59話目
59話目です
誤字・脱字があったら申し訳ありません
山中二葉。
彼女は、新崎に名前を呼ばれてからしばらく、あの、日常部の部室に来ることはめっきりと無くなった。
元々、彼女との関係なんて俺にはなにもないのである。
もしかしたら、山中の妹で、それにくわえて俺の鼻唄を聞いてしまったあの子がその子なだけな可能性が存在するだけで、それ以外は無理に関わろうとするような理由も、必要性もない。その分野は、何度も言って頭に刷り込まれている通り、主人公の物なのだ。
だから、これまで幾度となく繰り返してきたように、ゲームの村人のようなひたすらに同じな、学校に行き、家に帰り、また学校に行くをしていれば、どちらの山中とも関わらずに五月はもう、終わりを迎えていた。
涼しい空気から、暑さの混じった生ぬるい空気は、肌に触れると少し、気持ち悪く感じる。梅雨になれば、もっとひどくなるから、やっぱり夏は嫌いである。
そんな、季節の夏を目の前にしたある休日。
じんわりとした暑さは、窓を開けると勝手に室内へと入り込んでくる。
かといって、窓を閉めれば密封され、空気が籠り、むしむしとした暑さが発生する。
完璧なまでの暑さならばエアコンを付けるなり扇風機を回すなりでなんとかしのげるのだが、この空気はエアコンをつけるにはもったいなく、扇風機を回すとほんの少し肌寒い。
凄く面倒な時期なのである。
どうしたもんかと扇風機の前で、ボタンを押すか押さないかでうだうだと考える。
あーあー!主人公ならそんなん関係なしにヒロインとイチャイチャしてればなにも考えなくていいからズルいなー!
たったの扇風機ごときでここまで悩んでいると、やっぱり俺には主人公の素質はないのだと感じる。
あ、あと割と頻繁にいる「俺は何処にでもいる平凡な青少年だからな」って言うやつ。あれは本当の平凡をいまいち理解していないと思う。
本当に平凡で、無個性な青少年のやつほど、自分に特別ななにかがあると思ってやまないはずだ。絵の才能、小説の才能、ゲームの才能。とりあえず、誰かに自慢できるような物を、平凡な人は求めたがる。俺だってそう、一時はろくに描いたこともない絵に挑戦して、イーヤッ!って投げ捨てたこともある。その後、闇の力を求めました。
とにかく、平凡なやつは、まず自分のことを平凡だとは言いたがらない。主人公め、そうやって共感を買おうとしたって無駄だぞ!まぁ、主人公は俺の共感いらないと思うけど。こんなのなんていらないよね…。
…一人でなに考えてんだろうなぁ…悲しい。
ちらりと見た自分の勉強机には、読み終わった本が二冊。
少し前に買った本である。
思いの他短かったために、高校で時間潰しにと読んでいれば、いつの間にやら終わっていた。
外の天気は晴れ。
まだ、この時期ならばミンミン鳴いているセミも、土の中で寝ていることだろう。
一週間だけの命と言われることのあるセミだが、実は全然一週間以上生きることのあるあやつらは、突然近づいた木からジジッ!とか鳴いて現れるからほんと苦手。
ならば、そんな奴等のいない、今このうちに本を見ておくのもありだろうか。
わざわざ自分から虫のいる季節に家から出る必要もない。
新崎は…遭遇しないことを祈るしかない。なに、この魔物とエンカウントみたいな言い方。新崎は魔物なの?どっちかって言うと、勝手に苦手意識持ってる俺の方が魔物じゃない?
