65話目
65話目です
誤字・脱字があったら申し訳ありません
いつもの三人と、そして冬花ちゃんと楽しそうに会話をしている山中ちゃんを連れて、新崎、もとい主人公が現れる。
山中と冬花ちゃんは浴衣は着ていないが、その代わりに二人のヒロインは、夏祭りらしく浴衣を華やかに着込んでいた。
冬花ちゃんの浴衣が見られず、ちょっぴり残念な気もしたが、変にこの空気に浮かれることなく、焼きそばやかき氷に執着しているその姿こそ俺の知っている冬花ちゃんであり、夏祭りだからとりあえず浴衣着とけば良いや、みたいな安易な考えに走らない所は尊敬を越えて崇拝の域である。でもきっと冬花ちゃんが浴衣を着たら手のひら返す。
そんな可憐でゴットな乙女の隣に並んで食べ物を持たされている山中が神の使いに見えてくる。でも絶対許さない…。
「灯も来てたんだな!」
「…あぁ」
山中を睨んでいたがために少し、反応に送れたがいつも通りの変わらない適当な挨拶を返す。しかし、新崎はそれでも満足そうに「おう!」と元気よく返事をしてくれる。
と、ぐいと繋がれた手が前に動く。
「やっほー☆新崎くん達。最後に会ってから結構久しぶりかな?」
「久しぶりだね、秋葉ちゃん達」
「あ、矢波先輩っ!桜丘先輩も!」
新崎の隣にいた笠木さんが名前を呼ばれ真っ先に反応する。そして新崎のもう反対にいた城戸さんも綺麗な所作で小さく頭を下げた。その時に、何処かのお面屋で購入でもしたのだろう、何かのキャラクターの顔のお面が、頭にちょんと乗っかっていた。この人もこの人で、夏祭りをかなり楽しんでいるのが分かる。
「あの~…一応俺も…いるんすよね…」
山中がボソッと挨拶をすると、新崎は「お!」と、驚いた後に明るい表情になったが、山中を知らない他の三人のヒロインは首をかしげてしまう。その反応に、山中は気まずげに後ろに下がった。
「…どなたですの?」
「あー、灯と仲良くしてる後輩だ。一回目の合宿の時に会ってな」
「へー…。あ、山中くん…ってことはもしかして?」
名字に反応して笠木さんと城戸さんの視線が山中ちゃんに集まる。
極上の笑顔でかき氷を食べる冬花ちゃんにニヤニヤとした怪しい笑みをしていた山中だったが、見られていることにギョッとすると、いつもの咳払いを一つ。
「こほん…えぇ、まぁ一応双子です」
「一応ってなんすか!?正真正銘双子っすよ!性格とかは…確かに違うっすけど…」
第三者からすれば、性格はどうかは知らないが、細かい動きはよく似ているような気がする。好きな人を見るとテンパっちゃうところとか。
「双子なんだ…」
「俺ら双子とか兄弟いたことないからな~。なんか、そういうの羨ましいよな秋葉!」
「んー…でも、私たちが兄妹みたいなところはあったんじゃないかな?昔っからずっと一緒だったし…。で、出来ればこれからも…?」
最後に恥ずかしそうにぽつりと笠木さんが付け足し、新崎を覗き込む。
「…ん?何か言ったか?ちょっと周りの声がな…」
「ううん!なんでもないから!」
が、新崎、喧騒を言い訳に難聴を発揮。おかしいな…距離の離れてる俺には聞こえてたのにね…。
「…なぁ、あれなんだ?」
と、笠木さんの勇気が無駄に終わった光景を見ていると、新崎の視線に鎮座しているフクロウが目に入ったようで、俺に声をかけてくる。フクロウが棚から墜落するのが確定した瞬間だった。
「…あれは射的の景品。さっき矢波先輩が狙ったけど、全然動かなかったやつ。お前挑んでみたら」
「ほー…いやでもなぁ…」
「…………」
フクロウの図体の大きさを見て、新崎は躊躇うような言葉を漏らす。
どうせ狙うくせにと黙っていると、かき氷を食べていた冬花ちゃんが急に皆の前に出る。その視線の先は俺らと同じ、射的の屋台。
「ん?どうした冬花」
「あれ…欲しい…!」
目に入ったら怪我するどころかたちまち無敵になりそうなぐらい、キラキラと美しい瞳がフクロウを一点に捉える。
どうやら、あのフクロウが心を射抜いたのは冬花ちゃんらしい。やだ、フクロウ男子になりたい。いやもうフクロウになりたい。
「冬花…あのフクロウ、欲しいのか?」
「うん…うん…!」
こくこく必死に頷くその可愛さ。安易に言葉で表すことなんて出来ない。俺の知識不足な語彙力でそれを表現してしまったら、必ず伝え損ねる部分が出てきてしまい、そんなことになったら後悔にうちひしがれてどうにかなってしまう。
心の底にこのかわいさを閉じ込めて、一万年後ぐらいに神話として語り継げるようにしておこう。
ふと、山中ちゃんが気になって見てみれば、俺と同じように、この可愛さに悶えていた。こればっかりは仕方ない…仕方ないんです…!
