99話目
99話目です
誤字・脱字かあったら申し訳ありません
「そう言えば、先輩二人からチョコは頂けそうですの?」
そろそろ居慣れてきた厨房でかちゃかちゃチョコをかき混ぜる城戸さんが、ボウルを脇に抱えながら身体を少し捻って急に聞いてくる。
つい最近の、実にタイムリーな話が上がり微かに驚きながらも、聞いたありのままの事実を返事にする。
「…入試とか、やっぱり色々あるみたいで」
「ふむ…やはりそうですのね」
「それを知って何が…」
別に俺のチョコ事情などを知ったところで、新崎のために作っている城戸さんには大きな影響はないだろう。
質問の意図が分からず聞くと、城戸さんはひたすら混ぜていたチョコのボウルをキッチンに置いて、今度は身体全体をしっかりとこっちに向け、会話をする体勢を取った。
「…いえ。先日、少し良い閃きをしまして」
「閃き…ですか」
「そうですわ。仁田に損はさせない閃き。ふふ、知りたいですか?」
「いや…」
半年よりも長く、一年よりは短い期間あの部活に在籍していたが、城戸さんの突然の閃きというのは必ず突拍子もなく、かつあまり俺にとって良い方向に流れないのは流石に学んでいる。
だからご遠慮させてもらえれば…と首を横に振ってみるが、彼女はそれを無視して、というか俺のその行動にそもそも気付いてくれてすらいないのか、自信満々な表情で誇らしそうに胸をででんと張る。
「えぇ、えぇ!分かっていますわ。もうっ、やはり知りたいんですのね。…仕方ありません、大事な友人だから話すんですのよ?聞き落とさないでくださいね?」
「…あの」
かつかつと城戸さんが俺を目指して歩いてきて、目の前まで距離が迫ると、顔がぶつりかそうなぐらいにまで上半身が前に倒れる。こちらをじっと見つめてくる自信に満ち溢れた瞳に押され、意識せずとも俺の視線は壁を見続ける横目へ形を変化させる。
そして僅かに視界に残ったエプロンの掛かった肩の傍で、ピンクの爪を覗かせる指がピンと立つと、それに続いて嬉々とした声がその閃きの内容を告げた。
「仁田も、チョコを作ってみませんこと?」
「…え、俺が…ですか?」
突拍子もない事が言われるのは予想が付いていた筈なのに、それを超えた発言に視線を戻し、驚いて聞き返してしまう。
俺の随分と間抜けな顔を見ているであろう城戸さんは、俺の聞き返しにその通りと口の両端を三日月のように柔く緩める。
「えぇ。仁田が先輩二人にチョコを手作りして渡すんですの。良い案でしょう?」
「俺が…」
倒していた身体を上げ、得意気に城戸さんは語る。
「貰えないのなら、逆にこちらから送ってしまえば良いのです。あ、もちろん二人には内密に、ですわよ?サプライズほど喜びを増させる仕掛けはありませんわ♪」
「邪魔とか…ならないですかね」
「勉強には甘いものが必須でしょう?むしろ、歓迎されると思いますけど」
「でも…材料とか」
チョコを作ること自体には絶対にやらないと断固するほどの躊躇いは無いのだが、それを人に渡すとなると頭の流れは辞めておいた方が安全なんじゃないかと、了承の言葉の前に壁として立って塞き止めてくる。
だが、素直に話したら話したで的確な反論されるのは分かっていて、だから、城戸さん本人からその誘いを取り消す方向に向ける言葉を発したが、彼女はにやりとしたり顔を見せる。
「材料と、そして知識ならここにどちらも十分と言えるほどありますけれど?」
一冊から三冊に数を増やしたチョコ関連の知識の塔に手をとんと乗せ、そして言葉で今いるこここそが、必要な材料の集まった最良の場所なのだと俺に再確認させてくる。
「使って良いんですか?」
「もちろん。…というか、実を言いますとチョコの味見のお礼をどうするか、決めかねていましたの。…最初に考えていた品も、どうなるか先が全く見えませんし」