となると、新崎の役職はやっぱり勇者だろうか。にしても、過労大国日本と言えど、いささか世の中の主人公や勇者というのは働きすぎではなかろうか。伝説の剣拾いに行かされたり、勝手に甦った魔王をお前勇者だから倒してこいとか言う無茶ぶりな命令を王様と言う上司に命令されたり、普通のラブコメだって、人の悩みや想いに答え、尚且つ円滑な人間関係も作らなければならない。そんなよくある量産型の主人公はきっと、同じく量産型のサラリーマンに適しているのであろう。
まぁ、それを幸せだと思い、仕事にも真面目で取り組むだろうから誰も損してないんだけどね。むしろ得しかない。
それよりも、こんな風に考える俺みたいなやつがいる方が迷惑。頑張る社員を妬んで憎んで。うわぁ、いてほしくないなぁそんなやつ。俺も家になるべくいたいし、win-winの関係で働かないじゃダメです?親がwinじゃないんだよなぁ…。やばい、俺の良い所が見つからない。
主人公の労働環境と、俺の将来を気にしながら、ゆっくりと怠け者の魔物は扉を開けた。
ひっそりと立つ、前にも寄ったあの書店。何故だろう、一、二週間ぐらい行ってなかった気がするのに、ほんの一、二話ぐらいの早さでまた来たような気がする。
扉の無いオープンな入り口に足を踏み入れ、とりあえず、目に入った本を手に取っていく。
…あれ、これラノベじゃねーか!
最近、なんかラノベっぽいタイトルじゃないラノベがあったりして、手に取って、またすぐに戻すと言う行動を割と頻繁にしている。あるよね、タイトルに釣られて取ったけど、そんなに面白そうに見えなくて速攻でまた本棚に戻すの。
…色々言ってはいるが別に俺は、ラノベが嫌いなわけじゃ決してない。むしろ、結構好きである。ただ、なんか都合の良い展開や、真の力やチート、そんなのを見るとoh…というショックを受けた外人みたいな反応になるだけで、それ以外は割と好んでいる。絵とか絵とか絵とか。
あ、あとイケメンは嫌いだし、胸揉んで許されるのもあんまり好きじゃない。世の男性たちが、電車で疑われないように両手を上げたりして頑張っているというのに、イケメンで主人公というだけで『し、仕方ないわよね…事故…なんだもの…』みたいな感じになるの、ズルいと思う。
ぴったり胸に手が二つくっつくなんて、磁石じゃあるまいに。
だったら俺も全力で転んで女の子のスカート覗いてやるぞぉっ!そんな勇気も度胸も無いけど。
と、本を指で追いながら見ていると、本棚を曲がったすぐのところに人がいて、前のように危うくぶつかりそうになってしまう。慌てて足を止めたが、相手はそんな俺に気づく様子もなく、本に熱中していた。
「……ん?」
その人は、ロングスカート、腕がすっぽりと隠れるぐらいの薄い長袖に大人びた長い髪を持ち、服に隠れたその胸は人目を引くであろう大きさ。肩にかけるタイプの鞄の紐が胸に挟まっていた。
違うんです!服とかをラノベみたいに伝えるために見ただけで、変に下心はないんです!胸もちょっとしか見てません!
…髪は下を向いているその人の目元を、うっすらと隠している。
そして、髪の毛の隙間から見える顔は…あの山中の想い人、桜丘春先輩。…まさか、以外な人と遭遇してしまった。
そう言えば、前に矢波先輩が『春は本が好き』的なことを言っていたと思い出す。
しかし、数ある書店のなかでこうも偶然に遭遇するものだろうか。これも、主人公の物語のひとつになってしまっているのでは無いだろうか。
どうなんだと周りを見回してみるが、新崎らしき人物は見えない。あるのは数多の本だけである。
ん…?この棚…まさか、と一歩下がって棚についた本の種類を見る。
か、官能小説…。
うっかり口に漏らすこともなく、しっかり心だけで名前を発する。
官能小説とは、言うなれば文字バージョンのスケベな本。
それを、先輩は食い入るように読んでいた。
…いや…えぇ…え…どうする?
