20.命
『僕は必要があれば側妃を迎える。例え、君に恋情を抱いてなくとも君を抱くこともできるし、それは君が僕の妻だからだ。君を家族だと大切にする事もできる』
一夜明け、昨日言われた言葉が頭の中で反復する。
昨日は悲しみと衝撃が大きく、ただ茫然として眠りについた。しかし、改めて冷静になって考えてみると、エイドリアン様が側妃や愛妾を迎えるこの先、私がいちいち反応するのはお互い疲れるだろう。
ここで私が感情をコントロールして、彼が他の女性を愛する事を容認し適度な距離を保つことが、きっと一番上手くいくと思う。
でも、しかし、だ。
私は彼に惚れてしまっている以上、彼の愛を乞うてしまうし嫉妬もしてしまうはず。
そして、彼も彼で複数の女性を平等に扱うなんて事はできないはずだ。彼の中では既にミーシャ様が特別で最優先なのだから。
それに私が耐えられるのか……いや。
「耐える耐えないというより、なんだか疲れてしまったわ….…」
昨夜、感情を爆発させたことで、エイドリアン様とミーシャ様の事を考えるのが、そもそも億劫になっていた。思考を停止させたい気分なのだ。
それに、エイドリアン様の真意も聞けて、自分がこの先、どうするべきかが言葉では言い表せないが、何となく分かっている気がした。
エイドリアン様へのこの気持ちを、何かにシフトチェンジしていけたら、だいぶ楽になるのに。
「ふぅ……」
身体と気持ちが重い。
エイドリアン様が言っていた、以前の私は感情を上手くコントロールしていたって、どういうことだろうか。確かに、私は自分の気持ちを飲み込んで、抑え込み愛想笑いをするのは日常茶飯事だった。
今は、それができなくなっているのか。
感情が乱れることが多くなったと自分でも思う。これでは、皆の前に立てる王太子妃には、相応しくないだろう。
だけど、淑女やら王太子妃やら、らしくないやら言われるが、本当は私だってたまには、全てを投げてただのジェシカでいたい。
……いや、そもそもただのジェシカってどんなのかしら?
私って、自分が全くないのだとふと思った。
そういえば、前にお兄様が言っていたっけ。何のために王太子妃になるのかって。
そりゃあ、両親も周りも期待していたし、何よりエイドリアン様の横に並べる女性に、皆が憧れる妃にならなければならない。
と、思っていた。
が、それって結局のところ、周りの意思に沿っているだけであって、自分の意思ではない。認められたいばかりに、必死に皆の理想の人であろうとしたけど、それが自分を追い込んでいたのかもしれない。
だから、疲れるし窮屈に感じる。
もし、お兄様のように何か信念を持って生きることができたら、この窮屈さから抜け出して自由を味わえるのかしら。
「だけど、その信念って何なのかが分からないのよ……はぁ……」
信念、信念、と呟きながら顔を横に向ければ。
アンナとアマンダが非常に複雑な顔で私を見ていた。
今や私は朝起きてから、もうお昼近くになるというのに、まだネグリジェ姿でベッドの上に座っていた。
「ジェシカ様、どこか体調が……?」
「ううん、ちょっと考え事」
2人とも、きっとエイドリアン様と何かあったと察してはいるが、私が言うまで何も聞かない。
「そうですか。ちょうど今日は赤子の健診日ですから、体調がお悪いならそこで相談すれば良いと思いますよ」
アマンダが優しく言う。昔から私が落ち込んでいる時はいつもそうだった。
「ありがとう」
こんな私に、誠実に尽くしてくれるアマンダの存在に改めて感謝する。
アンナはアンナで元気をくれるし頼りになる。
「2人ともいつもありがとう」
私がそう言えば、2人とも顔を見合わせた後に、にっこり笑った。
「ジェシカ様は私がいなければですからね」
「そんなこと!私だってジェシカ様に必要ですよ!」
そんな、2人を見て鼻がツーンとした事は内緒。顔を隠すように私は膝に頭をつけて笑ったのだった。
*
「順調ですよ」
王宮医が私の下腹部に胎児用の聴診器をつけながら言った。
「ちゃんと心拍も正常、この時期ならこれくらいでしょう。あとは、もう少ししたら胎動も感じられますからね」
「胎動……」
今はだいたい5ヶ月ほど。お腹はまだあまり膨らんでないし、つわりも落ち着いているからあまり実感というものがない分、胸がドキドキした。
「早く胎動を感じたいわ」
そう言ってお腹に手を当てる。ここに小さな命が育っている事を改めて感じて、心が温まった。
「お腹の子は母親の声も感情も全て感じ取っているといいます。色々大変でしょうが、気持ち穏やかに過ごせれば、赤子も喜びますよ」
「そう、なんですね……」
最近はエイドリアン様やミーシャ様のことが気になりすぎて、お腹の子を気にかける余裕がなかった。
それが、なんだか申し訳なくなると同時に、自分が母親なんだから、という自覚が芽生えてきた。
「この子を……この子が少しでも幸せに過ごせるよう毎日話しかけます」
お腹をさすりながら言う。
「子供は母親が笑っているのが1番ですからね」
ベッドの横でアンナが言う。
「そうね」
エイドリアン様やミーシャ様は関係ない。私がこの子を愛せばいい。守らねばならない。
「母親は子がいて強くなります。妃殿下はもう既に母親の顔でいらっしゃいますよ」
王宮医が頷きながら微笑む。
「それと、つわりはどうですか?」
「ほとんどないです。ミスイの粉を飲み始めてからだいぶ落ち着いてます」
「あぁ、フロント子爵のですか?彼は本当に優秀だ。ミスイの粉を選択するとはとても良い判断でしたよ。それに、粉末にすることで栄養価も上がって、妊婦や傷病者の栄養補給にも最適なものみたいです。私も今後の選択肢に入れようと思いました」
「これまでは、常薬ではなかったのですか?」
「ええ。何しろあの花は扱いづらいですから。花自体に少量魔力が宿っていて、栽培するにしても粉にするにしても、結局、花の魔力を抜かないといけないのです。そうしなければ、花が人の魔力を吸収してしまう……扱い方を間違えれば害になりますからね」
「そ、そんな花だったとは……アンナは知っていたの?」
「はい」
さも当たり前のように答えるアンナ。
私はというと、ミスイの花への恐ろしさと、平然とするアンナと薬にしてしまうほどの優秀さがあるフロント子爵に恐れ慄いていた。
「妃殿下、安心して下さいね。フロント子爵がきっちりと魔力を抜き取ってから調剤していますから。今のところ、彼にしかできませんね。不思議です、魔力を吸収することは、普通できませんから」
「そうなの?……そういう人を天才って呼ぶのかしら」
「そうみたいですね」
「ジェシカ様、私だってやろうと思えば秒でできますからね!」
「ふふ、アンナも優秀だものね」
「本当ですよ!見てて下さい、次は私が作って持ってきますから」
「分かったわ、ありがとう」
王宮医が道具を鞄に直しながら、ふと顔を上げて言った。
「そういえば、ミスイはユガーダリン帝国の花ですが、我が国にも似たような花がありますよね」
「え?そうなんですか?」
「私は魔法に疎いので断言できませんが。あのウォルス領のユナリアがそうみたいです。この前、カルテを遡っていたら、そう記してありました」
「ユナリアも魔法植物ってことですか?」
アンナがすかさず聞く。
「はい、ユガーダリン帝国から嫁がれたチャリアナ王妃によればです」
何となく嫌な予感がした。
アンナを見れば、彼女も真剣な顔をしていた。
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