置きっぱなしにしていたチョコの入ったボウルを見ると、認めたくないような苦い表情を浮かべる。
「…ですから、ここを使う権利を今回の頼みのお礼にする…というのでどうでしょうか?それと、特別にわたくしが仁田のチョコの味見を致しますわ」
「……」
俺がここを使うしっかりとした理由さえも城戸さんに提供され、俺が意思で決める部分は受けるか断るかだけ。
この人の俺の動かし方は、とても矢波先輩達と似ているような気がする。それとも、俺の対処法というのはこの一つに限られているのだろうか。
だがこれには決定権がちゃんと用意されており、どちらを取るべきか、頭を悩ませる。
矢波先輩にチョコを渡せば確実に、間違いなく楽しんでからかってくる。桜丘先輩についてはどうなるか分からないが、分からないこそ不安は募るというもの。しかし、俺の期待の産物かは知らないが、いざ渡してあの二人が嫌がるような感じだけは何回やっても想像ができない。
楽しんで、からかって、それで長く続く勉強の息抜きになるのならば、やってみる価値はあるかもしれない。いやでもチョコが美味しく出来るかなんて確証は無いわけで…と、あーだこーだ悩んでいると、不意に一つの気掛かりが頭に産み落とされる。
「…あの」
「答えはでましたか?」
「いや…あの、何で城戸さんはこっちの事、色々気にしてくれるんですか」
城戸さんからすれば俺と先輩達との関係性を気にする必要はないはず。ただ俺が知らないだけで先輩達と城戸さんに裏で深い接点があるならまだしも、もし無いのであればわざわざ材料や時間を提供するのはいまいち俺には飲み込めない。
頭に出た疑問をそのまま放ったが故、少し言葉選びが雑になってしまいきちんと伝わっているかは怪しかったが、そこは少し前の会話や状況が補完してくれたらしい。
城戸さんは特に間を空けることもなく、疑問に対しての答えをそんな事と前に付けそうな軽さで簡単に言い切った。
「つい先程言ったばかりですが、仁田が大事な友人だからですわ。友人の事を気に掛けるのはいけないことですの?」
「……いや、すみません」
真正面からのさも当たり前のよう言った言葉に、どう返していいか思考を失い、しかし、何とかそんな謝罪を生返事ぎみに捻り出す。
…つまるところ城戸さんの言った閃きは、単純に俺の事を考えてくれての、親切心という事なのだろう。
城戸さんなりに、俺と先輩達との関係性を変化させる一歩として言ってくれたのならば、断るわけにはいかない。
…何よりも、一番に考えるべきはあの二人の事。
俺がチョコを渡せば、多分チョコを渡せないという二人の持つ必要のない罪悪感を、忘れさせる事も可能でないだろうか。あくまで可能性止まりでしかないが、それならば、受けてみる価値はある。
了解の意思を塞き止める壁を自分の中で纏めた確証で壊して、止めていた声を放った。
「…城戸さん」
「決まりましたか?」
「はい。…ここ、借りて良いですか」
「えぇ、お好きにどうぞ、ですわ♪」
頷いて受ける意を示すと、城戸さんはくすりと淑やかな笑みを見せた。
実際に作ってみるのは時間的に厳しいとされ、チョコの本を一冊借りて、その日はもう解散ということとなった。
自室でのんびりと貰った本やネットから普段見ようと考えたことすらないサイトを巡り、ざっと知識を漁って、俺の未知の実力ならばミルク多めの生チョコ辺りが相応しいのではないかとおおよその見当を付ける。
他にも色々とあるにはあったが、聞いたことの無い名前が並んでいて意味が全く分からないし、チョコ職人とか目指していないのでそんな色々作れるようにしておく必要もない。
合わせて、俺には時間制限があるのだ。