桜丘先輩の見た目は、かなり大人びている。大人の女性と見間違われてもおかしくはない。だから、変に思われることはないのだろうけども…。
…こういうのは見なかったことにするのが一番だろうか。
回れ右をして、違う本棚に隠れてここから出ていく方が安全ですよね…。
うっかり本棚にぶつかるとかいう、よくある展開を避けるためにも慎重に、だが大胆に勢いよく本棚の後ろに回ろうとしたその時。
「はぁ…あ…」
「…どうも」
なにか、満足したような面持ちのそのお方はゆっくりと本を棚に戻し、顔を横にいたこちらに向けた。うっかりとか、そういうのを気にする必要は無かったらしい。
小さく会釈をすると、桜丘先輩の動きは完全に停止し、次第に顔が、というか身体全体が真っ赤に染まっていく。
「み…見て…た…の?にーにゃん…くん…」
「…み、見てました」
素直に言うと、桜丘先輩の赤みがより増した。
「ぁぁぅ…っぁ…!」
あうあう言って、蒸気が先輩の頭から溢れ出す。その姿、まるで昔の蒸気機関車の姿であった。
し、仕方無いですよね…?事故なんですもの…。
腕を引っ張られ、隣の雰囲気の良いカフェへと連れていかれた。
アンティークの店内は、日の光と、暖色系の光が明るく照らしていて、暗い色のテーブルと、自分で頼んだブラックの冷たい珈琲を優しく照らしていた。
「ぅぅぅぅぅぅぁ…」
あと、ついでに先輩の頭も。
自分達以外、お客がいない店内で静かにうなり声が響く。
「……………」
「ち…違うのぉぉぉぉ…」
桜丘先輩はテーブルにめり込まんとする勢いで頭をつけ
ていた。このまま行くと、融合してモンスターを召喚しかねない勢い。
「まぁ…好みは人それぞれですから」
恋愛系統が好きと矢波先輩は言っていたが、まさかあんなにも恋愛してる恋愛というか、どっぷりとした恋愛系が好きだったとは。
重力にしたがっている先輩の髪が、はらりと首もとから離れ、真っ赤なうなじが顔を覗かせた。
「違うのぉ…たまたま手に取った本が…それでぇ…それでぇ…ぁぁぁぁぁ…」
「先輩、そのまま行くとテーブルが…」
力いっぱい頭を押し付けられ、テーブルがメシメシ悲鳴を上げている。テーブルの未来は俺にかかっていた。
「ぁぅぁ…」
「別に、言いふらしたりとかしませんし…」
「本当…?」
「…はい」
ゆっくりと顔を上げ、こっちを見てきた桜丘先輩にしっかり頷く。
言いふらしたところで、それで俺は得はしないわけだし、ラブアンドピースが大事だって仮面ライダーも言ってたし。ならば、言う必要はない。
「じゃあ…これ……お願いします…ぅぅ…」
すると、先輩は通りかかった渋いご老人の店主に、身体を起こして何かを注文して、また身体をテーブルに倒した。
珈琲でも頼んだのかと待っていると、運ばれてきたのはカフェオレ味のアイス。
かなり冷えているのだろう、それはうっすらと冷気を放っていた。
「……………え?」
先輩はアイスを受けとると、何故かこちら側に差し出してくる。
「ぁぁぁぅぅぅぅ…」
「あの…これは…」
「口止め料…」
…まぁ、それで信じてくれるのならとアイスを受け取る。
「あ、美味しい…。これ、先輩は食べないんですか?美味しいですよ」
「前に…やーちゃんに魚のソフトクリーム食べさせられてから…アイス嫌い…」
くぐもった声で、先輩はそう呟いた。
…あ、結局、桜丘先輩が食べさせられたんだ…可哀想。
あの人の傍若無人ぶりは、止まることを知らないらしい。
「まぁ、でもそのトラウマを治すためにも…ほら、夏も近いですから。夏と言えばアイスですし」
「…分かった」
「それじゃあ、お願いします」
カウンターの奥で聞いていた店主さんに一礼して、アイスを頼む。
「ぁぁ…ぅぅ…ぁぅ…」
「………本当に大丈夫ですから。そろそろ起きてください…」
「………………」
「…あの、起きてます?」
前みたく寝てしまったのかと思い、黙り混んだ先輩に一声かける。
と、それと同時に追加のお皿に入ったアイスがかちゃりとテーブルに置かれた。
「起きてる…けど…これから死ぬから気にしないで…」
