私を向かせる。


 「いい?今まで私は何もできなくて、お兄様達ができる魔法も使えなかった。でもそれは違った。何もできないんじゃなくて、自分でそう思い込んで、苦しみの中で可哀想な自分に浸って逃げていたの。本当はやろうと思えばいくらでもできる、そうでしょう?自分の劣等感やプライドなんてどうでもいいし、私は大切な人のためになら、何でもする。リオンやアマンダや家族、そしてアナベラのために」

 「私も同じです。けど」

 「やっと、やっと私ができる事を見つけたの。きっと成功する、だから大丈夫よ。それに、確証ならあるわ」

 「?」

 「私に魔力を流してみて」

 「……ここで?」

 「今ここで」


 リオンが頬に添えていた手を掴んで下ろしぎゅっと私の手を握ったかと思えば、人混みに背を向けるように私に覆い被さり……そっとリオンの唇が重なった。

 

 人々が逃げ惑う中、私達はお互いの存在を確認するように口付けた。それと同時に魔力が流れてくる。


 どんどん流れてくる。

 でも知っている。どうすればいいかを……私は自分を誘惑しようと流れてくる魔力を受け止め、自分の中で大事に大事に丸めて胸の中に収める。全てを受け入れるように愛しさに変えて。


 唇が離れて艶めいた目で私を見つめるリオン。私は至って冷静だ。

 

 「ほら、もうあなたに惑わされていないわ」

 「……もしかしたら、私自身の忍耐力のなさ、でしたかね」

 「ふふ、それもあるかしら?」


 リオンが下を向いて細く息を吐いた。


 「一つ条件が」

 「なに?」

 「私も行きます。あなたをサポートします」

 「それは……」

 「反論は聞きません」

 「む……」


 固く結んだ私の口にリオンがもう一度軽く口付けた。


 「いちゃいちゃする暇があるなら、はやく行きなさいよ」


 振り向けばティアナがアナベラを抱いていた。


 「ティアナ!!」

 「お姉様、良かった」


 後ろにはアマンダとケイト、ルーカスがいた。背後では人々が困惑の表情で上を見上げて城の外を目指して走り出す。

 私は3人に簡単に説明した。ミーシャ様の暴走を止めるために行こうとしていることも。


 「なんだか事情は複雑みたいね。でもお姉様ならできるわ。こんなに自信に溢れたお姉様始めてだもの……私は信じている。気をつけて」

 「ありがとう」

 「ジェシカ様。今の貴方ならきっと何でもできます。何かあったら私達がフォローするので」


 私はアマンダとティアナを抱きしめた。そして、アナベラの頬に口付けた。この騒ぎの中、泣かずに落ち着いており安心した。


 「ルーカス。魔術師達に黒い影をなるべく抑えるよう伝えてくれ」

 「え、馬鹿ですか?気絶させられた奴の言葉なんか耳に入りませんよ」

 「やるんだ。手当たり次第叫んで訴えろ」

 「……ジェシカ様。本当にこんな鬼畜男で大丈夫です?何なら俺に乗り換えっいて」

 「早く生きなさい」

 「つべこべ言わずに、やってこい」

 「うう……」


 アマンダとリオンの剣幕に押されルーカスが走り出す。

 私は城を見上げた。

 

 「でも、どうやって」

 「アルジェがいる」


 アルジェが瞬く間に現れて、人々が驚きの声を上げた。


 「ジェシカ様……危険です」

 「貴方が行くことはありません。逃げて下さい」


 私はリオンの手を借りてアルジェに乗る。私を見る不安そうな顔を見下ろして言った。


 「皆んなは黒い影に触れないよう避難して下さい。騎士様、避難誘導や怪我した人がいないか確認お願いします。魔術師または魔法が得意な人は黒い影を制御できるかやってみて。でも自分の安全第一に……」

 

 人々が頷く。遠くでルーカスが文句を言っていた。


 「大丈夫。きっと皆んな家に帰れるから」


 私とリオンはアルジェと共に飛び立った。風が冷たく、夜空はより黒い影を落としていた。


 「ミーシャ様がいる部屋はあそこね」


 近づけば近づくほど、恐ろしく黒い闇が渦巻いていた。




 

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