「陽斗、冬花ちゃんが欲しがってるんだし、狙ってあげみたら?昔はよく陽斗も射的をしてたでしょ?」
「そういやそうだったなー…。んー、でもあれもかなり昔だしなぁ…」
「なんでしたら私があれを直接購入すると言う手もありますが」
「いや夏…それは最終手段だ…」
「でも確実じゃないですの…」
「…ま、じゃあ冬花のためにもやってみるか!」
悶える俺たちをよそに新崎は着々とフクロウを倒す準備を始めていく。その結果が気になるのか、矢波先輩達も新崎の周りに集まる。
「あの…仁田先輩」
「…ん?ん、なんだ山中」
突然、声をかけてきたのは山中くん。冬花ちゃんの笑顔を見るために必死に冷静さを取り戻しながら、そっちに顔を向ける。
「このまま行くと…自分の作戦が…」
「…まぁ、仕方ないだろそれは」
山中の恋心と、冬花ちゃんの私欲。それの重さを計ったのであれば、まず勝つのは山中の恋心だろう。だが、その私欲の後ろには主人公という重みのある最強の物体がいて、これを一つ置くだけで山中の恋心なんて敵わなくなる。
そうなったらこっちに残った選択肢は諦めるだけになり、他に何をしても効果がないようだ…になるだけである。
主人公パワーに勝てるのは、『主人公に勝てる展開』、だけでそれ以外はどうせ最後の一手で主人公の勝ちになる。それに、その勝てる展開というのも、結局は主人公の素晴らしい勝ちのための布石でしかなくて、本当の勝ちではないただの演出。勝ちばっかだな主人公。
俺が首を無理だと横に振ると、山中はガッカリした様子で上半身を前に倒した。
「そうっすかぁ…はぁ…」
「というか、お前はあれを倒す算段があったのか」
「うぐ…勢いで…いけないっすかね…」
「いや勢いでいけるわけないだろ…」
そんな、年がら年中そこかしこで騒いでいるような輩スタイルで静かに佇むフクロウは倒せないであろう。
そんなフクロウの前に立つ新崎は、何処で習ったのか、立派な構えで銃を持った。
「為す術なしっすか…」
「あぁ、新崎がやるからな」
俺が言った言葉は決して、あいつならやってくれるという彼を信頼で発した言葉ではない。俺が信じてるのは主人公と、そういう展開だ。
フクロウが無事に何事もなく落ちることを祈り、新崎の行く末を見守る。
また、矢波先輩の時のように周りの空気は静かになっていく。きっと、邪魔にならないようにと静かにしてくれているのだろうが、そのせいで変な緊張を纏った空気が流れ始める。
だが、新崎はそれを気にすることなく、フクロウに狙いを定めた。
…一発目が放たれた。
真っ直ぐに、放たれたコルクはフクロウの眉間に当たったが、ぼよんと中の綿が跳ね返し、コルクはぽとりと地面に落ちた。
弾は残り四発。
「…はぁ」
どうせ落ちるのだからと、ため息が漏れてしまう。
静かな空気にそれは響いて、知らない人数名の視線が集まってしまう。
が、二発目の音が鳴るとまた視線は俺を外れていく。
結果は見えている。
未知の剣の力や、天の聖杯なんてものが無くたって自然とそれは分かってしまう。
そして、そうなるとこの冬花ちゃんの願いを叶えるという行動さえ、茶番のような物に見えて、『主人公すごい』と言わせたいがための物と心で捉えてしまう。
これ以上主人公の活躍を見ていると、純粋に祭りが楽しめなくなりそうで、身体を反らして新崎達を視界から外す。
矢波先輩と手を繋いでいるせいで、真後ろを向くことは出来なかったが、それでも、真正面になるよりはマシ。