「いや死なないでくださいよ…ほら、アイスも来ましたし…ね?」
諭すように話すが、一向に起き上がってくれない。
このまま呑気にアイスをまた食べるわけにも行かないし、帰るなんて論外。とりあえず、この状況を終わらせなければ我が愛しのマイホームに着くことは叶わないだろう。
特に違和感があるわけでもないが、深くまたソファに体重を置く。
だが、まだろくに会話もしてない人なのだ。
喜んだり、満足させたりするような話は一つとして出てこない。それに、無理に話しかけたするのは、必死にモテようとしてつまらない会話で頑張っちゃう系男子を想像させてしまい、そうはなりたくないと躊躇ってしまう。
でも、こういうことを言うと『モテようと努力しない、俺周りと違ってかっこいい』みたいに思ってしまってそれも嫌だ。
つまるところ、どうしようもないということである。ほんと、どうすりゃいいのよ。
相手の行動を待つしか無く、ゲームで言うカウンタータイプの状態。そして、そのカウンタータイプの弱点は相手から何もされないことであり、カウンターが発揮出来ない場合である。
ここでヨガフレイムのひとつでも出せたらそこから会話を繋げればいいのだが、こんな店内でやれば火事間違いなし。そもそも俺そんなこと出来ない。
「……」
「………」
「…………」
「ぅぅ…そんなに見ないでぇ…」
ジッと先輩の頭を見ていると、そう言われ彼女の頭から止まっていた蒸気がまた溢れ出す。
「えっ、あぁ…すみません…」
「ぅぅぅ~…」
おかしい…俺が見ていたのはこっちに向き続けられていた頭部だ。先輩の視線は、違う方向に向いているし気づく余地はないはず…。
恥ずかしがりやのせいで、まわりからの視線に敏感なんだろうか。
だったら、何故さっきは気づかなかったのだろうか。
もしや、俺の気配遮断が、先輩の視線感知よりも優れているのだろうか。でも俺そんなものいらない。
ちらりと見た口止め料のアイスは、適度に保たれた室内の温度の影響で、じわじわと溶け始め、カフェオレアイスから、ただのカフェオレへと戻っていく。
早く、これを終わらせなければ、このアイスは悲しみに包まれることであろう。テーブルの運命と、そしてついでにアイスの運命も、俺に架かっていた。
とりあえず、見るとより悪化することは分かったので、少しだけ目線を反らして、ぎりぎり視界の端に写るぐらいで留めておく。
「……」
「………」
「…………」
そして、無言を貫く。
無駄に話しかけて余計な情報をあちらが自爆でしてきても困る。そして、それを起こさないためにはこちらが一切話をしなければ良いのだ。
そうすれば、無駄な事は起こらず、あちらも話を振ってくるにしても内容を固められるから困ることはない。
この俺の会話テクニックは実に素晴らしいと思う。余計な事はせず、あちらの動きに合わしてこちらも動く。
伊達に昔から学校のイベントで、ひっそりと適当な仕事だけで片付けてきてはいない。
単に、役立たず認定されてただけなような気もするけど。
なんかのために俺が作り上げた小道具を見て、「あー…うん…じゃあ、この後は折り紙切ってて。それだけでいいから」と言われた俺だけはある。折り紙を切ることなら誰にも負ける気がしない。
「………」
と、考え事に耽っていると、桜丘先輩の頭がぴくりと動いて、ゆっくりとこちらを視認しながら身体を起こしていく。
まるで、なついていない動物のような、怯えた、しかし興味はあるような動きで、こちらをちらちら確認しつつ、アイスの傍に置かれていたスプーンを手に取った。
「………」
「………!」
先輩は静かな、物音一つ立てずにアイスをすくい恐る恐る、ゆっくりと口へと運んだ。
…すると、表情は一変して明るくなり、もう一口とアイスをまたすくい、口に入れると可愛らしく微笑んだ。こういう場合、サバンナな動物番組なら 『捕まえた!』的な感じで飛びかかりに行くのだが、今ここでそれをすると、俺が警察に『捕まえた!』されるので、変わらず視界の端だけに捉え続ける。
頬に手を当て、笑う先輩に、自然とこちらの口の端が緩んでしまう。
そろそろ大丈夫であろうと、そっと顔の向きをもとに戻した。
