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鼓動140  作者: 楪葉夢芽
19/20

【二周年記念特別編】『goodbye』

「なあ、太宰」


「何? いま片づけで忙しい」


「……片づけなんて、いまやってる場合じゃないだろ」


「なぜ?」


「……明日! 期末だろ、わかってんだろ!」


 『期末』というのは言わずもがな、期末試験のことである。


 であるというのに、太宰ときたら部屋の掃除なんかをしているのである。現実逃避だろう。どういうわけか、試験の前日が最も掃除が進む。それはわかる。


「僕は明日が期末試験だろうと、世界が終わろうと……世界が終わるのならやらないな。ともかく、僕はいま片づけるんだ」


「俺が真面目に勉強しててもか?」


「別に掃除機かけたくらいじゃ、君の集中は途切れないだろうさ」


「そういう問題じゃなくてだな……」


「…………」


 そう言ってのけたかと思えば、奴は本当に掃除機をかけ始めた。こいつ……。


 はあ、と掃除機をかけていても聞こえるくらいにわざとらしく溜息を吐き、俺は眼前の証明問題と格闘する。今までの奴の成績がどれだけ良かろうと、今回の試験では俺が勝つ。


 だが、こいつのこの余裕を見るに、もしやこいつは既に勝利を確信しているのではないか? 前日に掃除をしていたような奴に負かされたのかと、あとから嘲笑うつもりなのではないか?


 となると、俺がここで勉強するのも、奴が『前日に掃除をしていた』ことの証明に他ならない。なるほど、そういう魂胆か。


「帰る」


「そうか。なら明日……いや、試験が終わってからでいい。(うち)に寄ってくれないか」


「あ……? ……いいけど、勝った方がそいつの食いたい飯奢る約束、忘れんなよ」


「ああ、万年金欠の僕にそんな約束をけしかける君の根性は見上げたものだよ。来世でも忘れないさ」


「お前がやらかした悪行の数々よりはマシだろ。んじゃ、また明日」


 俺は太宰の顔も見ずに片手を上げてそう返した。俺はとんだ馬鹿だった。









 太宰は、天涯孤独だった。


 そんな奴が無断欠席することは多々あり、試験当日の教師陣もまたかとこめかみを押さえた程度で終わってしまったのだろう。


 太宰は、よく頭が回る奴だった。


 それを悪用し、舌もよく回り、俺を揶揄(からか)うことに注力していた。


 太宰は、妙に厭世的だった。


 本当に俺と同い年なのかと疑うほどに、世間を悲観的に、悲劇的に捉えていた。


 それらが嫌な機構を為し、いま眼前に広がる問題を作り出してしまったのだろう。





 太宰は、風呂場の浴槽の中で、並々と張られた水とともに冷たくなっていた。万年金欠とほざいていたくせに、部屋の中は鳥肌が立つほど寒かった。





 俺まで冷たくする気か、と悪態をつく余裕はなかった。


 脱衣所に無造作に置かれたどこかのスーパーのチラシの裏に、笑ってしまうほど簡潔に、



 goodbye



 とだけ、書かれていた。見慣れた、太宰の粗雑な字だった。


 太宰がいつものように俺を待ち構えていたのなら、これが遺書だなんて思わなかっただろう。否、太宰は待ち構えていた。いつもと違うのは、その目が二度と開かれないことだった。





 その後の俺の記憶は、スキップでもしたかのように飛んでいた。もちろん、身体全体で跳ねたわけではない。時間的な跳躍だった。


 警察を呼んだか、葬式に出たか、どうやって家に帰ったのか、まるで覚えていないのだ。


 否──葬式には、出た。棺桶に入れられた太宰を見たからだ。そういえば、天涯孤独と言いつつ、本当は遠縁がいたことがわかったのだった。


 壮大なドッキリじゃないかと疑っていた──今にも瞳を開いて、「やあ」なんて片手を上げそうな様子だった。そうなろうがならなかろうが、俺はそいつの横面を引っ叩いてやりたかったのだが、今が葬式だったことを思い出してやめたのだった。


 葬式の記憶を思い出したかと思えば、警察が到着する前のことを思い出した。


 奴が、他に何か遺してやいないだろうか、と部屋中を探し回った。


 冷蔵庫の中に、寿司が入っていた。


「……俺は、肉が食いたかったんだが」


 最期まで、奴とは気が合わない。


 元より、奴は試験に勝つ気などなかったのだ。俺の不戦勝になるとわかっていたのだ。


 それなのに、俺と敗北前提の約束を取り交わした。


 とはいえ、奴が遺したものだからと、俺はそれを通学鞄に押し込んだ。


 机には、原稿用紙が置かれていた。


 車のタイヤが、無慈悲に有象無象の石ころを踏み(にじ)る音がした。すぐさま、原稿用紙をくすねた。





 俺は、通学鞄の中身を()き出した。


 寿司は数日前に食った。スーパーの値引シールが貼ってあったことに苛ついた。


 だから、そこにあったのは原稿用紙が何枚か。


 そこにあるべき題名は空白だった。単に思いつかなかったのか、二重鉤括弧は間抜けに口を開けている。


 そこに(つづ)られていたのは、太宰の独白のような何か。物語の(てい)を辛うじて為しているような、詩的で私的な文章だった。


 その最後は、こう締め(くく)られていた。





『また明日、なんて嘘らしい。


 明日が来るかは定かでない。


 それなのに、人はそう言う。


 そう願いたいだけなのかもしれない。


 だが、そういうのも悪くないだろう。


 人は、いつだって願う者なのだから。』



「…………もしかして、あの紙……遺書じゃねぇのか?」


 死の間際に、奴はこの小説の題名を思いついたのかもしれない。思い返してみると、風呂場には場違いな筆記用具が転がっていたではないか。


 そもそも、あの『goodbye』が遺書だというのは俺の早とちりだったのかもしれない。意味こそ『さようなら』ではあるが、わざわざ英語にしたのも妙な話だ。太宰のことだからただ格好つけただけ、という理由で通せてしまった。


 となると、奴は何を理由に死んだのだ?


 いくら考えても、その答えは出てこなかった。


 いつしか、俺は小説家になろうと思っていた。


 奴の遺作を無断で公表する。大なり小なり、それには評価という値札がつけられる。その上で奴の作品の評価を超える。我ながら完璧な嫌がらせだ。


 太宰の敗因はただひとつ。俺の視界に入る場所に原稿用紙を置いてしまったことだ。


 待っていろ太宰。お前の吠え面を拝むのは俺だ。

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