三発目、そして四発目が放たれた音がしたが、新崎達が喜ぶような声は聞こえない。
…そしてラスト。
五発目の音が響き、聞こえてきたのは新崎の「よしっ!」と手応えのある声。
視線を戻せば、置かれていたフクロウは棚を離れ、新崎の手に渡っていた。
新崎が振り向いて横にいた冬花ちゃんに渡すと、珍しく彼女は満面の笑顔を見せた。
好感度は、かなり上がったに違いないだろう。
矢波先輩は、驚いたようにおー、と声を出し、桜丘先輩はやんわりと優しい笑みをこぼしていた。
そして周りからも「あの人凄いね」とか、「カッコいい…」とか称賛の声が聞こえ始め、俺の予知した通りの主人公すごいの空気が出来上がった。
ふと、山中に視線を送れば
倒されてしまったことが悲しいのか、またガクッと落ち込んでいる。
落ち込む山中の奥で、新崎は冬花ちゃんの笑顔を真似るように主人公らしい爽やかで、カッコよさを混ぜた普段の笑顔を見せた。
「良かったんですか?」
射的を離れ、また人混みの流れを歩いていく。
俺がそう聞いた相手は矢波先輩。わたあめを食べ終え、次に釣り上げた水風船をぼよんぼよんさせている矢波先輩は俺を見上げた。
「何が?」
「いや、新崎達と一緒じゃなくて」
俺の周りにいるのは新崎と出会う前と変わらず、山中に桜丘先輩、そして俺と矢波先輩の四人。新崎は「なんだったら一緒にどうですか?」と、ハーレムのお誘いを矢波先輩にしたが、先輩はそれを「いいや」と考えることなく簡単に断った。
「仁田くんは新崎くんたちと一緒に行きたかったの?」
「いや…まぁ…」
行きたかったかと言われると、正直答えに困る。
気楽にはなれただろうが、その分いつもの考え事が増して、妬み僻みのオンパレードになりそうな自信はある。
そう考えれば、今のこの状況は別に間違っていないような感じもする。
「君、新崎くん達と一緒にいるとあんまり喋らなくなっちゃうじゃん。僕は君とたくさん話がしたいから誘ったんだよ?」
「いやでもそんな俺話すの得意じゃないですよ…」
「うーん…そうかなー」
矢波先輩が小さく首をかしげる。
「…あ、でも、前に喫茶店で二人きりでお話したときは、私、楽しかったよ?」
桜丘先輩がほんわかと、あの時の事を思い出しながら不意に言った。
すると、矢波先輩は「え?」と声を漏らす。
「二人っきり…?え、春どういうこと?」
「え…?…あ」
しまった、と桜丘先輩が慌てて両手で口を押さえるが、矢波先輩の耳にはきっちり届いてしまった。
「仁田くん」
「…なんでしょう」
「僕、それ初耳なんだけど」
「言ってないですからね」
「なんで内緒にしてたの?」
「いや…」
別に内緒にしてきた訳ではなかったが、あの秘密がある以上、極力それを話に出さないようにはしてきた。
ここで嘘をついて誤魔化しても構わないのだが、嘘をつけばバレる可能性が出てくる。
俺自身、桜丘先輩のあれを知られた所でキズは一つとして無いのだが、だからと言ってあっさり告白してしまうのは桜丘先輩を裏切ることになってしまう。ラブアンドピースでいこうと考えたのだ、告白するのは外道だろう。
しかし、あの秘密を取り除いた全てを話せば何とか誤魔化せるかもしれない。何故なら、全て嘘一つ無い真実なのだから。
「…ただ、本屋で会って流れで近くの喫茶店に行っただけです。それで話して」
「う、うんっ!そうなのやーちゃん」
「ほんとー…?仁田くん、変なこと聞いたり、頼んだりなんてしてないよね?」
睨むような鋭い視線が俺を刺してくる。
