64.いざ
あれから、数日経った。
念には念を入れて準備をして、今私はガーディン侯爵家の馬車に乗り込む。
フロント子爵邸の門外に待機していた馬車。今のところ、その周囲に怪しい人影は見えない。
私は不安と緊張で落ち着かなかった。ガーディン侯爵家の馬車とはいえ、もし、王家の仕いが来ればそれには逆らえない。どこで、エイドリアン様の騎士が見張っているか分からない分、念入りに私は変装をした。
今や私はテリア様の侍女に扮した格好をしている。テリア様が馬車で来た時に荷物を抱えて子爵邸に入ってきた侍女はテリア様の魔術で動かしていた人形だった。
とても人形には見えない作りで、テリア様の才能を改めて実感した。これだけの魔法の才があるのは心強い。
馬車には私とテリア様、リオンが乗っていた。
そして、光沢な作りの木箱にはクッションが敷かれ、その上にアンナが座っている。
さすがに、アンナの存在を知られるのはまずい。という事で、側から見ればただの木箱だが、蓋を開ければ、中は快適なゆりかごをテリア様が作ったのだ。
馬車が動き出す。もう後戻りはできない。私は緊張を軽くするかのように小さく息を吐いた。
「ジェシカ様、緊張なさってるの?大丈夫よ、リオン様に私がいればある程度は対処可能だから」
「そうですよ。あなたの安全は私が守りますから」
「ジェシカ様、私たちに任せれば大丈夫ですよ」
私は軽く頷く。
私が出来ることと言えば、侍女に扮して影を薄くし問題が発生した時は2人の指示に速やかに従うだけだ。
リオンが時折、窓の外を確認しながら馬車は進んで行った。幸いなことに馬車は何事もなく進み、目的地までもう少しの所まで来ていた。
馬車が洋服店の前で止まる。打ち合わせ通り、リオンとテリア様が先に入って、私は木箱を抱えて馬車を降りる。これがまた大変だった。何かを抱えて馬車を降りるなんて事がなかったから、でも侯爵家の侍女らしく、やり遂げる必要があったため何度も練習したのだ。
ゆっくり慎重に降りる動作と緊張で汗が滲む。
……リオンに汗臭いとか思われたらどうしよう。そんなどうでも良いことを考えてしまい、頭を振って意識を戻した。
無事、店の中に入りそのままテリア様がいるゲストルームへ案内された。
「ジェシカ様、転ばずにこれて良かったわ」
中で待機していたテリア様が安堵の息を吐く。
「私もやれば出来るって事ね。だいぶ筋力がついたんじゃないかって思うの」
ちょっと誇らしげに、やり遂げた事の安心から私は軽い冗談のつもりで言っただけなのに。
リオンが私から木箱をひょいと受け取り置けば、私の腕を取って気遣わしげに聞いてきた。
「こんな重いものを持たせてしまい申し訳ありません。腕に疲労が溜まっていませんか?治癒魔法をかけましょう」
「リオン、何言っているの。これくらい大丈夫よ。こんな所であなたの魔力を使わないで」
「私の魔力をあなたのために使わずいつ使うのですか」
「いざって時に、よ」
私の手を撫でるリオン。次第にその手が私の首筋に触れて、くすぐったくて私は身を捩った。
「ど、どうしたの?」
「……いえ」
リオンの瞳が光る。いや、光ったと思っただけかもしれない。私はその瞳をされると目が離せなくなるのだ。
「あのぉ、人の前でイチャつくのはやめてもらえません?」
「テリア様。こんなの普通ですよ、あなたも慣れないといけないですね。まだまだです」
「ち、違うわ。え?り、リオン、ちょっと何するの!?」
驚きで私はリオンの肩を押す。人目を憚らずにリオンが私の首筋に顔を埋めたのだ。さすがに、人前でそんな大胆な行動は恥ずかしくて死にそうだ。
「え、リオン?」
「……」
「???」
私は相変わらず離れそうとしないリオンに、動揺し2人に助けを求めた。
「……テリア様。水を」
「ええ……ジェシカ様。貴方を巻き込むけどごめんなさいね」
そう言えば、テリア様がコップの水をリオンの頭の上から、思いっきりかけた。リオンの金色の髪から水が滴り彼の首から肩を濡らした。
「……申し訳ない。少し席をはずす」
「か、風邪ひかないように拭かないと……」
そんな私の声にも振り向かずに部屋から出るリオン。残った3人で額を寄せ合った。
「あんな事する人なの?さすがに人前ではやばいわよ」
「一応、常識は弁えているはずなんだけど」
「何か……変なものを食べたのかしら」
「でも、さすがにこれが続けば、一緒に行く私もきついわ」
困ったようにアンナが眉を下げる。
「何かきっかけがあるのかしら」
うーん。と首を傾ける私達だが、答えが出ないものは出ないとテリア様が切り替えた。
「こんな事している場合ではないのよ。早くジェシカ様を着替えさせなきゃ」
そう言って当初の計画通りに私は侍女の姿から平民の婦人の姿へ変わっていく。何度見てもテリア様のその手腕は凄い。
あっという間に、赤子を抱いて出かける主婦に変わった。
「なんていうか……とっても動きやすいのね、これ!気に入ったわ」
ドレスは重い。だが平民のスカートはボリュームを出すためにパニエやチュールをふんだんに使うドレスとは違い、シンプルなワンピースにエプロン、ブラウスだ。
軽いし涼しいし快適だ。侍女の服もなかなかの動きやすかったが地味なもので、これは、平民の女性でもお洒落を楽しもうと工夫がされており、気分のあがる装いであった。
ヘアスタイルもこれまでした事のないポニーテールにしてもらう。
私は嬉しくて鏡の前でスカートを広げて回ってみる。私にはキラキラした豪華なドレスより、落ち着いた服の方が似合っているみたいだ。
ノックがしてリオンが入ってきた。
「リオン、ねぇこの格好どうかしら?」
「……とても、よくお似合いですよ」
怪訝な顔で言うリオン。なんだか、王宮で出会った時の無表情に戻っているリオン。
「リオン。どこか悪いの?」
「いえ……大丈夫ですよ。その、準備ができたのであれば、もう向かいましょう。時間も無駄にはできないので」
「そうね……」
そっけないリオンが気になりつつ、私はテリア様に向き直り彼女にお礼を言った。
「テリア様。何から何までありがとう。あなたがいなければここまで来れなかったわ。ここでお別れは寂しいけど……」
「また、会えるわ」
そっぽを向いて腕を組むテリア様。以前だったら分からなかったテリア様の照れ隠し。
多くの言葉はいらないと、私はテリア様をぎゅっと抱きしめて離れた。
「気をつけて……」
「うん、ありがとう」
これから私とリオンとアンナは平民の家族に扮して、徒歩で魔法裁判部を目指す。テリア様はここでドレスのオーダーといってできるだけ時間を引き延ばして帰る予定だ。
扉が開いて、さっきまで自分がしていた格好の女性が顔を覗かせた。
「裏口から準備も整っています」
テリア様の本当の侍女。あらかじめ店で待機してもらっていたのだった。
「幸運を」
私はその言葉に頷いてアンナを抱き部屋を出た。何もかも終わったら、テリア様と平民の格好をして市井を回れたらいいな。
裏口の扉から私達はそっと出た。
そしてすぐに人混みに紛れて歩き出す。魔法裁判部まであと少し……何事もなく着きますようにと唱えながら、先を歩くリオンの手を握って歩き出したのだった。