高校の授業が終わるのが大体夕方辺り。そこから、城戸さんの家に向かってチョコを作ろうすれば、回数には必ず限りが出来てしまい、その内で上手いこと試行錯誤をしなければならない。無駄にあれこれ手を出したところで結局は自分の首を絞めるだけ。
そんな感じに大まかなところを決め、後は実践あるのみ。
…翌日になって迎えた放課後。
これまで通り城戸さん家の高そうなリムジンに乗せてもらい、家へと向かって厨房に足を踏み入れる。
城戸さんが用意してくれた特に目立ったデザインの無いエプロンを着て、手を洗い準備完了。
知識が無くとも実力が十分に備わっていれば知識は後から勝手に付いてくるものだが、実力が無いのに知識だけを十分に付けると、作ってもいないくせに変な自信を持ってしまうことが大抵の人間には起こり得る。
そしてイメージが完璧過ぎるが故に、出来上がった物を自分の実力として受け入れられない事が起こってしまうのだ。
だからそうならないために、今から作る一作目は自分の現在の実力なのだとしっかり心構えをしてチョコの材料に手を伸ばした。
…一通りの工程を済ませ、冷蔵庫に閉じ込めたチョコを恐る恐るで取り出してみる。
城戸さんもやはり興味はあるらしく、俺が両手に持ったそれを子供のようにほへーっと覗いてくる。
城戸さんも最初の頃よりも回数を重ねた上で本をまた読み込んできたらしく、俺が取り出した板の奥には彼女のチョコも同じく冷気に閉じ込められていた。
「…形は、液体じゃないですわね」
「味は…大丈夫ですかね」
「その確認の為のわたくしですわ。さ、切ってください」
小さな板みたいな形のチョコの乗った皿を置いて、言われた通り、包丁を通して食べやすい一口サイズに形を変えていく。
一見すると形だけは良いようにも見えたが、本で見た元のとは何処か違和感が生じていたそれを、城戸さんはひょいとつまんで口へ運ぶ。
もぐもぐと口が上下に動き、得も言われぬ緊張が身体を縛り付ける。
「ど…どうですか」
聞かなければどうにもならないと覚悟を決め尋ねると、城戸さんの表情に苦味を耐えるような険しさが現れる。
「う…少し、粉っぽいですわね」
「…すみません」
「いえ。わたくしの最初に比べれば…認めたくはないですが形を保っている分、優に上なのは確かですし…可能性は十分にあると思いますわ。…えぇ、少し腹立たしいですけれど」
「…それは何か、どうも…」
俺も一応作り手としてそのチョコを食べてみると、確かに、とろけるような感覚一切無く、一般的に食べるチョコとは違う奇妙な食感と微妙な味に、表情が城戸さんの鏡のようになってしまう。
「…と、そろそろわたくしのも丁度良いかもしれませんわね。待っててください」
返事を返した俺の脇を抜け、城戸さんも自分の作ったチョコを冷蔵庫から取りにとたとた駆け足で向かう。
「こ…これは…一体…?」
どう改善したものかと残ったチョコを眺めながら思索に耽っていると、城戸さんのそんな驚愕と困惑の合体した声が耳に届く。
顔を向ければ、城戸さんが冷やしたお皿を両手に持って、意味が分からないと深く首を傾げていた。
「あの…それは…」
「仁田…これ、チョコですわよね?」
「チョコ…のはず、ですよね」
一体あの冷蔵庫の中でどんな化学変化が起きたのか、お皿に乗った立方体のチョコはまるで水晶のように透き通っていて、その中心に抹茶らしきエメラルド色の液体がまるで核のように詰まっているのが見える。
固形と液体の両方を持ったその物体の乗ったお皿を、城戸さんは不思議そうにしながらキッチンにかたりと置く。
「あの冷蔵庫の中で、わたくしのチョコに…何が…?」
「…分からないです」
「…しかし、案外味が一級品の可能性だって無くは無い…はず。……さ、味見を」