山中の件もあるし、押しに弱そうな桜丘先輩に変な頼み事をしていないか、心配しているのだろう。
だが、残念なことに俺は押しがとてつもなく弱いのでそんなこと一つもしていない。強いて言うならアイスぐらい。
どちらかと言えば、逆に頼まれたぐらいである。
とにかく潔白を証明するためしてないですと首を縦に振って伝える。
「…そ、ならいいんだけど」
「…あ、そう言えばその喫茶店のアイス、結構美味しかったですよ」
「うんうんっ、本当にあそこのアイス、甘くて美味しかったよね。やーちゃん、今度食べに行ってみない?」
「ん、いいよ。…でも、僕の魚の切り身入りアイスは断るのに、春とはアイスを食べるんだね、仁田くんは。薄情め」
「薄情は先輩だと思うんですけど…」
「む、僕のは厚意なんだよ?おもしろ…美味しいものを大好きな後輩に教えようと…!」
「うわぁ…」
ぽろっと漏れた本音に嫌な顔をしていると、ガシッと誰かに右の肩を掴まれる。
その正体を知るために振り向けば、山中がプルプル震えて俺の肩を掴んでいた。
「なんで仁田先輩桜丘先輩とちょっと仲良くなってるんすか…!」
「いや…本当偶然でな…」
「ぐ、偶然…」
偶然と言えばまるで運命の出会いのようにも聞こえてしまうが、桜丘先輩からしたらろくでもなさすぎる運命であって、そもそも官能小説から始まる運命ってなに。こっちも何していいか分からないんですけど。官能小説で高め会う恋心とか見たくない。規制かかんぞ。
これ以上山中に伝える事もなく黙っていると、山中の手がするりと俺の肩から落ちた。
「はぁ…まぁ、でもそれで色々聞き出せたりしたら…自分にもちゃんと教えてくださいっすよ?」
「…これ以上二人きりで関わることは無いと思うけどな…」
そう付け足して、山中との話を終える。
…と、それを待っていたかのように、突然ドンッと大きな音がして、空が明るくなった。
「あ、始まっちゃったかな」
矢波先輩がそう言って、桜丘先輩と合わせて、瞳を空へと向けた。
それを追って俺や山中、そして周りで歩いていた人のほとんどが空を見上げた。
「…花火」
四人の内、誰がそう言ったのかは分からない。もしかしたら、俺らじゃない誰かかもしれない。
だが、空に見えたのは確かに大きく輝く花火。様々な色が混じった巨体な火の華が、空に綺麗に咲いていた。
「…仁田くんは2回目だっけ?花火」
「えぇ、前の合宿で。…まぁ、でも花火って言っても、色々違いますから」
形や大きさ、それに色。
同じ花火というものを見たとしても、この花火とあの時の花火では全く違う。
一つ、花火が打ち上がる度に、周りから「おー」と感嘆するような声が聞こえてくる。いつもは雲か太陽しか無い変わることの無い空が、鮮やかな綺麗な華で大きく染まっていた。
「そっか、なら良かった。誘った甲斐があったね」
「…ありがとうございます」
「ふふん♪それじゃあこれからは僕のお誘いを断らないでね?」
「…それは…分かりません」
「む…後輩くんが生意気」
「先輩がわがままなんじゃないですかね…」
俺が言うと、近くで聞いていた桜丘先輩が小さく「ふふっ」と笑った。
「あ、ちょ、春。なんで笑うのさ」
「いやだって…本当の事だから。ふふふ」
「…むぅ」
不満そうに、プクッと矢波先輩は頬を膨らました。
俺の手を握る力が少しだけ、強くなったような気がした。
それでも、やっぱり女の子の握力と言うもので、痛みよりかはくすぐったさが勝ってしまう。手汗っ…!