「…美味しいですか?」
「…う、うん!とっても!前に食べさせられたの…なんとか…忘れられそうかな……」
「大変ですね、矢波先輩と一緒だと」
だが、桜丘先輩は微笑んで顔を横に振った。
「ふふっ、そうでもないよ?やーちゃんったら結構おっちょこちょいな部分もあるし、昔なんてね、お菓子を作るときに砂糖と間違えて小麦粉いれたりとか!」
「小麦粉…塩じゃなくてですか…」
あの人の、そんな部分を見たこと今まで関わってきてなど一度もない。幼馴染みにしかわからない秘密話だった。
これを盾に矢波先輩の横暴を防ごうという策が一瞬、頭をよぎったが多分、それをしても逆に秘密を剣に何をされるだろうか。
昔話に花を咲かせ、楽しそうに話す桜丘先輩を見て気楽になり、溶けていくアイスに俺はスプーンを伸ばした。
「今だと、色々上手になって、おっちょこちょいな部分を見られなくて、少し寂しく思っちゃうこともあるけど…でも、一緒に仲良くできるんだったら、そっちの方が嬉しいかな」
「そう…ですか」
指を組み合わせ、こちらを正面に捉えられる。
穏やかに笑う先輩の瞳は、ボーッとしていると吸い込まれそうである。意識をはっきりさせるために、ブラックのコーヒーを口に流した。
「そういえば…最近はにーにゃくんの事も、よく話したりするんだよ?」
「そ…そうですか…。余計な話とかしてたりしませんよね?」
「うん!怖いのが苦手とか、楽しそうに話してくれて!」
「余計な話じゃないですか…」
「ふふっ♪」
店内の落ち着いた雰囲気と、先輩の穏やかな喋りは、自然と、無意識に心がドンドン和んでいく。
多分、冬花ちゃんという運命の相手がいなければ、今ごろ、山中をほっぽり出して恋に落ちてしまっていた可能性だってある。うっかり、道を踏み外してしまうところだった…あれ?今の方が間違えてない?
怖がりを知られて照れて熱くなった体温と、衝撃の事実を知りそうになり、慌ててコーヒーで頭と身体を冷やす。
「…あの、あんまり言いふらさないでくださいね?なんか、知られると周りが茶化してきそうですし」
「うん、分かった。私のと君ので、二人の秘密だね?」
「…まぁ」
その内容に雲泥の差はあれど、秘密は秘密。これが小学校だったら翌日には全員にバレているが、先輩ならばそうはならないだろう。先輩の秘密を俺は握っているわけだし。うわ、なんかラノベにありそうな設定だ!
先輩は、ゆっくりとソファ腰かけ、ずっと肩からかけていた鞄を、空いたスペースにそっと置く。
そして、テーブルに両手を組み合わせて台を作り、そこに顎を乗せた。
「アイス、美味しいね」
「はい、ちょっと溶けましたけど」
今の、落ち着いた先輩の雰囲気は一言で言えば姉になるのだろうか。しかし、実際は姉ではない。が、姉である。つまり、姉なるものということになる。大好きあれ。
溶けたカフェオレをコーティングにして包まれているアイスをすくって、口へと放り込む。夏にはまだ少しばかり遠いが、身体はもう、冷たいものを求めていた。
「あっ、そうだ。本買ってたんだ。にーにゃくん、ちょっと本読んでも大丈夫?」
「えぇ、大丈夫ですよ」
「ありがとね」
鞄から、黒のブックカバーに覆われた本を一冊、先輩は取り出した。
まぁ、こんな落ち着いた雰囲気の喫茶店では、本を読みたくなるのも分からなくはない。むしろ、それを想定しての本屋の隣なのだろう。
と、じっと先輩の持つ本を見てしまう。
「……………」
「…!こ、今度は、え、エッチな本じゃないからね!?」
「いや、分かってますよ…」
「だ、だったら…そんなに見ないでね…?恥ずかしいもん…」
「あ…すみません…」
言われて、顔を外へ向ける。
空は、流れる雲の隙間から太陽が顔を覗かせていた。
「…………」
「…………」
アイスを食べ終え、カランと金属のスプーンがお皿に当たる音がする。
…どうしよう。
帰るタイミングを完全に逃した気がする。先輩はもう、本の世界へと呑まれてしまっている。迂闊に声をかけるのは、本を読むものとして言ってはいけない。皆もしちゃダメですからね!