小声と共に翠玉色を閉じ込めるチョコらしい水晶が、お皿と一緒にすすすっと俺の目の前に差し出される。
今もなお継続して任されている味見係ではあるが、さすがにこればかりは何も考えずに手を伸ばす気にはなれない。
俺のイメージするチョコと遠くかけ離れていて、これなら前の、俺が関わった最初の頃のスープの方が色々とああなった可能性が想像出来た分マシだったと深く思う。
「…」
「…さ、仁田」
言葉で背中を半ばパワハラの如く押され、翠玉色の核を持った透明なキューブを指でビクビクしながらつまむ。
チョコとは思えない厚みを持ったガラスのような感触がして、食べた瞬間に口の中が血だらけにならないか、不安が走る。
しかし食べないことには城戸さんは納得してくれないだろうし、似たような物ならいくつも食べてきている。だから大丈夫と覚悟を決め、口の中にそれを運んだ。
ゆっくりと歯で噛んでみると、ぱきっと何かが砕ける音が響き、スライムのような、多分あの抹茶らしいのが溢れてきたらしく、濃いその味がゆっくりと口に広がっていく。
「お…美味しい…ですの?」
「抹茶は美味しいんですけど…怖いです」
抹茶自体の味は言った通り普通に美味しく、ガラスっぽいのも口の中で何をするでもなくいつの間にやら消滅していたが、やはり最初の一口が凄い恐怖。
そして何よりも、作った本人ですら首を傾げていたのだ。
これがチョコということは初見には絶対に分からないだろう。
「チョコの味はどうですの?…ありますの?」
俺が抹茶味の謎の物体を恐怖と共に飲み込むと、城戸さんはまた言葉を投げ掛けてくる。それに首を横に振って答える。
「いや、抹茶しか…」
「むぅ…何故わたくしのチョコはこうも奇妙に失敗してしまうんですの…」
「まぁ進化はしてますし…」
「そうですれけど!…どうしても、もう少しを期待してしまうんですの」
確かに、俺も振り返ってみればさっきの自分のチョコに僅かかもしれないが、同じような期待を心の隅に潜ませていた。
二人が二人、揃って自分の作った満足できないチョコを見て苦悶の表情を浮かべてしまう。
「これでは陽斗に…」
隣で漏れた小さな弱音。
「まぁ…でも陽斗なら基本何でも…」
喜ぶ奴。とそう言いそうになったが、俺でも知っているような事を新崎陽斗という存在をきちんと真正面から見続けてきた城戸さんが知らない訳がない。
だがその事実に気付くのが遅れ、思っていた言葉の半分ぐらいが口から溢れ出てしまう。何とか残りの半分を口で留め、後の言葉を濁していく。しかし、それでも半分もあれば城戸さんは俺の言いたい事を大方分かってしまったらしい。
瞳をチョコから離さぬまま、そうですわねと、呟きのように認める声が俺の耳を働かせた。
「仁田の言う通り…確かに、陽斗なら例えこんなのであっても、愛情を込めて作ったと言えば必ず喜んで受け取ってくるでしょう」
キッチンに置いた城戸さんの両手が、自分で言った言葉を嫌がるようにギュッと力強く握られる。
「…だからといって妥協したものに愛情と名を付けるのはわたくし、絶対にしたくありませんわ」
髪から覗く横顔は真剣さに満ち溢れていて、凛とした声音で放った言葉通り、ここで妥協して諦めるような気配は全くと言って良いほどに感じられない。
「そ、そう…ですか…」
ここまでの純粋な愛情は、学生にとってはかなり縁遠い代物で、相槌の一つすらどう打って良いのか分からず、形の脆い返事が溢れ出てしまう。
俺の顔にもそこら辺が出てしまったのか、城戸さんがくすっと唇を綻ばせる。
「ふふ、仁田が照れてどうするんですの。ま、そういうことですから、まだまだチョコの味見は手伝ってもらいますからね?」
「まぁ…はい」
