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高い天井に、真っ白な壁を飾る燭台。幅の広い廊下と、やわらかい絨毯。吸いこまれていく足音と、わずかに沈む靴底の感触に、クレアは奇妙な気分になった。
(なんだかずいぶん久しぶりな気がするわ)
クレアが王宮に足を踏み入れたのは、カインとの婚約を解消する書面に署名をしたときが最後だ。となると――。
(もう何か月も前なのね)
クレアは前を行くラズウェルの背を見た。
久々だと感じるのも当然だろう。ラズウェルと婚約してからいろいろなことがありすぎたので、余計に、カインとの婚約破棄が遥か昔のように感じられる。
「なんだか緊張してきましたね……!」
隣でリリアンが肩をこわばらせた。ちょっと顔が青い。足取りもぎこちない。
クレアは鼻で笑った。
「公爵家の令嬢とは思えないわね」
「クレアお姉さまは平気なんですか?」
「わたくしはもう十年、王宮にはしょっちゅう出入りしていたもの」
「そうでした……」
共感を求めても無駄だ。ラズウェルだって、王宮付き魔導士としてクレアよりはるかに何度も王宮を訪れている。唯一リリアンとわかり合えるのはベサニーだろうが、彼女は馬車で待機だ。ここにはいない。
いっそう緊張感を増したリリアンを、ラズウェルが振り返った。
「いまならやめることもできますよ」
「お兄さま!? いえ、わたしはちょっと緊張しているだけで」
「そうではなく」
慌てるリリアンを制して、ラズウェルは困ったように微笑んだ。
「陛下にすべてを明かすこと、です。ここまで話を進めてしまいましたが……リリアンが嫌がるなら、ただ単にあなたが魔族から狙われているとだけ報告することもできます」
「いまさらすぎないかしら」
「いまさらだからですよ。ここまで来たら、実感が湧くでしょう」
自分が魔族であると、他者に明かすことがどういう意味か。
ラズウェルもクレアも、魔族だからということはほとんど気にしていなかった。兄妹に仕えていた使用人たちも、長年の信頼の厚さゆえに、リリアンを受け入れた。
しかし、国王は違う。
魔物や魔族の存在に最も心を痛めている人だ。魔物によって被害に遭った国民や、滅ぼされた村の報告は、すべて国王に集まる。魔族が現れたと聞いて、奴らがメリベラル王国に攻めてきやしないかと憂いている。
「いままであなたを拒否した人がいなかったのは、たまたまです。まさか陛下に限って、当人を前に心ないことをおっしゃることはないでしょうが……この謁見が、リリアンが傷つく結果に終わる可能性だってあります」
いまならまだ引き返せる、と結んで、ラズウェルは黙った。足はすっかり止まっている。
不安げに瞳を揺らして兄を見つめていたリリアンは、唇をひき結んで――。
「いいえ、お兄さま。わたしは大丈夫です」
きっぱりと、首を横に振った。
「お姉さまだって言っていたでしょう。引きこもってもなにも解決しないって。お兄さまがわたしを案じてくださるのは嬉しいですが、だめです。わたしの身に関わることですから、わたしは絶対に引き返したりしません」
いつの間にか、その肩から力が抜けていた。緊張でがちがちだった少し前からは想像できないような、晴れ晴れとした笑顔である。
リリアンの返答に満足したように、ラズウェルも頷いた。
「そうですね。では行きましょうか」
「はい!」
すっかりいつもの調子を取り戻したリリアンに、クレアは嘆息した。
(茶番だわ)
シスコン野郎は、妹の扱いが上手いらしい。しっかりしろという叱咤を気遣いという綿に包んで、いとも簡単にリリアンを元気にしてしまった。
しかし、ますます不思議である。
「やっぱりわたくしはいらないんじゃないかしら?」
「お姉さま、怖じ気づいていてはだめですよ!」
「あなたに言われたくないわ」
謁見の間は、もう目の前だった。