「矢波先輩と仁田先輩って、ほんと仲良いっすよね…」
「ふふーん♪でしょー?良いこと言うね山中くん♪」
山中が漏らした言葉に、嬉しそうに矢波先輩は言葉を返した。
「違うと思うんですけど…」
「んー、聞こえないな~♪花火の音、うるさいからな~♪」
「………」
静かにため息を混ぜた息を漏らすが、矢波先輩はそれを気にすること無くにっこりと笑顔を浮かべる。
本当に都合の悪いことは聞かない人である。
恨みを込めて睨んでいると、「あのさ」と話しかけられた。
「なんですか?」
「そろそろ僕の事を芽野ちゃんとか、芽野せーんぱいって、可愛く呼んでくれてもいいんだよ?」
「無理ですね」
「即答…。どうして?」
「…人の名前とか呼び慣れてないんで」
俺が今、気さくに人の名前を呼べるのは新崎だけだ。
冬花ちゃんも、本人を目の前にしたら普通に言えない。
これぞまさしく内弁慶。
家の中ではなく心の中な辺り、もしかしたらそれ以下かもしれない。
…前に一度、城戸さんにも似たような事を言われたのを思い出した。
「…でも、だからこそ、僕で人の名前を呼ぶのに慣れた方が良いんじゃない?」
「別に…いいですよ」
人の名前を呼べたからと言って、世界が180度変わるわけではないし、そのための努力も必須な物ではない。
ただ、周りからは名前を呼び会うことで親しく見えるようになるだけで、まぁ、後は本人達の距離感もだろうか。
しかし、俺は頼まれたからという理由だけで、慣れてしまったものを簡単に変えられる人間ではない。
割といる「名字で呼ばれるの慣れてないから名前で呼んで」で、さっくり名前呼びに変わる主人公は実際はすごいと思う。相手が慣れてないからと言っても、こっちも名前呼びに慣れてない場合だってあるわけで、自称人付き合い苦手系主人公がそれをしたのを見たときには、お前本当に苦手なの?と疑いたくなってしまう。
それほどまでに、俺にとって名前呼びはハードルが高くて、大事な事なのだ。
その大事は、他人から見れば普通の事に見られてしまうこともあるかもしれないけれど、前も言ったような気がするがそれでも俺は、その他人ではない。
…これからは面倒な反論はよそうと思っていたのに、どうしても素直に行動を起こすことが出来ない。
こんな風に言い訳の理由ばかり探し出すことが、当たり前になってしまったからだろうか。
ドンッと、何回も空に花火が打ち上がる音が黙る俺の耳に響いた。
「…名前で呼んでくれないの?」
「先輩も、俺の事名前で呼んでないでしょ」
「んー?呼んでほしいんなら何回でも呼んであげるよ?灯くん灯くん灯くん」
「ちょ、何回も呼ばないでくださいよ」
「灯くん灯くん灯くん灯くん」
「だから…ちょっと怖いですし」
「それじゃあ、僕の事を一回でも名前で呼んでくれたなら、この連呼を止めてあげよう」
「ぐ…」
ずっとではなく、たった一回。そんなに難しくないからこそ、やってしまっても構わないと思ってしまう優しい頼み事。
俺がこの先そのお願いをどうするのか、矢波先輩はそれをもう分かっているようで、俺を捉えるその顔は、ニヤニヤと、いじらしく笑っていた。
自然と出てくる言い訳を、グッとまた身体の底へ押し込む。
体温が1、2度上がったような気がした。
「…か、芽野先輩…」
「よろしい♪…灯くん」
暗くなった歩道に響くコンクリートに当たる三つの靴音。
ついさっきまでは光に染まり、人の眼を惹き付けていた花火は終わり、今俺の眼に見えているのはどこまで続く闇。生憎、月は風で流れされてきた雲によって、その顔を隠してしまっている。