「良い返事ですわ。今度こそ、この陽斗への尽きない愛情を形にしてみますわよ!おーっ!さ、仁田もほら!」
「いや…俺は…」
腕をぐっと高く突き上げて意気込む城戸さんを見ていると、視線がぶつかり、腕を強引に取られ、同じように高くと上げられてしまう。
「おーっ!ですわ!」
「まぁ…はい」
「よーし!早速取りかかりますわよ!」
どうにもテンションに付いていけず逆に疲れた感じになってしまったが、それでも城戸さんは満足してくれたらしく腕がパッと離される。
気合いを入れ直すためか、彼女はエプロンの後ろの紐をほどけないようきゅっと力を込めて結びを強くした。
「ぁ…!仁田!仁田っ!!」
日付が数字を幾つか進めた、長かった一週間の終わりの日。
勉強の忙しさの影響か、それとも前のチョコを作るのは難しいという話の影響か、二月に入ってから俺が先輩達の家に行くことは無くなっていた。
それが俺の本望ではあったのたが、最後に会った日があまり良い雰囲気で終わらなかったところを考えると、チョコ作りに没頭は出来なかった。
上の空までとはいかなくとも、何処か意識をチョコだけに向けられずにキッチンの近くに椅子を引いて冷やし待ちをしていると、城戸さんが嬉しそうな声に合わせて背中をばしばしべしべし容赦なく叩いてくる。
「あの…い、痛いんですけど…」
「仁田!これ、ほら見てください!」
「…チョコ」
「えぇ、チョコですわ!」
今まで無数にチョコではないなにかを作り出していた城戸さんの手が持つトレイには、抹茶のパウダーの掛かった最近あちこちで良く見かける、一般的なチョコが乗っかっていた。
「これ…」
それを見て自然と驚きが口から漏れ、そのまま開きっぱなしになってしまう。
「ついに…ついに…!やっと普通のチョコが完成したんですの!やっと…!」
城戸さんが瞳に綺麗な涙をうるるっと貯め、鼻をずずっと鳴らす。チョコに向かう視線はまるで産まれたばかりの我が子を見るような、暖かさと慈愛に満ちた物だった。
しかし、喜んでいる所を折ってしまうことになるが、味の確認は絶対にしなければならない。見た目が良いのに味があれでは、外側に騙された新崎が反動で苦い笑みを浮かばせてしまうかもしれない。
「味の確認は…」
「え、えぇ、そ、そうですわね。見た目が良いだけかもしれませんし…。で、ですが、もう少しだけ、これを眺めてても…理由なら仁田も分かるでしょう?」
「…はい」
チョコではないチョコを作る人が、ついにチョコを自らの手だけで綺麗に作り上げたのだ。例えそれが見た目だけだったとしても、モチベーションや感動の保持保存のためにも時間は必要だろう。
分かっていながらも早とちりをしてしまったと心を咎めながら頷く。
すると、城戸さんはキッチンにトレイを置いて俺の隣の席に腰掛けると、上機嫌そうに鼻唄を唄いながらルンルンと身体を揺らしながらチョコを眺め出す。
「はぁ…♪ここに来るまでの長い時間はこの一瞬の喜びのためにあったんですのね…」
うっとりとため息を漏らし、蕩けたような熱い視線が、チョコを捉えて離さない。
「本当に長かったですからね…」
だが、時間を掛けた分の成長は城戸さんもそして俺もちゃんとしているだろう。
それを証明する理由の一つに、城戸さんは気付いていないがこの厨房から姿を消していたコックやメイドさんが時々顔を覗かせていたりもした。
それは俺が味見係になった事を何処からか聞き付けて安全になったから来たとも考えられなくはないが、見かけたほとんどが甘い香りに誘われたような、まるで厨房の状況が分かっていないような動きだった辺りその可能性は低いだろう。
今はタイミング悪く壁から覗く使用人の人はいないが、この出来映えが続くのであれば噂になっていつしかここに人が帰ってくる日も来るかもしれない。