でも、時々、気になる?気になる?みたいな感じを漂わせてくる奴がいるが、そういうやつは普通に無視していい。
結局、本を読むやつには関わらなくていい。
…それで、どうやって帰ろうか。今日は休日、そんなに急いで帰る必要はないがそれでも早いに越したことはない。
それに、本だって買いたい。そっちがむしろ本題で来たんだし。
ペラペラページを捲っていく先輩に、ちらりと視線を向ける。
「んっ……」
静かに、そして僅かに吐息を漏らし、美しく繊細に紙を捲るその姿は凄く綺麗。
山中が惚れるのも、分からない訳ではない。でも僕は冬花ちゃんがカクカク地デジカ。
…本当に、どうすればいいんでしょうか。
「んんっ!」
「…………」
強く、咳払いをしてみるが反応なし。スマホくーん!助けてよー!と、学生の定番技、スマホいじりを始めようと持ってきていた鞄を探る。
…んー…あれ…あ、忘れてきたわ。
本屋寄ってすぐに帰る予定だったために、見事に自宅でスリープモード。ぐうたらぐうたら電気を食っているに違いない。
珈琲を飲もうとするが、残念なことに、丁度中身が空になる。
「んしょ…」
先輩が、邪魔をする髪をそっと耳にかけた。
「…………はぁ」
どうしょっかなぁ、と辺りを見回す。
と、不意にテーブルの横に店主さんが現れる。
「こちら、お片付けしてもよろしいでしょうか?」
「あ、はい」
小さく頭を下げて、お皿とカップを差し出す。
「そちらも、よろしいでしょうか?」
店主さんが、先輩にも声をかけた。
すると、本を読んでいた先輩も、ハッとして顔を上げた。
「あっ…すみません…本読んでて…」
「いえ、それでは」
アイスの入っていたお皿と、一つのカップを、店主さんがトレイに乗せて運んでいった。
…まさか!
もしやと思い、店主さんに顔を向けると…
「………」
「…!」
グッと親指を立てていた。
ありがとう…今だぁっ!
「せ、先輩、そろそろ俺帰りますね。珈琲も飲み終わりましたし」
「あ、うん。それじゃあ、私もそろそろ。今日はごめんね?無理矢理つれてきちゃって。だから、お金は私に払わせて?」
本を片付け、代わりに先輩は財布を取り出した。
「えっ…あ…いや大丈夫ですよ…」
「ううん、ダメ。それじゃ、私払ってくるからね」
立ち上がって、俺も財布を取り出そうとするが、その腕に先輩の手が伸びてきて、それ以上はさせまいと止められた。
「まぁ…じゃあ…すみません」
触れられた事にドキドキしながらも、忘れ物が無いかと一応ソファを確認して、レジに立つ先輩の後ろ辺りに並ぶ。
店主さん…ここ、絶対毎週来ます!
手際よく会計を済ませる店主さんに、心の中でお礼と、敬礼をした。
そして、出入り口に付いている、ベルのようなものがカランと音を立て、俺と先輩は扉を越えた。
「それじゃ、解散だね」
「…はい。あ、でも俺は本屋寄ってから帰ります」
「そっか。あ、わ、私が見てた本棚は、み、見ないでね?絶対だよ!?それに言いふらさないことも!」
「わ、分かってますから…」
距離を詰められて、たまらず身体を後ろに反らす。
「なら、良いんだけど…絶対、ね?」
「…はい。だから、先輩も、俺の怖がりは言わないでくださいね」
「うん。それじゃあ、また学校でね」
「えぇ」
手をお腹辺りの高さでふりふり振って、桜丘先輩は歩いていった。
そして、きっちり道を曲がったのを見てから、俺も振り向いて本屋へと向かった。
季節の夏を前にして、少し変わった一日だった。