しかし、代わりに辺りに建っている家から溢れる光と、歩道に沿って設置されている街灯が、足元を不自由にはさせなかった。
夏祭りは花火が止むのと同時に人はまばらになっていき、俺たちも暗くなっていく空を見て、解散の空気になっていった。
しかし、矢波先輩は帰ろうとした俺をそのままにしてはくれず、今、こうして二人の先輩を家まで送り届けるという強制の残業をさせられていた。
「先輩達の家、どこら辺ですか?」
流石に家が分からずにいつまでも歩かされるのは困る。
そう思い聞いてみると、矢波先輩は辺りを見回して、「お」と声を漏らした。
そこにあったのはさして大きくもない一つの公園。
少し古びたブランコや滑り台を、人工の光が全体を覆って照らしている。
「あの公園があるってことはもうちょいだね」
「後…10分ぐらいかな?」
「そうですか」
「お別れが寂しい?」
にやりと笑って矢波先輩が聞いてくる。
「いいえ」
「嫌がるとかそういう反応すらしなくなったね灯くんは。無だよ、無」
「やーちゃんがからかい過ぎだからじゃないかな…」
「別にからかってるわけじゃないんだけどなー…」
不満げに口を尖らせ矢波先輩が呟き、歩道に合わせ二股の分かれ道を右に三人で曲がる。俺が先行して曲がってしまったが、誰も間違っていると指摘しないということは、この道は合っているのであろう。スピードを落とさずそのままに歩いていく。
曲がると、ぼちぼち明かりの点った家が回りに多くなってきて、その中から小さく、誰かの笑い声が耳に届いてきた。
と、桜丘先輩が俺を捉えてきた。
「あ、ねぇ、にーにゃんくん?」
「何ですか?」
「にーにゃんくんって、お仕事が終わったら夏休み、どうするの?」
仕事、と言うのは委員の手伝いの事だろう。というか、それ以外バイトも何もしてないし絶対それ。ノージョブはもう、目の前に。
「…まぁ、普通に休んでるんじゃないですかね。色々手伝わされて、それにあちこち連れ回されまして、疲れましたし」
「それは夏祭りに無理矢理連れ出した僕への遠回しの文句かな灯くん」
「文句って分かったならこれ以降、本当に無理矢理は止めてくれませんかね」
何度も言ってきたことをまた言うが、矢波先輩は反応を見せない。
「………」
「なんで黙るんですか」
「…………」
先輩の視線は俺を外れて、街灯に照らされた歩道の先へと移し、ずっと持っていた水風船を言葉の代わりにとボヨンボヨン叩いた。
俺の提案を受け入れる気が無いということを伝えているのであろう。
俺と先輩の言い合いを見ていた桜丘先輩が、「あはは…」と乾いた笑いを溢す。
「…でも、にーにゃんくん暇になっちゃうね」
「まぁ、慣れてるんで大丈夫ですよ。本とかゲームとか」
「灯くん、ぜーんぜん外出なさそうだよねー」
「実際出ないですし」
日が落ちた今でさえ、暑いと思っているのだ。太陽が空で猛威を奮っている時に出てしまっては、俺は半ナマぐらいにはなると思う。上手に焼けましたー。
それに、前も言ったが変に顔見知りにも会いたくないし、知り合いになんてもっと会いたくない。
新崎に会ってしまった日には貴重な一日が潰れる覚悟をした方が良いかもしれない。
そう考えていると、矢波先輩が俺を見ずに言ってくる。
「これはもう僕が直接乗り込むしかないようだね」
「なんでそんな物騒な考えを…」
俺の家は決して攻撃されるためにあるわけではない。
「やーちゃん、流石にそれは…にーにゃんくんにも、迷惑がかかるし…ね?」
「むぅ、分かったよ。本当に暇になったらすることにする」
「全然分かってないじゃないですか」
