8. 再会
レベッカはシャルルの後ろをついていく。
すると、ふいに不安が押し寄せてきた。
それは息苦しいような、吐き出したいような。
もし、シャルルの行動がレベッカの不安を煽らせるものなら、彼の作戦は上手くいっている。
レベッカは不安で不安で仕方なかった。
つい先程の決意とは裏腹に、やはりニコルに生きていて欲しいと願ってしまう。
そうして、レベッカはボロ屋に連れてこられた。
「この中にニコルがいるよ」
そうシャルルが言うと、レベッカは喉の乾きを覚えた。
期待と不安が入り混じり、心臓がドクンドクンと脈打つ。
額から滲み出る汗がぽたっと地面に落ちた。
ごくり、と喉を鳴らす音が耳に残る。
そして、レベッカは恐る恐るボロ屋の扉を開けた。
すると、そこには両手両足を縛られた少年がいた。
「姉貴!」
そう、ニコルだ。
見たところ、ニコルに大きな傷らしきものはない。
シャルルの話は本当だったのだ。
と、レベッカは思うと同時に駆け出した。
「ニコル!」
レベッカは弟の名前を呼びながら、ニコルを抱きしめた。
腕の中の温もり。
それは、たしかな弟のぬくもり。
彼女は感激のあまり、
「う……ぐっ」
涙を流した。
ぼろぼろと、目から大粒の雫が溢れ落ちる。
弟を抱きしめる機会なんて、もう2度と来ないかもしれない。
そう思っていた。
諦めかけていた。
ニコルは突然泣き出したレベッカを見て慌てる。
「どうしたんだ、姉貴? もしかして、シャルルに何かされたのか!?」
「ち、違うの……。ニコルがいてくれて、嬉しくて……」
レベッカが声を詰まらせながら言う。
そうしてしばらく、彼女は泣き続けた。
緊張が解かれ、安堵と歓喜によって涙腺が崩壊したのだ。
この光景を傍で見ていたシャルルは、満足そうに首を縦に振る。
――うんうん、頑張った甲斐があるよ。
と思い、姉弟の再会に感動していた。
そんなシャルルに向けて、ニコルが尋ねる。
「どうやって助けたんだ?」
「奴隷商に譲ってもらったんだ。彼女は今、僕の奴隷だよ」
「ど、奴隷だと!?」
ニコルが激高した。
「お前! 姉貴を救うって言ったじゃねーか」
「だから、救ってきたじゃないか」
「奴隷なんだろ! それのどこが救ったって言うんだよ!」
「変態貴族や娼館に売られないだけでもマシだよ」
「そ、それとこれとは……関係ないだろ。姉貴を解放しろ!」
関係ないわけがない。
本来なら、レベッカを助けるためにシャルルは大金を払う必要があったのだ。
交渉によって無料にしたのは、シャルルの手腕であり。
ただでレベッカを返すほど、彼はお人好しではない。
「そんなに言うなら、解放してあげるけど」
「え、いいのか!?」
「ただし、条件がある」
「条件?」
ニコルが眉を潜めた。
「その前に一つ。金貨40枚。この額が何かわかるかい?」
「な、なんだよ……」
「レベッカを正規に買い取った場合の値段だよ」
「でも、姉貴は誘拐されただけで……」
「この土地で、そんな言い訳が通用するとでも思うの?」
「……ッ」
シャルルの言葉に、ニコルはハッとなった。
自分がいかに無茶な要求を言っているか。
無償でレベッカを解放しろ、と言うのはあまりにも馬鹿げた話だ。
しかし、金貨40枚を払えるだけの余裕はない。
というか、おそらく払える未来は一生こない。
ニコルは現実を理解して青ざめた。
「でも、さすがに金貨40枚は多いから、まけてあげるよ。半額の金貨20枚」
「そんな大金、持ってるわけないだろ」
「知っているよ。だからこその条件さ」
「……条件とは、なんだ?」
「君が僕のもとで金貨20枚分の働きをしてくれたら、レベッカを解放してあげる」
シャルルはニコルを近くに置いておきたい。
それには2つの理由がある。
1つ目が、ニコルの戦闘力だ。
今回の事件でわかったが、シャルルは何者かに命を狙われている。
それを撃退できるだけの力を、ニコルが持っていると考えた。
2つ目が、シャルルの心の平穏だ。
