第3章 四ツ足ノ足音 《6》
「……とまぁ、それから紆余曲折あってえーちゃんが生まれて、そして現在まですくすく育って……あら? どうしたのえーちゃん。顎が外れてフラフラしてるわよ」
父との馴れ初めから始まった鏡花の話を聞き彰二は若干のめまいを覚えていた。
つまらない存在だった、なんて言うから想像も絶するような身の上話が出てくるのかと思えば、いざ蓋を開けてみると物凄くマイペースな自分語りではないか。
一言で要約すれば、“カゲガミ”に飽きちゃって駆け落ちしちゃった、である。
「別に、罪悪感が完全に無かったわけじゃないのよ? だけど、やっぱり楽しいこと優先しちゃってね……えへへ」
「えへへ……って」
「それに、今になって思い出しちゃったのよ。自分が“カゲガミ”だってことと、母親だってことをね。知らないでいてくれればそれでよかったんだけど、この世界を知ってしまった以上、私はえーちゃんの平和を守らなきゃいけないの」
鏡花は拳闘着の裾を揺らしながら落ち葉を踏み散らし、町が一望できる場所まで向かっていく。その背中に微かな不安を覚えて彰二は立ち上がって――鏡花の腕を掴んだ。
「……し、死んだりしないよな? 母さんが死んだら、山ほど悲しむ人がいるんだぞ」
「あら心配? 大丈夫よぉ、最強の称号もあるわけだしそんな簡単にやられないわよ」
「でもさ――」
「それに、あのコだって凄く強いのよ。二人がかりでやればあっという間よ。……ちょーっと性格がアレみたいだけど」
「……そうだ、夕陽!」
母や古島の件ですっかり失念しかけていたが、夕陽はこの一大事に何処に居るのだろうか。
「まぁ、私と違って猫ちゃんだからねぇ。何処かでお昼寝でもしてるんじゃないかしら」
「そうだ……! 俺、ちょっと夕陽探して」
「だから、えーちゃんは何もしなくてもいいんだってば」
ぼふ、と彰二の頭に鏡花の手の平が乗っかる。その手は普段よりもほんの少しだけ大きくて、温かくて――ほんの少しだけ震えていた。
彰二は顔を上げる。
普段と何ら変わらない、穏やかな母の笑顔がそこにある。
「ほとぼりが冷めるまで……そうね、ここでジッとしてるか、家に帰るかどっちかね。私としては、今晩の仕込みとか気になるからお家にいてくれると嬉しいんだけど」
「ここまで来てそんなこと出来るかよ! 俺だって――!」
ドッ――ズンッ。
不意に、くぐもった音と微かな振動が身体を揺らし彰二と鏡花は弾かれるようにその方向に視線を走らせる。影だけのカラスがざわめき何処かへと飛び去っていくのが見える。
「お出まし……ね。じゃ、私はちょっと行ってくるから、早く帰るのよ?」
「ちょ、ちょっと待っ――!」
トン、と鏡花が地面を一蹴りすると、まるで竜が翼を羽ばたかせたかのような暴風が目の前で巻き起こり、そして音の方へ凄まじい速度で飛んでいく。小さな影が吸い込まれるように町の中へと消えたあと、彰二は頬を両手で叩き心を決める。
「……夕陽を、見つけないと」
その後の事は、後で考えればいい。
自分で戦う力を持たない今、戦う力を持つ夕陽を頼る他に選択肢が無い。我ながら情けないと思いつつ、彰二は石段を滑るように駆け降り路地に飛び出す。右を見ても左を見ても黄昏色の世界。宛てもなくタソガレの中を彷徨いながら、ビルとビルの隙間を。学校の敷地を、自分の家を。思い付く場所を適当にしらみつぶしに探していく。
「夕陽、何処だ……ッ!」
「エージ、呼んだか?」
「のわッ!? ゆ、夕陽!? 何処だ、何処にいる?」