「決定事項からもしかしたらになったんだよ?大きな変化」
「もしかしたらを無くして欲しいんですけど」
「世の中に100%は無いよ、灯くん」
「じゃあ今どれぐらいなんですか」
聞くと、矢波先輩はんーと顎に指をそっと当てる。
「70%ぐらい?」
「それは行かない確率が?」
「行く確率が♪」
「にーにゃんくん…ごめんね…」
「せっかく仲良くなった数少ない男の子の後輩なんだし、色々知りたくなっちゃうじゃん?」
「普通の家なんで知るような事は何にもありません。来るだけ無駄ですよ」
実際、そこいらにある家となんら変わりはない。
強いて言う部分もない。
可愛い女の子の幽霊が住み着いてる訳でもないし、ついでに、生徒会長と同棲しているわけでもない。廃墟の方がまだ見ものである。
しかし、それを伝えても先輩は諦めてはくれない。
「それは僕が実際に行ってから決めること♪あ、なんなら春も一緒に行ってみる?」
「え、わ、私も…?」
「初めての男の子の部屋だよ?春もちょっと気になったりするんじゃない?」
「わ、私…は…」
拒むような言葉が出ると思っていたが、桜丘先輩は頬を少し赤らめて、こっちを覗き上げてくる。見たい、ということを目だけで訴えているかのようである。
「…桜丘先輩?」
「う、ううん!見たくないよ!?うん…見たくない…かな…」
「ほらー、灯くんが断るせいで春がこんな悲しそうな顔に…!」
「…それよりも…先輩達の家、まだ着かないんですか?」
「あー、誤魔化したー」
ぶーぶー言ってくる矢波先輩を無視して、どれか分かりもしないのにあちこち家を見て回る。すると、とある一軒家の表札に矢波と書かれているのが目に入った。
「むー、着いちゃったじゃん」
「それで良いじゃないですか…。…それじゃあ、今日は誘ってもらってありがとうございました。時間も遅いんで、もう帰らせてもらいます」
「もーちょっと話していたかったんだけどなー…遅いのも確かだし…それじゃーね」
別れの挨拶を告げると、案外すんなりと解放してくれた。
悲しげな表情だった桜丘先輩も、家に着いたことに気づくと「それじゃあね、気を付けて帰ってね」と、優しく言葉を返してくれる。
そんな二人に小さく会釈をして、回れ右をして自宅を目指す。
普段、寄らない場所ではあったが、道中、いくつか寄ったことのある場所も通ってきたし、駅を経由して行けば迷うこともない。最悪、携帯のマップを頼れば良いだろう。
…ふと、振り向いて見ればてっきり家に入ったと思っていた矢波先輩と桜丘先輩がこっちを見ていて、振り向いた事に気づくと、「お」と口の形を作り、ブンブンと大きく手を振ってくる。
桜丘先輩も、お腹ぐらいの高さでふりふり手を振ってくれた。
それにまた、小さく会釈を返して顔の向きを戻す。
…しばらく家を目指して歩いていると、突然携帯がピロピロ鳴り出す。
スリープを解除してみれば、メールが一通届いていた。
差出人は矢波先輩。
それを立ち止まって指で操作して開いてみれば、短い文章が一個だけ。
『今日はありがとね』
たった、八文字しかない本当に短い文章ではあったが、それでも、何故か嬉しさというものは込み上げてくる。
城戸さんや笠木さん達から来るメールとは違って、俺のために送ってくれたメールだと、抑えようとしても自惚れてしまう。
これ以上見ると、より浮かれてしまうような感じがして、携帯をまたスリープにしてそれをポケットに雑にしまう。
久しぶりに、夏に楽しみを感じてしまったかもしれない。
軽くなった足取りは、街灯に照らされた明るい道を止まること無く進めてくれた。