厳つい男たちに囲まれていると、シャルルの胃が痛くなるばかり。
近くに純粋な少年がいてくれた方が安心するのだ。
「本当に、姉貴を解放してくれるんだな?」
「約束は破らないよ。こう見えても、僕は誠実な男なんだ」
「嘘つけ! 悪童が!」
シャルルは「はははっ」と軽く受け流す。
彼はこの数時間で『悪童』と言われるのに慣れていた。
「それで、どうする? お姉さんを解放するために僕のもとで働く?」
「オレからも一つ条件がある。姉貴には手を出すな」
「彼女は僕の奴隷なのに?」
「ああ、そうだ。それが守れるなら、お前のもとで働いてやる」
「雇用主は僕だよ? 随分と態度がでかいなぁ」
ニコルとて、むちゃくちゃな条件だとわかっている。
それでも譲れない条件だ。
「どうするんだ?」
「わかった。お姉さんには手を出さないと約束しよう」
シャルルは笑顔から一転。
真面目な顔で告げた。
――もともと、手を出すつもりはないしね。
次にシャルルは、レベッカに目を向けた。
「レベッカもそれで良いかな?」
突然、話を振られたレベッカは、
「あ、うん……はい」
と、しどろもどろになる。
そもそも、レベッカに選択権はない。
シャルルの決定が全てだ。
だから、意見を求められたことに驚いた。
そして彼女は、
――不思議な人だ。
と、シャルルに対しての感想を抱いた。
レベッカにとって、シャルルのような人は初めてだった。
優しい、とはまた違う。
それよりも、器が大きい、という言葉がしっくりくる。
奴隷商との交渉やレベッカの救出、そして襲ってきた相手を部下にする度量。
レベッカはシャルルへの評価を改めた。
そして、感謝した。
――たとえ奴隷という立場であっても、ニコルと同じ場所にいられる。それが、どれだけありがたいことか……。
スラム街で身寄りのない子どもが生きていく。
それはとても困難なことである。
多くの子供は大人になる前に死ぬ。
そして、大人になっても何かあればすぐに死んでしまうような儚い命。
マルティネス家で働くのも悪い話ではない。
むしろ、今までの生活よりも格段に良い。
――シャルル様がいなければ、今頃私には酷い未来が待っていた。……いえ、私だけじゃない。ニコルもただではすまなかったはずよ。
そう考えた直後。
レベッカの口から言葉が溢れた。
「ありがとうございます」
「え? 急にどうしたの?」
突然、感謝の言葉を貰ったシャルルは目を丸くする。
「そうだよ、姉貴。こんなやつにお礼なんて言う必要ないって」
レベッカと違って、ニコルは自分たちが如何に恵まれているかを把握していないようだった。
「ニコルも頑張って働きなよ」
「もちろんだ。姉貴を悪童から解放するためにもな!」
「うんうん、頑張るのは良いことだ」
「く……ッ。なんか、お前に言われるとムカつく」
「なんたって、僕は悪童だからね」
「ああ、そうだったな。お前はマルティネス家の悪童だ」
悪童のもとで働くことに対し、意外にもニコルは嫌な気持ちを持っていなかった。
シャルルが噂ほどの悪人ではないように感じたからだ。
シャルルはニコルの両手両足を縛っていた拘束を外す。
そして、ニコルに向けて手を差し伸ばす。
「これからもよろしくね」
ニコルはすっとシャルルの手を握り、
「金貨20枚分の働きはしてやるよ」
と言った。
二人の握手を見ていたレベッカは、ふいに口元を緩めた。
この光景から、明るい未来を想像したのだ。
そして、レベッカの思いに応えるかのように、ボロ屋の窓から室内に光が差し込む。
ちょうど、その光が三人を照らす。
これまでの辛い生活に耐えてきて、ようやく報われたような、そんな希望を抱かせる光だった。
ここまで見てくださり、本当にありがとうございます。
ひとまず、少女救出編が終わりました。
と言っても、まだ一章の途中なんですが笑
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