入院
衝撃で固まっている私に、彼はにっこり笑顔で話しかけてきたけれど。
え?矢那井?
「あらあら、やっぱり矢那井先生お知り合いだったんですか?」
「はい。高校の同級生でした」
年配の看護士さんが嬉しそうな顔で彼に声をかけ、彼もにこやかな笑顔で答えている。
やっぱり…ということは、彼は私だということを予想していたということで……
戸惑いながらも私は彼の名前をつぶやいていた。
「さく…ま…、みどり…くん…」
「うん。覚えていてくれて嬉しいよ。高校以来だね、彩李ちゃん。
あ、そうそう。僕名字が変わったんだ。
叔父のところに養子に入ることになってね。だから今は矢那井碧。
でも、矢那井って馴染み無い名前じゃなくて、前みたいに名前で呼んでよ
僕も、昔みたいに彩李ちゃんって呼ばせてもらうから」
ただでさえ耳の聞こえが悪くなっている状態で辛くて頭が回らないというのに、紹介してもらった医師が高校時代の同級生だったという事実を受け止めきれず、私はただ目を見開くばかりだった。
しかも、彼とは……
「なるほど。2日前の朝、起きたら聞こえてくる音が頭の中で何重にも鳴り響いて聞こえたんだね。
ボイスチェンジャーつけたカラス?
頭の中が響きすぎる音楽ホールなって、パイプオルガンが鳴り響いている感じ?
しかも倍音がたくさんの音色で?
なるほど、うまいこと言うなぁ。さすがだよ。
あ、ごめんごめん。
それで、眩暈は?吐き気はある?」
私が受けた衝撃は少しも和らいではいないが、今はとにかくこの体(耳)の状態を元に戻す方法を知ることのほうが大切だと無理やり気持ちを切り替える。
一生懸命に自分に起きたことを話す私に、碧くんも途中質問を入れながら淡々と症状を尋ねてくる。
「とりあえず、今日はたくさん検査をしたいから、今からいろいろ回ってもらわないといけないんだよね。
時間がかかるから疲れるかもしれないけれど。
途中で体調が悪くなったら無理せず近くのスタッフに僕の名前を伝えてね。すぐ行くから」
碧くんはそう言うと看護婦さんに声をかける。
看護さんに検査に回る順番と場所を教えてもらい、具合が悪くなったら無理せずにスタッフに声をかけることを再度確認される。
この日の検査は待ち時間も長く、言われた通り本当に時間がかかり身体はフラフラだった。ようやく次が最後となるMRIの場所へ自分を励ましつつ向かう。
撮影の前に造影剤を注射された私は、しばらくして血の気が引くような感覚に襲われた。
手足がすうっと冷たくなり、冷汗が出るような感じがする。
あ…このままだとまずい。
そう感じた私がスタッフに助けを求めると、すぐその場で横にさせてくれた。
その後、慌ただしくどこかに連絡を入れている。
「すぐ先生がいらっしゃいますからね」
そうスタッフから声をかけられて、私は頷くのが精一杯だった。
しばらく横になっているとパタパタと走る音が近づいてきた。
「彩李ちゃん!大丈夫?」
碧くんが駆け寄って来た。
よほど急いで来てくれたのだろう、呼吸を整えながら椅子の傍にかがみ込むと、まるで自分が辛いかのように眉間を寄せて私を覗き込んだ。
具合が悪くなったのは私なんだけれど……
そう思いつつも見知った顔にホッとしたのか、少し落ち着いてきたように感じる。
碧くんは血圧や脈拍などをスタッフに確認すると、自分が付き添うから出来れば画像を撮ってしまいたいという。少し血圧が低めだけれど大丈夫だからと。
確かに。別の日にまた同じような状態になるかもと思うと、碧くんが居る時に撮ってもらうのが一番だと思って頷いた。
無事にMRIの撮影を終えた私だったが、歩けると言う私の言葉は無視され、車いすで耳鼻咽喉科に戻ることとなる。
ベッドで休んでいるよう言われ、横になったところで入院するよう碧くんに言われた。
私の病気って、そんなに状態が悪いのだろうか…
前の病院では「正常の範囲内だけどね…」しか言われなかったけれど。
不安が顔に出てしまっていたようだ。
「念のためだよ、念のため。
おそらくもう大丈夫かとは思うけれど、耳の調子もかなり悪いみたいだから。
大丈夫、明日には退院できるからね」
碧くんが慌てて安心させるように優しく言うけれど、本当だろうか。
そんな私の不安をよそに入院準備は整えられ、あっという間に病室へと移されて、入院するんだったら点滴もしようと針を刺され、今ベッドに横になっている。
母にも連絡を入れると、診断結果も聞かないまま入院になったことに驚いていたが、とりあえず今から着替えなどを持って病院に来てくれるという。
ひとりきりの病室で、ポトン、ポトンと落ちる点滴を見ながら、頭に浮かぶのはあの曲。
ドビュッシー作曲の『月の光』だった。
興味惹かれる作品でしたら評価をいただけると嬉しいです。
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