厨房の過疎化はもうすぐ終わるだろうとそんなことを考えていると、パシャリとカメラのシャッターのような、ここに似合わない音が耳に響く。
「んふふ~♪秋葉に自慢しなければ…!」
音の方向を気になって見れば、城戸さんがスマホでパシャパシャアングルを一個一個変えながら写真を楽しそうに撮りまくっていた。
まるで小学校に入学した我が子を撮る親のようにひたすらで、察するに相当テンションが跳ね上がっているらしい。
一頻りパシャパシャし終えると、よしと満足げな声に僅かに遅れて城戸さんの身体が俺に向かってぐるんと動く。
「仁田、そろそろ良いですわ」
「分かりました」
トレイが横に動き、そこから一番取りやすかった位置のチョコを一つ、指でつまむ。
と、俺のとは違う細い指が左から伸びてきて、それもまた俺を真似るようにして一番近いチョコをひょいとつまんでい去っていく。
「今回ばかりはわたくしも気になりますし、二人で一緒に味見を致しましょう。せーのでいきますわよ!」
まぁ薄い抹茶味をした緑色の液体や、核を持った謎の立方体を食べても、特に翌日になにか影響は無かった。
それはそれで不気味ではあるが、多分城戸さんが作るチョコもどきは一定の安全性を所持しているのであろう。
本心を言えばあまり食べたくはないが、これがここを使わせてもらう代価なのだ。城戸さんならば素直に言えば貸してくれそうな気もするが、それは図々しいと言うもの。
二人揃って食べる体勢を整えて、城戸さんがせーのと声無く口だけを動かす。
そのタイミングに合わせてかじるようにチョコを、半分口に入れた。
城戸さんは一気にはむっと一口でチョコをほうばる。
「…」
「……」
口に広がるのはただの抹茶の渋味が合わさったチョコの味。
だが、それが自分の嫌という感情が産み出した錯覚なのかと思い、もう一口、半分残ったチョコを食べる。
「…これは?」
城戸さんも自分の味覚が信用できなかったのか、もう一個チョコをつまんで、また一口でそれを口に入れた。
「…美味しい、ですよね」
「に、仁田もやはりそう思いますわよね?」
純粋な感想を述べるとチョコをんっと飲み込んだ城戸さんが、パチパチ目瞬きしながら同調してくる。
二人の意見が合致した。
それはつまるところこのチョコは普通に食べられ、尚且つ美味しいということ。
状況が飲み込めたのか、城戸さんの頬につーっと肌の色を透かした涙が通り落ちていく。
「わ、わたくしついに作ることが出来たんですのね…普通の…味も見た目も問題のない、食べられるチョコを…」
「…おめでとうございます」
一部とはいえ今まで苦悩をずっと傍で見てきた身として感動したような声になってしまい、それを戻す事も出来ずに城戸さんにお祝いをする。
すると、城戸さんはまるで長年何処かへ旅立っていた我が子を迎える時のような笑顔で、深く頭を縦に振る。
「わたくしの陽斗への愛と仁田の尊い犠牲がついに形に…!ううっ…涙が…」
漏れる涙を手で拭う城戸さんに、俺も釣られて胸がじんと暖かくなる。
勝手に犠牲扱いにされてはいるが、今はそんなことを気にする時間ではない。
二人してここまで長かった…と感慨に浸り、厨房には似合わない変な空気が流れる。
「後は今のやり方のコツを掴んで…そして、丁寧に可愛らしくラッピングをすれば…ラッピング」
「…あの。え」
ラッピング。
その言葉を発した城戸さんの動きが凍ったかのように固まり、まさかと感慨を押し潰して不安が心の真ん中に居座ってくる。
ギイッと固まった城戸さんの身体が俺を向いた。
その顔にはさっきまでの涙は消え、代わりに焦りを表す汗が静かに額を流れ落ちていく。
「わ、わたくし…ラッピングなんて一度もしたことがありませんわ…」