「こっちこっちー」
声のした方向を見上げ――夕陽は民家の屋根の上で爛々と瞳を輝かせながら無邪気に笑顔を浮かべていた。トントンとリズミカルに屋根から塀へ、塀から彰二の元へ飛び移って彰二の胸の中にぼふっと飛び込む。外に干した布団のような何とも言えない温かな匂いがふわりと立ち込める。
「お前、この非常時に何処に行ってたんだよ?」
「んー……どっか!」
「お前なぁ……」
猫らしくマイペースで気分屋なのは変わらず、夕陽はこの状況を知ってか知らぬか彰二の体にごりごりと身体を押しつけてくる。彰二は夕陽の身体を降ろし、一度目線を合わせてから諭すように語りかけた。
「……夕陽、ヤバい鬼が出たんだ。それで今俺の母さんが――あぁ、えっと、順序よく言うと俺の母さんは夕陽と同じで……あぁ、くそっ」
焦れば焦るほど何から話せばいいのか、その順序が頭の中でめちゃくちゃに転がってしまう。
“四ツ足”の鬼。
それと戦いに独りで赴いた“カゲガミ”の母に、彰二の願いに友人のこと。
色々と言いたいことが多過ぎて、しかし思いとは裏腹に口が回らず、夕陽はそんな必死に何かを伝えようとする彰二を面白そうに見つめていた。
「だから、つまりヤバいんだよ! それで夕陽の力を貸してほしくて」
「いいよー」
「そうか、いいのか。……でだな、夕陽。…………ん? 今、何て言ったっけ?」
「いいよー。夕陽の力、貸したげる! だけどねーエージ、お願いがある!」
「お願い? お願いって何だ? ……って、俺に出来ることだろうな? 出来ることなら何だってしてやるけど」
変な要求をされても彰二が出来なければ意味が無い。
ヒヤヒヤしながら答えを待つ彰二に、夕陽はにぱっと笑みを浮かべあっけらかんとした調子でこう言った。
「じゃあじゃあ、エージ一緒に遊ぼ! ずっと、ずっとずっとずっと遊ぼ! 夕陽、ずぅっとエージと遊びたい!」
「……? 遊ぶって、え? そりゃ前みたいに公園で遊ぶような感じか? そんなことでいいのか?」
「うん! エージ、一緒に、ずっと、遊ぼうよ!」
「まぁ……いいぜ。お前の気が済むまでいくらでも遊んでやるよ」
「ホントか!? ホントだなエージ! わーいわーいわーい!」
子供らしい、や、子猫らしいとでも言うべき幼稚なお願いに彰二は拍子抜けしつつ夕陽を見返す。その名の如く眩しい笑みを浮かべた夕陽はその場でぴょんぴょんと跳ね回り、尻尾をぶん回しながら全身で喜びを表現している。彰二から見れば相当に大袈裟なのだが、夕陽にとってはそれほどまでに嬉しい事なのだろう。彰二の周りをぐるぐるとダッシュし、果ては彰二に抱き付いて頬をスリスリしてくる始末。気恥ずかしさと若干の嬉しさを抱えながら夕陽を引きはがすもそのテンションは止まるところを知らない。
「お、おいおい。やり過ぎ……ってか、そんなコトしてる場合じゃなくてだな。母さんのトコに急がないと。夕陽、嫌な匂いのする方向は分かるか? そっちに全力で向かうぞ」
「……ん、あっち! それよりエージ、何して遊ぶ? 何する? ね、ね?」
「そ、それを考えるのは後だ後! 全部が終わったら……何でも遊んでやるから!」
小走りと急停止と振り向くのとを何度も何度も繰り返す夕陽を説得しながら、彰二は胸の内の焦燥感を無理やり抑え込んで走り出す。
彰二の視界の遥かその先で、大きな砂煙がオレンジ色の空に吸い込まれていた。
故あって予約投稿。
このお話は、来月辺りには完結させたいですね……
次回更新は2月10日。
では、待て次回。




